朝のリビングで、私はハウスメーカーのパンフレットを眺めていた。淳と二人で少しずつ貯めてきたお金で、ついにマイホームの頭金が用意できるまでになった。庭付きの一戸建て、子供は二人。それが私たちの夢だった。
コーヒーを一口含みながら、広々としたリビングの写真を指でなぞる。大きな窓から差し込む陽射し、風に揺れる木々、走り回る子供たち。想像するだけで胸が弾んだ。
その時、突然玄関のチャイムが鳴った。こんな朝早くに誰だろう。パンフレットを置いてドアを開けると、そこには夫の姉、ミクさんが立っていた。
「久しぶり。近くまで来たから寄らせてもらったわ」
突然の訪問に驚きつつも、夫の姉を無視するわけにはいかない。笑顔を作って家に招き入れると、ミクさんは軽やかな足取りでリビングへ進み、まるで自分の家のように周囲を見渡した。彼女の訪問はいつも突然で、予告もない。その態度が、私は少し苦手だった。
「新しい家を建てるんですってね」
ミクさんの目が、テーブルの上のパンフレットに止まる。どうやらこれが本題らしい。私は内心ため息をついた。
「ええ、まだ考えている段階ですけど」
ミクさんの目は輝き始め、パンフレットのページをめくりながら次々と意見を言い始める。玄関のデザイン、キッチンの広さ、リビングの間取り。勝手に注文をつけていく。
「でも、お母さんが言ってたわ。みんなで一緒に住むのもいいんじゃないかって」
「え、お母さんも?」
その言葉で私はドキリとした。義母も巻き込んで、義実家との同居の計画を進めているのだろうか。胸の中に不安が渦巻く。
ミクさんは勢いを止めず、間取りから設備に至るまで、次々に意見を言い続けた。
その夜、淳が仕事から帰ってくると、私は彼にミクさんの訪問と、家のパンフレットを見て勝手に同居の話を進めようとしていることを説明した。義母も一緒に、私たちと住む家を探すつもりでいるらしい。
淳は黙って聞いていたが、次第に眉をひそめ、険しい表情になった。
「やっぱりな」と淳がため息をついた。
「どうしたの?」
淳は少し間を置いてから、ゆっくりと口を開いた。
「実はな、俺、ずっと思ってたんだ。うちの家族って、どこかおかしいよなって」
これまで義両親への不満を一度も口にしたことがなかった淳が、そんなことを言い出すとは。私は驚いて彼の顔をじっと見つめた。
淳は子供の頃から、家族の中でミクさんばかりが大事にされてきたと話し始めた。姉が欲しいと言えば、親は何でも買い与えた。姉が失敗しても怒られなかったのに、自分が何かお願いしたり、失敗したりすると、いつも怒られてばかりだったと。
「それでも俺は、自分なりに家族に認められたくて必死に努力してきた。でも、両親にとって俺はどうでもいい子だったんだ。姉さんが欲しいものは全部姉さんに与えられて、俺には何も残らない。それが当たり前だと思ってた」
淳の言葉に、私は胸が締め付けられた。そんな思いを抱えながら、彼は私と一緒にここまでやってきたのか。そう思うと、悲しくてたまらなかった。
「どうしてもっと早く言ってくれなかったの?」
「言ったところで、どうしようもないと思ってたんだ。俺も家族の一員だからな。でも、今日の話を聞いて確信したよ。もう限界だって」
「限界?」
淳は頷いた。
「そうだ。俺たちの家なのに、勝手に同居の話を進めるなんて信じられない。もう俺たちの生活を好き勝手にされるのはごめんだ。これからは自分たちのために動かなきゃいけない」
淳の決意のこもった声に、私は強く頷いた。彼がこれまでどれだけ家族に抑圧されてきたのかを知り、今度は私も彼のそばで一緒に戦いたいと思った。
私たちは二人で知恵を絞った。
「まずは、彼らと俺たちの生活は別だって思い知らせろ。振り回されて嫌な思いをするのは、これで終わりにするんだ」
その週末、私たちは住宅展示場へ行く準備をしていた。しかし、また玄関のインターホンが鳴った。予告なしの来客といえば、いつも義実家の人たちだ。重い気持ちでドアを開けると、案の定、義母と義父が立っていた。どうぞとも言わないうちから、ずかずかと家に上がり込み、当然のようにソファーに座る。
「姉から聞いたけど、いい家を探しているんですって? お父さんと一緒に住めるような家がいいわね」
「そうだな。庭付きでリビングが広い家がいいな」
義母も義父も、勝手に夢を語り始めた。そして挙げ句の果てには、「近所にいい土地を見つけたから、そこにしたらいいんじゃないか」と言い出す始末だ。
黙りかねた淳が言い返した。
「ちょっと、父さんも母さんも勝手に話を進めないでくれ。俺らにも計画があるんだよ」
しかし義両親はこちらの言い分をまったく聞き入れようとしない。
「ほら、早くしないと、あんなにいい土地が売れちゃうわよ」
「そうだな。手付け金を払っておいた方がいいぞ」
二人して勝手なことを言い出した。どうしていいかわからず、私は助けを求めるように淳を見た。淳は少し考え込んだ後、何か思いついたように顔を上げた。
「今は仕事が忙しくて、土地を見に行く暇なんてないよ。そっちで勝手にやってくれ」
その言葉に義両親は驚いたような顔をしたが、すぐにお互いに笑い合った。
「じゃあ、こっちで勝手に決めさせてもらうからな」と義父が楽しそうに言った。
それから数日、私たちは義両親の動きを確認しながら対策を練った。義両親は早速その土地を見に行き、電話で「あの土地、とてもいい場所よ」と報告してきた。それを聞いた淳は、穏やかな口調で答えた。
「もしそちらでいいと思うなら、その土地で好きな家を建ててもらっても構わないよ」
義母と義父はますます乗り気になり、「じゃあ早速手付金を払うわ」と息巻いた。私たちはその様子を冷静に見守った。そう、この時から私たちの反撃は始まっていたのだ。
しばらくして、義両親は本当に手付金を支払い、土地を購入する手続きを進め始めた。休みの日に呼び出された私たちは、テーブルの上に広げられた土地の売買契約書を見せられた。契約書の買主の欄には、義父の名前が記入されていた。
「なかなかの立地だからな。少し高いが、これから値上がりもするだろう。いい買い物だった。お前たちもいずれは相続するんだし、文句はないよな」
義父は満足そうにふんぞり返った。そしてミクさんと義母はパンフレットを広げ、リビングはもっと広くしたいとか、キッチンはアイランド型がいいとか、インテリアにこだわりたいなどと、次々にオプションをつけていく。バスルームにはジェットバス、エアコンも最新型を、と注文は止まらない。まるでお金がどこからか湧いてくるような話しぶりだ。
さすがに心配になって、私は尋ねた。
「あの、資金計画は大丈夫なんですか?」
しかし義母は気にする様子もなく、けらけら笑いながら答えた。
「何言ってるの? あんたたち、まだ若いんだからどうにでもなるでしょ」
みんな、私たちに払わせる気満々だ。あまりの暴言に、私は言葉を失った。
「不動産関係の借金はいずれ資産になるんだから、気にしないでいいのよ。だから大丈夫」
そう言ってミクさんは手をひらひらさせる。義実家の今後を心配していたが、ミクさんが大丈夫と言うなら大丈夫なのだろう。私はその言葉を信じて、淳と一緒に義実家を後にした。
数日後、私たちのスマホに突然のLINEが届いた。
「あなたたち、どこにいるの?」
私たちの計画が漏れたのかと一瞬心配になったが、淳の表情はどこか余裕さを感じさせた。しばらくすると淳のスマホがけたたましく鳴り、電話越しにミクさんの怒声が聞こえてくる。
「あんたたち、どこに行ったのよ! アパートが空っぽじゃない!」
その声には焦りと苛立ちが混ざっている。私は少しだけ心の中で笑いをこらえた。計画がうまくいった証拠だ。
「どこ? 仕事の都合で、北海道に転勤になったんだよ」
淳が静かに答える。そう、私たちは義実家から離れるため、着々と準備を進めていた。淳は会社に転勤願いを出し、リモート勤務の私は問題なくついていくことができた。義実家に振り回される生活を終わらせるため、遠く離れた土地へ移住する決意を固めていたのだ。
「建てるはずの家はどうするのよ! もう契約しちゃったんだから!」
ミクさんの声が電話越しに響く。淳はにやりと笑い、優しくも冷静な声で答えた。
「そうだね。家を持つのは素晴らしいことだと思うよ。父さんと母さんが業者と契約してね。でも、僕たちは一言も同居するとも、ローンを払うとも言っていない。それに、契約書に僕たちの名前もサインもないよね。だから、今回の新築の件は僕たちには全く関係ない話だ」
「8000万円の支払いをどうしろって言うのよ! そんなの無理よ! 助けて!」
電話の向こうでミクさんの取り乱した声が聞こえ、その背景には義両親の慌てふためく声も重なっていた。だが淳はそれ以上、何かを言うことはなかった。
「ミクが心配して聞いた時、不動産は資産になるって姉さんが言ってたよね。だから、その資産を失わないように、頑張って支払えばいいんじゃないかな。まあ、それで僕たちが会うこともなくなるだろうから、さよなら」
そう言って淳は静かに電話を切った。その瞬間、部屋の中に静寂が訪れ、私は思わず深呼吸をした。淳の表情は、義実家の呪縛から解放されたように、晴れやかだった。
「やっと自由になれたね」
私がつぶやくと、淳は微かに頷いた。
私たちは新しい土地で新しい生活を始めることを決めた。自然に囲まれた広々とした場所で、私たちだけの穏やかな日々が待っている。義実家の干渉から解放され、自分たちのペースで歩んでいける未来がある。家を建てる夢は一度潰れかけたけれど、今はそれ以上に素晴らしいものが手に入ったと感じる。
これからは私たちのペースで進んでいく。そして幸せな家庭を築いていくのだ。心からの安堵と希望に満ちた新しい日々が始まる。もう義実家に振り回されることはない。



