「みゆの学費、全額使ったから。不倫相手と店を始めるための資金だ。あ、みゆにはお前から謝っといて」…

「みゆの学費、全額使ったから。不倫相手と店を始めるための資金だ。あ、みゆにはお前から謝っといて」...

「大地のLINEに『今日は残業で遅くなる』って来たのは、午後9時すぎだった。

10分後、私はスマホを握りしめたまま震えていた。

友達が偶然見たと言った。大地が知らない女とラブホテルに入っていくのを。

「飲み会で酔ったから、休ませてもらってただけだ」
「残業じゃなかったの?」
「飲み会も残業みたいなもんだろう」

私は怒りよりも先に、冷たい現実が胃のあたりに落ちていく感覚を覚えた。

「男女でラブホに入って、何もないと思ってるの?」

大地は鼻で笑った。

「そこまで分かってたのかよ。もったいぶった言い方しやがって」

開き直っていた。

「大地、あなたね。私と再婚してまだ3年よ」
「だから?」
「たった3年で不倫って。しかもみゆちゃんが大学合格したばかりなのに」
「みゆは関係ないだろ」
「ついこの間、家族でお祝いしたばかりじゃない」
「みゆだって18だろ。この程度のことでガタガタ言わないって」

私は努めて冷静に言った。

「年頃の女の子が、父親の不倫を知ったらどう思う?」
「あー、はいはい。お前には分かんないか。まあ、初婚じゃないしな」

「どういう意味?」
「みゆはこれくらい慣れっこだってことだよ。俺がみゆの母親と離婚したのも、不倫が原因だしな」

心臓が止まるかと思った。

「何それ。私には教育方針の違いだって言ったじゃない」
「そんなの嘘に決まってんだろ。不倫して離婚しましたって正直に言ったら、お前は俺と結婚しなかっただろ」

私は言葉を失った。

「そういうことだよ」

大地はスマホをいじりながら、何気ない調子で続けた。

「てか、みゆで思い出したわ」
「今度は何?」
「みゆの学費。不倫相手と店をやるための資金に使ったから」
「は?」

「学費の支払い、もうすぐだろ。俺とあいつの夢の店だから、理解してくれよ。あ、みゆにはお前から謝っといて」

私は膝が抜けそうになった。

「ふざけないで。あのお金は私が独身の頃から貯めてたお金よ。夫婦共有の通帳に入れてたから共有財産だっていう理屈?」
「そうだな」
「そんな話が通るわけないでしょ。店だって私とやるって言ってたじゃない」
「あー、俺は最初からお前とする気なかったけど」

私は目の前が真っ白になった。

「へ?」
「あ、そうそう。お前が一生懸命作ってたレシピももらってくから」
「そんな──」

大地は立ち上がって、玄関に向かった。

「じゃあ俺は今日からそっち帰らないから。後のことはまるっと任せたぞ」

ドアが閉まる音がした。

私はしばらく、その場で立ち尽くしていた。

──10分後。

スマホに着信が入った。みゆからだった。

「ゆかさん、バイト終わった?」
「今さっき終わったとこ。……みゆ、ごめんなさい」
「何? 急に謝って。どうしたの?」

私は震える声で言った。

「みゆの大学の学費、なくなったの」
「……え、それ、やば」
「大地が全額使っちゃったみたいで、さっきネットバンク確認したら残高がゼロで」

みゆは一瞬沈黙したあと、低い声で言った。

「パパ、終わってんな」
「らしいっちゃらしいけど……マジ勘弁。せっかく合格したのに」
「いや、別になんとかなるっしょ。バイト代も貯めてるし」
「いや、どんなに貯めても300万よ?」
「たか」

私は呆れて言った。

「たか?」
「まあでも、なんとかするわ」
「なんとかって……私の両親に借金してでも払うから、安心して」
「いや、いいって。それよりも、パパは300万も何に使ったん?」

私は言いづらかった。

「……すごく言いづらいんだけど」
「これ以上に言いづらいの? マジで何やったん?」
「不倫相手と店を始めるって」

みゆは一拍置いて、笑った。

「それ、ガチ?」
「ガチみたい」
「つかさ、店ってゆかさんとやるって言ってなかった? レストランだっけ? ゆかさん、元々料理人なんでしょ?」
「独身の頃からの夢だったからね。結婚した後は老後に一緒にって言ってたんだけど……それも反故にして不倫相手と」

私は続けた。

「娘の学費を使って」
「……はあ」
「私がコツコツ書いてたレシピも、持っていかれた」

みゆはしばらく黙ったあと、静かに言った。

「あのさ、ゆかさん。ちょっと聞きたいんだけど、その300万って誰のお金?」
「私が独身時代に貯めてたお金よ」

みゆは鼻で笑った。

「なるほど。……ゆかさんさ、さっきから軽くない?」
「別に軽くないって。普通に草も生えないレベル」
「草も生えない」
「女装剤かけられたんかと思ったもん」
「そうか……笑えないくらいやばいってことか」

私は苦笑した。

「それでも明るく振る舞ってるみゆを見てると、私なんて本当にショックで、離婚しかないなって思ったよ」

みゆは急に真剣な声になった。

「あ、ちょい待ち」
「どうしたの?」
「ゆかさん、1年でいいから、時間もらっていい?」
「は? なんで?」
「いや、マジで腹立つのりだとは思うよ。けどマジでお願い。1年だけ」

私は戸惑った。

「立つのりって誰?」
「は? ああ、『腹立つのりだとは思うけど』って意味だから」
「なるほど。……じゃあなんで1年なの? その1年でどうするの?」
「まあまあ、そこは私にお任せ的な。悪いようにはしないよ」

私は怪しんだ。

「なんでそんな怪しい感じを出すの?」
「奥さん、お任せくださいよ」

私は呆れて笑った。

「……はいはい。じゃあ騙されてあげるわ。1年でいいのね?」
「うん。あ、離婚も禁止でよろ」
「……は?」

──1週間後。

「おっす。みゆ、元気か?」

みゆはスマホを見上げもせずに言った。

「いや、元気かじゃなくない? 人の学費を何勝手に使ってんの?」
「あれな、マジで助かったわ。サンキュー」
「サンキューじゃないが。ガチでありえん。パパ崩すぎ」
「あーはいはい。すまんすまん」
「謝る気ないだろ」

大地は椅子に座り直した。

「てかさ、お前SNSやってたよな」
「無視とかマジでうざ。やってるけど」
「それがフォロワー多かったろ?」
「一応、1万人だけど」
「でかした。さすが下品なダンス動画をあげてるだけはあるわ」

みゆの顔が急に冷めた。

「あのさ、マジで言葉に気をつけなよ。実の娘相手に下品とか、ありえなさすぎ」
「いや、実際そうだろ。父親としては娘があんなのしてるとか恥ずかしいわ」
「あ、そう」
「どうせおっさんとかに媚売ってんだろう。若い女はいいよな。適当に露出して踊るだけで人気になれるんだから」

みゆは唇を噛んだ。

「クソリプかよ。……で、その恥ずかしい娘に何の用?」
「今度さ、店やるんだよ。レストラン」
「ゆかさんから聞いてる。私の学費使って、不倫相手とやるんでしょ?」
「そうそう。聞いてんなら話は早い。その前に、やってることやばいって自覚ある? 父親としてというか、人として終わってるからね」
「そういうのいいから」
「良くないから言ってるんですけど」
「その店の宣伝してくれよ」

みゆは笑った。

「は? 宣伝?」
「実は結構前から準備しててさ、来月オープンするんだよ。だからインフルエンサー様から宣伝頼むわ」
「この状況で、そんなこと普通頼む? 心臓、鉄でできてんの?」
「大学も経営学部選んだんだったよな。ならSNS戦略的なの知ってんだろう」
「いや、まだ大学行って何も学んでないし」
「大丈夫、できるって」

みゆはため息をついた。

「どっから来た自信なの? その大学だって、ゆかさんのおかげで行けるんだけど」
「ああ。やっぱりちゃんと300万用意したんだ。ゆかさんのパパママに借りてくれたんだろ。マジで申し訳なくて、頭上がらないよ、これ」
「大学行けるならいいじゃん」
「良くないだろ。……てかマジで分かんないよ。経営とか、受験勉強くらいはしたろ?」
「経営の受験とかないから」

大地は笑った。

「とか言って、昔から熱心に勉強してただろ」
「そりゃ経営には興味あるし」
「ならできるってことだな」
「マジで言ってる?」
「いいだろ。別に減るもんじゃなし。パパの頼みなんだからさ」

みゆはしばらく睨んでいたが、不意に笑った。

「分かった」

大地は目を輝かせた。

「お、マジ?」
「それ、今SNSで宣伝してバズらせたらいいんでしょ?」
「おお、それそれ。バズバズ」
「じゃあ店のアカウント、共有して。後で送る」
「いやあ、やっぱ持つべきものはできた娘だわ」
「はいはい。せいぜいバズらせ散らかしますよ」
「マジで頼りにしてるぞ。じゃあ店の宣伝は全部任せるから、繁盛させてくれよ」

──1年後。

「大地。300万円、返してください」
「ああ、しつこすぎ。1年前のことをいつまで言ってんだよ」
「1年前とか関係ないから。だからって毎月のように連絡してくんなよ」
「言っても返してくれないあなたが悪いんでしょ」

大地は書類をめくりながら言った。

「てかこっちは忙しいんだよ。分かるだろ? 店が繁盛してんの?」
「繁盛してるなら300万も返せるんじゃないの?」
「そもそも返す返さないっていう問題じゃないだろ。あれは夫婦の共有財産だ。俺がどう使おうが問題ない」
「違います。あの300万は私が独身時代に貯めた貯金よ。私個人の資産であって、共有財産じゃありません」
「夫婦の共有口座に入ってたんだから、共有財産だろ」
「どこに入れてても、私個人の財産よ。それを無断で、しかも不倫相手との店の資金に使うなんて、論外です」
「耳にタコができるわ。何回もその説明は聞いた」
「だったら早く払ってください」
「払わない。以上、終わり。これも何度も言ってるだろう」

私は冷静に言った。

「あのね、返還するのは当たり前なの。日本の法律で決まってることよ」
「はいはい。そうですか」
「法的手段に訴えてもいいんだけど」
「どうせしないじゃん」

私は一瞬、言葉を止めた。

「どうしてそう言えるの?」
「じゃあ逆に聞くけどさ。なんで俺とお前がまだ離婚してないわけ?」
「それはお前が俺にお願いしたからだよな。離婚したくないって泣きついてきたのはどっちだよ」
「泣きついてはません。ただ、もう少し待ってほしいって言っただけで」
「もう1年ですけど。離婚、まだ?」
「俺はいつでもいいぞ」
「もうちょっと待って」
「出た出た。結局、俺に未練たらたらなんだろ? モテる男は辛いね」

私は歯を食いしばった。

「そんなんじゃないわよ」
「いいっていいって。強がって」
「強がってません」

大地は笑いながら言った。

「まあ、俺も今は店が忙しいし、それが落ち着くまでは夫婦関係を続けてやるよ」
「ありがとう?」
「関係を維持したいなら、だるいこと言ってくんなよ」

大地は立ち上がって、コーヒーを淹れながら言った。

「まあでも、一応は成功だな。お前のレシピのおかげで大繁盛してるから。バイトでも作れる簡単レシピで味は最高。俺の目は間違ってなかったわ」
「そうですか」
「あとみゆにも礼言っとかないとな。あいつのおかげでバズってるし。ああ、忙しい忙しい。俺の勝ち組人生を見てろよ、負け犬」

──数日後。

「パパ、レストラン回転1周年おめ」
「おお、みゆ、サンキュー」
「みゆの宣伝のおかげだわ」
「まあ、相当バズってくからね」
「お前、思った以上にやるじゃん。なんだったらこのままうちで雇ってやろうか?」
「うん。ノーサンキュー」
「せっかく俺が誘ってやってんのに。水希も可愛がってくれると思うぞ」
「水希? それって不倫相手?」

大地はケロッとしていた。

「不倫相手じゃなくて、将来のお前の母親な」
「うわ、マジでいらねえ」
「そう言うなって。てか俺って経営センスあったんだな。こう、トントン拍子ってやつ。ま、才能だわ」

みゆは笑った。

「パパ、やば。才能あるわ」
「だろ?」
「うん。マジでお笑いの才能あるよ」
「は? お笑い?」
「経営センス」
「たがマジで言ってんの?」
「当たり前だろ。たった1年でこの繁盛具合だぞ」
「ゆかさんのレシピ盗んでさ、私のフォロワーに便乗しただけじゃん。バカでもできるから」

大地の顔が歪んだ。

「はあ? お前な。父親に対してバカってなんだ」
「ガチだからしゃあないじゃん。経営センスとかマジで皆無」
「実際にこうして成功してるだろうが」
「成功? 勘違いも甚だしい」
「なんだと?」
「レビューはサクラ入れて操作してるんでしょ?」
「は? そんなのしてねえし」
「実際SNSだとひどいよ。『料理はうまいけど女店員の接客が最悪、2度といかない』って。女店員って水希でしょ? 口コミ広がって、すぐに人来なくなるね」

大地は一瞬、言葉を失った。

「なんだよ、それ」
「今の時代、店舗経営するのにSNS見ないとかやば。次からは気をつけた方がいいよ。次があるとは思えないけど」
「お前がなんとかしろよ。SNSは担当だろ?」
「別に雇われてないんですけど」
「それでもやるんだよ。早くしろ」
「まあ、安心して。すぐに対応するから。来月にはこの評価も逆転するって」
「なんだよ。それを先に言えよ。焦って損したわ」

みゆは静かに笑った。

「その時は、パパはもうオーナーじゃないけどね」

──数日後。

「おい、みゆ。なんだよこれ」
「ああ、SNS見た? パパ、やっぱり炎上してんね。受ける」
「受けねえよ。店を奪ったとか、心当たりのないことで色々と言われてんだけど」
「SNSでバズるのって、ストーリー性も大事なんよね」
「ストーリー性? どういうことだ?」
「パパと私のLINEでしょ? それと、パパとゆかさんのLINE、全部SNSにあげたった」

大地の顔が凍りついた。

「は? お前、何やってんだよ」
「娘の学費300万盗んで、不倫相手と店回転。ゆかさんは元料理人で、そのレシピまで。もうマジ無理。父親がこんなのしてるとか、無理」
「バカじゃねえのお前。そんなのしたらこうなるのは分かりきってただろ」
「自覚あるの、逆にやば」
「笑い事じゃねえんだよ。どうするんだよこれ。お前、すぐなんとかしろ」
「は? 無理?」
「無理じゃないだろ。お前のせいでこうなってんだぞ」
「いやいや、パパのせいでしょ。私、一言も嘘は投稿してないけど」
「そんなの知るか。こっちは迷惑してんだよ」
「それな」

大地は怒鳴った。

「は?」
「私はパパの娘に生まれてから、ずっと迷惑してんの」
「なんだと?」
「パパさ、私が経営学部受験した理由、知らないっしょ?」
「あ? 知らねえよ。興味もない」
「私の実のママ、今も入院繰り返してんの」

大地は眉をひそめた。

「実のママって、あいつが? てかなんでお前がそんなこと?」
「今も連絡取ってるもん。当然っしょ」
「俺はそんなの聞いてないぞ」
「そりゃそうでしょ。……誰のせいでママが入院してると思ってんの?」
「あれはあいつが勝手に倒れたんだろ」
「倒れるまで追い込んだのが誰だと思ってんの? 元々体弱かったのにさ、パパが何回も不倫して、精神不安定になって、挙げ句に病気で入院したら離婚。ざけんな」

大地は顔を真っ赤にして怒鳴った。

「じゃあなんでお前は俺についてきたんだよ。あいつのそばに行ってやりゃよかっただろうが」
「そばに居られる状態じゃなかったじゃん。治療費もかかって働けない状態で、おじいちゃんたちもママの治療費でカツカツだし」
「それはそうだけど」
「そんなママを助けたくて、経営学部に入ったの。お金があれば、一緒に暮らせるから。パパの言う『下品な踊り』も、そのため」

大地は冷たく言った。

「だからってこれは関係ないだろう。稼ぎたいなら勝手に稼いで、あいつのとこ行けよ。俺を巻き込むな」
「は? ママを追い込んだ奴を、私が許すと思ってんの?」
「じゃ、まさかお前──」
「ママの分も、やってやろうと思ってたんだよね。ゆかさんには悪いけど、利用させてもらった。あんたが再婚して何もしないとは、思えなかったから」

大地の顔から血の気が引いた。

「このクソガキ。父親に対してこんなことして、許されると思ってんのか?」
「クソガキに土下座して頼ってたのは、どこのどいつだよ」
「あ? 俺はお前なんていなくても、自力でこのくらいはできたんだよ」
「無理だから。そんな頭があったら、こんなバカなこと最初からしてない。ゆかさんを利用して、私を利用して。全部他人の力じゃん」

大地は震えていた。

「どうさ、みゆ。お前な──」
「下品な踊りを踊ってる恥ずかしい娘に頼ってたんでしょ? 恥ずかしいのはどっちかって話。やってることがきしすぎるんだよ」

大地は拳を握りしめた。

「……2度と、その汚い顔、見せんな」

──10分後。

スマホに着信が入った。ゆかだった。

「ゆか、お前、これ知ってたんだろ?」
「SNSの炎上? そりゃそうよ。私とのLINEも曝されてるんだから」
「何勝手に言ってくれてんだ。このままじゃ俺は破滅だぞ」

ゆかは静かに言った。

「ねえ、大地。なんだと思う?」
「知るか、そんなこと」
「あなたに学費を使われた日、みゆちゃんが私に何て言ったか分かる?」

大地は苛立って言った。

「知るか」
「あの子、『私の時間を1年ください』って言ってきたの」
「は? 1年?」
「LINEではふざけた感じだったけどね。家に帰ってきてすぐに、土下座して頼んできたの」

大地は笑った。

「土下座? あのみゆが? 何の冗談だよ」
「ね、そう思うでしょう? いつも笑ってて表向きは明るいみゆちゃんが、真剣な顔で言ったの。『取られた300万は取り返します。それ以上のものもあげますから、力を貸してください』って」

大地の笑顔が消えた。

「ちょっと待てよ。何?」
「300万を取り返す以上のもの? どっから出てくるんだ、そんなもん?」
「もちろん、あなたから」

大地は叫んだ。

「俺から?」
「まず最初に言ってきたけど、あの300万は私のです。それを返還請求します」
「それは言ってたけど──」
「1年間、私は繰り返し返還を求めたわね。それに対してあなたは拒否してきた。悪意ある占有と判断して、遅延損害金も請求しますね」
「はあ? 遅延金?」
「加えて、慰謝料300万」

大地は声を荒げた。

「ふざけんな。そんなの相場以上だろ。不当請求だ」
「何のために、1年間婚姻関係を続けたままにしてたと思ってるの?」
「それはお前が俺に未練があったからじゃ──」
「あら、やだ。気持ち悪い」

私は続けた。

「1年間、私は一度も不倫を認めてないわよね?」
「なんか言ってたな。認めてないって」
「それを知っていながら、1年間不倫を続けたでしょう? 相場以上の金額になる理由は、それ」
「じゃあ、離婚しなかったのは──」
「パパならどうせ払わないし、不倫もやめないなら、そっちの方がお得だって。みゆも、私も、そう判断したのよ」

大地は机に手をついた。

「あ、この──」
「あと、婚姻関係を続けた理由がもう1つ」
「まだあるのかよ。勘弁してくれ」
「別居中も、収入の多い方が婚姻費用を払う義務があります」
「収入の多い方って、俺か?」
「お店、随分と繁盛してたみたいね。あなたの収入なら、1年分で150万だそうよ。全て合わせて、770万の請求になります」

大地は絶句した。

「770万? そんなの無理だ。水希が散財してたし、店を売ってやっと──」
「お店、くれない?」

私は静かに言った。

「え?」
「お店の権利を770万で売るか、お店を維持して払うか。あなたの選べる道は、2つに1つです」

大地は何度も首を振った。

「なんだよこれ。どうなってんだよ、これは」
「お店の評価、かなり落ちてるんでしょ? 炎上したばかりだものね」
「あの炎上も、これを狙ってたのか」
「ストーリー性が重要らしいわね」
「それ、みゆが言ってた──」
「盗まれたお金とレシピを取り返して、お店を手に入れる。オーナーが正しい人になる。評価は逆転する。ってね」

大地は一歩後ずさった。

「1年前から、こうなることが決まってたのか。俺がお前を裏切ったから──」

私は首を振った。

「違うわよ。あれ? みゆちゃんの実のお母さん、前の奥さんを捨てた。5年前から決まってたの。その時に、娘に捨てられたのよ。あなたは」

──1ヶ月後。

「みゆちゃん、お店の準備は順調よ。みゆちゃんのおかげで、SNSでも随分と応援されてるの」
「知ってる。悪い評価は全部パパが持ってっちゃったからね」
「みゆちゃん、これは聞きたくないと思うんだけど……大地のこと」

みゆは目を伏せた。

「うん。パパ、どうしたの?」
「お店を私に渡した後、貯金もなかったみたいね。不倫相手の水希さんと一緒に、借金生活らしいわ」

みゆは小さく笑った。

「ざま」
「そう言うと思った。……そっちはどう? お母様とは?」
「ママ、最近になってようやく退院できてさ。一緒に暮らすことになったみたい」
「そうなの? 良かったじゃない?」
「おじいちゃん、ママのお父さんね、にもすごく謝られちゃった。『孫が苦しんでるのに助けられなかった』って」
「そう。ママの治療費があって、それどころじゃなかったのにね」
「私が迷惑かけたくなくて、頼らなかったのも悪いし」
「一番悪いのはパパじゃん」
「それでも、力になりたかったのよ。それが複雑な大人心ってやつ。……でもまあ、みゆちゃんにとっては、いい結果になったわね」
「良かったけど……うーん」

私は首を傾げた。

「どうしたの?」
「ゆかさんさ、マジでごめんね」
「え? 何が?」
「利用しちゃったし、迷惑かけちゃったし。なんか私の都合で振り回してさ。マジごめん。私って、3年だけだったけど、あなたの母親だったわよね」

私は笑った。

「あ、うん。あなたも、3年だけは私の娘だったでしょ?」
「それはそうっしょ?」
「なら、迷惑かけたとか巻き込んだとか、全部どうでもいいよ」
「え、でも──」
「みゆちゃんはお母さんと暮らせるようになって、幸せ?」
「それはうん。幸せ。パパとのことも、けりがついてすっきりしたし」
「それで十分。こんなのでも母親だったんだから、娘が幸せなら、それでいいのよ」

みゆは面白そうに笑った。

「ゆかさんって、そういう性格してるよね」
「え、本当? どこが?」
「そういうとこ」
「どういうとこ?」
「うん。なんでもない」

私は話題を変えた。

「あ、そうそう。私って、みゆちゃんに1年の時間をあげたでしょ? 急に」
「うん。そうだけど」
「じゃあ次は、みゆちゃんの1年、もらっていい?」
「へ? マジ?」
「あと1年だけでいいから、仲良くなる時間が欲しいの。母親としてなんてわがままは言わない。だから、お願い」

みゆは笑った。

「ずるいって。それはぶっちゃけ、ゆかさんって私のこと苦手っしょ?」
「うん。ぶっちゃけるじゃん」
「やっぱり」
「たまに何言ってるか分からないし、グイグイ来る感じもちょっと苦手よ。私、こう見えて打ち気な性格してるから」
「なのに、仲良くなりたいわけ?」
「私は料理人ですから。食わず嫌いはしないようにしてるの」
「何それ?」

みゆは笑いながら言った。

「今度さ、うち遊びに来てよ。ママに紹介したい。『私を、もう一人のお母さんだよ』って」
「だめ」

私は首を振った。

「ずるいのはそっちでしょ。……行く。絶対」
「そっか。ありがと。これからもよろしくね、みゆちゃん」

──その後。

大地と水希は、お店を失ったあと、絵に描いたような転落人生を歩んでいた。

お店が繁盛していることに慢心して、豪快に散財していたようで、裏では借金まで作っていた。300万の返済に一切応じなかったのも、そういう事情があったらしい。

SNSで盛大に炎上したこともあって、知らない人から後ろ指を刺される日々。しかも多額の借金まで背負い、喧嘩の絶えない生活なんだとか。

それでも離れないのは、離れたら余計に生活が苦しくなるからでしょう。最後まで尊厳だけで動いている、寂しい人たちだなと感じる。

私はといえば、無事にレストランを回転させ、売上も順調。両親に借りたみゆちゃんの学費300万も、すでに返済済み。元々資産価値で770万以上のお店だったので、私は大きく得をした形だ。

SNSではみゆちゃんが宣伝してくれ、バイトとして働いてくれてもいる。今ではうちの看板娘として大人気。フォロワーの方が会いに来たり、みゆちゃん目当ての常連さんができたり。みゆちゃんだけの店なんて言われないよう、私も日々一生懸命だ。

みゆちゃんのお母様は、最近は体調が上向いているんだとか。娘と一緒に暮らせること。それが何よりも力になっているのかもしれない。

私はもう、みゆちゃんの母親ではない。血のつながりもないし、大地とも離婚して他人になった。それでも、みゆちゃんがお母さんと呼んでくれるなら、私はいつまでも、あの子の母親の一人として生きていきたいと思っている。

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