「お前、いつまで生きてるんだ?」
夫の浩司が、うんざりした顔で私を見た。
「な、何?」
「とぼけんなよ。余命半年だったんだろ」
私は一瞬、言葉を失った。すると浩司はさらに最低な言葉を続けた。
「こっちは保険金が入る前提で色々予定を立ててるんだよ。いつまでも生きられたら困るんだよ」
怒りよりも先に、呆れが来た。ここまで人として壊れているのかと。
「ちょっと、あなた大きな勘違いしてるわよ」
「は?」
私は浩司の目を見て、はっきり言った。
「余命半年なのは私じゃない。あなたよ」
その瞬間、浩司の顔から笑みが消えた。
私の名前は美沙。60歳で、出版社で編集の仕事をしている。若い頃は漫画家を夢見ていたが、才能がないと悟り、それなら夢を追う人を支える側になろうと編集者になった。60になった今も、新人作家と「このキャラクターならこう動くんじゃないか」なんて話している時間が大好きだ。
夫の浩司は61歳。私たちは20年ほど前、お見合いで結婚した。40を過ぎて、周りから「そろそろ結婚したら」と言われ続けていた頃だ。あの頃の浩司は今とは別人だった。「美沙さんが仕事を好きなら、遠慮なく続けたらいいさ」とまで言っていた。
ところが結婚すると、「女が60まで働くなんてみっともない」「家事は女の仕事だろ。俺が外で稼いで、お前が家を守る」と言い出した。私は毎回、「ここは原始時代か」と思った。そんな浩司と私の関係は、完全に冷え切っていた。子供はいない。お互い仕事をして、同じ家に住んでいるだけ。
唯一結婚して良かったと思えることがあるとすれば、浩司の母、義母にあたるさち子さんに出会えたことだ。年は85歳。一人暮らしだが、頭もしっかりしていて、本を読むのが大好き。私の仕事の話もいつも楽しそうに聞いてくれる。「美沙さん、嫌になったら離婚していいのよ」と、ある日突然言われたこともあった。「だって、あの子と暮らすの疲れるでしょう」と。実の母親にまで「別れなさい」と言われる浩司に、私は思わず笑ってしまった。
そのさち子さんについて、ある日浩司が最低なことを言った。
「母さん、2000万くらい持ってるだろ。俺、一人っ子だし、そのうち全部俺のものだ」
私は顔をしかめた。「そういう話、やめなさいよ」
すると浩司が、「何が悪いんだよ。あの年なら、いつお迎えが来てもおかしくないだろう。変なところに寄付される前に、今のうちに優しくしとかないとな」と言った。
その時、後ろから声がした。
「悪かったわね。長生きで」
さち子さんだった。その瞬間、浩司の顔が真っ青になった。「母さん、いたのかよ」そして、なぜか私を睨んだ。「美沙、なんで先に言わないんだ?」
私は呆れた。悪口を言った自分ではなく、聞かせた私が悪いらしい。
そんな頃、私も浩司も健康診断で再検査になった。私は胃に少し気になる数値があり、浩司は最近階段を登るだけで息切れし、時々胸が苦しいとも言っていた。
「一緒に病院行きましょう」
「俺は平気だから、一人で行けばいい」
「平気な人は階段で息切れしないでしょう」
渋々、二人で検査を受けた。私の検査は幸い大きな異常なし。ところが、浩司は追加検査が必要になった。
検査が終わった後、浩司は「一度電話する」と言って席を外した。その間に、私は医師の智也先生に呼ばれた。
「奥様、ご主人の件ですが」
先生の表情はかなり深刻だった。詳しい説明を聞き、私は言葉を失った。すぐに治療を始めなければ命に関わる状態。先生は言った。「このまま生活を変えず、治療も受けなければ、いつ倒れてもおかしくありません。そして余命半年という見立ても、決して大げさではありません」
私は息を飲んだ。その時、廊下に戻ってきた浩司が診察室の外にいた。ただし、彼が聞いたのは一部だけ。その直後、先生は私へ続けた。
「ですからご主人には、まず飲酒をやめてもらってください。食事も塩分と脂質を控えて、早急に治療を始める必要があります」
浩司はもうその場にいなかった。
帰宅後、私は話した。「あなたが電話している間に、先生から大事な話があったの」
すると、「分かってる」と、浩司は妙に優しい顔をした。「余命半年なんだろ」
私は驚いた。「だから、それはもういい」と、突然遮られた。「詳しく聞きたくない。そういう暗い話を家でされると、気が滅入るんだよ」
「でも、あなたの病院の話はここで終わり」
私は黙った。この人はちゃんと聞く気がない。これは命に関わることだ。
「とにかく、お酒はやめて。あと食事も変えるからね」
すると浩司は鼻で笑った。「なんで我慢する必要があるんだよ」
耳を疑った。
数日後、浩司が突然言った。「生命保険、見直さないか?」
「どうしたの?急に」
「俺たちも60だし。何かあった時、残された方が困るだろう」
今まで家計のことなんてほとんど興味のなかった人だ。怪しいとは思った。ただ、将来の備え自体は悪くない。私は必要な健康確認を受けた。結果、問題なし。今の保障に加えて、病気の保障を少し増やすことができた。浩司は妙に嬉しそうだった。
今思えば、その時点で気づくべきだった。余命半年の人間が、どうして何の問題もなく保険に入れるのか。普通なら疑問を持つだろう。でも浩司は、自分に都合のいいことしか見えていなかった。
数日後の夜、夫の書斎から浩司の楽しそうな声が聞こえた。
「美沙か、ちょっと声遠くないか?」
知らない女性の名前が聞こえ、私は足を止めた。
「あと半年だ。もう少し待ってくれ」
胸騒ぎがした。
「保険も増やしたし、全部合わせりゃ結構な額になる。この家も俺のものになるしな。いいだろ?その後は一緒に暮らそう」
私は壁に手をついた。浮気よりも、私が死ぬのを楽しみにしていることの方が何倍もショックだった。でも涙は出なかった。不思議なくらい、浩司への最後の愛情まで消えていた。
それから浩司はさらに家へ帰らなくなった。「今日は出張だ」「接待が増えたから、家よろしくな」と言って、みさという女性と旅行。見たことのない高級時計まで購入していた。
一方、自分の体は日に日に悪くなっていった。階段で息切れし、咳は止まらず、顔色も悪い。
「病院行きなさい」
「うるさい」
「お酒も今すぐにやめて」
「酒も飲めない人生に何の意味があるんだよ」
「先生はね…」
「黙れ」
そしてある日、「あと半年しかない人間に、俺の健康を心配されても困るんだよ」と言った。私は何も言い返さなかった。そう、あなたが聞かなかっただけだから。
数ヶ月後、みさが家へ来た。年齢は29歳。驚くほど若く綺麗な女性だった。
「奥さんですか?浩司さんを解放してあげてください」
いきなりだった。
「私たち、本気なんです」
私は尋ねた。「浩司から、何て聞いてるの?」
「夫婦関係は終わってるって。それと…」少し言いにくそうに、「奥さん、病気なんですよね」
やっぱり。私は笑った。「余命半年って聞いてるのよね」
「はい。だから、残された時間くらい浩司さんを自由にしてあげてもいいんじゃないですか」
私はみさを見た。「あなた、その半年後、本当にあの人と一緒に暮らしたい?」
「もちろんです」
「そう。じゃあ、その時もう一度考えた方がいいわ」
みさは、相手が自信満々だったのが腑に落ちないのか、意味が分からないという顔をして帰って行った。
そして半年、私は普通に仕事へ行き、普通に食事をして、普通に生きていた。一方、浩司は見るからに体調が悪そう。それなのに、ある日私を見て、心底腹立たしそうに言ったのだ。
「お前、いつまで生きてるんだ?」
私は今度こそ真実を告げた。「余命半年なのは、あなたよ」
数秒、浩司は動かなかった。
「何?」
「3ヶ月前から、何度も病院へ行けって言ったでしょ?」
「嘘だ。余命はお前だ」
「その余命の話だけど、先生が説明していたのはあなたの検査結果よ」
浩司の顔がみるみる青くなった。
翌朝、浩司は自宅で倒れ、救急搬送された。病院で目を覚ました浩司は、先生へ怒鳴った。「なんで俺に言わなかった?」
智也先生は静かに言った。「何度もご連絡しました。奥様からも聞いていませんでしたか」
浩司は私を睨んだ。「お前、なんで黙ってた?」
私は答えた。「言ったわよ。でもあなた、『病院の話は聞きたくない』って、私の話を途中で切ったでしょ。私は何度もお酒をやめて、食事を変えて、病院へ行ってって言いましたよ」
浩司は何も言えなかった。「あなたが聞かなかっただけよ」
さらに浩司へ追い打ち。みさから別れを告げられた。浩司自身が余命を告げられていると知った途端、「そんな話、聞いてない」と。浩司の貯金はほとんど残っていなかった。私の保険金を当てにして、半年間で使ってしまったから。
そして浩司は最後に、義母のさち子さんへ泣きついた。「母さん、頼む。金を貸してくれ」
するとさち子さんは、「私が早くいなくなれば遺産が入るんじゃなかったの?」と。浩司が固まった。
「母さん…」
「余命宣告で喜んで、母親がいなくなるのを待って、今度は自分が困ったから助けて?」さち子さんはきっぱり言った。「随分都合のいい人生ね」
言うまでもなく、私は浩司と離婚した。すると浩司はさち子さんへ言った。「母さんまで美沙の味方なのか?俺は実の息子だぞ」
さち子さんは1秒も迷わなかった。「だから何?血が繋がっていれば、何をしても家族でいられると思わないで」そして、私の手を握ってくれた。「私はこれからも美沙さんを娘だと思ってる」
そんなことを言われるとは思わず、私は泣いた。
それから私は以前と変わらず編集の仕事をしている。さち子さんとは週に1度くらい一緒に食事をし、時々2人で旅行もする。夫との結婚が正解だったとは思わない。でも、あの結婚をしたからこそ、さち子さんと出会えた。人生には、間違った道を歩いたからこそ出会える人もいるのかもしれない。
今年で60歳。これから何年生きられるかなんて、誰にも分からない。だからこそ、誰かが死ぬ日を待つような人生ではなく、自分が今日を楽しく生きられる人生を、私は選んでいこうと思っている。



