「お前とは離婚する」――酔った夫のLINEが届いたのは、夜も遅い時間だった。
「何酔ってるの?」
「彼女と意気投合してさ」
「彼女って何?まさか浮気?」
「ああ、めっちゃしてる」
信じられなかった。マッチングアプリで知り合った「ゆいちゃん」という27歳の女と、もう半年も付き合っていると言う。新婚旅行だって国内で済ませたくせに、その女とはハワイに行くのだと言い放ち、そのままホテルに泊まると言い残して通話を切った。
翌朝、夫はケロッとした顔で「実家にいた」と嘘をついた。残業して同僚と飲んでいたと言い張る。私はLINEの履歴を見るよう促したが、夫は「会社の奴らのいたずらだ」と取り合わない。女とのツーショット写真を送っても「AI加工だ」と言い張る始末。
「酔ったら本音が出るタイプでしょ。昨日の言葉は全部本心なんでしょ?」
「覚えてない」
「正直に言ってよ」
「ああ、そうだよ。だったら何だよ。お前より若くてスタイルのいい女だ。お前は負けたんだよ」
開き直る夫に、私は宣言した。
「私は両親に『正しく生きていれば必ず報われる』と教えられて育った。悪どい人間が幸せになることはないとも言われた。それを証明してみせる」
「あっそ。じゃあせいぜい頑張れよ。慰謝料だろ?相場は2人で300万くらいらしい。そのくらいで今後の幸せが買えるなら払ってやるよ」
「では遠慮なく頂きます」
「あと、来週からの出張だけど、あれ嘘な。ハワイ旅行だ」
「私との新婚旅行でさえ国内にしたくせに、随分と奮発するのね」
「当たり前だろ。お前は国内で十分だが、彼女はハワイレベルってことだ」
これは許せない。私は母に電話した。
「お母さん、聞いてください。○○が浮気してます。しかもその相手とハワイ旅行に行くんです」
「串焼きにしてやりましょう」
「竹串じゃ刺さらないですよね」
「じゃあ丸焼きよ」
母は冗談を言いながらも、本気で怒ってくれた。私がハワイ旅行を阻止したいと言うと、母は意外な提案をした。
「やっぱり行かせましょう。金をドブに捨てさせるのよ」
「え、でもそんなの嫌です」
「私が事故にでもあったことにすればいいじゃない。両手両足と頭蓋骨骨折くらいの設定にしましょう。生きてる方が不思議じゃないくらいのな。それで帰ってこなかったら親子の縁を切るわ」
不謹慎だと反対したが、母は押し切った。
ハワイ旅行当日。夫は上機嫌でメッセージを送ってきた。
「愛人とハワイ旅行最高。俺ばっか悪いなあ。来週には帰るから、それまで家のこと頼んだぞ」
私は返信した。
「今すぐ帰ってきて」
「ふざけんな。今日着いたばかりだぞ」
「後悔するわよ」
「死ねえわ」
「明後日はあなたの両親の葬儀よ」
嘘だろ、と夫は言った。私が続ける。
「あなたのお母さんと仲良くしてたの知ってるよね。大好きだったの。あなたの浮気の件も全部相談してたの。そしたらお母さん、『私が事故にでもあったことにしましょう』なんて冗談を言ってて、私が『そんな不謹慎な嘘は良くないですよ』って止めたのに。本当に事故に遭っちゃうなんて」
「嘘だろ」
「怪我くらいの嘘なら私もつけたかもしれない。でも葬儀だなんて、そんな埒もないことは言わないよ。お通夜は明日、葬儀は明後日。戻ってきて」
「ちょっと待てよ。俺は一人息子だぞ。飛行機あるかな?」
「どんな手を使っても戻らないと。あなたはお父さんの会社の後継ぎにはなれないよ」
夫は慌てふためいた。父が唯一恐れている清司おじさん――会社の専務であり、後継ぎを決める権限を持つ人物――に、葬儀に出ないことがバレれば全てが終わる。夫は観念して、怒る愛人を置いて帰国を決意した。
数時間後、夫から連絡があった。
「おじさん、すぐに戻るから少し待ってください。親戚や従兄弟が泣きながら電話をくれました。『両親を一気に失って可哀想に』って」
「辛いだろう」
「はい」
「弟の会社を継ぐために別の会社で修行してもらっていたが、これを機に戻ってくるか?」
「え、いいんですか?」
「当然すぐに社長というわけではないぞ。うちに入って俺についてもらい、経営を学んでもらう」
「はい、分かってます。すみません、悪かったです」
17時間後、夫は空港に到着した。葬儀場の場所を聞き、急いで向かった。
1時間後。夫から泣きそうな声で電話がかかってきた。
「無理、無理、無理」
「どうしたの?」
「葬儀場に着いたら、父さんと母さんが駐車場に立ってて、こっちを見てたんだよ。二人とも白い顔して、恨めしそうに睨んでた。漏らしちゃったよ」
「そんなわけないでしょ」
「本当だって。とにかく一度家に戻って着替える」
家に戻っても震えが止まらないと言う夫に、私は「早く着替えてきて。みんな待ってるから」と促した。すると夫が叫んだ。
「インターホンに父さんと母さんが映ってる!ここから出られない!迎えに来てよ!」
「こっちは準備で忙しいの。お化けなんているわけないでしょ」
数分後、夫からの電話に母が笑いをこらえながら応じていた。
「お母さん、やばすぎますって。嘘みたいに騙されてますよ」
「笑いを堪えるのが大変だったわ」
「お父さんにお化け塗るのやめてください」
「だって血色のいいお化けなんていないじゃない」
「お母さんからこのプラン聞いた時は騙されるわけないと思いましたけど、まんまと信じるなんて」
「清さんや従姉妹たちからの連絡が肝だったわね」
そう、清司おじさんや親戚たち全員が、私の味方についてくれたのだ。
そして夫が葬儀場に到着し、中に入ると誰もいない。係の人に聞けば「今日は葬儀の予定はない」と言う。夫は混乱した。
「場所間違えてないか?目の前にお蕎麦屋さんがある葬儀場だろ?」
「私もそこにいるんだけど」
「でも誰もいない」
「もしかしてパラレルワールド?異世界に迷い込んだんだな。両親の幽霊を見たんだぞ。その衝撃で別の世界に飛ばされたのかも」
「だからいるんだって!」
清司おじさんからも電話がきた。
「なおさんに聞いたぞ。何が異世界だ?親の葬儀だっていうのにふざけてる場合か?」
「違います!写真も送りましたよ!」
「そんなものは届いてない。これ以上は待たないぞ。昨日の通夜にも間に合ってないんだ。葬儀の息子としてちゃんと出ろ」
夫は完全に錯乱していた。その様子を、母と私は笑い転げながら見ていた。
「我が息子ながらすごいわね。お母さんの異世界設定にまんまとはまってくれてる。2段階で仕掛けたのが功を奏したわね」
「奥さんを置いてハワイに行くような奴には、このくらいのお仕置きしてもバチは当たらないでしょ」
「あんなに悲しかったのに、笑ってる自分が不思議です」
「それでいいのよ。笑えるうちはまだ元気な証拠。あんな奴のために涙を流すのは勿体ないじゃない」
母は言った。「あなたは私たちの家族よ。傷ついたら全力で守る。それがうちのルールなの」
やがて夫は家に帰ってきて、ついに真実に気づいた。
「じゃあ、母さんたちは生きてるってこと?」
「うん」
「俺が見たのは何だ?」
「お父さんとお母さん」
「ありえないだろ!こんな不謹慎な嘘をついて許されると思ってるのか?」
「私のせいにされても困るわ。発案者はあなたのお母さんなんだから」
「ちょっと待て。母さんは俺がハワイに行ったことを知ってるのか?」
「うん。相談したもの。浮気して離婚しろって言われたから」
「父さんもおじさんも知ってるのか?」
「当たり前でしょ。じゃなきゃこんなにノリノリで協力しないわ」
夫はこうして、自分のバカさ加減を思い知らされた。清司おじさんに呼び出され、「浮気相手と一緒にいる証拠写真」を突きつけられ、「お前の入社は今後一切認めない」と宣告された。母が筆頭株主だという事実も、その場で知らされた。
夫は母に謝罪し、私にも謝り、再婚は諦めて「マナとこのまま一緒にいる」と言った。しかし私は許す気はなかった。
「ふざけてるの?お前の返事一つで俺は家族も家も仕事も何もかも失うんだよ」
「じゃあ許さない。マジで無理。本当に気持ち悪い。消えてほしい」
「本気で言ってるのか?」
「うん。そもそもLINEで謝る時点で終わってる。お前だけは絶対に許さない」
逆上した夫は言った。
「俺はお前に親を奪われたようなもんだ。同じ目に合わせてやる。親のお化けを見るのはお前だってことだよ」
「うちの親に手出ししたら警察に捕まって終わりよ」
「構わない。もうどうなってもいい」
夫は北海道の私の実家へ向かうと言い放ち、本当に出発した。
数時間後、夫から電話がかかってきた。
「いない」
「誰が?」
「お前の親だよ。夜になっても帰ってこないんだ」
「本当に行ったのね」
「わざわざ来たのにふざけんなよ」
「ごめん、今ちょっと忙しいんだよね」
「何してるんだよ?」
「ハワイにいるの。今からご飯を食べに行くんだ」
「は?誰と?」
「あなたのご両親と清司さん」
母たちは、私を連れてハワイへ行っていたのだ。
「あんたが楽しめなかったハワイを満喫してやりましょうって、お母さんが言ってくれたの」
「そんな急に動けるわけないだろ!」
「あなたが酔ってLINEしてきた翌日くらいから、お母さんはこの計画のために動いてくれてたのよ」
さらに追い打ちをかけるように、私は言った。
「そうそう、清司さんがあんたの大事なゆいちゃんを、ハワイの探偵事務所に尾行してもらってるみたい」
「え?」
「現地で知り合った人とラブラブみたいよ。写真を見せてもらったわ」
「嘘だ!」
「俺が払った旅費で浮気してるのかよ!」
夫は浮気相手に浮気され、北海道で一人、茫然と立ち尽くした。
「ここまでするのかよ。やりすぎだろ」
「あなたが彼らからいいところを一つも学べなかったのは、自分の責任よ」
「実の息子より嫁の味方をするなんて、裏切りだろ」
「まだ分からないの?私の味方をしたのは、私が可愛いからじゃない。あなたの人間としての愚かさに愛想を尽かしただけ。夫である前に、一人の人間として見放されたのよ」
夫はようやく崩れた。
「やり直そう。反省するから。本当にマナが大事だって気づいたんだ」
「ゆいちゃんが他の男に取られたからって、復縁要請しないでくれる?」
「そんなんじゃない!」
「あっそ。でも無理だから」
夫はまだ何かを言おうとしたが、私は電話を切った。義両親と清司おじさんは、私を励まし、笑わせ、前に進む力をくれた。夫はその後、濡れたズボンのまま最寄りの駅まで走り、ホテルで一晩中震えて過ごしたらしい。
帰国後、私はゆいと接触し、慰謝料請求の話を持ちかけた。彼女は最初こそごねたが、ハワイで捕まえた新しい彼氏にバレたくなかったのか、素直に応じた。
結果として、夫は400万円の慰謝料を一括で支払った。ゆいは新しい彼氏が払ってくれると思っていたが、その男は帰国後一切連絡が途絶え、彼女は仕方なく分割払いに応じた。ちなみに、その「お金持ち風の男」は清司おじさんの仕込んだ現地の友人で、普通の人だった。
夫は元いた会社で地道に働いているが、「将来社長になる」と自慢していた噂が広まり、その道が閉ざされたことで肩身の狭い思いをしているらしい。毎晩うなされたり、悲鳴をあげたりするそうで、毎週お祓いに行っているせいか、すっかり痩せ細ってしまったという。
私はハワイでの時間と、あのドッキリが、辛いことを忘れさせてくれた。新たに前に進む大切なきっかけとなったのは間違いない。義母とは今も友人として仲良くしている。
ただ一つだけ、今も分からないことがある。あの日、私の実家の裏庭に出てきた二人は、一体誰だったのだろうか。あそこには山しかないはずなのに。
考えると怖いので、私はさっさと忘れることにした。



