「裕子、今すぐこの家から出ていけ」
突然のLINEだった。私は画面を二度見した。三度見した。離婚?何を言っているんだろう。
「ちょっと待って。勝手に決めないで。どうして私たちが離婚しなきゃいけないの?」
返ってきたのは、私のせいだという非難だった。彼と義母の言いつけに従わないからだと言う。言い返すからだと。私は反論する権利くらいあるはずだと言ったが、彼は「息子として母親の味方をするのは当然だ」と言い放った。
「お前の顔なんてもう見たくない。今すぐ家を出ていけ」
私は話し合いを求めた。でも彼は「これが家族の総意だ」の一点張りだった。千明のことについては、私には任せられないと。母としても妻としても失格だと。
どうやらこれは彼だけの決断ではないらしい。私は義母に直接話をしに行った。
「お母さん、大機から出ていけと言われました」
義母は悪びれもせずに言った。
「あら、そう。あの子もようやく決断してくれたのね。息子に捨てられてざまあみなさい。これで嫁以外の家族で暮らせるわ。幸せ」
私は思わず口にした。息子を利用して私を追い出すのはひどくないですか、と。義母はもちろん否定した。何も言ってない、全部大機が決めたことだと。
「嘘をつかないで。あなたたちが二人でこそこそ出かけているの、知ってるんですよ」
義母はヒステリックに叫んだ。親子で出かけるのは普通だと。でも私は確信していた。ここで離婚を迫っているのが彼一人の意志ではないことを。
「本音を言えば、あんたが最初はいい子だと思ってたわ。でも徐々に言い返すようになってきた。特に千明を盾に使って」
「やっぱり受験のことを怒ってるんですね。あれが決定的だったんでしょ」
義母は黙った。あの中学受験の話。息子の意思を無視して、義母が勝手に塾に行かせようとしたあの出来事。私はそれが間違っていると思ったから止めた。それが、義母の逆鱗に触れたらしい。
「ルールを守れないのなら、さっさと離婚して出ていけ」
「分かりました。ここまでされて同居はさすがに続けられません」
義母は嘲笑うように言った。
「あら、いいの?あんた仕事もしてないし。追い出されたら路頭に迷うこと確定じゃない?頼れる親だってあんたにはいないんだし」
私はその言葉で、もう決意が固まった。義父に連絡を取った。
「お父さん、お仕事中に申し訳ありません。さっき大機から離婚を言い渡されました」
義父は驚いていた。その家は義父が買ったものだと。「あのバカが勝手なことを言うな」と怒っていた。
「どうやらお母さんと二人で決めたみたいです」
義父はため息をついた。「やはり広美も関わっていたか」
「一方的に広美が嫌っていただけだ。裕子さんは何とかしようと頑張ってくれていた。経済的なことか?って思ったけど、千明のことだな?」
「はい。大機は千明を引き取るつもりのようです。私に任せられないと」
「あいつがそんなことを言ってたのか。それは許せない。とにかくまずは話し合った方がいい」
私は義父の申し出を断った。これは私たちの問題だと。しかし、義父は「私も準備しないとな」と呟いていた。その意味を、私はまだ知らなかった。
大機が帰ってきた。私は千明の親権について話し合いたいと言った。
「それはもちろん俺がもらうよ。経済力がある俺が一緒の方が絶対にいいだろう」
「私だって仕事をしてみせる。千明は私が引き取る」
「バカを言うな。お前のような甘いやつが。親ってのは子供に言いつけを守らせるのが役目なんだよ。千明は黙って俺たちが決めた道を進めばいいんだ」
「本当にそう思ってるの?千明はテニスの大会で活躍することを夢見て頑張ってる。それを邪魔するなんて絶対に許さない」
「うるさい。無収入の女が適当なことを言うな。お前さえいなくなったら、俺たち家族は平穏と幸せを得られるんだ」
私は決意した。「こんな家、すぐにでも出ていってやるわ」
その日から私は、新しい家探しと離婚の準備を始めた。そして、千明との話し合いをした。もう隠し立てはしなかった。全部話した。離婚のこと、父と祖母が私を追い出そうとしていること、中学受験の件で祖母が怒っていたこと。千明はもう中学生だ。自分で決める権利がある。
「千明、あなたはどうしたい?」
千明は少し考えて、言った。
「母さんと一緒にいたい」
その言葉が、私のすべての支えになった。
二週間後、家が見つかった。私は義母に連絡した。
「やっと出ていってくれたみたいね」
「ええ、ようやく家が見つかりました。離婚届は私が役所に提出しておきますよ」
「そう。それじゃあお願いね。あんたは一人で寂しく暮らすのね。絶対にうちに近づくんじゃないわよ」
「もちろんです。でもそれはお母さんも同じですからね。千明にも近づかないでくださいね」
「はあ?なんでそんなことをあんたが言うの?」
「だって千明は私と一緒に住むことになりましたから」
「なんですって?」
「あら、気づいてなかったんですか?もうみんな出ていきましたよ。あなたと大機以外はもうその家にはいません」
義母は絶叫した。誘拐だ、警察に通報すると。
「千明の意思は確認してますよ。それに、千明はあなたたちのことを心から嫌ってましたよ」
「え、千明が?」
「そりゃそうでしょう。勝手に中学受験をさせようとしたんですから。あの時から千明はお母さんに対して嫌悪感を抱いてたんです。それに、お母さんは友達の孫が私立中学に入ったって聞いて張り合おうとしただけですよね?お母さんがその話を聞いた時、私も一緒にいましたからね。嬉しそうじゃなくて、ただ悔しそうでした」
義母は言葉を失っていた。私は言った。
「おかしなことはしないでくださいね。これは千明の意思でもあるんですよ」
大機に報告すると言う義母に、私は「どうぞ、ご自由に」と返した。
五分後、大機から電話がかかってきた。
「話は聞いたぞ。なんてことをしてくれたんだ」
「娘を守るためには仕方なかったのよ」
「ふざけるな。お前が千明を育てられるのか?」
「当たり前でしょ。むしろ千明と一緒の時間を過ごしたのは私の方が多いわ。休みの日だって、あなたはすぐに家を出てったでしょ。千明の大会の応援だって、行こうとしなかったじゃない」
「弁護士に相談したわ。稼いでるからって親権を取れるとは限らないって。大事なのは、子供を支えてきたのはどっちかってことよ。私はずっと千明の世話をしてきた。それに、何より大事なのは娘の意思ね」
「本当にいいんだな」
「当たり前でしょ。こっちは覚悟はできてる。仕事だって決まってるし、あなたにも養育費を払ってもらうからね」
「結局は俺の金が目当てなんだな」
「そういう言い方をしないで。あなたは親として最低限の役割を果たすべきなのよ」
大機は言った。「じゃあ勝手にしろ。こっちはこっちで、お前らがいなくても幸せにはなれるんだからな」
「あそ。それじゃあさようなら」
私は電話を切った。
その十分後、驚くべき知らせが届いた。義父からだった。
「裕子さんが出ていったって聞いた。しかも千明も連れて行っちゃったんだってね」
「ええ、そうなんです」
「俺もその家を出たんだ」
「は?お父さんも?」
「お前たちとはもう一緒に住めないと思ってな。財産分与として、あの家はお前にやるよ。俺は別のところに部屋を借りて、久々の一人暮らしを楽しみたいと思う」
「どうして出ていくのよ。何があったの?」
義父は静かに語った。
「お前たちにはずっと不満を持っていたんだ。特に広美は裕子さんに対して厳しく当たりすぎだ。千明のことは裕子さんに任せておけばいい。俺たちは温かく見守るくらいで良かったんだ。それなのに、お前は自分の都合のいいように千明を操ろうとしていただろう」
「千明が望んでないことをやろうとしてる時点でダメなことなんだよ。裕子さんは千明を守ろうとしてただけなのに。お前はそんな裕子さんを目の敵にして、それをただ見てただけなら、お前だって同罪だ」
「何度も間に入ろうとしたよ。でもそれを止めたのは裕子さんなんだ。人間関係は第三者が入ると余計にややこしくなるから、当事者同士で解決をするしかないと言ってたんだ。そして裕子さんは、お前との関係をよくしようといつも気を使ってた。一緒に出かけようとしたり、二人きりの時間を作ろうとしたり。お前はそれを拒絶していたがな」
義母は泣き叫んだ。自分は悪くないと。義父は冷たく言い放った。
「お前らは最終的に裕子さんを家から追い出そうとした。その瞬間に、俺の中ではお前たちに愛想が尽きたんだ。だからお前とは離婚だ。とも縁を切る。これからは二人仲良くやるんだな」
義母は必死に食い下がったが、義父の決意は固かった。
「他にも決定的な理由があるんだがな。いずれわかるさ」
義父はそう言って、電話を切った。
二週間後、大機から連絡があった。
「離婚はどうなってるんだ?」
「もう少しだけ待ってくれる?色々とやらなきゃいけないことがあるから」
「なんだよ。さっさとやってくれよ」
「そんなに急かさなくてもいいじゃない。別に由衣さんだって、まだ待ってくれるわよ」
大機の呼吸が止まった気がした。
「ゆいのこと、なんで知って…」
「お父さんが家を出る前に寝室の整理をしてたの。ゴミを捨てようと思ったら、高級レストランの三人分のコースのレシートが出てきたらしいのよ。日時を確認したら、あなたとお母さんが二人で外出をした日だった。それで三人分が引っかかって、お父さんが私に連絡をしてくれたの」
「あなたが不倫してるかもしれないって思って、探偵をつけた。そしたらビンゴだったってわけ。お母さんと出かけるのを隠れ蓑にして、不倫相手と楽しい時間を過ごしてたみたいね。しかも約束までしてたみたい。調べれば調べるだけ、証拠がたくさん手に入ったわ」
大機は動揺した声で言った。「俺は養育費を払うって言ってるんだぞ」
「それとこれはまた別よ。どちらもきっちり払ってもらうからね。もちろん、慰謝料も」
「そんな金ねえ。俺はこれから母さんや由衣を養わないといけないんだぞ」
「大事な家族なんでしょ。頑張りなさいよ」
「頼むよ。慰謝料だけは勘弁してくれ。俺も限界だったんだ。お前と母さんの板挟みで、精神的に追い詰められてたんだ」
「板挟み?嘘つかないでよ。あんたが私の味方をしてくれたことなんて一度もなかった。常にお母さんの味方してたでしょ。それを、私たちのせいで不倫したなんて言い訳に使われるのは認めない。どんな理由があっても不倫はダメ。あんたはやっぱり父親失格よ。離婚したとしても、千明には絶対に合わせないから」
「千明はもうあんたの顔なんて見たくもないって言ってたよ。おばあちゃんの言いなりになって、私のことを全く理解しようとしてくれなかったからだって」
大機は最後に言った。「少なくとも俺は千明のことは大切にしてたよ」
「それなのに、千明が今大切にしてる部活を取り上げようとしたの?あんたには、千明の気持ちを尊重するっていう考えがないのよ。もう言い訳は聞かない。私はこれから一人で千明を育てていく。千明には、もう二度と会えないと思って」
それから、大機は不倫の慰謝料と養育費を請求され、生活はかなり苦しくなったらしい。由衣さんとの再婚の話もあったが、私が由衣さんにも慰謝料を請求したことで破談になった。大機は由衣さんに独身だと言っていたらしく、そのせいで由衣さんにも振られてしまったそうだ。今は義母に財布を握られ、言われるがままに生活していると聞いた。養育費の振り込みが滞ったので、強制執行もさせてもらった。給料を差し押さえられ、さらに生活が苦しくなったと嘆いているらしいが、自分で考えないのが悪いのだ。
義母は義父との離婚が成立したが、周りの友人にはそれを隠しているらしい。それどころか、千明を私立の中学に通わせているといった嘘までついていたそうだ。でも結局それはバレて、友人たちから嘘つきのレッテルを貼られ、誰からも相手にされなくなったらしい。今は外に出ることもなく、家で塞ぎ込んでいるそうだ。
一方の私は、千明と二人での生活をスタートさせた。仕事も家事も大変だが、千明も手伝ってくれるのでなんとかやれている。義父ともたまに会っている。千明は義父に懐いていたので、いい話相手になってくれている。
そして千明は、テニス部で努力を続けた結果、全国大会のシングルス部門で出場を勝ち取ることができた。嬉しそうに喜ぶ千明を見て、やりたいことをやらせて本当に良かったと思った。
これからも私は、千明の笑顔を守るために頑張っていく。



