お姉ちゃん、久しぶり。元気してた? 私が玄関を開けた瞬間、妹の美由がニコニコしながら立っていた。何年ぶりだろう。最後に会ったのは、彼女が夫の剛史と一緒に姿を消した日以来だ。
「誰かしら。うわ、ひどい。妹の身だよ。知ってて聞いてるわ」
「今更何の用よ。ようやく謝罪する気になったわけ?」
美由は首を傾げた。
「え?謝罪?何のこと?それよりさ、親戚から聞いたんだけど、実家立て直したんだって。すごいね。やっぱりお姉ちゃんは成功してる」
「で、だから何が言いたいのよ」
「あのさ、三年前お姉ちゃんの旦那を奪ったのは私だけど。でもさ、実家立て直したって、私たちも一緒に住むからよろしく」
私は一瞬、言葉を失った。この女は本気で言っているのか。三年前、私の人生をぶち壊した張本人が、今更実家に住ませろだと?
「住むって誰が許可したの?」
「え?許可とか必要なくね?だって元々は私たちの家じゃない。お姉ちゃんだけのものじゃないでしょ。だから住むのにお姉ちゃんの許可とかいらないじゃん」
「でも親の許可はいるわよね。実家なんだし」
「お母さんたちは優しいからきっと許してくれるよ」
何というめちゃくちゃな理屈だ。呆れてものが言えない。
「まあいいわ。来れるなら来てみて。住所を送るわね」
「行くわよ。何が何でも行くから」
本当に来るつもりらしい。しかも、この必死さは何だ。何かあったのか。
「何があったの?」
「夫の会社が倒産して、本当に困ってるのよ。アパートの家賃も払えなくて、追い出されそうなの」
「ああ、剛史の会社が潰れたのね。それは大変そう」
「大変なんてもんじゃないわ。だからうちに逃げてくるわけ。実家なら家賃かからないし、お姉ちゃんは弁護士事務所まで持ってるんでしょ。依頼者もたくさんいて、稼ぎもすごいんだって親戚から聞いたわよ。実家まで立て直せるくらいお金あるんだから、私たちくらい助けられるわよね」
よく調べたものだ。私がどれだけ稼いでいるかまで知っているのか。余裕のない人間に助けを求めても無駄だと思ったから調べたのだろう。
「そういうとこだけしっかり常識あるの、本当何なのよ」
「それに、父さんが倒産した原因って何だったの?助けて欲しいなら事情くらい話せるでしょ」
「経理担当の人がミスしちゃったみたいで。帳簿の数字が合わなくて、それも結構何回もミスがあったみたいなの。そのせいで取引先との契約も切れたらしくて」
「って、あなた働いてなかったの?会社の手伝いすらしてなかったの?」
「私、全然わかんないわよ、そういうの。経理なんて専門家の仕事だし。社長夫人なんだから、家で待ってるのが仕事でしょ」
ああ、なるほど。だからか。この女は三年前と何も変わっていない。剛史もそうだ。彼は自分の妻に仕事の話をしなかった。むしろ、そういう役割を求めていたのだ。
「そういう考えなのね。じゃああなたは倒産には関係なかったわけね」
「剛史は本当に真面目に経営してたのよ。社員の給料だってちゃんと払ってたし、取引先にも誠実だったし。そういえば、あいつ会社の人間にはいい顔してたっけ」
「でも自分のせいで会社が潰れたって思い悩みそうよね。その経理担当の人は今どうしてるの?」
「その人も仕事探してるみたい。気の毒よね」
「社員みんな気の毒じゃない。働き口がなくなったんだし。あなただって今生活に困ってるんでしょ。でも私は剛史を責めるつもりはないよ」
私がそう言うと、美由は目を丸くした。
「え?あなたが真っ先に責めそうなのに」
「私を何だと思ってるの?」
「姉の夫を略奪した最低の性格ブス女。きっと」
「妹にひどいこと言うのね。大体、誰だってミスはするし、責めても仕方ないじゃない」
「随分優しくなったじゃない」
「当たり前でしょ。お姉ちゃんと違って私は思いやりがあるのよ」
「思いやりがある人は、略奪なんてしないし、平気で実家に住ませろとか言わないわよ」
「実家なら家賃かからないもん。それにお姉ちゃんは実家立て直せるほどお金あるんでしょ?別の家を借りればいいじゃない」
「なぜそうなるのよ。私たちが実家に住むんだから。お姉ちゃんは気まずくて出ていくわよね。元夫婦が同じ屋根の下なんてありえないし」
ああ、やっぱり性格はそのままね。むしろ、この図々しさに安心した。
「住所は送るから、どうするかはそっちで決めてね」
一時間後、美由は剛史に興奮気味に報告していた。
「剛史、やったよ。お姉ちゃんが住所送ってくれた。来週引っ越せるわ。ホームレスにならずに済むよ」
「本当か?これで住む家に困らないな。いや、助かったけど。でも顔を合わせるのは気まずいな」
「え?何気にしてんの?堂々としてればいいじゃん。それに、きっとお姉ちゃんも気まずくてすぐ家を出てくわよ」
「そうなのか?」
「普通に考えてお姉ちゃんの方が出ていくでしょ。つまり実家は私たちが使えるってこと。お姉ちゃんは弁護士で稼いでるんだし、もっといいマンションでも借りればいいのよ」
「そうだな。それならありがたい」
翌日、私が自宅で仕事をしていると、玄関のチャイムが鳴った。開けると、そこには剛史が立っていた。
「あら、久しぶり。美由から話は聞いてる。実家に住ませてくれるそうだな。感謝するよ」
「随分と図々しいのね。三年前のことを反省してないの?」
「反省?何のことだよ」
「呆れたわ。あんたも美由も、私に悪いとか一切思ってないわけね。あなたは私を裏切って捨てたのよ。忘れたわけ?」
「俺は正しい選択をしただけだ。女は男を立てるもの。お前はそれができてなかった。だからこうなっただけじゃないか」
「そういう尊大なところ、まだ治ってなかったのね」
「尊女卑?普通の考えだろ。女は家を守るものだし。まあ、事務所を持ってるお前は、世間一般的な女性からは離れてるよな。そんなんだから今も再婚できないんだぞ。もう少し女らしくならないとな」
「バカにしに来たわけ?あなたに裏切られて、こっちはもう結婚はごめんだと思っただけよ」
「人のアドバイスは素直に聞いとくもんだぜ」
「随分な言われようね。そんなんだから会社も潰れるんじゃない?」
「会社が潰れたのは、ミスが続いたからだ」
「聞いたわよ。でも本当に経理担当者のミスだったの?」
「まあ、あの人も真面目だったんだが、帳簿のミスが重なって、結局俺の監督不足だ。社員を守れなかった」
「美由は会社に関わってなかったの?」
「あいつのことだから、会社で『社長夫人です』とか言ってふんぞり返ってそうだし」
「いや、あいつは家にいただけだよ。会社のことなんて何も分かってないし、口出しもしてこなかった」
「そう。じゃあ経理の人だけの問題だったのね」
「会社が潰れて、美由にも迷惑かけてるからな。むしろあいつは被害者なんだよ」
「私もあんたの被害者なんだけど」
一週間後、美由からLINEが届いた。
「お姉ちゃん、明日引っ越すから。剛史と二人で行くわね。お姉ちゃん、家にいる?」
「いないわ。鍵はポストに入れてあるわ。勝手に入るならどうぞ」
「やっぱりお姉ちゃんは優しいわ。血は水より濃いってね」
数時間後、またLINEが来た。
「お姉ちゃん、今着いたわ。荷物も運び入れたから」
「あら、勝手に荷物を入れたの?」
「え?そりゃ引っ越しだし。あ、もしかして触っちゃダメなとこ、あったなら先に言ってよ」
「いや、そうじゃないわよ。私は来てとは言ったけど、住んでいいとは言ってないわよ。入るのは許可したけどね」
「え?どういうこと?」
「LINEの履歴を見てみる?私は『来れるなら来て』としか書いてないわ。だから今すぐ出ていって。明日以降、私の家にいることは不法侵入になるから」
「え、何それ?そんなの理不尽すぎるじゃない?お姉ちゃんひどい」
「だから今すぐ出ていって言ってるのよ。今日は鍵を貸してあげたから家にいるのはいいけど、住むってなったら話は別よ」
「いや、今日からここに住むの。お母さんたちだってきっと許可してくれるわ」
「二人はもういないわよ。父さんが出世して海外赴任になったの。だから母さんはそれについて行って、二人は日本にいないの。だからこの家は実質私の家よ」
「そんなのずるいわ」
「これが法律よ。三年前、あなたは目で済ませたわね。今度は私の番。法律で返させてもらうわ」
「待って。出ていくって言っても、行く場所ないの?」
「それは私の知ったことじゃないわ。あなたも三年前、私の気持ちなんて考えなかったでしょ。だから私もあなたの気持ちなんて考えないわ」
「お願いよ。お姉ちゃん、このまま済ませて。もう前のアパートも解約しちゃって、本当に住むところがないの」
「住みたいの?本当に?」
「だから来たんじゃない。このまま住めないなんて無理だよ」
「なら、正式に賃貸契約を結びましょう」
「賃貸?え?何それ?」
「うちに住みたいなら、住むための契約を結ばないと。ここは確かに実家だけど、さっき言ったように実質私の家なの。というか私の家。立て直した時に名義も変更してるのよ。両親は海外で暮らすことになって、誰も住まない家はすぐに廃れちゃうから。それなら私にくれたのよ。だから税金だって私が払ってるわ。というわけで、家主として賃貸契約を結べるのよ」
「それって、結んだらどうなるの?」
「家賃を払ってもらうわ。でも妹だし、特別に少し安くしてあげる」
「本当?」
「ちなみに家賃は月三十万円。敷金で最初に九十万円。水道光熱費は別、実費ね」
「三十万?そんな金額払えるわけないでしょ。それのどこが安いの?」
「あら、リフォームしてすぐの家なのよ。ネット環境だって揃ってるし、ターミナル駅からも徒歩数分。こんなに好条件なんだから、普通ならもっと高いわ。感謝してね」
「無理だって、そんな金額。会社が倒産して大変なのよ。見捨てるつもり?」
「最初に私を見捨てたのはそっちじゃない。あなたたち、まだ慰謝料払ってないわよね。つまり何も清算できてないのよ。その状態でよく助けてとか言えるわね」
「それは請求されてないから」
「請求しなくても、せめて謝罪は普通あるわよね。でもそれすらなかった。こんな分別のないLINEを、どうして今までブロックしてなかったか、あなた考えたことなかったでしょ」
「え?」
「あなたとやり取りできなくなると困るからよ。三年前の不貞行為による慰謝料。あなたと夫で合わせて四百万円。住む住まないに関係なく、これは払うものだから、きちんと請求させてもらうわね」
「四百万?そんなの無理よ。会社が倒産して本当にお金ないの。住む家すら困ってるのに。払えない」
「じゃあ差し押さえるわね」
「私、働いてないわよ。それに夫にも払えるわけないでしょ」
「なら働けばいいでしょ、二人とも。どうせ仕事がないとこの先困るわけだし。分割払いでもいいわよ。弁護士は優しいから」
「そんな」
「あなたね、三年前の目で済ませて、私の人生を壊したのよ。都合のいい時だけ家族を持ち出して助けてもらおうなんて、虫が良すぎるわ。縁も家族も、そんなもの、あなたが夫を奪った時に捨てたでしょ」
「だって私だって困ってるのよ」
「困ってる?自業自得よ。三年間、あなたたちが幸せに暮らしてる間、私がどれだけ準備してきたと思ってるの?まさか、何も言われてないから許されたとでも思った?そうやって、私はずっとあなたのことを調べてたのよ。こっちはあなたのことを一日も忘れたことなかったのにね」
「お姉ちゃん、お願い。慰謝料だけは勘弁して」
「やよ。あなたたちがやったことの代償は払ってもらうわ」
「じゃあせめて家賃を安くして。十万くらいに」
「この立地で一軒家。新築で十万?相場を知らないのね。それに、払えないなら住む資格がないわ。今すぐ出ていって」
「待って。剛史に相談するから」
「相談したところで結果は変わらないけどね」
数時間後、剛史が怒鳴り込みに来た。
「美由から聞いたぞ。慰謝料四百万だと。会社が倒産して困ってるのに、そんな金額払えるわけないだろ」
「あら、夫婦揃って同じこと言うのね。類は友を呼ぶって言うけど、ここまでそっくりなのも面白いわね」
「何だと?」
「あのね、あなたが何を言おうと関係ないの。慰謝料は法的に正当な請求よ。不貞行為の相場は一人二百万円。払えないなら分割でもいいわ。月五万円ずつとか」
「ふざけるな。俺たちを追い詰めて何がしたいんだ?」
「何がしたいかって?あなたたちが三年前にやったことを、法律で清算してるだけよ」
「なぜ今なんだ?三年も経ってから慰謝料請求なんて、そんなの時効だろ」
「あら、素人がプロに法律を語るの?笑わせないでくれる?確かに、不貞の慰謝料の時効は三年ね。でも正式に言えば、損害事実や加害者などを知った時点から数えて三年っていう時効なのよ。離婚した日じゃないのよ」
「うっ、それじゃ…」
「確かあなたから突然離婚を言い渡されたのは三年前。そして私があなたと美由の浮気に気づいたのは、離婚して数ヶ月後だから、まだ時効じゃないのよ。ああ、ちなみに証拠は探偵に依頼して入手したわ。離婚する前からあなたたちが関係を持っていた。その証拠さえあれば、慰謝料の請求はできるもの」
「でも、なぜ今なんだよ」
「あら、不思議?あなたは私に浮気がバレてもダメージが少ないように、あらかじめお金を用意していたでしょ。すぐ請求してたら、あなたたち、その場でお金を払って終わりにしてた。違う?でも今は会社が倒産して貯金もない。本当はもう請求されないと思わせて、貯金を使い果たせてから請求した方が効果的だと思ったの。だから待ってたわけ」
「そんな計略があったのか…」
「相手が最も苦しむタイミングで最適な制裁をする。弁護士として当然でしょ。私もね、いろんな被害者を見てきたの。今なら被害者の気持ちもよくわかるわ。お金を払ってさようならなんて許せない。だからこそ、あなたにも一つ、教えてあげる」
「何だよ」
「あなたも本当は知りたかったんじゃない?大事な会社が倒産した理由を。あなただって思ってたはずでしょ。真面目な会計担当の人のミスで、会社が倒産するなんて」
「何が言いたい?」
「実はね、最近、とある倒産した会社について、元社員の方々から相談を受けたの。会社名を見てすぐにわかったわ。あなたの会社だったもの」
「元社員が、お前に相談?」
「正確には弁護士に相談だけどね。みんな今でも、自分たちのせいで会社が倒産したって自分を責めてるそうよ」
「そうか。申し訳ないことをした」
「でも違うのよ。会社を潰したのはあなたの社員たちじゃない」
「どういう意味だ?」
「依頼は受けなかったけど、相談で『元会社に訴えられたらどうしよう』と怯えていたわ。会社からの損害賠償なんて洒落にならないしね」
「俺はそんなことしないぞ」
「そう思われていなかったのよ。それでね、気になって調べさせてもらったわ。本当に会社の倒産が社員のミスなのかって。その結果、帳簿の改ざん、取引先への支払いミス、税務処理のミス。全部記録が残ってたわ」
「それは俺の監督不足だ。きっとミスを隠そうとして…」
「監督不足?違うわ。これを見て。これはSNSの投稿」
「これがどうしたんだよ」
「これは美由のアカウントなんだけど」
「何て書いてある?」
「『社長夫人の私が経理やってます。会社のお金は経理で落とせるから最高。やっぱり社長夫人はこうじゃないと』」
「何だよこれ…」
「美由は会社に来ていなかったって言ってたけど、経理担当の人は言ってたわよ。会社に突然来て、偉そうに指示して、勝手に経理の仕事を始めたって。何度も指摘したそうよ。『専門家に任せて』って。でも、『私の方が社長に近いのよ。黙ってなさい』って、聞かなかったんだって」
「美由を止めていれば、こんなことになってなかったんだ…」
「社員の人たちはそのことを後悔してたし、美由が自分のミスを押し付けてくるんじゃないかって、ずっと怯えてたのよ。そう。まさか美由が自分のミスを隠すために帳簿を改ざんさせて、それを改ざんした社員を、ミスをした張本人だと晒し上げたのよ」
「でも、なぜそんなことを?」
「『社長夫人の私が経理やってるなんて偉い』ってSNSで自慢したかったかららしいわ。承認欲求を満たすために、あなたの会社を潰したの」
「そんな嘘だろ?」
「嘘じゃないわ。証拠は全部あるわ。弁護士として法廷で証明できるレベルよ」
「俺の会社が、あいつのせいで…」
「でもね、会社が潰れるほどの改ざんに気づかない人なんていないでしょ?」
「それは確かに」
「つまり改ざんは要因の一つでしかなかったってことよ。取引先や下請けにも聞いてみたわ。そうしたらびっくり。あなた、下請けを見下して、格安で仕事させてたでしょ?支払いは遅延頻繁だったって」
「それはビジネスだし。下請けには金を払ってたから問題ないだろう」
「確かに下請けに仕事を任せているのはあなた。でも仕事では信頼関係が大事よ。そしてあなたはその信頼関係をおろそかにした。その結果、取引先が次々と離れていったのよ。妻のミスはとどめになっただけ。あなたの傲慢さが倒産の本当の原因。まあ、他にもあるけどね」
「他にも?従業員でもなかったお前に、何がわかるって言うんだよ」
「そう、その従業員よ。あなたをこれから地獄に落とすのはね…」
「どういうことだ?」
「なんで私があなたに倒産の真実を話したと思ってるの?私はね、あなたにも苦しんで欲しいのよ。あなたは社員たちは家族だったって言ったわね?」
「そうだよ。従業員は多くなかったけど、みんな大事な社員で、迷惑をかけたくなかった」
「その家族を、あなたの妻が壊したのよ。ああ、でも本当に社員を家族だと思ってた?」
「当然だ。社員がいないと会社は回らないだろう」
「じゃあ、パワハラやセクハラは?元社員から相談を受けたわ。証拠もあるのよ」
「ちょっと待てよ。俺は全く身に覚えがない」
「あなたに自覚がないだけよ。気に入らない社員に対しては暴言を吐いたり、無茶な仕事を押し付けたりしてた。それが怖くて、みんなあなたの前ではニコニコと『いい社員』を演じてたの」
「そんなわけ…」
「会社後、みんな堰を切ったように話し始めたわ。『社長が怖くて誰も逆らえなかった』ってね。中には病んでしまった人もいるみたいよ」
「それは指導の範囲で…」
「指導?法的にはアウトよ。真面目に働いていた人たちが、今でも苦しんでる。全部、あなたとあなたが選んだ女のせいで。あなたは自分が思っていたようないい社長じゃないのよ。まあ、浮気するような男だし、当然よね。それにしても笑えるわ。『女は男を立てるべきだから』って言って私を捨てて、美由を選んだ。でも、その女があなたの大切なものを全部壊したのよ。どんな気持ち?」
「…許せない」
「許せないわよね」
「ああ、絶対に許せない。社員とは誤解はあったかもしれないけど、美由がバカなことをしたから会社が潰れたんだろう。許せるわけない」
「見事な責任転嫁ね。あなたも要因だって言うのに」
「俺は社長なんだぞ。社員とは意見の違いがあっただけだ」
「あっそう。そう思ってればいいわ。でもね、『許せない』っていうのは私も同じ気持ちよ。ああ、あなたは私を裏切ったの。やってることは美由と一緒。自分だけ被害者面するんじゃないわよ。その償いはきちんとさせるから」
その頃、実家では。美由がスマホを片手にソファに座っていた。そこへ剛史がドアを蹴破らんばかりの勢いで入ってきた。
「会社を潰したのはお前だったのか?」
「え?何のこと?」
「経理のミスの改ざん、全部お前がやったって聞いたぞ。お前の姉に証拠も見せられた」
「ちょっと、何のことよ?」
「とぼけんじゃねえ。全部お前が悪いんだ」
「話を聞いてよ。私は悪気なんてなくて…」
「悪気がない?俺の会社を全部お前が壊したんだ。ふざけんな、この疫病神。お前とは離婚だ」
「離婚?なんで?」
「お前とはもう一緒にいられるわけねえだろ。会社で好き勝手やりやがって。慰謝料は請求させてもらう。会社を潰した責任を取れ」
「そんな、私にお金なんてないわよ。それにお姉ちゃんへの慰謝料だってあるのに」
「知るか。俺はお前を許さないからな」
一時間後、私の元にまたLINEが届いた。
「お姉ちゃん、剛史に何言ったの?あいつすごい剣幕で怒ってるんだけど。会社のことで余計なこと言ったでしょ」
「余計なこと?真実を教えただけよ」
「お姉ちゃんのせいで夫婦仲がめちゃくちゃになったの」
「あら、それは良かった」
「どうしてそんなことするのよ!」
「あいつのことだから、自分にも責任があると感じたら、自分は悪くないって思い込んで、八つ当たりに走ると思ったの。離婚した時も、自分の非は棚にあげて『お前が悪い』って言いまくってたからね」
「こんなことになるなんて、お姉ちゃんのせいよ。慰謝料とか、これ以上無理だって。お願い。慰謝料だけでも許して」
「許す?面白いこと言うわね。私が許して慰謝料を請求しなくても、あなたもう終わってるじゃない。私は相談に乗っただけだけど、元社員の方々には賠償請求に強い弁護士を紹介してたの。もうじき、あなたに損害賠償請求するそうよ」
「賠償請求?なんで?」
「あなたのせいで会社が倒産して、職を失った人たちがいるからよ。まだ再就職できずに苦しんでる人もいるわ。まあ、それは剛史もだけどね。社員へのパワハラやセクハラは、本人に自覚がなくても、訴えられたらもう言い逃れできない。わかった?二人とももう詰んでるの。私が慰謝料を請求しようがしまいがね。どうぞ、借金地獄で苦しんで。家も出ていかないなら通報するし」
「待ってよ、お姉ちゃん。私たち姉妹じゃない。絶縁でしょ?こんなひどいことしないでよ」
「今更姉妹?三年前、夫を奪った時に姉妹じゃなくなったのよ」
「でも私も困ってるの。助けてよ」
「助ける?あなた、何を勘違いしてるの?私はあなたを助けるためにここにいるんじゃない。あなたを制裁するためにいるのよ」
「こんなのひどすぎる」
「ひどい?三年前のあなたの方が、よっぽどひどかったわ。私はこれで前を向いていける。さようなら、美由」
私はLINEのアカウントをブロックした。もう、このやり取りを見なくて済む。
あのLINEの数週間後、正式に手続きをして、美由と剛史は双方慰謝料二百万円の支払いを命じられ、分割払いを開始した。なぜ分割か。二人はすでに元社員から賠償請求を受けている。これ以上追い込んで「払えません」となるよりは、分割でも支払いをさせる方が現実的だからだ。
あの二人の関係は完全に崩壊し、剛史は社員からの賠償金支払いで借金を背負った。美由は行き場を失い、友人もおらず、完全に孤立した。SNSの投稿はデジタルタトゥーとなり、社会的信用も失った。
私は弁護士という立場ではあるが、浮気をされて苦しむ経験をした。同じようにパートナーに裏切られ、悩んでいる人たちが多くいることを改めて知った。慰謝料請求は孤独で辛い戦いだ。だからこそ、私は同じように困っている人を全力で助けていけるような弁護士になろうと、心に決めた。



