「今月の旅行、どうだった?」と母に電話で尋ねると、向こうで少し沈黙があった。
「旅行なんて、もう半年も行ってないわよ」
私は聞き返した。毎月5万円を送っているのに、旅行だって運動になるし、遠慮しないで使ってと言っているのに。
母は戸惑ったように言った。
「何の話?あんたからお金なんて、一度ももらってないわよ」
もらってない?私は12年間、毎月欠かさず母に5万円を振り込んでいた。合計すれば720万円。スマホを落としそうになった。
私の名前はふみ子、54歳。地元の信用金庫でパートをしている。夫の信吾は57歳で、結婚して30年になる。一人息子は28歳で大阪で働いており、盆と正月にしか帰ってこない。親子の仲が悪いわけではない。むしろ、息子の食事を作り、帰りを待つ母親の役目は終わったのだと、少し寂しくも誇らしく感じていた。
自分の生活を優先しなさいと言っているのに、息子は毎月1万円だけ私の口座に振り込んでくれる。「母さんも好きなもの買いなよ」という短いメッセージを見るたび、離れていても親を思う気持ちは伝えられるのだと思っていた。
だからこそ、一人暮らしの78歳の母にも同じようにしてあげたかった。母は父に先立たれた後も清掃の仕事を長く続け、私を育ててくれた。今は年金で暮らしているが、月に一度、電車で行ける温泉地や庭園に出かけるのが楽しみだった。帰りには必ず駅前の和菓子屋でクリームソーダを2つ買う。一つは自分用、もう一つは次に私が来た時のため。それが母の小さな贅沢だった。
ところが半年前から、母は旅行の話をしなくなった。家を訪ねても、いつも置いてあったクリームソーダがない。「最近は出かけるのも疲れるのよ」と母は笑っていた。私は年を取って体力が落ちたのだと思った。
それでも気になり、ある休日、母のアパートを訪ねた。部屋はきれいに片付いていた。食事に困っている様子はないけれど、冷蔵庫には安い食材ばかり。旅行のパンフレットが入っていた引き出しも空になっていた。
「お母さん、仕送りは貯めなくていいのよ」
私がそう言うと、母は首をかしげた。
「どこ、何の仕送りなの?」
最初は母が忘れているのだと思った。けれど通帳を見せてもらうと、私からの入金は一度もなかった。背中を冷たいものが走った。
私は12年前、母への仕送りを始めた。当時、父が亡くなった後の手続きを夫の信吾が手伝ってくれた。銀行関係の手続きが苦手な母に変わり、信吾がこう言ったのだ。
「お母さんの口座は俺が確認しておいた。ここに振り込めば大丈夫だよ」
夫から渡された口座番号へ、私は毎月5万円を送り続けた。振り込み先の名義は確かに母の名前だった。だから疑う理由など一つもなかった。
私は母に、他に通帳がないか尋ねた。すると母は思い出したように言った。
「お父さんが生きていた頃の古い口座ならあったわ。でもほとんど使っていなかったから、信吾さんに解約を頼んだのよ」
「通帳とカードも渡したの?」
「ええ、全部任せてしまったわ」
私は何も答えられなかった。
帰宅すると、リビングでは義母と義妹が高級なゼリーを食べていた。80歳の義母は、結婚当初から私に冷たい人だった。「パートのくせに帰りが遅い」「嫁の稼ぎは家のもの」「実家の母親よりこっちの家を優先しなさい」と、何度言われたか分からない。
60歳の義妹・俊子は、離婚してから仕事が長続きせず、お金に困ると家へ来る。けれど新しいバッグを持ち、爪にはきれいなネイルをしていた。義母はそんな娘に毎月のように現金を渡していた。「年子は大変なのよ」と言った直後に、私には「あなたももっと家にお金を入れなさい」と言うのだ。
その日の夜、私は12年分の振り込み記録を並べた。毎月25日、一度も欠かさず5万円、合計720万円。送金先は、母が解約を頼んだはずの古い口座だった。
翌日、私は母と一緒に金融機関へ行き、正式な手続きを取った。古い口座は解約されていなかった。しかも私が振り込んだ数日後には、毎月ほぼ全額が引き出されていた。母は顔を青くした。
「私、1円も引き出していないわ」
口座を管理していたのは夫の信吾だ。それでも私はすぐには問い詰めなかった。30年連れ添った夫がそんなことをするはずがない。何か事情があるのかもしれない。そう信じたい気持ちがまだ残っていた。
けれど、母が諦めた旅行の数を考えると、黙ってはいられなかった。私は母の本当の口座へ仕送り先を変更した。そして夫の書斎を調べた。引き出しの奥から出てきたのは、義母の古い通帳とカード。通帳には私からの5万円が入り、数日後に引き出された記録が12年分残っていた。
私は全てを撮影し、自分の振り込み記録と一緒に保管した。さらに弁護士へ相談し、正式な取引記録を取り寄せる準備も始めた。
それから最初の25日、母の本当の口座へお金が振り込まれた。母から電話があった。
「ふみこ、本当に入っているわ。こんなにもらっていいの?」
「今までだって送っていたのよ。好きなお菓子も買って、近場でもいいからまた旅行に行ってきて」
電話の向こうで母が泣いているのが分かった。
一方、我が家の空気は変わった。義母は朝から不機嫌で、夫は私の通帳を気にするようになった。義妹も頻繁に家へ来ては、私の顔を探るように見た。
そして給料日から10日ほど経った夜、夫がとうとう口を開いた。
「お前、仕送りの口座を変えたんだろう」
私は静かに答えた。
「ええ、母が実際に使っている口座に変えたわ」
夫の顔がひきつった。
「勝手なことをするな。前の口座へ戻せ」
「どうして?」
「俺がお母さんの代わりに管理していたんだ」
「母はあの口座の存在すら忘れていたわ。それにお金は一度も受け取っていない」
夫が言葉を失った時、義母が声を荒げた。
「嫁のくせに、自分の稼ぎを勝手に動かすんじゃないわよ。そのお金がなくなったら、うちが困るでしょう」
部屋が静まり返った。私は義母を見た。
「なぜ私の母への仕送りが止まると、お義母さんが困るんですか?」
義母の顔色が変わった。すると義妹が焦ったように口を挟んだ。
「お母さんに入るはずのお金でしょ。今更止めるなんて卑怯よ」
決定的な言葉だった。私は録音中のスマートフォンをテーブルに置いた。
「今の言葉、もう一度言ってもらえますか?」
3人の表情が固まった。私は12年分の振り込み記録と古い通帳の写真を並べた。
「毎月5万円、合計720万円です」
夫は慌てて言った。
「全部、母さんに頼まれたんだ。俺は家族のために」
「家族のため?」
私は初めて夫の言葉を遮った。
「私の母は、好きだったクリームソーダを買うのをやめました。月に一度の旅行も半年以上我慢していました。あなたたちが奪ったのは720万円だけじゃない。母が楽しめたはずの12年分の時間です」
義妹は慌てた。
「私は少し融通してほしいと言っただけよ」
「口座を管理していたのは信吾でしょ」
夫が言い返した。
「母さんが年子にも渡せって言ったんだろう」
義妹も叫んだ。
「私はお母さんからもらっただけ。そんなお金だなんて知らなかった」
さっきまで一つになって私を責めていた3人が、今度は互いに責任を押し付け始めた。私はその姿を見て、30年間守ろうとしてきた家庭が、最初から私の居場所ではなかったことに気づいた。
「弁護士には相談済みです。返還を求めます。応じない場合は、必要な手続きを取ります」
3人の声が止まった。夫は私の腕を掴もうとしたが、私は一歩下がった。
「それから、離婚してください」
「そんなことで離婚するのか」
「そんなこと?」
私は夫を見つめた。
「私が母を思う気持ちを利用して、12年間騙し続けたことが、あなたにとってはそんなことなのね」
夫は何も言えなかった。
その後、夫側は最初こそ「家族内のお金の移動だ」と言い張った。しかし通帳、カード、取引記録、そして3人の発言が残っていた。話し合いの末、720万円の返還と慰謝料を含む条件で離婚が成立した。夫は義母と義妹への援助を続けられなくなり、3人の関係も急速に悪くなったそうだ。
私は母の近くに小さな部屋を借りた。大阪の息子には、全てが終わってから報告した。息子はしばらく黙った後、こう言った。
「母さんも、もう誰かのためだけに生きなくていいよ」
その月、私は母と一緒に電車で1時間ほどの温泉地へ出かけた。特別に豪華な旅行ではない。庭園を歩き、足湯に浸かり、帰りにクリームソーダを買った。
母は2つではなく3つ手に取った。
「1つ多くない?」
私が笑うと、母も笑った。
「今度、孫が帰ってきた時の分よ」
失った12年は戻らない。けれど、これからの時間まで誰かに奪われる必要はない。母と並んで歩く帰り道、私はようやく自分の人生を取り戻した気がした。



