テーブルの上には、妻が作ったローストビーフやサラダ、スープがきれいに並んでいた。それを一口食べた瞬間、妻のミカが胸を押さえて苦しみ始めた。俺は不安で泣き出しそうな娘のリホを抱きしめた。
「ママ、大丈夫?」
「大丈夫だ、リホ。救急車がもう来るから。」
数分後、救急車が到着し、救急隊員が家の中に入ってきた。
「何を食べましたか?」
俺は彼女を信じたかった。でも、今の状況が妻の悪意を物語っている。妻は俺の命を狙ったのだ。
「妻に聞いてください。彼女が料理を作りました。」
結婚して10年、時が経つのは早いものだ。俺は上原トモヤ、35歳の平凡な会社員。仕事に追われる毎日の中、家に帰って娘のリホと遊ぶのが一番の楽しみだ。リホはもう7歳。すっかり成長して、最近じゃ俺に気を遣ってくれることさえある。そんな優しい娘の存在が今の俺には救いだ。
妻のミカと結婚した頃は、正直なところ俺の人生はうまくいっていると思っていた。ミカは俺の大学時代の恋人で、彼女と結婚できたことで人生の勝ち組だと思っていた。それが今じゃどうだ?ここ1年くらい、どうも彼女の様子がおかしい。家事もそつなくこなしているし、表面上は変わらないけど、どこか冷たく感じていた。
「あれ?今日も遅かったのね。」
ミカが冷めた声で俺を出迎える。いつもと変わらない彼女の声だが、なんとなく棘があるように感じる。
「仕事が忙しかったんだ。帰りが遅くなって悪いな。」
俺が言い訳がましく言っても、ミカは何も言わずに夕飯の支度に戻っていった。以前のような親密な話はもうほとんどなくなっていた。
ここ最近、ミカが俺に対して感情を隠すようになってから、俺は何度もこの違和感を感じてきた。浮気かもしれないという考えが頭をよぎったのは一度や二度じゃない。スマホを見られないように常に持ち歩いているし、外出も増えた。そんな行動の変化があるたびに、俺の心の中で疑念が膨らんでいった。
仕事から帰ったある日のこと、上機嫌なミカがテーブルの上に料理を並べていた。
「今日の夕飯、ちょっと豪華にしてみた。久しぶりでしょ。」
いつもより豪華な料理がずらりと並んでいて、俺は正直驚いた。
「すごいな。どうしたんだ?急に何か特別な日だったか?」
「特別な日じゃないわよ。ただ、たまにはね。」
そう言ってニコニコと微笑んでいる。俺はミカの態度の変化を少し不思議に感じていた。
「さあ、みんな食べましょう。」
その声に従い、食事を始める。だが俺はこの時、警戒マックスだった。今日は何か特別なことを隠しているような気配がする。俺の中で警報が鳴り響いていた。
料理を目の前にして、何から食べようかと迷うふりをしながら、ミカのことをチラチラと伺っていた。ミカは普段と同じようにしているが、どこか落ち着かない様子だ。それが余計に気になる。
「なんかどれもうまそうで、何から食べようか迷うな。」
俺は何でもないように言葉を発してみた。だがミカはそわそわと立ち上がり、
「ありがとう」
とだけ言って台所へ何かを取りに行った。その様子に、俺の中に漠然とした不安が広がる。俺は目の前にあるミカの皿に目をやった。そして何気ないふりをしながら、俺は彼女の皿と自分の皿をこっそり交換した。
もし俺の勘違いならそれでいい。だが、この胸の中の違和感が無視できないほど大きくなっていた。
「どうしたの、トモヤ?」
台所から戻ってきたミカが不思議そうに俺を見る。俺は慌てて言い訳を作りながら答えた。
「ああ、このスープも美味しいな。作るの大変だったろ。」
「美味しいなら良かったわ。」
ミカは少し驚いた表情を浮かべたが、すぐにそのまま食事を続けた。リホはそんな様子には気づかずに、嬉しそうに食べ続けている。
食事が進む中、俺は何度も自分に問いかけた。ミカの態度にこれだけ疑念を抱く理由は何なのか。もしかして本当に俺が思っている通りのことが起きているのか。それとも単なる俺の思い過ごしなのか。でも最近のミカの行動には不審な点が多すぎた。彼女のスマホには誰かからのメッセージが頻繁に届いていることに気づいていた。帰宅が遅い日も増え、家族で過ごす時間は減った。何より俺に対する態度が冷たくなったのは事実だ。
不審を感じた俺は、ミカのスマホのメッセージアプリを自宅のパソコンに同期させ、見れるようにしたのだ。すると、メッセージで頻繁にやり取りしている相手がいた。妻は相手の名前を「コウ」と呼んでいた。そのやり取りの中に、「保険金が入ったら、ゆっくり暮らせればね」という内容を見てしまったのだ。
ミカの両親も元気だし、誰の保険金が入るのかすぐには思い浮かばなかった。そして一つの可能性にたどり着く。妻が受け取れる保険金。もしかして俺の?だからこそ、今日の豪華な食事に対しても警戒心が働いてしまう。
俺は少しだけ料理を口に運んでみた。味は確かに美味しいが、ざわざわと嫌な予感がする。すると、俺が入れ替えた皿の上のローストビーフを食べたミカが、突然息を詰まらせた。
「うっ…」
ミカは顔を歪め、手を胸に当てたまま苦しそうに身をよじらせている。まさか毒を入れられたのか?いや、そんなはずはないと思いたい。だが、この光景を前に俺は頭が真っ白になった。
「ううう…」
ミカがうめき声をあげた。俺はただミカの顔を呆然と見つめていた。手が震え、胸の鼓動が早まる。まるで悪夢のようだ。
「ミカ、どうしたんだ?」
「トモヤ…苦しい…」
俺はその声を聞きながらも、彼女を助けに行く気持ちと何か言い知れぬ恐怖が入り混じり、心の中で葛藤が激しく渦巻いている。
「ママ、大丈夫?」
リホの声に思考が引き戻される。子供にこんな場面を見せるなんて、俺は父親失格だ。スマホを取り出して119番に電話をかけた。
「お願いします。妻が急に息ができないみたいなんです。」
慌てて救急車を呼び、住所を伝える。ミカの苦しむ姿を見て、あの皿を食べていたら俺が苦しんでいたんだなと思った。
「ママ、大丈夫?」
リホの声が再び響く。俺はとにかく彼女を落ち着かせようと必死に声をかけた。
「大丈夫だ。救急車がもう来るから。」
数分後、救急車が到着し、救急隊員が家の中に入ってきた。
「何を食べましたか?」
救急隊員の声が響く。俺は彼女を信じたかった。でも、今の状況が妻の悪意を物語っている。妻は俺の命を狙ったのだ。
「妻に聞いてください。彼女が料理を作りました。」
数時間が過ぎ、病院の中の小さな部屋に呼ばれた。向かいに座る医師は俺に向かって冷静な声で言った。
「奥さんは一命を取り止めました。ただ、胃の内容物に有毒な物質が混入していたことが判明しました。」
その言葉を聞いた瞬間、俺の心の中にあった最後の希望が崩れ落ちた。疑う余地はなく、彼女は保険金目当てに俺に毒を持ったんだ。心臓がバクバクと脈打ち、頭の中が真っ白になった。
「そうですか。実は俺に出された料理だったのを、妻が間違って食べたんです。」
そう答えると、医師は難しい顔をした。そして俺を見据えて告げる。
「警察に通報します。」
俺はその言葉に目を見開いた。警察に通報する。そうすれば彼女は罰を受けるだろう。俺を裏切り、俺の命を狙った罪を償うことになる。
「はい、お願いします。」
俺の声は枯れていたが、決意は硬かった。ミカの行為を見逃すことはできない。俺とリホの未来を守るためにも、彼女の罪は裁かれなければならない。
俺はすぐさま家に帰り、ミカの浮気の証拠を探し始めた。こんなことになる前の俺たちは、仲のいい家族だった。ミカと俺はリホの成長を楽しみに、毎日ささやかな幸せを積み上げていたはずだった。そのミカが俺を裏切り、浮気をした。挙げ句の果てには俺の命を狙うなんて。仕掛けた相手を見つけ出し、絶対に痛い目に合わせてやる。
アプリのメッセージのやり取りから、妻の相手である「コウ」という人物を探そうと考えた。まずは怪しいメッセージをやり取りした妻のアカウントから裏垢を探し出す。検索コマンドを使って特定のアカウントを探し出す方法だ。俺はパソコンに向かい、根気強く妻の浮気相手が誰なのか探し続けた。すると、あるアカウントにたどり着く。一般には非公開のアカウントだ。俺は恐る恐る妻の裏垢を開いた。
すると、そこには妻の真っ黒な証拠がアップされていた。デートなのかおしゃれなレストランの写真や、どこかの観光地で寄り添う写真。果ては相手の男とホテルで撮った裸の写真まである。
俺はずっと裏切られていたんだ。
写真の男を見た瞬間、俺は唇を噛みしめた。ミカの元同級生で、俺も顔見知りだ。名前は田口コウイチ。呼び名は「コウ」。田口もミカも、俺がこの世からいなくなればいいと思っていたのだ。俺が信じたくなかった現実が、いよいよ目の前に突きつけられた。
「奥様の意識が回復されました。」
翌日、ミカは意識を取り戻し、俺は病院から連絡をもらった。病室に入ると、ベッドの上でミカがこちらを見ていた。顔は青白く、呼吸は浅い。あの、いつも笑顔を見せていた彼女とはまるで別人のようだ。
「トモヤ…」
ミカが小さく呟いた。俺は一瞬どう返せばいいのか分からなかった。心臓がドキドキと激しく脈打ち、全身に冷たい汗がにじむ。今この瞬間、彼女に何を言うべきなのか、何を尋ねるべきなのか、すぐには思い浮かばない。
「なんで…なんでこんなことをしたんだ。」
ようやく絞り出すように言葉が出た。俺の声は震えている。ミカは俺の目を見ようとしない。ただ天井を見つめ、唇を噛みしめている。
「トモヤ、本当にごめんなさい。」
「お前、田口と浮気してたんだな。田口と一緒になるために毒を俺に飲ませようとしたんだ。謝罪なんて聞きたくない。どうしてこんなことをしたのか、どうして俺を狙ったのか。その理由が知りたいんだ。」
だがミカは目をそらしたまま言葉を続けた。
「コウが…田口があの人が全て計画したの。」
俺の声は低く、怒りと混乱が入り混じっていた。ミカは口を開いたまま言葉を探しているようだったが、何も答えない。その沈黙が何よりの証拠だった。
「お前、俺の保険金であいつと一緒に暮らそうとしてたのか?俺はお前の人生の邪魔者だったってわけか。」
心の中では何かが崩れ去る音がする。家族だったミカが俺を裏切り、俺の命まで奪おうとした。全てが信じられない。
「違う、違うの。私はそんなこと…」
ミカは泣きながら言葉を探していたが、俺にはその言い訳が耳に入らなかった。胸が締めつけられるように痛み、心が冷たくなる。
「何が違うんだ。お前、俺のことなんてどうでも良かったんだろ。」
言葉を投げつけると、ますますミカは泣きじゃくっていたが、その涙が俺の心を柔らげることはなかった。彼女が俺を裏切ったこと、そして命を奪おうとしたことが全てだ。それ以上の説明は要らない。
俺は深く息をつき、心の中で一つの決意を固めた。
「もういい。お前とは終わりだ。警察に全て話す。」
その言葉を聞いた瞬間、ミカは驚いた顔で俺を見つめた。彼女は必死に手を伸ばして俺にすがろうとする。
「お願い。リホには何も知られたくないの。」
ミカの鳴き声が病室に響く。だが俺は何も感じなかった。俺の心はすでに決まっていた。
「リホのことは俺が守る。お前のことはもう許さない。」
それだけ言って、俺は病室を出た。ドアが閉まる音がやけに大きく響いた。今までの生活が終わった瞬間だった。
病院を出た後、俺はしばらく車の中で呆然としていた。窓の外は暗く、街灯の光がぼんやりと道を照らしている。
田口コウイチ。彼の名前を思い浮かべるたびに、胸の奥から怒りが湧いてくる。ミカを誑かし、俺の命を脅かす計画を立てた男だ。ミカがなぜあんな男に惑わされたのか。その理由さえ今は理解できない。
俺は車を発進させ、家に向かって走り出した。途中で警察署により、これまでの出来事を全て話し、さっきの病室での会話のデータやパソコンのデータを渡した。ミカが田口と共謀し、俺の命を狙っていたこと。そして病院での会話も全て証拠だ。病院からの通報も受けていた警察は事態を重く受け止め、すぐに調査を開始すると約束してくれた。
これで終わった。
ハンドルを握る手に力が入る。ミカとのこれまでの生活が全て終わり、俺からはリホと二人で生きていく覚悟が必要だった。だがそれ以上に、俺の心には田口とミカに対する怒りの感情が渦巻いていた。彼らが計画していたことを許すことはできない。俺は必ず彼らに犯した罪の報いを受けさせる。
家に戻ると、いつもの生活音が消えた静寂が漂っていた。リビングも台所も静まり返っている。俺は深く息を吐いてソファーに腰を下ろした。この家にはミカと共に過ごした思い出が詰まっているが、今となってはその全てが苦しい記憶に変わってしまった。
「パパ、ママは?」
眠そうなリホが寝室から出てきて、ぼんやりと俺を見上げている。俺は微笑んで彼女を抱き上げ、ベッドへ寝かしつける。
「大丈夫だ。だけど、ママとは一緒に暮らせなくなったんだ。」
リホには母親が何をしたのかをまだ話していない。だがいずれ真実を伝える時が来るだろう。それまで、俺はリホを全力で守っていく。
「パパ…大丈夫?」
小さな声で心配してくれるリホ。その声に俺は一瞬涙が出そうになったが、なんとか堪えた。
「ああ、大丈夫だ。パパがいるから安心していい。」
リホの髪を撫でて優しく言うと、彼女は安心したように頷き、再び眠りに落ちていった。俺はその寝顔を見つめながら、これからどうやってリホを守っていくのか心の中で計画を立てていた。
数日後、警察から連絡が入った。田口コウイチが逮捕されたという知らせだった。田口の家からは、夕食で使用された毒薬の残りが発見されたらしい。毒薬の成分やその出所も田口が手配したことが明らかになり、彼の罪が確実なものになった。ミカもまた警察に連行された。警察の取り調べで、次第に自らもその計画に加担していたことを認めた。ミカは俺の命を脅かす計画に積極的に関与していた。結局、彼女も田口と同じ罪に問われることとなった。
これで終わったんだな。
警察からの連絡を受けた時、俺はそう呟いた。ミカと田口は法で裁かれ、罪を償うことになる。それが俺にとって一つの救いとなったのかもしれない。だが胸の奥にはまだ癒えない傷が残っている。二人が罰を受けたとしても、俺が受けた裏切りの痛みは消えないだろう。
その後、俺は弁護士を通じてミカとの離婚手続きを進めることにした。彼女とは一度も直接会わず、全ては弁護士を介して処理された。俺はミカに対して一切の容赦をしなかった。慰謝料の請求、そしてリホの親権など、娘の罪を少しでも軽くしたいミカの実家の意向もあり、全て俺の望む通りにことが進んだ。結果として、ミカと田口から多額の慰謝料を受け取り、離婚が成立した。
俺とリホは新たな生活を始めるために引っ越しを決意した。今までの家にはミカとの思い出が残りすぎている。そこに住み続けることは俺たちにとって辛いだけだと判断したのだ。
引っ越してから、俺とリホは少しずつ平穏な日々を取り戻しつつあった。俺は仕事に専念し、リホも新しい学校に慣れていった。彼女が笑顔を見せるたびに、俺も少しずつ心の傷が癒えていくような気がした。
「パパ、今日は公園に行こうよ。」
元気な声でリホが言ってくる。彼女の笑顔を見ると、自然と俺も笑顔になれた。俺たちは新しい日常を築き始めたのだ。
もう過去のことは忘れるつもりだ。
「もちろん、今日はたっぷり遊ぼうな。」
そう言って俺はリホと手をつないで外に出かけた。俺にとってリホが全てだ。彼女を守り育てていくことが、これからの俺の使命だ。過去の裏切りや悲しみを乗り越えて、俺たちはこれからも前に進んでいく。
これからはパパがずっと守るから。
俺は心の中でそう誓い、強くリホの手を握りしめた。過去に負った傷は消えないかもしれないが、それでも俺たちは新しい未来へと歩き出したのだ。



