「大げさだよ、母さん。今日は義母の誕生日なんだ。」
胸を押さえつけられるような激痛に苦しむ私に、息子の健一が冷たく言い放った言葉です。救急車を呼んでほしいと懇願する私を置いて、息子夫婦は義母の誕生日会へと出かけていきました。
結局、自分でタクシーを呼んで病院へ向かいました。診断は「軽い心筋梗塞の疑い」。医師からは「もう少し遅れていたら危険でした」と告げられました。
病院のベッドで一人、天井を見つめながら、私は静かに決意しました。もう二度と、こんな屈辱は受けないと。
私は田中です。68歳。看護師として38年間働き、多くの患者さんの命を救ってきた誇りがあります。3年前に夫を亡くし、息子夫婦との同居が始まりました。
同居を始めた当初、私は家族の役に立ちたい一心で、毎朝5時に起きて朝食の準備をし、孫たちの弁当作り、送迎、家事全般を担当してきました。息子の健一が転職で収入が減った時は、生活費として月15万円を援助しました。孫たちの塾代や習い事の費用も、全て私が負担していたのです。
しかし、嫁のさきさんの態度は次第に変わっていきました。自分の母親には月10万円の仕送りをしているのに、私への感謝の言葉は一度もありません。それどころか、私の価値観を「時代遅れ」と切り捨てるのです。
「お母さんの世代って、本当に考え方が古いですよね。」
「お母さんの料理って、なんだか古臭い味ですよね。」
「お母さん、また洗濯物の干し方が雑ですよ。年を取ると細かいところまで目が届かなくなるんですね。」
私はまだ68歳。決して老化したわけではありません。しかし、彼女の目には、私は役に立たない老人としか映っていないのでした。
さらに辛かったのは、義母との露骨な差別でした。義母の誕生日には毎年高級レストランで盛大なお祝いをし、10万円のブランドバッグや5万円の真珠のネックレス、現金20万円まで包んでいました。ところが、私の誕生日はコンビニで買った298円のシフォンケーキ一つだけ。プレゼントもなく、祝いの言葉も形式的なものでした。
「無駄遣いは良くないですからね。質素が一番です。」
その言葉が、私の心に深く刺さりました。義母が風邪を引いた時は、すぐに病院に連れて行き、高価な栄養ドリンクを欠かさず与えました。私が体調を崩した時は「病院代がもったいないから、市販薬で様子を見ましょう」と言うのです。
そして、あの日が来ました。胸をわし掴みにされるような激痛が走り、息をするのも困難になりました。看護師として38年働いてきた私には、この症状が何を意味するか、すぐにわかりました。心筋梗塞の可能性が高い。一刻も早く病院に行かなければ、命に関わります。
「健一、さきさん、救急車を呼んでください!」
私は必死に声を振り絞りました。しかし、返ってきたのは信じられない言葉でした。
「大げさだよ、母さん。ちょっと胸が痛いくらいで救急車なんて。」
「そうですよ、お母さん。今日は母の60歳の誕生日なんです。朝からそんな大げさな。」
私の顔が真っ青になり、脂汗が吹き出していることも見ようとしません。二人は私を置いて、義母の誕生日会へと出かけてしまいました。私の命よりも、義母の誕生日の方が大切だというのです。
結局、私は震える手でタクシーを呼び、一人で病院へ行きました。診断結果は、軽い心筋梗塞の疑い。もう少し遅れていたら危険な状態だったと告げられました。
深夜、息子夫婦が帰宅しました。酔っ払って、楽しそうに義母の誕生日会の話をしています。
「お母さん、もう大丈夫だったの? ほら、心配してたんですよ。病院に行ったの、大げさだったでしょう。」
その言葉を聞いて、私の中で何かが完全に壊れました。謝罪の言葉は一切ありません。私は静かに、しかし確実に決意しました。
翌朝、息子夫婦が仕事に出かけた後、私は不動産会社に電話をかけました。この家は、私の名義で購入したものです。息子夫婦は家賃も払わず、当然のように住んでいたのです。私は家の売却を依頼し、駅前の高級マンションの購入を決めました。
その夜、息子夫婦が帰宅した時、私はいつも通り夕食を用意して待っていました。彼らには何も変わったことがないように見えたでしょう。
「お母さん、明日の朝も早めに朝食をお願いしますね。」
さきさんの言葉を聞きながら、私は心の中でつぶやきました。明日の朝には、あなたたちに大切なお話があります。
翌朝、朝食が終わった後、私は静かに口を開きました。
「実は、昨日この家を売却しました。」
その瞬間、夫婦の動きが止まりました。
「え? 何それ? どういう意味?」
「この家は私の名義です。そして昨日、不動産会社と正式に売買契約を結びました。」
「嘘でしょ? そんな大事なことを、なぜ相談してくれなかったの?」
健一が慌てた様子で立ち上がりました。私は静かに首をかしげました。
「あなたたちは、私が救急車で運ばれそうになった時、相談に乗ってくれましたか? 大げさだと言って、義母の誕生日会を優先しましたよね。」
その言葉に、二人は言葉を失いました。
「新しい所有者の方は来週火曜日には入居希望されています。つまり、あなたたちには今週末までに出て行っていただく必要があります。」
「そんなの急すぎるよ! 俺たち、どこに住めばいいんだ?」
「大丈夫ですよ。若いんだから、なんとかなるでしょう。私の時は68歳でも、自分でタクシーを呼んで病院に行きましたから。」
さきさんが土下座するように頭を下げましたが、私の心は動きませんでした。私はこの家から静かに立ち去り、新しいマンションでの生活を始めました。
健一とさきさんは、さきさんの実家に身を寄せることになったそうです。しかし、義母の家は古い2DKのアパートで、夫婦と子供2人が住むには手狭でした。物置き部屋を改造して、なんとか住んでいるようです。さきさんは自分の母親の介護にも追われることになりました。
一方、私の新しい生活は充実していました。誰に気を使うこともなく、自分のペースで過ごせる毎日。近所の公民館で開かれている絵手紙教室に通い始め、同年代の友人もできました。
ある日、マンションのロビーで偶然健一と会いました。
「母さん、お願いだから帰ってきてよ。俺たち、本当に反省してるから。」
私は冷静に対応しました。
「帰る? どちらに? あなたたちが住んでいた家は、もう他人のものです。私の家でもありません。」
「じゃあ、一緒に新しい家を探そう。俺たちも働いてるから、家賃くらいは払えるよ。」
「大丈夫ですよ。若いんだから、ご自分たちでなんとかなるでしょう。私が命の危険を訴えた時、あなたたちは何と言いましたか? 血のつながった家族を大切になさってください。さきさんのお母様がいらっしゃるでしょう。」
その言葉を最後に、私はエレベーターに乗り込みました。ドアが閉まって、健一の声は聞こえなくなりました。
私は68歳にして、ようやく本当の自由と尊厳を手に入れました。理不尽に耐え続ける必要はないのです。私は今、心から幸せです。



