「裕子、今すぐこの家から出て行け」
夫・大輝からのLINEに、私は一瞬何が起きたのか分からなかった。突然の離婚宣告。しかも、直接会って話すのではなく、スマホの画面越しに。
「ちょっと待ってください。どうして突然そんなことを言うんですか?」
「お前が俺や母さんの言いつけを守らないからだ。何を言っても言い返してきやがって」
「言いつけを守る? 私はあなたの命令に従うロボットじゃない。間違っていると思ったら反論する権利はあるはずです」
「そのせいで母さんとの仲だって最悪になったんだろうが」
義母との関係が悪いのは確かだった。しかし、原因は私だけではない。義母は私の気持ちを踏みにじるような言動を繰り返してきた。私は家庭を守りたかったから、黙って従うのではなく、きちんと話し合おうとしてきただけなのに。
「なぜあなたはいつもお母さんの味方ばかりするんですか? あなたはお母さんの息子かもしれないけど、私の夫でもあるんですよ」
「もうお前の夫だなんて意識はとっくになくなった」
「それで、離婚するって言うんですね」
「ああ。今すぐこの家から出て行け。お前の顔なんてもう見たくない」
「話し合いの余地はないの?」
「全くない。これが俺たち家族の総意だ」
「千明はどうするんですか? 娘のこと、考えてますか?」
「お前のようやつに千明を任せることなんてできない。俺たちで育てる」
娘を奪われる。その一言で、私は深い絶望に突き落とされた。
私は義母と話をつけようと、彼女の部屋を訪ねた。
「お母さん、大輝から離婚を言い渡されました。家を出ていけ、と」
「あら、そう。あの子もようやく決断してくれたのね。息子に捨てられてざまあないわ。これで嫁以外の家族で暮らせる。幸せ」
「お母さんが私のことを嫌っているのは分かっています。でも、息子を利用して私を追い出すのはひどくないですか?」
「何をわけのわからないことを言ってるの? 私は何も言ってないわよ。全部大輝が決めたことだから」
私は知っていた。義母と大輝が二人でこそこそと出かけていることを。
「嘘をつかないでください。あなたたちが二人で出かけているのを知ってるんですよ」
「何がこそこそよ。親子で出かけるのは普通でしょ」
「私はお母さんと仲良くなろうとずっと努力してきました。最初はうまくいっていたはずです」
「そうね。従順でいい子だと思ったわ。でも、だんだんあなたは本性を出すようになった。私に言い返すようになってね。特に、千明を盾に取って」
「やっぱり、中学受験のことを怒ってるんですね」
「あれは決定的だったわ。私がためにやったのに」
「どこがためなんですか? 千明は望んでもいなかった。無理やり塾に行かせて、受験を強要したのはお母さんの自己満足でしょう」
「黙りなさい! ここは私の家よ。この家にいる限り、私のルールに従うのが当然よ」
「そんなむちゃくちゃなルールは受け入れられません。私は母として娘を守る義務があります」
「ルールを守れないのなら、さっさと離婚して出て行きなさい」
「……分かりました」
「あら、いいの? もっと粘られると思ったわ。あなた、仕事もしてないし。うちを追い出されたら路頭に迷うこと確定でしょ? 頼れる親だっていないんだし」
「ここまで言われて、同居を続けることはできません。こちらにも我慢の限界があります」
私は実父に連絡をした。
「お父さん、お仕事中にすみません。さっき大輝から離婚を言い渡されました」
「何だと? あのバカが勝手なことを」
「すぐにでも家を出ていけ、と。どうやらお母さんと二人で決めたようです」
「あいつは本当に何を考えてるんだ」
「私とお母さんの関係が最悪だったので、無理もないのかもしれません」
「一方的に母が嫌っていただけだ。あなたは何とかしようと頑張っていたじゃないか」
「お父さんにまで心配をかけてしまって……」
「いいんだ。あなたは何も間違ってない。それで、どうするつもりだ?」
「正直、迷っています。将来のことを考えると、離婚していいのかどうか」
「経済的なことか?」
「いえ、千明のことです。大輝は娘を引き取るつもりのようです」
「あいつがそんなことを……。それは許せないな。まずは話し合った方がいい。お互いの将来に関わることだから、慎重になれ」
「大輝が話し合いに応じてくれるでしょうか」
「いざとなったら私から出向く」
「いえ、これは私たちの問題です。自分でやってみます」
夫が帰宅したのは、それから数時間後だった。
「帰ってきたなら、ちゃんと話し合いましょう」
「おい、俺たちの離婚はもう確定事項だって言ってるだろ」
「離婚のことはいいわ。私が一番気にしているのは、千明のことよ」
「千明はもちろん俺が引き取る。経済力がある俺が一緒にいる方が絶対にいいんだ」
「仕事なら私だってやってみせる。千明は私が引き取る」
「ふざけるな。お前みたいな甘い奴が育てられるわけないだろ。親ってのは、子供に言いつけを守らせるのが役目なんだよ。お前にはできない」
「そんなことはしないし、したくもない。子供が間違ったことをすれば注意をするわ。でも、あなたたちのやってることは間違ってる」
「黙れ! お前には千明は渡せない。あいつにはまず、俺たちに逆らわないように教え込む必要があるんだ。実際、あいつは塾にも行ってないしな」
「千明は塾に行きたいなんて言ってないわ。あの子は今、部活のテニスに夢中なの。塾に行く時間なんてないわよ」
「お前が甘やかすからそうなるんだ。千明は黙って俺たちが決めた道を進めばいいんだよ」
「千明が望んでるなら応援するわ。でも、あの子は今テニスを頑張ってる。それを邪魔する気はない」
「勝手なことを言うな。やはりお前には任せられないな。母さんの指示を聞けない奴は俺の妻じゃない」
「あんた、めちゃくちゃよ」
「もういい。余計なことは言うな。さっさと出て行け」
「私は何があっても千明を守るからね」
「うるさい。無収入の女が適当なことを言うな」
「この家、すぐに出て行ってやるわ」
「そうか。それは助かる。お前さえいなくなれば、俺たちは平穏に暮らせるんだ」
あの日から私は、新しい住まいを探し始めた。
二週間後、私は義母のもとを訪れた。
「やっと出て行ってくれたみたいね」
「ええ、ようやく家が見つかりました。離婚届は私が役所に提出しておきます」
「そう。それじゃあお願いね。やっと孫とうちの家族だけで暮らせるわ。あなたは一人で寂しく暮らすのね。絶対にうちに近づくんじゃないわよ」
「もちろんです。でも、それはお母さんも同じですからね」
「当たり前でしょ。誰が近づくもんですか。あなたがいなくなって、こっちは清々してるんだから」
「そう。それじゃあ、千明にも近づかないでくださいね」
「はあ? なんでそんなことをあなたが言うの?」
「だって、千明は私と一緒に住むことになりましたから」
「なんですって?」
「あら、気づいてなかったんですか? もうみんな、出ていきましたよ」
「何を言ってるの?」
「千明に全部事情を説明したんです。あの子も中学生ですから、隠し立てせずに全て話して、自分で決めてほしかった。そうしたら、『お母さんと一緒にいたい』と言ってくれました。なので、二人でこの家を出ました」
「何勝手なことを言ってるの! そんなことする前に、私たちに相談するべきでしょ! これは誘拐と一緒よ。警察に通報するわ!」
「千明の意思は確認してますよ」
「だとしても、私たちに確認をするべきだったわ!」
「そんなことしても同じでしょう。どうせあなたはぐちゃぐちゃ文句を言って、引き止めるだけですから。それに、もう話し合いの余地なんてなかった。千明は、あなたたちのことを心から嫌っていましたよ」
「え、千明が……」
「当然でしょ。勝手に中学受験をさせようとしたんだから。千明は望んでなかったのに、無理やり塾に行かせて受験を強要したでしょう? あの時から、千明はおばあちゃんに嫌悪感を抱いてましたよ」
「私はあの子のためにやったの! 子供だから分からないのよ。今からいい学校に行っておかないと、将来苦労するの」
「それが間違いだとは言いません。でも、お母さんの場合は理由が違う。お母さんは、友達の孫が私立中学に入ったって聞いて、張り合おうとしただけですよね?」
「あんた、そんな風に思ってたの?」
「覚えてないですか? お母さんがその話を聞いた時、私も一緒にいましたよ。友達が自慢げに話していて、お母さんはすごくイライラしてた。『どうしてあの子が私立に入れて、うちの千明が入れないの?』って。あなたは千明を自慢の種にしたかっただけでしょう。母親として、そんなことを許すつもりはありません」
「…………」
「変なことはしないでくださいね。これは千明自身の意思ですから」
義母はすぐに大輝に連絡をした。五分後、大輝の電話が鳴った。
「話は聞いたぞ。なんてことをしてくれたんだ」
「娘を守るためには仕方がなかったのよ」
「ふざけるな。お前に千明が育てられるのか?」
「当たり前でしょ。むしろ、千明と一緒に過ごした時間は私の方が多いわ」
「それはお前が無職だからだろ」
「でも、休みの日だって、あなたはすぐに家を出て行ったじゃない。友達と遊んだり、最近ではお母さんと出かけたりして」
「千明だって家にはいないだろ」
「先々週は千明がテニスの大会に出てたのよ。その応援にも、あなたは行こうとしなかったわね」
「勝手にやってる部活の応援なんて、するわけないだろ」
「千明の気持ちを考えられない人間に、親の資格はないわ。私はちゃんと千明を引き取るつもりよ」
「俺の方が稼いでるのに、そんなことが認められるわけないだろ」
「弁護士に相談したわ。稼いでいるからって、親権が取れるわけじゃないんだって」
「何だと?」
「大事なのは、子供を支えてきたのがどっちかってことよ。私はずっと千明の世話をしてきた。学校との連絡だって、全部私がやってきたの。そういう人間が親権を取れるんだってね。そして何より大事なのは、娘の意思。もう答えは出てるようなものだけど」
「…………本当に、それでいいんだな」
「当たり前でしょ。覚悟はできてる。仕事だって、募集を出してもらってるところがあるわ。もちろん、あなたにも養育費は払ってもらうからね」
「そういうことかよ。結局、俺の金が目当てなんだな」
「そういう言い方はやめて。あなたは親として最低限の役割を果たすべきなのよ」
「…………千明は納得してるんだな」
「千明が納得してないのに、私が無理やり連れてくるわけないでしょ。私はあなたたちと違うの。一番に願ってるのは、千明の幸せなんだから」
「そうかよ。じゃあ、勝手にしろ。こっちはこっちで、お前らがいなくても幸せになれるんだからな」
「あっそ。それじゃあ、さようなら」
その電話から十分後、私は義母のもとに一本の電話をかけた。
「あなた、裕子さんが出ていったのよ。しかも、千明まで連れて行っちゃったの」
「ああ、知ってる」
「裕子さんと話をしたの?」
「ああ」
「千明がいなくなったのは残念だけど、ようやく我が家の癌がいなくなったわ。これで平穏な日々を取り戻せる。だから、そのお祝いに外食をしましょうよ。それに、あなたに報告したいこともあるし」
「裕子さんから聞いてないのか?」
「何が?」
「俺も、その家を出た」
「え?」
「お前たちとは、もう一緒に住めないと思ってな」
「ちょっと待って。裕子さんが『みんな出ていった』って言ってたのは、あなたも含まれてたってこと?」
「そういうことだと思うぞ。俺も裕子さんに、家を出るとは伝えたから」
「なんでよ? もしかして、一緒に住むつもりなの?」
「いや、一緒には住まないよ。家族だとは思ってるが、もう血の繋がりがあるわけじゃない。それに、離婚することになったんだから、法的にも家族じゃなくなったしな。俺が出ていくのは自分で決めたことだ。裕子さんに何か言われたわけじゃない」
「どうして出ていくのよ! 何があったの!」
「お前たちにはずっと不満があったんだ。特に、お前が裕子さんに対して厳しく当たりすぎだ」
「それは、あの人が私の気持ちを無視するから——」
「千明のことは裕子さんに任せておけば良かったんだ。俺たちは温かく見守るくらいで良かった。それなのに、お前は自分の都合のいいように千明を操ろうとしてた。千明が望んでないことをやらせようとしてる時点で、ダメなんだよ。裕子さんは娘を守ろうとしてただけなのに」
「お前だって、あの人に何も言わなかったじゃない!」
「何度も間に入ろうとしたよ。でも、それを止めたのは裕子さんだった。『人間関係は第三者が入ると余計にややこしくなる。当事者同士で解決するしかない』って言ってたんだ。裕子さんはお前との関係をよくしようと、いつも気を遣ってたのに」
「そんなことしてないわ!」
「お前がどこかへ出かけようとしたら、一緒について行こうとしたり、二人きりの時間を作ろうとしてた。お前はそれを拒絶してたけどな。お前のそんな態度に、俺は嫌気が差した。そして、お前たちが最終的に裕子さんを家から追い出そうとした。その瞬間に、俺の中ではお前たちへの情が尽きた。だから、お前とは離婚だ。母とも縁を切る。これからは二人で仲良くやるんだな」
「そんなの勝手すぎるわ! この家はどうするのよ!」
「財産分与として、お前にやるよ。俺は別のところに部屋を借りて、久しぶりの一人暮らしを楽しむさ」
「本気なのね」
「当たり前だ。お前たちとは、もう口も聞きたくない」
「…………他にも決定的な理由があるの?」
「ああ。まあ、今はいいだろう」
「何なのよ!」
「いずれわかるさ。それじゃあ、離婚届は俺の机の引き出しに入れてある。書いたら役所に出しておいてくれ」
二週間後、今度は大輝の方から私に連絡があった。
「おい、離婚はどうなってるんだ?」
「もう少しだけ待ってくれる? 色々とやらないといけないことがあるの」
「なんだよ。さっさとやってくれよ。煮え切らないのはやめてくれ」
「そんなに急かさなくてもいいじゃない。別に、由衣さんだって待ってくれるわよ」
「は? 何だと?」
「由衣さんと再婚したいから、急かしてるんでしょ?」
「なんで由衣のことを——」
「お父さんが家を出る前に、寝室の整理をしてたの。それで、ゴミを捨てようとしたら、ゴミ箱から高級レストランの三人分のコースのレシートが出てきたらしいのよ。日時を確認したら、あなたとお母さんが二人で外出した日だったから。三人分って変よね? お父さんが私に連絡をくれたの」
「…………」
「その時にもう一人は女なんじゃないかって思って、探偵にあなたのことを調査してもらった。そしたら、見事に当たりだったってわけ。お母さんと出かけるのを隠れ蓑にして、不倫相手と楽しい時間を過ごしてたみたいね。しかも、結婚の約束までしてたみたいね。そこから調べたら、調べれば調べるほど証拠が出てきたわ」
「…………そんなことまで調べたのか」
「ええ。だから、あなたに慰謝料も請求することができるの」
「慰謝料? 俺は養育費を払うって言ってるだろ!」
「それはそれ。これはこれ。どちらもきっちり払ってもらうからね」
「そんな金、あるわけないだろ! 俺はこれから母さんや由衣を養わないといけないんだ!」
「大事な家族でしょ? 頑張りなさいよ」
「頼む! 慰謝料だけは勘弁してくれ! 俺も限界だったんだ! お前と母さんの板挟みで、精神的に追い詰められてたんだよ!」
「板挟み? 嘘つかないでよ。あんたが私の味方をしてくれたことなんて一度もなかったでしょ。あんたは常にお母さんの味方ばかりしてた。でも、そのことを責めるつもりはない。ただ、『お前たちのせいで不倫をした』なんて言い訳に使われるのは、絶対に認めないって言ってるの。もちろん、どんな理由があっても不倫なんて許されないけどね。やっぱり、あなたは父親失格よ。離婚したとしても、千明には絶対に合わせないから」
「千明に会わせてくれ! 少なくとも、俺は千明を大切にしてた!」
「大切にしてた? 千明が今一番大切にしてる部活を取り上げようとしたのは誰よ? おばあちゃんの言いなりになって、私のことを全く理解しようとしてくれなかった。千明は『お父さんの顔なんてもう見たくない』って言ってるわ。不倫のことは言ってないけどね」
「…………」
「あんたには、千明の気持ちを考えられないのよ。私はこれから一人で千明を育てていく。千明には、もう二度と会えないわ。それが、私たち家族の総意よ」
その後、大輝は不倫の慰謝料と養育費の支払いを求められ、生活はかなり苦しくなった。由衣さんとの再婚の話もあったが、私が由衣さんに慰謝料を請求したことで、破談になったそうだ。大輝は由衣さんに「自分は独身だ」と話していたらしく、それが発覚して、結局由衣さんにも振られてしまったらしい。
今では、義母に財布を握られ、言われるがままに生活していると聞く。
養育費の振り込みが滞ったので、私は強制執行の手続きを取った。給料を差し押さえられ、さらに生活が苦しくなったと嘆いているようだが、自分で選んだ道の結果だ。自分の頭で物事を考えられないのが、そもそもの間違いなのだから。
ちなみに、義母は義父との離婚が成立したが、そのことは周りの友人たちには黙っているそうだ。それだけではなく、「千明を私立中学に通わせている」という嘘まで周囲に吹聴していたらしい。しかし、結局それもバレて、友人たちからは嘘つきのレッテルを貼られ、相手にされなくなった。今では家にこもって、毎日泣き暮らしているということだ。
一方の私は、千明と二人での新生活をスタートさせた。仕事と家事の両立は大変だが、千明が手伝ってくれるおかげで、なんとかやっていけている。実の父とも、たまに会って話をしている。千明は祖父に懐いていて、いい話し相手になっている。
そして、千明はテニス部で努力を続けた結果、全国大会のシングルス部門で出場を勝ち取った。嬉しそうに喜ぶ娘の顔を見て、やりたいことをやらせて本当に良かったと思った。
これからも私は、千明の笑顔を守るために、頑張り続けていく。



