近藤まゆ、27歳。同い年の恋人・かなで君と3年付き合い、夜景の見えるレストランでプロポーズされて即答した。でも彼の実家へ挨拶に行ったその日、義父はふんぞり返り、義母はおせんべいを食べながら私の手土産を奪い取って「センスがないわね」と言い放った。そして突然「結婚するなら同居が絶対条件だ」と告げられ、断れば結婚は許さないとまで言われた。彼は「勝手なことを言うな」と怒ったけれど、私はにっこり笑って…

近藤まゆ、27歳。同い年の恋人・かなで君と3年付き合い、夜景の見えるレストランでプロポーズされて即答した。でも彼の実家へ挨拶に行ったその日、義父はふんぞり返り、義母はおせんべいを食べながら私の手土産を奪い取って「センスがないわね」と言い放った。そして突然「結婚するなら同居が絶対条件だ」と告げられ、断れば結婚は許さないとまで言われた。彼は「勝手なことを言うな」と怒ったけれど、私はにっこり笑って...

同居は絶対にしてもらう。それが飲めないなら、結婚は認められない。息を荒げてそう言い放つ義両親に、私はただ呆然と口を開けていた。ひどい人たちだと彼から聞いてはいたが、ここまでだとは思っていなかった。けれど私は、やれやれと心の中でため息をつくと、いつまで保つかなとにっこり笑って見せた。「はい、喜んで。」

私の名前は近藤まゆ、27歳。同い年の恋人、かなで君とはもう三年付き合っている。付き合っている間は本当に夢のような時間で、デートを重ねるたびに彼の新しい一面を知り、どんどん惹かれていった。そして何度目かのデートの日、夜景の見えるレストランで彼がプロポーズしてくれた。あまりのロマンチックさに感激して、泣きそうになりながら「はい」と即答した。こうして私たちは晴れて結婚することになったのだ。

結婚に当たって、まずは両家への挨拶が待っている。彼の希望で、先に私の両親に会うことになった。約束の当日、実家の玄関先で、隣を見ると彼がものすごく緊張していて、思わず笑ってしまった。そんな私に彼は泣きそうになりながら文句を言う。それでも約束の時間になり、恐る恐るインターホンを押すと、両親は温かく迎え入れてくれた。緊張で声が上ずる彼を、両親も微笑ましそうに見ていた。そのおかげもあって、私の両親への挨拶は和やかな雰囲気で終わった。途中、父がふざけて「娘はやらん」と言ったのだが、彼はそれを真に受けてしまい、慌てふためきながらも父の目をしっかり見据えて「娘さんを僕にください!」と大きな声で言った。すると両親は吹き出し、彼はぽかんとしながらも、冗談だと種明かしをされた。照れくさそうにしながらも、皆で一緒に笑った。そんなやり取りで緊張が解けた彼と実家を後にし、「次は彼の両親に挨拶しないとね」と言うと、彼は難しい顔をして何かを考え込んでいた。

見たことのない彼の様子に、私は顔を覗き込んでどうしたのか尋ねた。彼は小さく唸って、ちらりと私に目をやり、若干嫌そうな顔をしながらも、しぶしぶ義両親のことを話し始めた。彼の話によると、義両親は昔からかなり変わっているというか、性格がひん曲がっているらしい。彼には姉がいるのだが、二人とも子供の頃から義両親からの愛情を感じたことはなかった。それどころか、物心ついた頃には飯使いのように扱われ、ただただ義両親が望む通りに働かされていたらしい。しかし、いくら周りに訴えようとしても、世間体だけはいいらしく、「まさかそんなはずはない」と言って誰も取り合ってくれず、義両親の本性には誰も気づかないというのだ。義両親の変わった様子が分かる話として、毎年正月に親戚の集まりでもらうお年玉やお小遣いは、全て二人の手から取り上げられ、義両親の懐に入るのだそうだ。それどころか、高校までは卒業させてもらったが、大学は「自分で何とかしろ」と言われ、学費を出してくれなかった。行きたい大学があった彼は進学を諦めきれず、必死に勉強して奨学金で通った。もちろん学生時代のアルバイト代は、給料日になる度に全て義両親に取られていたらしい。そんな生活に耐えかねて、彼の姉は早々に家を出て県外に引っ越し、今となっては全く実家には帰っていないのだという。もしかしたらこの先、義姉に会うことはないかもしれないと、ぼんやり考えてしまう。

彼から数々のエピソードを聞いて、強烈な義両親だと思ったが、結婚するとなったからには挨拶をしないわけにはいかない。気合いを入れて挨拶に行こうとする私を、彼は何だかんだと渋って引き止めようとするが、なんとか説得して義両親へ挨拶する日程を組むことになる。彼を通しての義両親とのやり取りは、こちらから日程を提案してもなかなかいい返事がもらえず、時間がかかった。さらに彼の心が折れかけたことで、挨拶自体がなかったことになりそうになったが、なんとか彼の気持ちを奮い立たせることに成功して、私たちはようやく挨拶の日程を決めることができた。

そして迎えた当日。彼から色々と聞かされていた上に、この日を迎えるまでも様々な苦労があったことで、さすがの私も緊張はマックスだった。私の両親に挨拶した時のように、予定よりも早い時間に義実家に到着し、時間になるまで深呼吸をしながら気持ちを落ち着かせる。彼から散々強烈だと聞かされていた私は、義両親からどのような言葉をかけられてもいいように、頭の中で何度も何度もシミュレーションをした。もうここまで来れば、意地でも彼との結婚を認めてもらおうという意気込みしかなかった。そして約束の時間になり、緊張で震える手をなんとか落ち着かせながら彼の後に続いて義実家に入ると、驚くことに誰も出迎えてはくれなかった。ぽかんとする私を、彼に連れられて客間に行く。するとそこには、義父と思われる男性がふんぞり返っていて、義母は呑気におせんべいを食べていた。

私は気圧されながらも挨拶をし、様子を伺う意味も込めて手土産を渡すと、義母はそれを強引に奪い取り、すぐさま中身を確認し、何かを探るように見たかと思えば「センスがないわね」と言った。私は「うわあ」と思いながらも「すみません」と謝った。彼は「失礼だろ」と言い、義両親の前に座ると「俺たち結婚するから」と淡々と言い捨てた。すると義両親は、「結婚をするなら同居が絶対だ」と突然同居を言い渡した。彼は困惑して「同居なんてするわけないだろ」と食ってかかる。すると義父が声を荒げて「親に向かってなんて口の聞き方をするんだ」と彼の胸ぐらを掴んだ。慌てて私が止めに入ると、義母は「嫁が夫の両親に奉仕するのは義務なのよ」と笑ったのだった。そして挙句の果てに、「この条件を飲めなければ結婚は許さない」と言ったのだ。彼は「勝手なことを言うな」と反論するが、私は一瞬で頭の中を整理させた。「わかりました。お二人の意見に従います。」私の返事に彼は焦るが、「いいから」と私は止める。私の返答に義両親はとても満足そうだった。それから挨拶を終わらせ、早々に義実家を退散した。

帰り道、彼は義両親の非礼を謝罪し、「同居なんてしなくていい」と言ってくれた。けれど、私はどんな形でも彼の両親に結婚を認めてもらいたかったのだ。「彼がいればどこでも大丈夫だよ。」私がそう言うと、彼も私の思いを汲み取ってくれたようで、最後には無理やり納得をした。こうして私たちは義実家での同居が決定したのだった。

「これからよろしくね。」

結婚が決まったものの、元々式をやる予定はなく、写真だけ撮って済ませることにした。義両親は写真を撮ることすらもったいないとずっと文句を言っていたが、これだけは譲る気はなかった。そして義両親は、同居するにあたってまずは仕事をやめろと言い出す。「嫁いだからには、朝から晩まで嫁は義実家に奉仕しないといけない」からだ。「いつの時代だよ」と心の中でツッコミを入れながらも、早々に問題を起こすのは面倒だと思い、仕方なく私は仕事をやめた。会社の同僚や上司からたくさん祝福されたが、あの義両親のことを考えると素直に喜べない自分がいて、何とも言えない複雑な心境になってしまった。義両親の希望通り会社を辞めて専業主婦になった私は、義実家に引っ越しを済ませると、「これからは気を引き締めないと」と改めて腹を括った。結婚の挨拶に来た時には想像以上の出来事が起きて、用意していた受け答えは全て無駄になってしまった。けれど、そんなことでうろたえているようでは、この先やっていけないと気合いを入れ直した。

しかし、それからの日々は想像していた以上に過酷だった。分かってはいたつもりだが、やはり挨拶の時と同様に、私が今まで生きてきた中では想像もつかないようなことを義両親は要求してくるのだ。同居が始まって早々、一番最初に言われて驚いたのが、彼の稼いだ給料の半分を義実家に入れさせられるということだった。本当は全額入れさせられるところだったのだが、さすがにそれはひどいのではないかと私と彼で猛抗議した結果、義両親がしぶしぶ折れる形となり半額となった。それでもどうかと思うが、これ以上の交渉は義両親が応じてくれなかった。他にも義両親はあらん限りの要求をしてくる。たくさんありすぎて全ては覚えきれなかったが、いくつか覚えている限りの要求を思い出してみても、義両親は自分たちがいかに動かずに楽ができるかということしか頭にないようだった。私は呆れながらも仕方なく言われた通りにすることにし、朝は義両親よりも早く起きて希望通りのご飯を用意する。ただ、それでも義両親は私をいびることを目的としている節があるので、毎日何かしらの文句は出てくる。これに対して正面から受け答えしていれば、きっと私はすぐに精神的にやられてしまうだろう。そんなことになっては、せっかく彼と結婚したのに、これから一生飯使いのように使われるだけで終わってしまう。そこで、義母や義父が何を言っても、私は天然のふりをして交わしていった。義母からのネチネチした小言には「すみませーん」と言って適当にかわし、義母から怒鳴られれば「ごめんなさい」とだけ返した。これは私がOL時代に身につけた技だった。

私が働いていた会社には、たちの悪いお客様がいた。なぜか私はターゲットにされてしまい、執拗とも言える嫌がらせをされ続けたのだが、残念なことに私は全く気にするタイプではない。お客様からの攻撃を天然のふりをして全て交わしていると、反応が面白くなかったのか、そのうち嫌がらせはなくなった。お客様からの嫌がらせに比べれば、義両親の方がまだ可愛い方だ。まさかOL時代の経験がこんなところで役立つとは思わなかったが、私は淡々と義両親からのいびりをかわしていった。

そんな過酷な生活も一年と続いたが、私の思いとは裏腹に、義両親は一向にいびりをやめる気配がない。私の反応をつまらなく思った義両親は、そのうち諦めるだろうと思っていたのだが、義両親の方が一枚上手だったようだ。いびりは緩められるどころか、どんどんエスカレートしていった。よくそんなに思いつくなと逆に関心してしまうほど、義両親からのいびりは止まらない。そんな生活の中でも、彼が家にいる時は守ってくれるからいいのだが、いない時は本当に地獄だった。「そろそろ限界かもしれない。」そう思っていたある日、事件が起きた。

その日も義両親に言われ、「どこの高級レストランだよ」と言わんばかりの豪華な昼食を作れと命令される。私は義両親の希望通り、冷蔵庫の食材で次々に料理を作っていく。義両親は文句を言いながらも、作ったそばからどんどん平らげていった。ようやく一息つき、私も昼食を食べようとすると、義母がニヤニヤしながら私の分をゴミ箱に捨てたのだ。無惨にもゴミ箱の内側を滑っていく食材たち。無表情のままその様子を眺めている私に向かって、あろうことか義母は「食べたかったら拾いなさい」と、まるで昭和の昼ドラのようなことを言い出したのだ。その言葉に、ぷつんと私の中で何かが切れた。これまで頑張ってやってきていた「いい嫁」のふりを、私はすっぱりとやめてやることにした。

その日はとても暑い日だった。義母が庭の草むしりを命じてきたのだが、なんとその条件として、帽子を被らず、水分補給も許さないというのだ。「倒れたら水分補給していい」と義母は意地悪く笑う。その憎らしい顔に、私は逆に反抗心を刺激された。「はーい、わかりました。」私は言われた通り、帽子も被らずに外に出てやった。草むしりというのは、体勢は言わずもがな地面に近い。アスファルトの上ではなく、いくら土の上での作業と言っても、真夏で雲一つ見えないような天気では、もちろん照り返しもきつい。おそらく十分とそこにいれば、脱水症状か熱中症で倒れるだろうと義母は望んでいるのだ。あの腹立たしい笑顔には、そんな思惑が含まれていると、私はこれまでの生活の中で簡単に読み解けるほど、義両親のことをしっかりと見てきている。残念ながら、そんな義母の浅はかな考えはこちらもお見通しだ。義母の思惑通りに行動してなんてやるものか。そうは問屋が卸さない。そして私はちらりと周りに目をやり、今がどんな状況なのかを素早く確認する。そして私は、望み通り五分で倒れて見せた。しかも、ご近所さんの目につきやすい玄関前で。

すると案の定、隣の人が私を見て悲鳴を上げる。そして私の体調を心配するお隣さんに、聞き取れるか聞き取れないかの微妙な声量で、「ふむりをしないと、義母にひどい目に合わされるんです」と言った。そんな私の様子に、隣人は「どういうこと」と食いついた。さらに私は、心配してくれている隣人の同情を誘うように、泣きそうな声を作りながら「私がダメな嫁だから、しごかれているんです」と声を震わせて言ってみる。もちろん演技なのだが、隣人はそんなことには全く気づかず、「ひどいわ!」と声を張り上げた。そしてすぐに義母を呼び出し、「あなた、こんな日に何をさせてるのよ!」と義母に怒鳴りつけた。義母は突然のことに慌てているが、私はそんなことは関係ないとばかりに、隙をついて台所に行き、冷蔵庫から冷たいお茶を取り出してガブ飲みした。するとそこへ、集まってきたご近所さんの質問攻めを交わしていると、義父が般若のような顔で入ってくる。「どういうことだ。恥をかかせやがって。」と義父は大声をあげるが、そんな恥をかくようなことを今まで平気でやっていたのはそっちの方だ。しかし私はまた天然のふりをして「嘘は言ってないですよ」と返してやる。それに被せるようにして、義母も「ご近所に変な目で見られたらどうするんだ!」と金切り声を出すが、私の知ったことではない。「ちょうど良かったじゃないですか。本心を隠し通すのは大変でしょ。だから手助けをしてあげたんですよ」と笑うと、義父はあろうことか手を上げようとしてきた。それを私はうまくかわし、義父の前に拳を突き出して寸止めをお見舞いする。まさかの私が反撃するという突然のことに、義父は目を丸くして口をパクパクさせている。私は畳み掛けるように「ごめんなさい、私、空手の有段者なんですよ。あんまり怒らせると、私も本気出しますよ」と返すと、義父も義母も私の威圧に負けて、ぶるぶると震え出した。ようやく大人しくなった義両親の様子に、私はすっと目を細め、「これからも仲良く同居しましょうね」とにっこり笑うと、義両親は顔面蒼白になり、何も言わなくなってしまった。

それからというもの、何を言われても何をされても「試しにやってみます?」と拳を見せてやると、一週間後には義両親から「出ていってください」と言われた。それを聞いた彼は、この経緯が分からずぽかんとしていたが、私が拳を固めてニコニコしながら「えー、仲良くしましょうよ」と言うと、断固として首を縦に振ってはくれなかった。どんなに仲良くしようと言っても、義両親はあの時と同じ頑固さで決して了承してくれなかったので、私たちは仕方なく義実家を出ていくことになった。本来であればもっと早い段階で見つけるはずだった新居を、私たちは何のしがらみもなく楽しみながら探すことができた。そして新居が決まると、あれだけ彼から取り上げていた大事なお金を、義両親は惜しみなく引っ越し費用として出してくれたのだ。

それから彼と私は義実家を出て、今は夫婦仲良く幸せに暮らしている。義両親はひどい嫁いびりをする人たちだと近所中に知れ渡り、表を出歩けずに引きこもるようになったらしい。他人の目が怖いらしく、ビクビクしながら毎日を送っているんだとか。これまで私に、いや、私たちにしてきたことを考えれば、本当にいい気味だと思う。

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