同窓会で、私の席にだけ日の丸弁当が置かれた。彼女はマイクを持って笑った。「負け犬な、あんたにはこれで十分。」40年前、同じように私の弁当を笑い者にした女が、今度は100億の契約の席で、私の前に跪いた。でも、私は何も言わなかった。ただ、彼女が「証拠でもあるの?」と叫んだ時、私はモニターを指さした。あの日の映像が流れた瞬間、彼女の顔色が変わった。そして、私は彼女に言った。「この契約は白紙で。」彼…

同窓会で、私の席にだけ日の丸弁当が置かれた。彼女はマイクを持って笑った。「負け犬な、あんたにはこれで十分。」40年前、同じように私の弁当を笑い者にした女が、今度は100億の契約の席で、私の前に跪いた。でも、私は何も言わなかった。ただ、彼女が「証拠でもあるの?」と叫んだ時、私はモニターを指さした。あの日の映像が流れた瞬間、彼女の顔色が変わった。そして、私は彼女に言った。「この契約は白紙で。」彼...

同窓会の宴会場で、誠一の前にだけ日の丸弁当が置かれていた。

「やだ、日の丸弁当懐かしい。高校の時のあれでしょ。」

会場がどっと湧いた。笑い声が波のように広がっていく。

「負け犬な、あんたにはこれで十分。」

カラ木さおりがマイクを握って言った。40年前と同じ、あの笑顔だった。

誠一は箸を手に取り、梅干を一口食べた。

「いや、せっかくだからもらうよ。好物なんだ。」

「は?なんで平気な顔してんのよ。」

翌日、誠一は神座に座っていた。同級生の笑顔が凍りつく。

「こちらグループ総水の高村でございます。」

100億円の契約書類を前に、誠一は言った。

「音社とのこの契約をさせていただきます。」

「ま、待って。私たち同級生でしょ。」

「この団はね、始まる前から終わっていたんですよ。あの宴会場であんたが日の丸弁当を笑った時にな。」

弁当一つを笑った代償は、100億円では済まなかった。笑った女王の世界が、音を立てて崩れていった。

高村誠一、58歳。古い住宅の角にある一軒屋に、妻と二人で暮らしている。平日の朝食卓には、炊きたての白飯と妻の漬けた梅干があった。

「うん。今年のはいい塩梅だ。」

「お母さんの壺のおかげよ。」

大所の棚に、古い茶色の壺が置いてある。三年前に亡くなった母が、40年以上も梅干を漬け続けた壺だった。今は妻がその漬け方を受け継いでいる。誠一の朝は、どんな一日でもこの白飯と梅干から始まった。一人息子は東京で働き、盆と正月に孫の顔を見せに帰ってくる。静かで穏やかな暮らしだった。

誠一が今何の仕事をしているのか、連れ合いの昔の友人は一人もいない。本人が語らないからだ。聞かれればこう答えるだけだった。

「食べ物に関わる仕事を少し。」

その朝、妻が一枚のはがきを差し出した。

「ねえ、あなた。返事出てないでしょ。」

高校の同窓会の案内だった。卒業から40年の節目。会場は駅前のグランドホテル。

「今年も来てたな。」

「一度くらい顔出してらっしゃいよ。」

「そのうちな。」

「会えるうちに会っておかないと、会えないままになる人もいるのよ。」

誠一ははがきに目を落とした。幹事の欄に、覚えのある名前があった。カラ木さおり。その名前に誠一の眉がかすかに動いた。ただ、誠一の目はその下に並んだ出席者の名前の一つで、もっと長く止まった。

美しこ太。

こ太も来るのか?

40年前のある男の真っすぐな顔が浮かんだ。

「行ってみるか。少し確かめたいこともある。」

「それがいいわ。」

出席の返事を出して二週間が経った。そして同窓会当日の朝が来た。誠一は目立たない灰色の上着を選んだ。値段を主張しない服だった。出がけに、誠一は仏壇に手を合わせた。写真の中で母が笑っている。

「楽しんでらっしゃいな。せっかくの40年ぶりなんだから。」

「ああ、行ってきます。」

晴れた空の下、誠一を乗せたバスが駅前のグランドホテルへ向かっていく。その宴会場で何が待っているのか、誠一はまだ知らない。

駅前のグランドホテル三階の宴会場。入口の看板に「卒業40周年記念同窓総会」とある。受付の長机で名簿とペンを並べている男がいた。両脇のくびれたジャケット、薄くなった髪を丁寧に撫でつけている。誠一の顔を見て、男の手が止まった。

「た、高村?高村ったよな。」

「こ太、久しぶりだな。40年ぶりか。元気そうで何よりだ。」

こ太の目が泳いだ。口を開きかけて、その言葉を飲み込む。

「ああ。いや、なんでもない。これ、名札。受付へ任されてるのか。」

「ん、ほら、俺は昔からこういうの、だからさ。」

笑いの形を作った顔だった。誠一は名札を受け取り、こ太の顔をもう一度だけ見てから会場に入った。

宴会場は着席の形式だった。白いクロスの円卓に関が並び、集まった同級生は70人。あちらこちらで名前を確かめ合う声が上がっている。誠一の席は入口に一番近い端の円卓だった。同じ卓の男が誠一の名札を覗き込んだ。

「久しぶり。お、高村。えっと、えっと、ああ、高村。悪い、顔が思い出せなくて。」

「無理もない。」

それきり、誰も誠一に話しかけてこなかった。やがて入口の辺りがにわかに華やいだ。カラ木さおりの登場だった。光沢のあるベージュのスーツに真珠。とても同じ58歳には見えない。取り巻きの女たちが左右を固め、その後ろに中が続く。

「カラ木さん、全然変わらないな。さすがよね。」

「会社の役員になったんですって。」

カラ木は女王のように会場を回り、かかる声の一つ一つに笑顔を返していく。その目は挨拶の間も、相手の服と時計を上から下までなぞっていた。

「ねえねえ、みんな聞いた?カラ木さんって今、100億のお仕事を動かしているんですって。」

「ちょっとやだ。中さんたら声が大きいわよ。仕事の話は今日はなしよ。」

口ではそう言いながら、止める声はどこか嬉しそうだった。その目が誠一の席を見つけて止まった。誠一を見つめるカラ木の目の奥で、40年前の光景が蘇った。

40年前、カラ木の家はこの町で一番の会社だった。誠一の父親はカラ木の会社の下請けの町工場をやっていた。その工場が潰れ、父親は過労で亡くなった。

人情家で知られたカラ木の父親は、残された誠一と母親を放っておかなかった。家の隅の部屋と、母親の働き口を世話したのだ。だが、娘のさおりにとって、誠一は「うちが食わせてやっている家の子」でしかなかった。

ある夕方、屋敷の廊下。カラ木は94点の答案を手に、父の書斎へ急いでいた。厳しい父が、今度こそ褒めてくれるはずだった。その足が扉の前で止まった。中から父の声が漏れてくる。

「誠一はものすごい才能を思っとるよ。あの子は大物になる。もしかすると、わしらの知らんような世界で活躍するかもしれん。」

客と笑い合う、上機嫌な声だった。父は一度も娘の成績をそんな声で語ったことがなかった。廊下で、カラ木の手の中で94点の答案がくしゃりと潰れた。

「なんで。なんで、あの家の子が。」

その数日後、高校の教室の隅で、カラ木はこ太を手招きした。

「ねえ。次の昼休みさ、あいつがご飯食べてる時、みんなの前でバカにして、弁当箱ひっくり返して食べられなくしてきてよ。」

「あ、でも、あ、でもそんなこと。」

「あんた、私に逆らうとどうなるか分かってるんでしょうね。」

「う、」

そして計画は昼休みに実行に移された。

「あ、あの、誠一君、その弁当ちょっと、え、」

ガシャン。

こ太が、誠一が食べている途中の弁当箱をひっくり返して床に落とした。

「俺の日の丸弁当。」

誠一は落ちた弁当箱の中身を、床を這うようにかき集めた。

「中ね、今よ。オッケー。」

「みんな見て見て。誠一君たら、落ちたご飯拾ってる。汚い。」

中が煽り、誠一はクラス中の笑い者にされた。

「いい気味だわ。あんたは一生そうやって、這いつくばってればいいのよ。」

昔の記憶はそこで途切れた。カラ木はため息をつき、完璧な微笑みを作り直してマイクの前に立った。

「皆様、今日はようこそ。40年ぶりのお顔もたくさん見えて、私、朝から胸がいっぱいですの。」

拍手が起きる。マイクを置いたカラ木は、隣の中にだけ聞こえる声で囁いた。

「来たのね、あの負け犬。関は言われた通り、ちゃんと真霊のものはホテルの人に念を押した?タイミングもばっちり。」

中は満足そうに頷き、何事もなかったように乾杯の挨拶へ戻っていく。その横顔を、受付を終えて入ってきたこ太がじっと見ていた。

乾杯の声が上がり、配膳が始まった。白い制服のホテルの係りが、円卓の一つ一つに料理を置いていく。手まり寿司に湯気の立つタウワ。あちこちで歓声が漏れた。だが、誠一の前に置かれたのは、しおりの古びた箱が一つきりだった。

誠一の卓が妙に静まった。マイクを手にしたカラ木が、笑いを含んだ声で言った。

「皆さん、ちょっと注目。今日はね、誠一君にだけ特別メニューをご用意したの。」

会場の目が一斉に誠一に集まる。

「ほら、誠一君、開けてみて。あなたといえば、これでしょ。」

誠一は箱に手をかけ、蓋を取った。白いご飯の真ん中に梅干が一つ。日の丸弁当だった。一瞬の静寂。

「負け犬な。あんたにはこれで十分。」

会場がどっと湧いた。

「やだ。日の丸弁当懐かしい。高校の時のあれでしょ。」

「カラ木さんたらひどい。」

笑い声が波になって広がっていく。半分は事情も知らないまま、釣られて笑っていた。その渦の中で、こ太だけが笑っていなかった。卓の下で古いスマホの画面が光った。レンズが誠一へ向く。

「なんてね。冗談よ。冗談。ちゃんとお料理も準備してるわ。ドッキリ大成功ってところかしら。」

カラ木が指を鳴らすと、係りが料理を運んできて弁当の横に置いた。拍手と笑いで、よくできた余興として場は収まりかけた。だが、誠一は料理に手をつけず、日の丸弁当を引き寄せた。

「や、こっちをいただくよ。好物なんだ。」

「は?」

誠一は箸をとり、梅干を一つ口に運んだ。その酸っぱさが、誠一を40年前に連れ戻した。工場が潰れ、父が亡くなった後、母は朝の暗いうちから市場の仕込み場で働いた。荒れた手が、家を出る前に詰めてくれる弁当。白いご飯に、自分で漬けた梅干一つ。それだけしか入れてやれなかった。

弁当の蓋で隠して食べる息子に、母は言っていたものだ。

「お日様の下で食べてごらん。お日様の下で食べれば、なんだってご馳走だよ。」

誠一は目を開けた。

「うん。うまい。」

一口ずつ味わうように箸が進む。悔しさも我慢もない。心の底から、うまそうに。誠一は日の丸弁当を食べていた。

笑い声が少しずつ勢いを失っていった。

「あの人、本気で食べてるわよ。」

「高村ち、昔工場が潰れてさ、お袋さん市場で働いてたんだよ。かわいそうに。」

「ちょっとやめなさいよ。聞こえるわよ。」

哀れみのひそひそ声が、さざ波のように卓から卓へ伝わっていく。マイクを置いたカラ木の顔から笑いが消えていた。

「なんで。なんで平気なのよ、あいつ。」

「大成功よ。さおりさん見た?みんな大受けだったじゃない。あいつのあれは絶対痩せ我慢よ。心の中じゃもうズタボロに決まってるって。」

カラ木は答えなかった。視線の先では、誠一がうまそうに白飯をかき込んでいる。痩せ我慢の顔はどこにもなかった。誠一は箸を置き、小さく頭を下げた。

「ごちそう様でした。」

宴は後半に入り、酒が回り始めていた。カラ木のテーブルでは、開いた調子が次々と立っていく。注ぎ役をやらされているのはこ太だった。

「こ太君、お酌、ちょっと遅いわよ。」

「わ、悪い。すぐ頼んでくる。」

40年前と同じ役だった。酌を受け取るこ太の手が一瞬だけ止まる。やがてカラ木はビール瓶を手に取り、取り巻きを従えて誠一の席へやってきた。

「せ、お酌してあげるわ。ほら、グラス。」

「ああ、悪いな。」

「ねえ、ところで誠一君って、今何のお仕事してらっしゃるの?まさか無職?」

「食べ物に関わる仕事を少し。」

カラ木の注ぐ手が止まった。

「食べ物?へえ。私と同じ業界ってわけ。」

「あ、そういえば誰かが言ってたわね。誠一君、今すごいらしいって。」

「やめてよね。笑っちゃう。見なさいよ。その昭和のまんまの格好。あんたの食べ物の仕事なんて、どうせスーパーの品出しか、道の駅で梅干でも並べてるんでしょう。お願いだから、私と同じ業界みたいな顔しないでくれる?こっちは100億よ。あんたの人生を丸ごと全部売ったって、届かない数字なのよね。」

周りの笑いが、今度は続かなかった。

「カラ木さん、ちょっと飲みすぎじゃない?」

「そうか。大した数字だな。」

誠一は表情一つ変えず、グラスに口をつけた。カラ木の方がピリと動いた。聞いていない。この男には、何を投げても聞いていない。

「あんたね。」

「そ、そうだ。さおりさん。その100億のお話、あっちでみんな聞きたがってたわよね。ねえ、聞きたい聞きたい。行きましょう。」

取り巻きたちが慌てて話の火消しをし、カラ木を席へ連れ戻していく。自分のテーブルに戻ったカラ木の声は、酒と共にどんどん大きくなっていった。

「だから聞いてよ。100億よ。100億。食品の100億案件を、この私が動かしてるの。役員で私だけよ。こんなの持ってるのすごい。テレビで見る世界だわ。」

カラ木は上機嫌で酌を開け、声を潜めたつもりの大声で言った。

「ねえ、いいこと教えてあげる。うち上場してるでしょう。今のうちにうちの株買っときなさい。近々ね、いいことがあるのよ。」

「え、それって買うわ、私絶対買うわ。」

ちょうど誠一は帰りの挨拶のために出口へ向かうところだった。その動線はカラ木のテーブルの真横を通る。

「相手は日向たっていう会社なんだけどね。これがまあケチでケチで、じいさん経営の田舎会社なのよ。ま、私が手玉に取ってあげるけど。」

誠一はテーブルの横を足を止めずに通りすぎた。その全部が耳に入っていた。

「あら、誠一、もう帰り?明日も早いの?」

「ああ、今日はごちそうさ。」

笑い声を背に、誠一は宴会場を出た。エレベーターホールで、後ろから声がかかった。

「た、高村、ちょっと待ってくれ。」

息を切らしたこ太が、古いスマホを握りしめて立っていた。

「その、番号交換してくれないか?」

「うん、いいよ。」

「あ、あの、俺、」

こ太は言葉を止め、首を振った。

「ああ。いや、なんでもないんだ。今日は会えてよかった。」

番号を交換し、誠一はエレベーターに乗り込んだ。扉が閉まる寸前、深々と頭を下げるこ太の姿が見えた。

同窓会から帰宅した誠一は、自宅の玄関で靴を脱いだ。台所から顔を出した妻が、エプロンで手を拭きながら聞いた。

「お帰りなさい。どうだった?40年ぶりの同窓会は。」

「いい会だったよ。」

「それは良かった。」

誠一はそれ以上語らなかった。風呂を出て、居間でお茶を飲んでいた時だった。円卓のスマホが短く鳴った。こ太からだった。メッセージは一行だけだった。

「俺にできるのはこれくらいだから」

何かを悟るような、短い一文だった。その下に動画が一つ届いている。

誠一は最後まで見た。それから、もう一度見た。画面を消した後、部屋には時計の音だけが残った。

誠一は仏壇の前に座り、線香を一本立てた。写真の中の母は変わらず笑っている。

「お袋、あんたの弁当、笑い物にした人がいてね。明日は久しぶりに、俺が働きに出るよ。」

月曜の朝、誠一は事務所で電話をかけた。

「小寺さん、おはようございます。今日の最終ですが、私が直接出ます。」

電話の向こうで、小寺が息をのんだ。

「え、ご自身がですか?」

「ええ、少し事情がありましてね。」

「承知しました。正談の席にお出になるのは、何年ぶりでしょうな。」

同じ頃、み瀬食品の本社は朝から張り詰めていた。み瀬食品はこの数年、業績が落ち続けている。日向ホールディングスとの年間100億の契約は、会社の存亡を握る案件だった。営業の数字は二年続けて目標を下回り、その責任を問う声は営業トップのカラ木に集まっていた。来年の春には役員の改選がある。この百億をまとめられなければ、カラ木の椅子はない。社内の誰もがそう見ていた。

最終正談の日は、一か月も前から決まっていた。今日はジムレベルの最終確認。ここがまとまれば、後日、両社の役員を揃えた本式が待っている。

廊下をカラ木のヒールが早足で鳴らしていく。後ろに書類の束を抱えた課長が続く。

「ほ、本部長、その、もし今日がまとまらなかった場合、来期の資金繰りが」

「まとまるのよ。」

廊下に声が響き、課長が首をすくめた。カラ木は口元を直し、髪を撫でつけた。

「まとまるの?まとまらなきゃいけないのよ。」

自分に言い聞かせるような声だった。

「パパ、見てなさい。94点なんかじゃない。今度は100億よ。」

午後、日向ホールディングス本社。最上階の将談室へ向かう廊下で、課長のスマホが鳴った。

「はい。はい。承知しました。ほ、本部長。先方から今連絡が。本日の談に、先方のトップご本人がご挨拶を兼ねて同席されるそうです。」

「は?トップですって。なんで、なんでこのタイミングで?聞いてないわよ、そんなの。まさか条件を蒸し返す気?それとも何か気に触った?どうするの?事務に電話?いや、今更何て言えばいいのよ。」

「あ、あの、事務にご連絡した方が、体制を整え直すべきでは」

「そんなこと分かってるわよ。」

カラ木は裏返る声と肩を救える。手鏡を出そうとして、ポーチからリップを取り落とした。拾うと、指が震えていた。

「本部長、もう始まる時間よ。今から誰かが来られるわけでもないでしょう。」

カラ木は目を閉じ、一つ深く息を吸った。そしていつもの笑顔を顔に貼り付けた。

「そうよ。考えてみれば、むしろ好機じゃないの。トップが出てくるってことは、向こうも今日決める気だってこと。どうせ、れのメディアにも出ない引きこもりの総水様でしょ。よぼよぼのおじいちゃんよ。年寄りなんてね。私みたいに綺麗な女が笑ってあげれば、判子くらいすぐ押すのよ。それにね、これは私の案件。私の手柄よ。」

強がりなのか本気なのか、課長には分からなかった。おそらくカラ木自身にも。

将談室の前で、カラ木はもう一度手鏡を開き、唇を直した。直す手にまだ小さな震えが残っている。鏡の中の自分に笑って見せた。

「100億。私の100億。」

祈るような小声だった。課長が扉をノックする。扉の奥で「どうぞ」と落ち着いた声がした。

将談室の扉が開いた。白い長机の向こう、上座の席に、紺のスーツの男が座っていた。その脇に、銀縁の秘書が控えている。営業スマイルのまま入室したカラ木の足が止まった。笑顔が顔に張り付いたまま固まっていく。

「ようこそお越しくださいました。ご紹介いたします。当グループ総水の高村でございます。どうぞおかけください。」

昨日と同じ、落ち着いた声だった。課長は緊張で強張ったまま名刺を差し出した。メディアに一度も姿を見せたことのない幻の総水。差し出した名刺が小さく震えている。

「本物だ。本物の総水が出てきた。この場にうちの社運がかかってる。」

受け取った名刺に目を落とし、課長はもう一度名刺と男の顔を見比べた。だが隣のカラ木は、名刺入れを出すことも忘れて立ち尽くしていた。

「誠一君。」

「う、嘘でしょ?なんで、なんであの負け犬がここに。本部署、どうしたんだ?顔が真っ白じゃないか。」

「あ、あの、本部長、名刺を。」

数秒の空白の後、カラ木は無理やり口元を引き上げた。

「ま、まあ、誠一君。やだ、そうだったの?昨日はどうも。すごい偶然ね。同級生とお仕事できるなんて、私、心強いわ。」

「ええ、そ、そうよ。誠一君と知り合いなの?」

課長の目が二人の間を忙しく往復した。誠一は答えず、手を軽く上げて着席を促した。

「始める前に、一つだけ当社の流儀を申し上げておきます。」

「え、あ、は、はい。」

「事実をありのままに話せる方かどうか、私どもはお取引の相手をそれで決めています。金額や条件の話は、その次です。」

「お、え、え、もちろんですわ。誠実が一番ですもの。私、」

カラ木は笑ったが、誠一は笑わなかった。

「では、始めてください。」

課長が慌てて資料をめくり、説明を始める。新商品の計画、工事の生産体制。説明が進むうちに、カラ木は少しずつ調子を取り戻していった。

「そうよ。むしろ好都合じゃない。同級生のよしみってものがあるわ。あの弁当だって、ネタに使える。ええ、通るわよ。」

説明が終わると、カラ木は身を乗り出した。

「というわけで、音社との共同事業、必ずや実あるものに。誠一君、長いお付き合いになりそうね。」

誠一は資料を閉じた。そしてカラ木を見た。

「カラ木さん、一つ確認させてください。昨日の同窓会で、私の前に何を出されましたか?」

「は?」

「私の前にだけ、何を出されましたか?」

「な、何のことかしら?お弁当なんて出した覚えはありませんけど。」

誠一は黙ってカラ木を見ている。

「あ、ああ、あれね。やだ。今思い出した。あれは余興よ。今日、同窓会を盛り上げるための、可愛いサプライズじゃない。」

「昨日、あなたは皆さんの前でこうおっしゃっていた。取引相手は、土けちで貧乏臭い、じいさん経営の会社だと。」

「言ってないわよ。誰がそんなこと。証拠でもあるの?」

誠一は湯のみを置いた。小さな音が将談室に響いた。

「弁当は出していない。いや、あれは余興だ。悪口は言っていない。証拠があるのか。あなたは今、この短い時間に三度、言い換えた。」

「そ、それは」

「カラ木さん、初めに申し上げましたね。事実をありのままに話せる方かどうかで、お相手を決めると。」

誠一は立ち上がった。

「この100億の契約は、白紙で。」

「へ?」

課長の手からボールペンが落ちた。

「ま、待って、待ってください。あれは冗談だ。同級生のじゃれ合いじゃない。誠一君。私たち同級生でしょ。」

「同窓会では、私はあなたの同級生でした。ここでは、音社の取引先です。本日はお引き取りくださいませ。」

小寺が扉を開け、脇に立った。

「ま、待って。まだお話は」

だが誠一はもうカラ木を見ていなかった。手元の次の書類に目を落としている。昨日「負け犬」と笑った男は、もう自分を見てもいなかった。

「失礼いたしました。」

声を絞り出して立ち上がる。膝が一度、ぐらついた。課長が慌てて資料をかき集め、深々と頭を下げて後に続く。扉が音もなく閉まった。

廊下に出たカラ木の手は、細かく震えていた。

「本部長、白紙ってどうするんですか?それに今のは一体」

「あんた、今日のことは誰にも言うんじゃないわよ。報告は私がする。余計な口を聞いたら、あんたの立場がどうなるか分かってるわね。」

「あ、はい。」

課長は目を伏せた。自分の身の安全は、目の前の本部長が握っている。

その足でみ瀬食品に戻ったカラ木は、社長室の扉を叩いた。

「白紙だとどういうことだ。君、先方のトップが急に出てきたなら、なぜその場で私に電話を寄越さなかった?体制を整え直すのが筋だろう。」

「申し訳ありません。あまりに急なことで。それが、条件の細部で急に難色を示されまして。で、でもご安心ください。分かったんです。先方の総水、実は私の高校の同級生でした。」

「は?総水が同級生?君、そんな偶然があるのか?」

「あ、本当です。昨日同窓会でお会いしたばかりなんです。窮地の間方ですから、ちょっとした行き違いさえ解ければ。私に任せていただければ、明日にでも誤解を解いて見せます。」

「本当だろうな。この案件が止めば、君の椅子どころの話では済まんのだぞ。」

「わ、分かっております。大丈夫、大丈夫です。」

社長室を出たカラ木は、廊下の窓に映る自分に向かって、口元を引き上げた。

「大丈夫?あれは総水と言っても、元は負け犬なのよ。」

火曜の午後。昨日の白紙宣言を受け、み瀬食品はお詫びと再考のお願いを申し入れていた。誠一はこれを受けた。日向ホールディングスの応接室。室長の向こうに、戸田、カラ木、そして課長の三人が並ぶ。今度という今度は、戸田が自ら同行していた。こちら側には誠一と小寺。口を切ったのは戸田だった。

「この度は、弊社の者が大変な無礼を働きました。経緯はどうあれ、不快な思いをされたことに弁解の余地はございません。心よりお詫び申し上げます。」

戸田は深く頭を下げ、そのまま顔を上げなかった。その隣で、カラ木が口を開いた。

「やだ、社長ったら、そんなに深々と。ほどのことではございませんのよ。」

カラ木は昨日と同じ、完璧な笑顔を作っていた。

「高村総水、昨日は行き違いがあったみたいで、ごめんなさいね。ただ誠一君、あなた昔から真面目で、冗談の通じないところがあったでしょ?同級生の可愛いサプライズだなんて。それにほら、昔のお家の事情が終わりだから、お弁当のことには人一倍敏感なのよね。そこまで気が回らなかったことは謝るわ。ごめんなさいね。」

謝罪の形をした、二度目の侮辱だった。

「はい。」

これで詫びは済んだ。押し切れるわ。下げていた戸田の頭が跳ね上がった。

「カラ木君。」

課長の顔から赤みが消えていく。誠一は何も答えず、湯のみを置いた。小さな音だけが応接室に響いた。

「小寺さん、お願いします。」

小寺がタブレットに触れると、壁の大型モニターに映像が流れ始めた。日曜の宴会場だった。しおりの箱、マイクを握るカラ木。

「負け犬な、あんたにはこれで十分。」

どっと沸く会場。続いて、酔った大声。

「相手は日向たっていう会社なんだけどね。これがまあケチでケチで、じいさんの田舎臭い会社なのよ。」

映像が止まった。

「そしてご存知の通り、当社のやり方を全て記録に残しております。こちらは昨日の初談のものです。」

「し、証拠でもあるんですか?」

誰も口を開かなかった。その静けさの中で、課長が小さく息を飲んだ。昨日からの謎が、最悪の形で溶けた声だった。戸田はモニターとカラ木を何度も見比べていた。映像の中で下品に笑う女と、目の前で完璧な化粧をした部長が、同じ人間だとは思えなかった。

「なんだこれは?カラ木君。これは君なのか?」

「じ、あの、その、これは、あ、私は、君が条件で難色を示されたと聞いて、だから今日は助けの見直し案で持って、それが、で、弁当、悪口、わ、私は、私は今日、何を謝りに来たんだ?」

白紙にされた案件がなぜ消えたのか。その答えを、こんな形で見せられるとは。戸田の手の中で、書類がくしゃりと潰れた。

「ち、違う。これは、だ、誰?誰が撮ったのよ、こんなもの。」

誠一は答えなかった。

「へ?編集ですわ。そうよ。今の時代、映像なんていくらでも作れますのよ。これは誰かの悪意で」

額に汗が一筋伝った。誠一が立ち上がり、初めてカラ木を正面から見た。

「カラ木さん。月曜の正談の始めに、私は申し上げました。事実をありのままに話せる方かどうかで、お相手を決めると。あなたは、弁当を出していないと言った。次に、余興だと言った。証拠があるかと言った。そして今日、謝罪だという。この団はね、始まる前から終わっていたんですよ。あの宴会場であなたが俺の弁当を笑った時にな。」

一瞬だけ、別の男の声がした。カラ木の背中に冷たいものが走った。

「それと、まだあります。」

まだ?モニターに二本目の映像が流れた。酔って取り巻きに声を寄せるカラ木。

「うちの株、今のうちに買っときなさい。近々ね、いいことがあるのよ。」

「買うわ、私絶対買うわ。」

「上場会社の役員が、未公開の大切な情報を発表前に人へ伝え、株を買うよう勧める。金融商品取引法の禁じるインサイダー取引に当たります。会社の大事な発表を世に出す前に知る者は、その会社の株を買ってはいけない。人に教えて買わせてもいけない。法律の決まりです。なお、契約が白紙になり、儲けが出なくても、公表前の情報で株を買った事実そのものが罪に問われます。この映像は昨日のうちに、証券取引等監視委員会の情報提供窓口へお届けいたしました。この後は当局が審査し、調査に入ります。悪質と判断されれば、検察への告発という流れになります。どなたが買われたかは、売買の記録で全て分かります。」

小寺が言った。課長のペンはメモの途中で止まったまま、動かない。

「ちょ、ちょっと待って、待ってよ。あ、私は関係ない。私はほんの少しだけ、」

言葉が途中で止まった。応接室の全員がカラ木を見ていた。

「ち、違う。」

数秒の沈黙の後、カラ木は突然、声を裏返らせた。

「は、はめられたのよ。そうよ。まだよ。この男が私を潰すために、全部仕組んだんだわ。だってそうでしょ。高が弁当じゃない。同級生の余興一つで、100億を白紙にするなんて、そっちの方が異常よ。昔から陰気で、何を考えてるか分からない男だったのよ。この男は」

「カラ木君、やめんか。見苦しい。」

「社長、あ、私はこの会社に30年捧げてきたんです。やっと、やっとここまで来たんです。改選まであと少しなんです。」

すがりつくカラ木の手を、戸田は袖ごと振り払った。

「買っていたのが自分の会社の株を、発表の前に。助言の話も嘘。同級生だから任せろも嘘。その上で君は、もういい。全部君の独断だ。」

「そうだな。」

カラ木の目が、戸田から誠一へ移った。カラ木は一層離れないように、誠一の側へ回り込んだ。

「誠一君。ねえ、誠一君。昔のよしみじゃない。え、情報提供のあれ、取り下げて。取り下げてよ。お願い。何でもする。何でもするから。」

昨日まで「負け犬」と笑っていた男に、カラ木は今、すがっていた。誠一は動かなかった。

「ここから先は、私ではなく法律があなたの相手です。」

カラ木の目から、作り笑いが抜けていった。代わりに浮かんだのは、むき出しの40年の憎悪だった。

「なんで、なんで、なんで、なんでよ。あんたはずっと私の下で、私を見上げてなきゃいけない人間なのよ。」

「カラ木君、やめんか。」

「パパも、あんたも、なんで、なんであんたばっかり。」

「いい加減にしろ。」

女性の声が応接室の空気を割った。カラ木の膝から力が抜けた。床に崩れたカラ木の真珠が、机の足に当たって乾いた音を立てた。40年間、胸の奥で飼い続けた本音が、一番見せてはいけない場所でこぼれ落ちた。誠一は何も答えなかった。

戸田が深く頭を下げた。

「会社として正式にお詫び申し上げます。処分は厳正に行います。皆星食品さんとのお取引も、ついては後日改めて」

一礼して、部屋を出た。扉の閉まる音だけが応接室に残った。

応接室を出た廊下で、小寺が誠一に追いついた。

「そうそう、一つ伺ってもよろしいですか?何でしょうか。」

「今回のことを、なぜご自身で?私どもに任せることもできましたのに。」

誠一は足を止め、廊下の窓の外に目をやった。

「はあ、あの教えでしてね。『食い物と人は看板で選ぶな。味で選べ』と。だから、この目で確かめたかったんです。あの人の商売の味を。確かめた結果があれです。」

「そうでしたか。皆瀬食品さんとのお引きは、いかがなさいますか?」

「条件を見直して、続けてください。あの会社の社員に罪はないですから。」

「かしこまりました。」

小寺は深く頭を下げ、それから少しだけ笑った。エレベーターの中で、誠一はスマホを取り出し、家に電話をかけた。

「ああ、私だ。うん。仕事は終わったよ。それでな、今夜は炊きたての白い飯と梅干が食いたいな。」

電話の向こうで、妻が小さく笑う気配がした。

「あら、珍しい。はい、はい。梅干、一番いいのを出しておきますね。」

「ああ、頼む。」

ビルを出ると、町は夕日に染まり始めていた。

数週間後、証券取引等監視委員会の調査がみ瀬食品に入った。ニュースは実名でその名を報じた。上場メーカーの執行役員が、未公開の契約情報をもとに自社株を購入し、また購入を勧めていた疑い。み瀬食品は同じ日のうちに、カラ木の執行役員の職を解く人事を発表した。役員の椅子どころか、机そのものが消えた。

カラ木のスマホからは、着信が消えた。かけてもかけても繋がらない。あれほど媚びてくれた取り巻きたちの番号は、一つ、また一つとブロックに変わった。仲間内の集まりの連絡からは、いつの間にか名前が外されていた。女王の国は、一夜で消えた。

株を買った取り巻きたちにも、調査の手は等しく及んだ。真っ先に顔と騒いだ中は、課長金の通知を受け、自慢だったままの集まりに顔を出さなくなった。あの日、耳に乗った通人も同じだった。宝所の輪の中にいて、うまい話に乗った者だけが、きっちりと代償を払わされた。

み瀬食品は日向との取引を、条件を改めて続けることを許された。だが、役員が取引先を失った会社の看板は重く、立て直しには長い時間がかかるという。

競理の屋敷では、引退したカラ木の父が新聞を畳んで、長いこと黙っていた。それから、おもむろに父は机の引き出しの奥から、一枚の古い紙を取り出した。皺を伸ばした後のある、94点の答案だった。40年前、娘の部屋のゴミ箱で見つけて、捨てられずにしまい込んだものだった。

「一応、見る目は間違っとらんかった。じゃが、父は」

しわだらけの手で顔を覆った。

「よその子を褒める前に、褒めてやらにゃならん子が家におったんじゃ。よう頑張った。たった一言。それを言わなんだ。わしじゃ。」

謝る相手は、もうこの家にはいなかった。

そして数か月後、カラ木は郊外のスーパーの倉庫で、ダンボールを開けていた。懲戒解雇と実名報道の経歴で、選べる仕事はもう多くなかった。ようやく決まったのは、スーパーの品出しのパートだった。

「どうせスーパーの品出しか。道の駅で梅干でも並べてるんでしょう。」

いつかの自分の声を、店の制服を着るたびに思い出す。しかも売り場の入り口には、あの憎いロゴが光っている。ここは日向系列のスーパーだった。

昼休みの休憩室。カラ木は隅の席で、手弁当の蓋を開けた。白いご飯に、特売の梅干が一つ。それしか入れられなかった。誰も笑わない。誰も見ていない。誰も特別メニューなど用意してくれない。

「ねえ、知ってる?私、前は100億動かせてたのよ。」

隣で弁当を広げる若いアルバイトが、顔も上げずに答えた。

「はあ、すごいっすね。」

「あの男にはめられたのよ、私は。そうよ。あの男が全部。ねえ、聞いてる?」

誰も聞いていなかった。反省の言葉は、今日も一つも出てこない。それがカラ木さおりの、40年かけてたどり着いた場所だった。

騒ぎが落ち着いた頃、誠一のスマホにこ太から連絡が来た。

「会って話したいことがあるんだ。」

日曜の昼下がり、駅前の古い喫茶店で、こ太が待っていた。いつもの紺のジャケットの下に、アイロンの効いた白いシャツを着ている。精一杯の清掃だった。コーヒーが来ても、こ太はしばらく黙っていた。やがて、絞り出すように言った。

「あのな、高村。40年前の話なんだけど。」

「ああ。」

こ太は椅子から立ち上がり、頭を深く下げた。

「あの日の弁当、お前の弁当のこと、本当にすまなかった。」

喫茶店の客が何事かとこちらを見た。それでもこ太は頭を上げなかった。

「あれ、カラ木に言われたんだ。お前の弁当を馬鹿にして、食えなくしてこいって。俺は、嫌だって言えなくて。でも、ひっくり返すつもりまではなかったんだ。それだけは、それだけは信じてほしい。」

こ太の声が震えた。

「おい、こ太、座ってくれ。みんな見てる。」

こ太は腰を下ろしたが、目は伏せたままだった。

「お前、あの日、昼を抜いたの。謝れなくて、ずっと、ずっと謝れなくて。同窓会が来るたびに、今度こそって思って。でも、お前、全然来なくてさ。40年遅れたけど、本当に、本当に悪かった。」

誠一はコーヒーを一口飲んだ。そして言った。

「知ってたよ。」

「へ?」

「わざとじゃないことぐらい、見りゃ分かる。あの日、お前が俺よりよっぽどひどい顔してたこともな。」

「と、」

「俺が食いっぱぐれたのは、あの日の一食だけだ。お前は、40年もそいつを抱えてきたのか。」

こ太の目から、ぽろりと涙がこぼれた。

しばらくして、誠一が口を開いた。

「なあ、一つ聞いていいか?あの動画、なんで俺に送った?」

こ太はカップの縁を見つめた。

「正直、迷ったんだ。やられた本人にあんなもんを送り付けて、嫌な思いさせるだけかもしれねえって。でもよ、あいつ、どっかの会社のお偉いさんなんだろ。そんな人間があんな風に人をコケにして、なんだかやばそうな話までして。いいわけねえじゃんか。もし何かの問題になった時、あれは証拠になる。何の問題かなんて、俺にはわかんねえけどさ。だったら、持つべきなのは俺じゃねえ。やられたお前だと思ったんだ。40年前はな、全部が冗談だったってことにされて、消えたんだ。今度はそうなるのだけは、我慢ならなかった。俺にできるのは、それくらいだから。」

誠一はしばらく黙っていた。

「そうか。よく撮ってくれた。よく決めて、送ってくれた。」

「や、役に立ったのか?あれ?」

「ああ、とてもな。」

こ太は鼻をすするり、それから少しだけ笑った。

「まあ、聞いてくれよ。次の同窓会な。俺が幹事をやることになったんだ。今度はな、誰の席にも同じものが並ぶ会にする。誰一人、笑いの的にゃさせねえ。それだけは決めてるんだ。次も来てくれるよな。」

「ああ。全員分の日の丸弁当もあるといいな。」

窓の外の日差しの中で、二人の老いた同級生は、40年ぶりに声を上げて笑った。

次の日曜、誠一の家の縁側に、弁当箱が二つ並んでいた。白いご飯の真ん中に、妻の漬けた梅干が一つ。日の丸弁当だった。

「うん。今日もいい塩梅だ。」

「お弁当だなんて、子供みたいね。」

「お日様の下で食べれば、なんだってご馳走。お袋の口癖でな。」

「あら、それ、うちの会社の名前と同じじゃない?」

「うん。日向だ。」

「そういうことだったの?」

誠一は少し照れたように笑った。

「あの言葉に、俺は何度も救われたからな。うちの店で買った飯が、誰かのご馳走になればいい。そう思って付けた。」

「いい名前ね。」

秋の日差しが縁側いっぱいに注いでいる。二人は手を合わせ、

「いただきます」

と言った。日向の下の日の丸弁当は、今日も世界一のご馳走だった。

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