「お母さん、もういい加減にしてください」
電話の向こうで母は平然としていた。予約もなしに8人を連れて店に来たのは、私の母だ。うちは予約制の寿司屋で、普通は1ヶ月待ち。なのに母は、他のお客様の予約時間を無理やり変更させ、謝罪のサービスまでさせて、3時間も食べて会計もせずに帰った。
「20万円分も食べて、お金を払わないなんて」
「そんなに食べたかしら。でも家族なんだから、お金のやり取りなんてよそよそしいわ」
「これで3回目ですよ。毎回、お詫びのサービスをして、残業代も払って、損害は60万を超えています」
「こっちはあなたに竜二という息子を差し上げたんだから、その対価よ」
「結婚は私たちが決めたことです」
「でも認めてあげたのはこっちよ。あの子は他の人と結婚させても良かったんだから」
私は何も言い返せなかった。母は「これからも行かせてもらう」と言い、電話を切った。
10分後、夫の竜二に連絡をした。
「お母さんに注意してくれない?」
「分かった。厳しく言っておくよ」
でも、竜二の帰りが最近遅いのが気になっていた。営業の仕事だから仕方ないとは思うけど、あまりにも遅すぎる。
3日後、夫の妹のあやちゃんから電話がかかってきた。
「お姉さん、ちょっとお願いがあるんだけど」
「何?」
「お姉さんの実家の寿司屋に行かせてもらえないかな。友達がSNSで見た写真を見て行きたいって言ってて」
「予約だけならいいけど、うちはそれなりに値段するわよ」
「大丈夫、みんなSNSで稼いでるから」
あやちゃんはインフルエンサーらしい。予約を取ってあげることにした。
1ヶ月後、また母が店に来ていると連絡があった。今度はちゃんと予約をしてきたらしい。でも、大人数で来ているという。
「今日は夫とご近所さんたちを連れてきているのよ。みんな美味しいって言ってくれてるわ」
「でも、これがただなんて信じられないでしょうね」
「やっぱりそういう考えだったんですね。今日も無料で食べ放題。家族だし当然よね」
「バカなことを言わないでください。ちゃんと支払いしてもらいます」
「家族同士でお金のやり取りなんてダメよ」
「でも、もうあなたと私は家族ではありません」
「は?何を言ってるの?」
「もう離婚してますから」
母は驚いていた。竜二が隠していたのだ。
「原因は竜二の浮気です。結婚前から二股を続けていたみたいで、探偵に調べてもらって証拠も掴みました」
「嘘よ!あの子がそんなことするわけない!」
「信じてもらう必要はありません。竜二に聞けば分かります。でも、その前にお寿司の料金を払ってください。8人分で20万円です」
「ふざけないで!ここはただだから来てたのよ!お金がかかるなら来ないわ!」
「美味しいって言ってたじゃないですか」
「そんなのお世辞に決まってるでしょ!ただで食べさせてくれてるから、せめて美味しいくらいは言ってあげないとと思ったの。私から見たら、ここの寿司は金を払って食べる価値のないものだわ」
「よくもそんな失礼なことを!」
「正直なことを言ってるだけよ。今回は帰らせてもらうわ」
母はそう言って、店の外に出て行った。私は追いかけようとしたが、もう遅かった。
3分後、母に電話をした。
「もうお帰りになったんですね」
「ええ、そうよ。今までどうもありがとうね。今後はそちらに行くことはないと思うわ」
「今回はちゃんと予約を取られたから、支払いをされると思ってましたよ」
「そんなことするわけないでしょ。今回は他にも連れがいたから、万が一にも入れないってならないように予約を取ってただけよ」
「なるほど。あんたもあんたよ。なんで離婚したことを黙ってたの?」
「娘たちのことですし、周りには無関係の人もたくさんいましたからね。そこで口に出すのは失礼だと思ったんです」
「嘘つかないでよ。どうせ私たちが何も知らずにバクバク食べてるのを笑ってたんでしょ。後で高額請求してやるからとか思って」
「そもそも食べたものの代金をもらうことは普通のことですからね」
「でも私は本当にそんなつもりはなかったんですよ。今回が最後だと思ってました。もう親族ではなくなったので、ただで食べるのは今回で最後にしてくださいと伝えるつもりだったんです」
「う、そうなんだ。だったら私たちの気持ちは同じってことね。私も今日で終わりにするつもりだったから」
「ですが、あなたたちにはしっかりと代金を請求させてもらいます」
「はあ?さっきと言ってることが違うじゃない」
「そりゃそうですよ。私はとても頭に来てるので」
「何が?」
「夫が作った寿司を馬鹿にされたことですよ。夫は命をかけて美味しい寿司を提供できるように頑張ってきました。仕入れ先にもこだわって、米の銘柄だって何度も変えました。季節や湿度によって水加減を細かく調整し、納得できる米が炊き上がらないと店を開けないことだってありました。あなたが食べていた一巻一巻に、夫は心血を注ぎ続けてたんです。それをあなたは馬鹿にしましたよね。絶対に許すことはできません」
「ちなみにいくらなの?」
「全部合わせて20万円です」
「そんなに高いの?」
「うちは自信を持ってこの値段で提供させてもらってます」
「そんなの払えるわけないでしょ。こっちはただだと思って言ってるんだから」
「そうですか。では警察に通報しましょう」
「え、警察?」
「あなたのやったことは犯罪ですよ。払うつもりもないのにたくさんのお寿司を注文して、さらに支払いもせずに店を出ていった。こんなの許されることじゃないですよ」
「待ってよ!お金なら何とかして払うから!」
「待つことはできません。今から警察に通報させてもらいます」
3日後、あやちゃんから連絡があった。
「お姉さん、お久しぶりです。本当にうちの親がバカなことをしてごめんなさい」
「いいのよ。あなたが謝ることじゃないわ」
「もうお姉さんと呼ぶこともできないんですね。せっかく仲良くなれたのに」
「そうね。とても残念だわ。実は今日は他に大事な話があって連絡をしたの」
「大事な話?」
「前にあやちゃんがお友達を連れて店に来たことがあったでしょ?SNSでも宣伝をしてくれて、それなりに反響はあったみたいよ」
「そうですか。それは良かったです」
「この前、あやちゃんのお友達の1人がご家族を連れて店にやってきたのよ。美味しかったから両親にも食べさせたいって。その子とお母さんが話してた時に、ちょっと変なことを言ってたのよ」
「何ですか?」
「今回はちゃんと両親に振る舞いたいので、割引しなくていいですよって。お母さんは変だなと思って詳しく聞いたんだって。前回はあなたが会計をただにして欲しいって頼んできたんでしょ。その時にお母さんに次からちゃんと予約をしてくるようあなたから注意するのを条件に、その日は支払いをただにしていたはずよ。なのにあなたはお友達全員からお金をもらっていたのね」
「いや、それは何かの勘違いよ」
「そうかしら。お友達に伝えて、警察に被害届を出すように言っておくわ」
「なんで!」
「あなた過去にも同じようなことをしてたでしょう。全部お友達から確認しているんだから」
「待ってよ。ちょっと話し合いをさせて」
「それは被害者の子たちとやって」
「どうしても金がいるのよ。毎年新作のブランド品を買って写真を載せないといいねが稼げないの。私のSNSのフォロワーは女の子ばっかで、キラキラな生活ぶりを見せないと満足してくれないのよ」
「だったら真面目に仕事をしてお金を稼ぎなさい。そっちの人生の方がよっぽど私はキラキラしてると思うわよ」
2週間後、今度は母がレビューサイトで誹謗中傷をしていることが分かった。
「お母さん、もうくだらないことはやめてください」
「はあ?何よ、いきなり」
「うちの店がレビューサイトで誹謗中傷の被害に合ってるんですよ。常連さんから心配の連絡もあって、予約をキャンセルする人も出て、両親が困ってたんです」
「それが何なのよ」
「弁護士の先生にお願いをして開示請求をしてもらったんです。誹謗中傷している人が誰かを突き止めてもらったんです」
「そんなことができるの?」
「できますよ。だからお母さんに連絡をさせてもらったんです。あなたには損害賠償と慰謝料を請求させてもらいます」
「これ以上私をいじめるつもりなのね」
「何を言ってるんですか?」
「だってあんたのせいでこっちは逮捕までされて、ご近所さんたちから白い目で見られてるのよ」
「みんなに知られてしまったんですね」
「そうよ。あんたが噂を広めたんじゃないの?」
「そんなことするわけないでしょ。そもそもお金を払うつもりもないのに、当たり前のようにうちで飲食するのが間違ってるんです」
「私はそうやって育ってきたのよ。両親は何でも買ってくれたし、親戚だって実家に来る時は必ず私にプレゼントを持ってきてくれたわ。家族ってのはそうやって施しをし合うものじゃないの?私はただそれを受けていただけ」
「じゃああなたは何をしてくれたんですか?」
「え?」
「施しをし合うというルールがあるのならば、私たちは確かにあなたに毎回美味しいお寿司を提供しています。だったらあなたはその代わりに何をしてくれたと言うんですか?あなたはそうやってしてもらうばかりなんですよ。そんなに人から何かをしてもらいたいのなら、まずは自分から家族のために何かをしようと考えた方がいいんじゃないですか。お母さんだって最初は優しさであなたを受け入れてたんですよ。それなのにあなたはその優しさに付け込んで、あれだけのお寿司を当たり前のように。そしてあろうことか両親が大切にしていたお店にまで害を加えた。私は小さい頃から両親が店を頑張って切り盛りしているところを見ていました。父は朝早くから夜遅くまで店で働いて、母は店をどうやって黒字にするか毎晩のように頭を悩ませていた。そんな努力の結晶があの店なんです。その店を傷つけるような人間を私は絶対に許すことはできません。ですので、しっかりと罰を受けてもらいます」
「待って。もうしない。反省もする。だから許してよ」
「これが私ができるあなたへの精一杯の施しです。どうか遠慮せずに受け取ってください」
その後、私たちは母にしっかりと慰謝料と損害賠償を請求した。食い逃げの賠償金まで背負うことになった母たちにとって、この追加請求はかなり応えたようだ。父と2人で食費や光熱費を切り詰めながら生活しているらしく、これまでのように気軽に寿司を楽しむ余裕はなくなったことだろう。まあ、自業自得だ。
ちなみにあやちゃんは、仲間を騙してお金を取っていたことで訴えられてしまった。その件はSNSでも広まり、フォロワーは激減。見栄のために買い集めていたブランド品も全て手放して生活費に回しているそうだ。それでも懲りるどころか、今は仲間たちのプライベートを暴露するアカウントで稼ごうとしているのだとか。そんなことしたらまた訴えられて泥沼裁判になって、下手したら逮捕までされてしまうと思うんですけどね。きっとそんなところまで考えが及ばないんだろう。
一方うちの寿司屋は、誹謗中傷がなくなったことで客足がまた戻ってきた。父はいつも通り美味しい寿司を追求し、母はそんな父を支えている。
私は竜二と夫婦になりたいと思って結婚をしたが、今は両親のようなプロフェッショナルな大人になることを目標に、仕事を頑張っていこうと思う。



