「お父さんが私を捨てて若い学生と再婚したって本当?」
娘のかずはが突然そんなことを言い出したのは、私が遠藤先生から旧姓で呼ばれているのを偶然聞いたからだった。私は娘が生まれたばかりの頃の話を思い出していた。
あなたを産んだ直後に、あの人に言われたの。「ババアのお前が産んだガキがまともに育つか」って。私は41歳の高齢出産で、父親は医者だったからリスクを理解していたはずなのに。でも本当の問題はその次だった。医学部の学生が妊娠して、その子を大事に育てると言われた時、人生で初めて白目を向いたわ。
私は何も言い返さなかった。ただ「覚えてろよ」と言って離婚届にサインした。あの人は「覚えていられるかよ」と鼻で笑っていたわ。
娘は驚いた様子で「そんなことを子供の頃に聞いてたらショックだったかも」と言った。私は「でもクズから天使が生まれたからプラスの人生よ」と伝えた。娘は「お母さん、そのせいであんなに苦労したんだね」と目を潤ませた。
数日後、遠藤先生から連絡があり、娘が結婚することになったと知った。娘は遠藤先生に「父親を式に呼びたい」と言ったらしい。私は反対した。「うちの親族はみんなあの男が何をしたか知ってる。針のむしろになるのが目に見えてるでしょ」と。
でも娘は頑なだった。「お母さん、お願い。結婚式じゃないとできないことなの。あいつの人生を終わらせるわ」と言った。
式当日、あの男は入場した直後に姿を消した。後で分かったことだが、彼はつい最近、かずはの夫の系列病院を首になっていた。その時の上司が式に来ていたから、気まずくて帰ったらしい。
さらに驚くべきことに、あの男は病院で看護師3人に手を出し、1人から訴訟を起こされ、患者からのクレームも最多だったという。21歳で結婚した医学部の学生との間の息子も、医学部に合格したのは奥さんの実家が医者一族で学費を全部出してもらったからだった。
私は娘に「もう十分よ。これで終わりにしましょう」と言ったが、娘は違った。
「私が小学生の頃、お母さん働きすぎたよね。家に帰ったらいつもお母さんはいなくて。夜ご飯食べたらまたすぐに働きに行って、それで倒れたんだよ。あの時、私は決めたの。もしお母さんに何かあっても必ず自分が助ける。そのために医者になるって。お母さん、具合悪いんでしょ?今ステージどのくらいなの?」
私は隠していたつもりだった。でも娘は見つけていた。私の薬の袋を。ガン患者しか飲まない薬を。
「黙ってたのはごめん。でもお父さんへの復讐は違う。そんなことしても私は嬉しくも何ともない」と私は言った。娘は「分かってる。でも私はあいつを許せないの。あいつが地獄に落ちない限り、お母さんに振りかかる不幸は全てあいつのせいだと思ってしまうんだよ」と震える声で言った。
そして、私は知った。遠藤先生がなぜ娘に話したのかを。遠藤先生は私のことを好きだった。あの時、自分が諦めなければという思いが消えなかったから、娘に真実を伝えたのだと。
「心配しないで。病気のこともあのクズのことも。私の夫と義父も味方なの。明日、義父の病院に来て。密検査入れてあるから」と娘は言った。
数日後、あの男が私たちの家に押しかけてきた。
「お前のせいで変な噂が広まって、どこの病院にも勤務できないんだぞ」と怒鳴った。娘が何かを裏で動かしていると分かったらしい。そして、なんと娘に手をあげたのだ。
私は怒りで震えた。「よくも大事な娘に怪我をさせたわね」と怒鳴ると、あの男は「愛したことねえよ。張り手をお見舞いしただけだ。唇が切れて出血してるが3日もすりゃ治る。医者が言うんだから間違いない」と開き直った。
私は被害届を出した。あの男は終わった。
しかし、それで終わりではなかった。あの男は私たちの家にまで来て、土下座した。「かずは、すまなかった。父さんが悪かった。この25年、果たせなかった父としての役割を今から果たさせてくれないか」と。
でも娘は冷たかった。「そんなもん、こっちは求めてないから」
あの男はさらに食い下がった。「頼む。俺は真面目にやればそこそこいい医者なんだ。お前の義実家で雇い直してくれないか?」
「訴訟になってる医者なんて雇うわけないでしょ」
「そう言わずに頼んでくれよ。娘の私が義父に一切の容赦はいらないから、徹底的にやってくださいよ。お母さんが昼も夜も働いて私に無理やり作った笑顔を向けてたことは知らないでしょ。悪かったって言ってるじゃないか。そんな薄っぺらい謝罪で済まされるほど、うちの25年は余っちゃいない」
最後に私はこう言った。「もういいわ。あなたに残されたのは訴訟に向き合うことよ。さようなら、一般人の元旦那」
あの男は後に、患者や看護師、後輩医師から数々の訴訟を起こされ、多大な負債を抱えることになった。医師免許も剥奪されたと聞いた時、娘が高いシャンパンを買ってきて「何回祝うのよ」と笑ったものだ。
私は娘と義実家のおかげで病気が完治した。幸い切除可能ながんだった。娘の助言で働かずにゆっくり過ごしている。友達と小旅行を楽しむ日々。働いて動いて気を揉み続けてきた人生だったから、こんなにゆっくりできる日が来るとは思わなかった。
神様はこの時間と、素晴らしい娘というプレゼントを私に与えてくれたのだと思う。私は感謝の気持ちを忘れずに、頂いた命を大切に生きていく。



