「もう必要ありませんから。出て行ってください」――6年間、毎日義父の介護をしてきた私に、義理の兄夫婦がそう言い放ったのは、義父が「預金は3000万円ほどある」と電話で話しているのを聞いた翌朝のことでした。それまで一度も病院へ車を出したことのなかった人たちが、突然「長男夫婦として責任を持つ」と言い出したのです。そして義父は私と目を合わせず、「出ていきたいなら好きにしろ」とだけ。介護は当然、感謝…

「もう必要ありませんから。出て行ってください」――6年間、毎日義父の介護をしてきた私に、義理の兄夫婦がそう言い放ったのは、義父が「預金は3000万円ほどある」と電話で話しているのを聞いた翌朝のことでした。それまで一度も病院へ車を出したことのなかった人たちが、突然「長男夫婦として責任を持つ」と言い出したのです。そして義父は私と目を合わせず、「出ていきたいなら好きにしろ」とだけ。介護は当然、感謝...

「この家に住めるだけでもありがたいと思え」

義父の岐阜は、ベッドの上から鋭い目で私を睨みつけました。介護をしているからといって、偉そうな顔をするな、と。私は黙って薬をテーブルに並べました。

「わかりました」

そう答えると、義父は鼻を鳴らしました。

「返事だけは立派だな。次はもっと早く来い」

この人は私を家族ではなく、無料の介護要員としか思っていない。そう確信した瞬間でした。

私の名前は美帆、54歳。夫の孝志と結婚して31年になります。一人娘の美咲は2年前の転勤に伴って大阪へ引っ越しました。娘を駅まで見送った日、私は少し寂しく感じながらも、母としての大きな役目はこれで終わったのかもしれないと思いました。これからは夫と二人、静かに暮らしていこう。娘のことを心配しすぎず、自分たちの時間も大切にしよう。そんな話をしていた矢先のことでした。

わずか3ヶ月後、夫の父が脳梗塞で倒れたのです。幸い命は助かりましたが、右半身に麻痺が残りました。歩くには杖が必要で、一人で生活することはできません。義母はすでに亡くなっていたため、誰かが義父を支える必要がありました。

夫には7歳年上の兄、正明さんがいます。その妻の京子さんと、義実家から車で30分ほどの場所に住んでいました。家族で今後のことを話し合った時、正明さんは真っ先に言いました。

「俺は会社で責任ある立場だから、介護は難しい」

京子さんも続けます。

「私も仕事があります。美帆さんは自宅でできる仕事ですよね」

私は小さな会社の経理を在宅で担当していました。家にいるからといって暇なわけではありません。しかし義父の通院や食事、身の回りの世話を考えると、誰かが義実家に住む必要がありました。

孝志は私に言いました。

「無理をしなくていい。施設を探す方法もある」

けれど当時の義父は、知らない場所で暮らすことをひどく嫌がっていました。私は迷った末に、夫と義実家へ移ることを決めました。娘を育てる役目が終わった今、次は年取った親を支える時期なのだと、自分に言い聞かせたのです。

ところが介護生活は想像以上に大変でした。

義父はベッドに置いたベルを1日に何度も鳴らしました。

「水を持ってこい」
「テレビの音をあげろ」
「トイレへ行くぞ」

書類を作っている途中でも、取引先と電話をしている時でもお構いなしでした。

「お父さん、今は仕事中ですから、少しだけ待っていただけませんか?」

一度そう頼むと、義父は不機嫌そうに答えました。

「家にいる仕事なんて、小遣い稼ぎみたいなものだろう」

悔しくて何も言い返せませんでした。それでも食事の塩分を考え、薬の時間を管理し、週に2度はリハビリへ連れて行きました。病院へ行くための車も、私たち夫婦の貯金で乗り降りしやすいものに買い換えました。

正明さん夫婦は時々顔を見せましたが、来るのは夕食が用意された時間ばかり。義父の体を起こすことも、病院へ車を出すこともありません。それどころか、京子さんは私にこう言いました。

「家賃も払わずにこの家に住ませてもらっているんだから、介護くらい当然でしょう。在宅の仕事なら時間も自由ですものね」

義父にも強く命令され、長男夫婦にも見下される。何度荷物をまとめようと思ったか分かりません。

ただ、不思議なこともありました。京子さんが「お父さんの世話は美帆さんの仕事ですよ」と言った時、義父が突然「口だけ出すなら帰れ」と言ったことがあったのです。また、私が体調を崩した日は、一度もベルを鳴らしませんでした。翌朝枕元には、義父が好きなはずの栄養ドリンクが置かれていました。

「これ、お父さんが?」

私が尋ねても、「飲まないなら捨てろ」としか答えません。冷たい人なのか、不器用なだけなのか、私には分かりませんでした。

そうして6年が過ぎました。

ある日、義父の80歳の誕生日を祝うため家族が集まりました。正明さん夫婦も久しぶりに実家へ来ました。食事が終わった後、義父は自分の部屋へ戻りました。私が廊下を通りかかった時、義父が誰かと電話している声が聞こえました。

「預金は3000万円ほどある」

その言葉に、思わず足が止まりました。

「家も売れば、もう少し用意できるだろう」

隣にいた正明さんと京子さんにもその声は聞こえていたようです。二人は顔を見合わせました。義父はさらに続けます。

「手続きはできるだけ早く進めたい」

電話が終わると、京子さんの態度が一変しました。

「お父さん、これからは私たちが介護します」

義父は驚く様子もなく京子さんを見ました。

「急にどうした?」

「6年間美帆さんたちに任せきりでしたから、長男夫婦として私たちが責任を持つべきだと思ったんです」

正明さんも大きく頷きました。

「そうだ。親父のことはこれから俺たちが見る」

6年間、病院へ一度も車を出さなかった人たちです。義父の薬の名前もリハビリの曜日も知りません。それなのに3000万円という言葉を聞いた途端、家族としての責任を口にし始めたのです。

義父はしばらく二人を見つめた後、「そうか」とだけ答えました。

すると翌朝、京子さんから私たち夫婦にこう告げられました。

「介護は私たちが引き継ぎます。ですから、美帆さんたちはこの家を出て行ってください」

「え……?」

私は言葉を失いました。正明さんも当然のように続けます。

「親父の面倒を俺たちが見るなら、弟夫婦が住み続ける理由はないだろう」

孝志が声を荒げました。

「お前たちは今まで何もしていないじゃないか」

「だからこれからすると言っているんだ」

京子さんは私を見て笑いました。

「美帆さんも6年間、お疲れ様でした。もう必要ありませんから」

私は義父を見ました。義父なら何か言ってくれると思ったのです。けれど義父は私と目を合わせずに言いました。

「出ていきたいなら好きにしろ」

胸の奥で何かが切れました。

6年間、感謝の言葉は一度もなかった。最後まで私は、この家に住ませてもらっていただけの都合のいい人間だったのでしょう。

「わかりました」

私は頭を下げました。

「6年間、お世話になりました」

夫は納得していませんでしたが、私はその日のうちに荷物をまとめ始めました。娘が大阪へ引っ越した後、夫婦二人で暮らせる小さな賃貸を念のため探していたのです。

2日後、私たちは義実家を出ました。玄関を出る時、義父は一度だけ私を呼び止めました。

「美帆」

振り返りましたが、義父はしばらく黙った後、こう言いました。

「車は置いていくな。お前たちが金を出したものだ」

それが義父から聞いた最後の命令でした。

それから1週間後、正明さんから夫の元へ電話がかかってきました。

「どういうことだ?」

電話の向こうで兄が怒鳴っていました。

「親父が家を売ると言っている。それに老人ホームへ入るって、今朝迎えが来たんだぞ」

私は孝志と顔を見合わせました。

あの日、義父が電話していた相手は遺産の相談相手ではありませんでした。介護付き老人ホームの入居相談員だったのです。預金3000万円はこれからの入居費用と生活費。家を売るという話も、老人ホームへ入るための準備でした。

私たちは義父に呼ばれて施設へ向かいました。施設には義父と正明さん夫婦、そして専門家の男性が座っていました。正明さんは義父に詰め寄りました。

「俺たちが介護すると言っただろう」

義父は冷たく答えました。

「3000万円と聞いた後にな」

京子さんが声をあげます。

「でも、長男夫婦が親の面倒を見るのは当然です」

「6年間、一度でも面倒を見たのか」

義父の低い声が部屋に響きました。

「私が倒れた日に病院へ来たのは誰だ? 退院後、毎週リハビリへ連れて行ったのは誰だ? 夜中に私が苦しくなった時、背中をさすってくれたのは誰だ?」

二人は何も答えられません。義父はさらに続けました。

「お前たちは病院へ行く車さえ出さなかった。私の薬の名前も知らない。それなのに3000万円という言葉を聞いた途端、介護を引き受けると言い出した。そんな人間に、一円でも渡すと思うのか」

正明さんの顔が真っ赤になりました。

「俺は長男だぞ」

「長男という言葉は、何もしなかった人間の免罪符ではない」

義父はきっぱりと言いました。そして私たち夫婦を見ました。

「この家は売る。その代金から必要な費用を除いた分は、孝志と美帆に渡すよう手続きを進めている」

「どうして、私たちに?」

私が尋ねると、義父は初めて私の目を正面から見ました。

「6年間、私を支えてくれたからだ」

私は何も言えませんでした。義父はゆっくりと頭を下げました。

「私は誰が本当に家族として私を支えてくれるのか、見極めようとしていた。財産の話をすれば、人間の態度は変わる。だから誰にも何も約束せず、ずっと見ていた」

義父の声が少し震えていました。

「だが、それを言い訳にしてお前に酷いを言った。命令ばかりして、お前の優しさに甘えた。正明たちの嫌みを止められなかったこともある。それは私の間違いだ」

そして義父は私に言いました。

「美帆、6年間本当にありがとう」

私はずっと欲しかった言葉をようやく聞きました。涙が溢れそうになりましたが、私は笑って答えました。

「その言葉をもっと早く聞きたかったです」

「そうだな」

義父は申し訳なさそうに笑いました。その顔は、これまで見たことがないほど穏やかでした。

正明さん夫婦はなおも家とお金を要求しました。しかし義父は二人を見ようともしませんでした。

「6年間何もしなかった者に渡すものは何一つない。お前たちに渡す予定だったものは、もうない」

京子さんが叫びました。

「私たちは騙されたんですか?」

義父は即座に答えました。

「私は一度もお前たちに財産を渡すとは言っていない。勝手に金の話を盗み聞きし、勝手に美帆たちを追い出した。騙したのは、お前たち自身の欲だ」

二人は何も言い返せませんでした。

その後、義父は予定通り老人ホームでの生活を始めました。施設の職員に対しても最初は命令口調だったそうです。けれど私が面会へ行く度、義父は少しずつ変わっていきました。

「今日は来てくれてありがとう」

そんな言葉も自然に口にするようになりました。

家の売却が終わった後、私たち夫婦は代金の一部を受け取りました。けれど何より嬉しかったのはお金ではありません。私が捧げた6年間を義父がきちんと見ていたこと。そして最後には自分の間違いを認め、感謝を伝えてくれたことでした。

私たちはそのお金で小さな家を購入しました。大阪にいる娘が帰省した時には、家族全員で食卓を囲みます。義父も施設から外出し、一緒に食事をすることがあります。以前のように「茶がぬるい」と言いかけることもありますが、私が黙って見つめると、義父は少し気まずそうに言い直します。

「いや、十分だ。ありがとう」

6年間は決して楽な時間ではありませんでした。それでも私は今、あの時間が全て無駄だったとは思いません。人の優しさを当然だと思ってはいけない。家族という言葉だけで誰かに責任を押し付けてもいけない。

本当に大切なのは、何を受け取ったかではなく、苦しい時に誰がそばにいてくれたか。義父は最後に、自分の財産ではなくその答えを私たちへ残してくれたのです。

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