「みさ、もう実家に着いたわよね。いない間に決めて申し訳ないんだけど、家を売ることになったから」
電話の向こうで義母が軽い調子で言った。みさはスマホを握る手に力が入った。
「え、売るって何言ってるんですか? 冗談ですよね」
「冗談じゃないわよ。本気よ。それにこの家の名義は今は私。同居に拒否権なんてないでしょ」
「それはそうですけど……でも私、何も準備してませんよ。それに子供も生まれますし、引っ越しや片付けの手伝いはできませんけど」
「あなたの荷物なんていらないものばっかりでしょ。全部処分するとかできないの?」
「無理ですって」
「めんどくさいわね。全部燃やしちゃえば早いかしら」
「敷地内で巨大キャンプファイヤーしないでください。それに私のものを燃やされるのも困ります」
「ああ言えばこう言う。燃やしちゃダメって言うけど、ゴミ捨てだってお金がかかるんだから大変なのよ」
「そもそもなんで全部捨てるって発想になるんですか?」
「何? 母の言うことに逆らうの? 同居させてもらってる分際で随分生意気になったわね」
「こっちは里帰り中にいきなり家売るって言われてるんですよ。私がいない間に決めるなんて」
「あなたに聞く必要はないから、いつ決めてもいいじゃない。嫁のくせに平等に扱ってもらおうなんておこがましいわね」
電話が切れた。みさはため息をついた。産後すぐの体に、義母の言葉がずしりとのしかかる。
数時間後、夫の達也からLINEが来た。
「母さんから聞いたよな。家を売る話。荷物とかどうしても捨てて欲しくないのだけ後で教えてくれ。それ以外は処分するから」
「達也も知ってたの?」
「そりゃ母さん一人じゃ決められないだろう」
「いや、なんで私に何も言わなかったの? 荷物だって言ってくれたらまとめておいたし」
「言っても反対するだろう。だから先に決めたんだよ」
「こっちは出産を控えてるのよ。なんでこのタイミングで?」
「家もボロいし、広い方が子供のためだろう」
「それはそうかもだけど……」
「本当はもう少し早く家を売るつもりだったんだよ。でもほら、妊娠しただろう。妊娠初期はストレスかけたらダメだって母さんも配慮してくれたんだ。感謝しろよ」
「あなたが私に配慮したことなんてないでしょ。自分の行動よく思い返しなさいよ。それに、確かに妊娠初期もすごくデリケートだけど、生まれてからも大変だし、赤ちゃんだって外に出られないのよ。新しい環境になれない中で子育てなんて」
「それはお前の努力不足だろ。それに新しい環境がとか言い訳してるけど、子供が生まれた時点で環境は変わるんだし」
「なんで生んでもないあなたがそれを言うのよ」
「事実を言ってるだけだろ。とにかくお前は俺たちの決めたことに従ってればいいんだよ。それにもし何かあってもお前の実家がついてるし」
「それはそうだけど、あまりに勝手すぎるわ。赤ちゃんのこと何も考えてないわけ?」
「考えてるから広い家にしたんだろう。とにかく家を売るのは決定事項だ。お前はお腹もあるんだし、そっちに集中しろよな」
「それはそうなんだけど、なんかむかつくわね。誰のせいで悩みが増えたと思ってるのよ」
一週間後、義母からLINEが届いた。
「みささん達から聞いたわ。無事に生まれたみたいね。おめでとう」
「ありがとうございます。母子共に元気です」
「それは良かったわ。そんな時なんだけど、ちょっと報告があるのよ」
「はい。何でしょうか?」
「あんたの里帰り中に家売りに出して、引っ越したわ」
「え?」
「え? じゃないわよ。なんでそんなに驚いてるの? 事前に売るって言っておいたわよね」
「いや、聞いてましたけど……このタイミングで本当に売ったんですか?」
「売ったわよ」
「てっきり私が帰ってきた後の話かと……」
「そんなことしたらあなた絶対反対するし。生まれてすぐの孫がいるのに喧嘩なんて立てちゃダメでしょ。なんでそういうところは常識的なんですか?」
「でもね、前の家は3000万円で売れたのよ。すごいでしょ」
「あの家が3000万……」
「これでローンも少しは返せるわ。ああ、それとあなたの荷物ね。捨てようと思ったんだけど、処分費用がもったいないし。あなたの荷物、思ったより少なかったから、新居に運んでおいてあげたわ。感謝してよね」
「そこは感謝しますが、感謝よりも驚きの感情が強すぎてですね……」
「というか新しい家ってどこに建てたんですか?」
「ああ、教えてなかったわね。それなんだけど、ローンを払うなら新住所教えてあげるわよ」
「はい?」
「だから、あなたがローンを払うなら教えてあげる」
「いや、見えてますけど。ローンって……あの、それは何の家のローンに決まってるでしょう? 月10万円払えるわよね。あなた稼いでるんだから当然でしょ」
「そりゃそれなりには働いてますけど」
「同居人なんだし、あなたは住まわせてもらってる立場なんだから。払うのは当然」
「まさかお金も払わずに住むつもり? そんなつもりはないですけど、少し考えさせてください」
「考える? 家に帰るのに何を考えることがあるんだ?」
「こっちはどんな家に住むかも知らない、新しい住まいを抱えてる状態なんですよ。はい、わかりました、払いますなんて言えるわけないじゃないですか」
同時刻、達也から電話がかかってきた。
「おい、みさ。なんかごねてるみたいだな。家にはお前も住むんだし払えよ。俺たちのためなんだから」
「そりゃ同居するなら払うわよ。でもお金を払わないと家を教えないって。そんなの健全なやり取りとは思えないわ。それにこれ、半強制じゃない」
「お前に相談してもどうせグダグダ言うだろう。だから先に決めたんだよ。文句言うな。子供もいるのに夫を立てるってこともできねえの。金さえ出せば円満に暮らせるんだから。そうしろよ」
「ならあなたが払えばいいじゃない。私だって育休で給料は下がるのよ」
「はあ? 何口応えしてんの? お前はただ子育てして俺たちの機嫌取ればいいんだろ」
「そう。やっぱりあなたはお母さんの味方なのね。子供が生まれたら父親らしくなるかと思ったけど。そんなことなかったわ」
「何言ってんだお前? 意味わかんねえ」
数日後。みさは義母に再度連絡をした。
「お母さん、住所の件は置いといて。一体どんな家を買ったんですか? 新しい家のローンについてももう少し詳しく教えてもらいたくて」
「あら、みささん。家の話なのに随分遅いじゃない? 赤ちゃんの面倒でそれどころじゃなくて」
「まあ、産後の時期は大変だものね。それで家のことだけど、駅近の便利な中古マンションを買ったの」
「中古ですか?」
「でもリフォームもしてあったし、快適なのよ。やっぱり新しい家っていいわ。防音対策もしてるから、赤ちゃんが泣いても大丈夫だそうよ」
「設備はいいんですね」
「当たり前よ。せっかく住むならお金をかけないと。でもその頭金はどこから?」
「そんなの関係ないでしょ。あなたはローンを払うだけでいいのよ」
「自分で払ったとは言わないんですね」
「え?」
「いえ、なんでもないです」
その日の夜、また達也から電話が来た。
「みさ、お前いつまで母さんを待たせるんだよ。早く払うって言えっての」
「ちょっと待って。出産したばかりだし、色々考えることがあるの」
「何を考えることがあるんだ? 子供のためにも家は必要だろ」
「それはそうだけど、やっぱり納得いかないわ」
「お前が払うのは当然だろう。家族なんだから」
「家族ならあなたが払えばいいじゃない。前もそう言ったわよね。私がローンを払う理由を、家族って理由以外でちゃんと説明してくれない?」
「そんなのお前が育休になるからに決まってるだろう。はい。育休。みさは育休で働けなくなる。今後収入は俺の方が上になるのは分かるだろう」
「ねえ、そうね。働いてないんだからそうなるわ」
「つまり俺の方が偉い」
「え、だからなんでそうなるの? 確かに働いてお金を稼いでくれることも家族のためよ。でも赤ちゃんがいる中、あなたが今まで通り働けるのは家のことをするパートナーがいるからでしょ」
「うるさいなあ。育休になるくせに偉そうに言うな」
「何言ってるの? 本気?」
「いいか。これは決まったことなんだ。お前は従えばいいんだよ。金も払えないくせに意見するとか生意気すぎだろ」
「そっか。それがあなたの本心ね。私のことは見下してて、お金を払えない奴に価値はないと」
「世の中金がないと惨めな思いするからな。稼げない奴は底辺なんだよ」
一週間後。
「みさちゃん、いつまで実家でのんびりしてるの? 早く戻ってきてちょうだい。家事もあるし、私の世話もあるでしょ」
「まだ産後1ヶ月も経ってないんですけど、大人の面倒まで見てる余裕ないです」
「産後なんて関係ないわよ。昔の人はすぐ働いてたんだから、甘えないでちょうだい。それにローンの引き落としもあるんだから。こっちに来たくないなら、せめて口座だけでも教えてちょうだい」
「いや、住んでもない家のローンなんて払いませんよ。もういい加減にして」
「あなたが払わないなら、こっちにも考えがあるから」
「考え?」
「子供を育てられないような環境にいる母親なんて、親権も怪しいわよね」
「あの、今実家で絶賛子育て中ですけど。そもそもあなた、子育て家庭でしょ?」
「そうですね。家庭です。つまりまともな家庭で育っていないでしょ。はあ、そんなあなたがまともな子育てできるのかしら? 心配だわ」
「今、私の家庭まで馬鹿にしました。今必死で授乳もやって、母に手を借りながらも子育てしています。それがまともではないと? まともじゃないじゃない。だって家のローンを払いたくないって駄々こねて家に帰ろうともしてないし。本当にまともなら、早々に帰ってくるわよ。だから早く帰ってきなさい。口座も教えてね」
「もう結構です。さよなら」
みさは通話を切った。
「誰があんたのところになんか帰るか。クソババア」
「え? クソババア? なんてこと言うのよ」
「そのままの意味です」
「ああ、疲れた。自分が優位になるために、仕方なく今までこのくだらないLINEをしてましたけど、もうストレス溜まりまくってやばかったんですよね。誰が同居なんてするもんですか?」
「一緒に住みたくないってこと?」
「はい。すみませんし、ローンも払う義理はないので」
「義理がないって家族でしょ。家族なんだから協力するのは当然よ」
「家族ですか? お母さん、ついさっき言いましたよね。まともな子育てができるのか心配だって」
「ええ、そうよ。現に義母に暴言を吐いたじゃない」
「ああ、それは積年の恨みをほんの少しこぼしただけです。普段暴言なんて私言ってませんよね。お母さんと違って」
「え、私だってそんなこと言わないわよ」
「なあ、自覚ないんですか? そうですよね。お母さんは性格が終わってるので」
「はあ? なんですって」
「あのですね、私もお母さん同様とても心配なんです。お母さんとこの子を合わせるのが。家族は支え合うのが当然と言いましたけど、私のこと家族と思ってないですよね。だってお金を渡さないと住所すら教えてもらえないんですから」
「それはそういう意味じゃなくて、住むならお金を払えって言ってるの」
「勝手に家を売って同居先をなくして、お金を払わないと家すら分からない。そんな状況でどうして納得すると思ったんですか?」
「それはあんたのためを思ってのことよ。子供も生まれるんだから、新しい広い家の方がいいでしょ」
「なるほど。では私も子供のことを思って、勝手に決めさせてもらいました」
「何を勝手に決めたのよ?」
「離婚です」
「離婚? 何言ってるの? 勝手に決めないでよ。達也はどうなるの?」
「夫婦のことですので、お母さんに何か言われる筋合いはないです。大体ね、離婚届なんて準備できないでしょ。達也が書くわけないもの」
「あれ? 覚えてません? もう書いてますよ、離婚届。ああ、暴言を吐いたことも自覚してない。お母さんは忘れちゃいましたよね、達也と妊娠中に大喧嘩して、嫌なら書けって脅して書かされた離婚届の存在なんて」
「あ、あの時の……」
「お母さんもその場でニヤニヤしながら、息子に捨てられたらお腹の子が大変よねとか、嫁が夫に逆らうなんてご近所のしつけもなってない、なんて恥を知れとか、散々言ってきましたよね」
「そんなことまでは言ってないわ」
「録音もありますけど。そりゃになりますので。いや、苦労しましたよ。一番難題だったのは、お腹の子を守りながら離婚届にサインをさせることだったので。最悪、離婚調停に持ち込んでも大丈夫なくらい証拠は集めてましたけど、やっぱり書類って大事ですからね」
「証拠だ? ちょっと待って。あなた、まさか最初から離婚するつもりだったの?」
「全部ずっと前から用意してたんです。でも普通に離婚したいと言って逆上させたら、お腹の子が危険でした。だからもう一択しかないって。従順な嫁を演じながらずっと証拠を集めてました。あんな扱いを同居してからずっとされてたんですよ。離婚するに決まってるじゃないですか。まあ現実的に考えても出産後じゃないと動けなかったので。それまではずっと耐えてましたよ。ああ、そんなの気づいてませんでしたよね。大喧嘩した時に脅しで離婚届を書かされたことに私がショックを受けてると思ったんでしょ? あの時は、そこまでするのかって気持ちと、ようやく解放されるという気持ちで複雑でしたよ。というわけで、達也の直筆サイン入りの離婚届、今から提出してきますね。弁護士にも相談しないといけないし、娘のお世話もあるので、しばらく返信できません。それでは」
「じゃ、ちょっと待ちなさいよ。話がついていけない。勝手なことするんじゃないわよ」
翌日。
「あの、母さん。深夜の鬼電はやめてもらえます? シンプルに迷惑なので」
「あなたが電話に出ないからでしょ」
「娘のお世話の方が優先なので、今、母に見てもらって時間を作りました。それでご要件は?」
「離婚の件よ。それに弁護士って、どういうこと?」
「ああ、それですか。離婚については、離婚届に達也もサインをしていたので、昨日提出して受理されましたよ」
「なんですって? 出したって言うの?」
「サインしたということは同意したということです。なので出しました。文句があるなら弁護士にどうぞ」
「弁護士? そんなの間に?」
「妊娠初期から相談してました。色々と記録も取ってましたし。お母さんからの暴言LINE、全部保存してありますよ。今まで従順な嫁がいきなりこんなことしてきて驚くのも無理はないですが、あれ全部演技なので、私の本心と思わないでくださいね」
「そんな……」
「いやあ、それにしても証拠集めとはいえ、何でもはいはい言うこと聞いてたのに、それでもまだ罵倒し続けるって、なかなかでしたよ」
「あれはちょっとした冗談というか、嫁のしつけよ。それにあんたも何も文句言わなかったじゃない。嫌なら言えばよかったのに」
「文句言わなかったイコール許可したってことにはなりませんよ。ただ我慢してただけです。それに最初は嫌と言っていましたよ。でも反論するたびに、ダメ嫁、義母に逆らうなんてありえないと家で暴れ回られて、手に負えませんでした。だから身を守るために我慢するしかなかったんです」
「でも急に態度変えるなんておかしいでしょう」
「だから全部演技ですってば。それにおかしいのはお母さんたちの方ですよ。相談なく勝手に家を売って、払えって。それこそおかしいでしょ。なのでローンはあなたたちが勝手に払ってくださいね。そもそも私の名義でもないので」
「そんなの許さないわよ」
「お母さんがいくら文句を言っても、所有者がお母さんか達也の時点で、お金を払うのはどちらかです。それこそ文句は不動産屋に言ったらどうですか? どうせ無視されますけど」
同時刻、達也から電話がかかってきた。
「ふざけんなよ。勝手に離婚届出すとか、何考えてんだ?」
「勝手に? 達也が嫌なら書けって脅して書かせたんだよね。しかも妊娠初期のとてもデリケートな時期に」
「あれは冗談だっただろう。本気にするなよ」
「冗談には聞こえなかったよ。それに冗談で離婚届書くなんておかしいでしょ」
「離婚する理由なんてないだろ。俺が何したって言うんだよ」
「え、自覚ないの? わあ、その辺本当に親子そっくりね」
「なんだと?」
「それじゃあ自覚のない達也に、今、丁寧に理由を教えてあげる。まずは精神的DVね。お母さんの暴言を放置して、私より母親を優先して、妊娠中に脅迫。さらにはローンまで払わせようとした挙げ句、育休で見下してきた。これは十分DVになるって」
「いや、でも俺はお前のこと大事にしてただろう」
「大事に? 私が妊娠中に悪阻で苦しんでた時、お母さんの嫌みに耐えかねて、泣きながらあなたに同居したくないって言ったわよね。その時なんて言ったっけ、あなた?」
「う……そんなの俺の方から母さんに言うって言ったじゃん」
「そうね。言ったわ。でもその前に、母さんを大事にしろ。お前の態度が悪い。嫁のくせに義母を敬えないとか終わってる。こんな母親もって子供がかわいそうだ。そんなことを1時間以上も言い続けてたのは忘れてるみたいね」
「そんなこと言ってねえよ」
「録音してたわよ。まあ自覚はないでしょうね。だってあなたが私に言った暴言を、あなたは当たり前の正しいものって思い込んでたもの」
「そんな昔のことを言ってくるなよ。そりゃ確かにあの時は悪かったよ。でも今はお前のことも大事だって」
「そうだったの? へえ。全然大事にされてないけど。出産報告した時も、家のローン払えよが最初の言葉だったのに。これのどこが大事にしてたの? 出産お疲れ様とか、体調の気遣いとか、そんなこと全く一つも見なかったのに」
「それは……」
「あのさ、私がどれだけ我慢してたか、わかる? お母さんに毎日罵倒されて、達也は何もしてくれなくて、妊娠中も脅されて。それでも子供のために耐えてたの。でももう限界。あなたたちとはもう関わりたくない。慰謝料と養育費だけ払って消えてほしいくらいよ」
「慰謝料なんて……」
「聞いてた。あなたがやってたことは精神的DVになるの。だからDVの慰謝料を請求するわ。ああ、あと夫婦共有財産の横領分もしっかり請求するから」
「横領? そんなことしてねえよ」
「え? 私に何の断りもなく貯金を勝手に使ったわよね。マンションを買う頭金として。お母さんは頭金を自分で払ったって言ってなかったの。それで調べてみたら、貯金がごっそりなくなってたわ。引き落としたのはあなたでしょうけど、私に無断で500万円使ったってことには変わりない。それも請求するから。通帳のコピーもあるわよ」
「そんな500万なんてすぐに払えないって」
「ちょっと勘違いしないでよ。それプラス慰謝料と養育費もあるんだから」
数時間後、義母からLINEが届いた。
「みさちゃん、ちょっと落ち着きなさいよ。話し合えば分かり合えるから。今は赤ちゃんのお世話で忙しいんでしょ。きっと気が立ってるのよ」
「話し合い? そんなのするわけないでしょ。私が辛くてお母さんに話そうとした時は『黙ってろ』って言われましたし、今更話し合いなんて遅いです」
「でも家族じゃない。嫁は義母に従うものだし、逆らうなんて許されないのよ。それに稼ぎだって、子育てを始めたらほぼなくなるでしょ。こんなことして後悔するわよ」
「家族? お母さんは私を家族扱いしませんでしたよね」
「してるわよ。だから家まで買ったのよ」
「本当に図々しいんですよ。達也にも言いましたけど、本当親子揃って同じことばっかり。家族と思ってるなら、どうして生まれた子のことを何も聞かないんですか? ああ、結局お母さんたちは私のことを、金ずるか家政婦か便利屋くらいにしか思っていませんよね。それは家族じゃないので、私も容赦しません。お母さんも慰謝料の対象ですから。しっかり請求させてもらいます」
「そんな、そんなお金ないわよ」
「でしょうね。だからローンを私に払わせようとした。自分たちは払うつもりなんて最初からないくせに」
「お願いだから、せめてローンだけでも。このままじゃ私たち生活できないのよ。私たちを見捨てるの? お願いよ」
「今更ですね。……わかりました。少し考えてみます」
「本当? ありがとうみさちゃん。やっぱりあなたは優しい子ね」
「条件があります」
「条件? 何でも聞くわ」
「家が本当に3000万円で売れたのか、証拠を見せてください。売買契約書とかでいいです。もちろんその売れたお金で家を買って、払いきれなかった金額をローン組んでるんですよね」
「え、それは分かってますよ」
「3000万で売れたって嘘ですよね。あんな家がそんな金額で売れるとは思えません。つまりローンの割合はかなり多い。月10万じゃ収まらないんでしょ」
「それは……」
「だから今まさに私に泣きついてるんですよね。月の支払い額がとんでもないから。月10万って嘘をついて、引き落とし口座を私にさせれば強制的に支払わせられますものね。そんな人のローン払うわけないですよ」
「そんな……」
同時刻、達也から電話がかかってきた。
「みさ、母さんが困ってるんだ。頼むから協力してくれよ」
「協力? なんで私が」
「家族だろ。もう離婚してますが。でも子供もいるんだし、やり直そう」
「なあ、その子供のこと、一言も聞かないよね。生まれてから一度も。そんな人を家族と言えるかしら」
「それは……」
「なあ、これお母さんにも言ったわ。本当そっくりね。嫌なところ全部。まあ、あなたの場合、会いに来ようともしなかったから、お母さんより最低だけど」
「仕事が忙しくて。でも家を売る計画は立てられたんだ。子供より家が大事だったんだね」
「そういう意味じゃ……」
「頼むよ。嫌なところは全部直すから。こんな急に話を進められても困るって」
「急だと思ってんの? 笑っちゃうわ」
「ど、どういう意味だよ」
「あのさ、引っ越したんでしょ? その時母さん言ってなかった? 荷物が少なかったって」
「は? 荷物? そういえば少なかったな」
「私の大事なものは全部里帰り前に実家に送ってたの。お母さんたちが見たのは、どうでもいい服とか雑貨だけ。え、じゃあ最初から……そう、最初から離婚するつもりだったの。里帰り出産も離婚準備の一環。実家にも妊娠初期から相談してたし、新しい住まいももう確保してあるってわけ。急なんかじゃないのよ。急と思ってるのはあなたたちだけってわけ」
「はあ。新しい住まいって……育児してたら収入下がるはずだろう。なんでそんなの用意できてるんだよ」
「大体金もないのに子育てなんて無理だろう。実母が預かってくれるし、在宅勤務可能なの。だから収入は下がらないわ」
「それじゃ育休で仕事しないっていうのは嘘に決まってるでしょ」
「こっちは子供を育てるって覚悟決めてたの。でも今まで通り、あなたたちがいない分快適に生活できるでしょうね」
「全部計算してたのか。でも俺はお前のことを愛してたんだぞ」
「愛してた? じゃあなんで私より母親を優先したの?」
「母さんは一人だったし」
「私も一人だったよ。この家で味方もいなくて、毎日罵倒されて。でも達也は母親の味方しかしなかった。私が妊娠して苦しんでた時、母さんを大事にしろって言ったよね。出産報告より家の話を優先したよね。それが愛してるってこと? でも離婚届は脅して書かせたわけじゃない。お前が自分で書いたんだろ」
「嫌なら書けって言ったよね。録音あるけど聞く?」
「それは勢いで」
「勢いでも脅迫は脅迫だよ。それに妊娠中の妻に対して離婚しろって迫るのは、どう考えたって許されることじゃないでしょ。それと、お母さんの暴言を2年間放置したのも共犯だからね。同居してて知らなかったとは言わせないよ。最初の頃は相談してたし」
「俺は知らなかったわけじゃないけど。母親も大事って分かるだろう」
「私は達也の妻じゃなくて、お母さんの家政婦だったものね。そりゃ母親の方が大事か」
「そんなつもりじゃ……」
「つもりじゃなくても、やったことは同じだよ。達也は私を守らなかった。それどころか一緒になって私を追い詰めた。もう無理。これ以上あなたたちとは一緒にいられない。私はこの子を守るわ。あなたなんかに合わせないから」
「分かったよ。俺が悪かった。母さんのことばっかり優先してたのは認める。認めるから、やり直させてくれよ」
「今更そんな言葉を信じると思う?」
「反省してる。母さんとも距離を置くから。もう一度やり直そう。頼むよ」
「本当に?」
「本当だ。お前の言うことちゃんと聞くから。だから戻ってきてくれよ」
「ローンはどうするの? もう買っちゃったんでしょ?」
「ローンのことも俺が何とかするから。そう、分かった。そこまで言うなら考えておく」
「ありがとう。やっぱりお前は優しいな。絶対後悔させないから」
「お母さんと同じ反応するのね」
翌日。
「達也、一日考えたわ。考えた結果を伝えるね」
「戻ってきてくれるんだな」
「やっぱり無理」
「え? どういうことだよ。俺のこと騙したのか?」
「達也覚えてる? 『お前は黙って従ってればいいんだよ』って言ったこと。それは今度は私が言うね。達也は黙って慰謝料払ってればいいんだよ」
「ふざけんなよ。そんなの納得いかねえ」
「ふざけてないよ。達也がしてきたことをそのまま返してるだけ。それだけのことをしておいて、よく許してもらえると思えたわね。その時点で私のこと舐めてるのよ。ふざけんじゃないわ。許せるはずないでしょ。もうこれから先は弁護士を通してしか話さない。あなたと会話する価値もないわ」
「待てよ。話し合おう。頼む。返事してくれよ」
数ヶ月後。
「みささん、助けて。家が売れたお金じゃ全然足りなくて、新居のローンが払えないの」
「これはこれは、元義母さん。お久しぶりです。随分大変そうですね。そういえば実際いくらで家は売れていたんですか?」
「実は家が1200万円でしか売れなくて。3000万円って不動産屋に言われてたのに……」
「そうなんですね。まあ1000万以上で売れたんですから、いいんじゃないですか。それで私に何か?」
「お願い。少しだけでいいから助けて」
「お母さん覚えてますか? 『ローン払うなら新住所教えてあげるわよ』って言いましたよね。それは今度は私が言いますね。お金欲しいなら土下座して頭を下げてください。なんて、冗談です。土下座されても1円も出しませんから。そんなことより、慰謝料の請求書、もうすぐ届きますよ。2年間の精神的DVの分、たっぷり請求させてもらいますね。ああ、払えないなら財産差し押さえますから」
「そんな、私には払えないわ」
「お母さんの意見なんてどうでもいいんです。黙って弁護士の言うこと聞いてください。私にもそうやって言うこと聞かせてたんですから。次はお母さんの番ですね」
その後、元義母たちは新居のローンが払えず、家を手放して安アパートへ移ったそうです。しかし慰謝料の支払いは残ります。達也も慰謝料と養育費、それに母親の生活費に追われ、生活はカツカツ。毎日見切り品やカップ麺でしのぐ生活に、2人の関係も悪化。今では毎日喧嘩ばかりしているそうです。もちろんあんな2人なので誰も助けてくれず、そんな状態でも支え合わなければならない地獄が待っています。
一方、みさは仕事に復帰し、母親のサポートを受けながら子供と幸せに暮らしています。「2年も我慢するなんて」と実母には心配されましたが、そのおかげでこの生活があります。だからあの2年は無駄じゃなかった。子供を守るために費やした時間だと、今は思えます。



