「勝彦、ちょっとお母さんに注意してくれない?」
「はあ?何がだよ。母さんが何をしたんだ?」
「いきなりうちに来て、しかも私の部屋に入ってたのよ。いくら家族でも、少しはデリカシーを持って行動してほしいの」
「お前、俺の母さんに文句があるわけ?別に部屋に入るくらい何てことないだろ。もしかして、見られたら困るようなものでもあるのか?」
「そういうわけじゃないわ。でも、私にとって大切な宝物があるの」
「別に、お前のものなんて母さんが取るわけないだろ。お前、人の親を犯罪者扱いするつもりか?」
「そういうわけじゃないけど、勝手に部屋に入ってこられるのは嫌よ。来る前に一言連絡が欲しいの」
「俺が買った家なんだから、何の問題もないはずだ」
「私の家でもあるのよ」
「この家は俺が買ったもので、ローンの支払いも俺がやってる。その俺がいいって言ってるんだから、口答えするなよな」
「そんな言い方しないでよ。私だって貢献はしてるんだから」
「生活費を払ってるくらいで偉そうなこと言うな。こっちがどれだけの出費をしたと思ってるんだ」
「感謝はしてるわよ。でも、二人で力を合わせた部分だってあるんだから」
「生活費を払ってギリギリのお前の力なんて、そこまで必要とはしてないんだよ。でも、そんなに嫌なら、お前だって家族を呼べばいいだろう」
「お母さんは三年前に亡くなってるわよ。知ってるでしょ?嫌味にしても立ちが悪すぎるわよ」
「ああ、そうだっけ。すまん、すまん」
「お母さんのことを馬鹿にするのは許さないわよ」
「だったら、俺の母親を盗人扱いするんじゃねえよ」
「そんなことしてないって」
「とにかく母さんには好きにさせろよ。俺は育ててくれた両親を心から尊敬してるんだ。だからこそ、あの家だって好きに使ってもらいたい。お前にとやかく言われる筋合いはねえよ」
「せめて部屋には入らないでって言ってよ」
「お前が言えばいいだろ」
「聞いてくれるわけないでしょ」
「だったらお前が我慢しろ。何度も言うが、その家を買ったのは俺なんだぞ。そのことは絶対に忘れるな」
一週間後、トミは義母の祥子と墓地で鉢合わせした。
「おばさん、さっきお墓参りに行ったら綺麗なお花が飾られてたんですけど、あれはおばさんですか?」
「そうよ。あら、入れ違いになっちゃったのね。いつもありがとう」
「お彼岸でもないのに、わざわざお参りなんて珍しいですね」
「ちょっとお姉さんと話をしたくなってね」
「きっと母も喜んでますよ」
「トミも偉いわね。そうやって豆に墓参りをしていって」
「そんなことはないですよ。実はしばらく来られなくなりそうなので、今のうちにできるだけ来ておこうと思ったんです」
「そうなの?」
「はい。ちょっと仕事の都合で」
「大丈夫?頑張りすぎてるんじゃないの?」
「いえ、私は全然無理してないですよ。今の仕事はとっても楽しいので」
「それならいいんだけどね。あなたに余計なものを背負わせてるんじゃないかって心配なのよ」
「そんなことはないですよ。私は別に何も背負ってなんてないですから。ただ、母の代わりになろうとしているだけです。母からいろんなものをバトンとして受け継いだので」
「本当に、お姉さんは幸せ者だったわ。あなたのような素晴らしい娘さんがいてね」
「私は別に、そんな大したことはしてませんよ。それに、母のことを思っているのなら、おばさんだって同じじゃないですか」
「私は本当に姉さんに迷惑をかけっぱなしだったから、学生時代なんて、とにかく怒られた記憶しかないわ。でも、私のことを見捨てずにずっと姉妹でいてくれた。それが、私は何よりも嬉しかったし感謝してるの」
「色々とあったんですね」
「だから、姉さんの一人娘であるあなたのためなら、私は何でもするつもりだから、遠慮なく言ってね」
「はい、ありがとうございます」
「でも、そんなこと言って、あなたって何も頼んでこないわよね」
「どういうことですか?」
「家を買ったことだって、後から聞かされたし。事前に言ってくれてたら、力になれたのに」
「さすがにそれはお願いできないですよ。そこまで私は図々しいことはできないですって」
「そんな風には私は全然思わないわよ」
「何か他で困ったことがあったら、お願いすることはあるかもしれません」
「本当に遠慮なんてしないでね。私はあなたの力になりたいと思ってるんだから」
「ありがとうございます」
三日後、トミは祥子に頭を下げた。
「お願いがあるんですが」
「あなたからそんなことを言ってくるなんて珍しいわね」
「実は、来月から海外赴任が決まりまして」
「え、海外?」
「そうなんです。どうしても必要だということで。それで半年ほど海外で生活をすることになります」
「半年も。それで、お願いというのは?」
「その間、できるだけでいいので、勝彦の身の回りのお世話をやってもらえないでしょうか」
「あなた、家事を放棄するっていうのね」
「半年だけなんです。お願いできますか?」
「別にやりたくないって言ってるわけじゃないの。でも、あなたは海外で楽しくやって、帰ってきたらまた勝彦の家で生活ができるんでしょ。それってちょっと不公平だと思わない?」
「一応仕事なので、旅行ではないんですよ。しっかりと稼いで家計に貢献するためのものですから」
「どれだけ稼いでも、うちに入るのは少ないんでしょ。あんたは借金持ちなんだから」
「すみません。できるだけ早く返すつもりなんです。色々とやれることはやってるんで、そのためにも海外赴任で結果を残したいんです。そうしたら出世をしてもっと稼げるようになりますし」
「そんなの高が知れてるでしょ」
「いえ、なんとか頑張りますので」
「まあいいわ。でも、そんな風にお願いされると思ってなかった」
「どうしてですか?」
「この前は、私のことを家から追い返そうとしたからさ。どの口が言ってるんだろうとは思ってるわよ」
「あれは、勝手に私の部屋に入ったからです。それを怒っただけで、追い返そうとはしてないですよ」
「その部屋だって、勝彦が買った家の一部でしょ」
「だとしても、お母さんが勝手に入っていい理由にはなりませんよ」
「私は勝彦の親なのよ」
「私は妻です。そこに差はありません。だとしたら、私の言うことを聞いてください。家には好きなように来てもらっても構いませんから」
「ああ、そう。分かったわ。それじゃあ、そうさせてもらうわ。別にあなたの部屋に入ったのも、掃除をしてあげようかなって思っただけだから」
「それこそ余計なお世話ですよ」
「広い部屋を独り占めすることが、当たり前だなんて思わないことね」
「別に、そんなことは思ってません。では、しばらくの間よろしくお願いします」
「ええ、あの子の世話を喜んでやらせてもらうわ」
半年後、トミは海外から帰ってきた。自分の部屋に荷物を置こうとした瞬間、違和感に気づいた。部屋の中身が、見知らぬ物にすっかり入れ替わっている。
「ちょっと、これはどういうことよ」
「はあ。なんだよ」
「海外から帰ってきたら、私の部屋が変わってるのよ」
「ああ、そこは母さんたちの部屋にしたから、そこで寝てもらってるんだよ」
「なんでそんなことに?」
「当然だろ。母さんたちは俺の世話をしてくれてるんだぞ。そのまま家に返すのはさすがに申し訳ないから、うちに寝泊まりをしてもらってたんだよ」
「だったら、来客用の部屋を」
「母さんがそこは嫌だって言ったんだよ。お前の部屋が広くて居心地がいいってな」
「だから、私の部屋を勝手に使わせたの?」
「そうだよ」
「最悪ね。けど、じゃあ私が帰ってきたんだから、私の部屋に戻してもいいわよね」
「そんなのダメに決まってるだろう。そこはもう母さんたちの部屋になったんだ」
「は?どうしてよ?」
「お前がいない間、母さんたちに世話になって、俺はやっぱり二人と同居がしたいってなったんだ」
「ちょっと待って。同居はしないって約束だったでしょ?」
「俺が買った家だぞ。誰を住ませようと自由だろうが」
「何よそれ。だから、そこはもう今後は母さんたちが使うからな」
「じゃあ、私はどうしたらいいの?」
「知るか。部屋は余ってないから、適当に空いたスペースに荷物を置いておけよ」
「そんなの絶対に嫌よ」
十分後、トミは祥子の前に立っていた。
「お母さん、どうしてこんなことをするんですか?」
「あら、何?」
「私の部屋を勝手に取るような真似をしないでくださいよ」
「勝手に自分のものにしないでくれる?言っておくけど、家主である勝彦の許可はしっかりと取ってあるからね」
「でも、一言私に言ってもらっても良かったですよね」
「なに、そうしたら許可してくれた?するわけないわよね」
「それはそうですけど」
「あんたの海外赴任中に、その部屋は私たちがもらったのよ」
「部屋に置いてあった荷物は、どうしたんですか?」
「全部処分したわ」
「は?」
「当たり前でしょ。とっくに処分終えてるわよ」
「ふざけないでよ」
「ゴミなんだから、処分するのは当然でしょ。敵は的所に。ゴミはゴミ箱によ」
「自分が買ってすぎますって」
「もうあんたの荷物も捨てたし、部屋もない。これからは廊下で寝なさい」
「そんなことが許されるわけないでしょ」
「あら、反抗するつもり?でも残念だけど、この家にあんたの居場所ってもうないのよ」
「別に反論なんてしませんよ。もう許さないと決めたってだけです」
「許さないなら、何をするつもり?あんたに何かできるとは思わないけどね」
「あなたたちの言い分はよく理解しました」
「そうだったら、言いつけを守りなさいよ。家に帰ってきたんでしょ。それならまず部屋の掃除をしておきなさい。私たちは今日は三人で仲良く外食して帰るから」
「そうですか。じゃあ、皆さんでごゆっくり」
「えー、素直ねえ。まあ、あんたにはそうするしかないか。勝彦に居候してる身だもんね」
三時間後、勝彦が帰宅すると、家にトミの姿はなかった。
「おい、お前、どこで何をしてるんだ?」
「え?何が?」
「仕事から帰ってきたんだろ。だったら家で俺たちの帰りを待っておけよ。本当に使えねえやつだな」
「どうして私がそんなことをしないといけないのよ。お前な」
「私はもう、そっちの家には帰るつもりないから」
「は?」
「あんたたちのやったことを、私は許すつもりないわ。だから、もう出ていかせてもらいます」
「おいおい、何を勘違いしてるんだよ。お前の方からそんなことを言っていいわけがないだろう。俺の方から追い出すことはあっても、お前から出て行くなんて選択肢はねえよ」
「なんでよ」
「お前がこの家を出て、どこに行くんだよ。家族もいないし、借金持ちだろう。俺たちの生活費を払うだけでカツカツだったくせに、この家を出て生活なんてできるかよ。ちゃんと自分の立ち位置を考えろ」
「だから、こうして決心したのね。それだけのことをしても、私は出ていかないと思ってたから」
「これからは、俺たちの専属家政婦として働けよ」
「嫌だって言ってるでしょ」
「じゃあ、生活はどうするんだよ」
「しばらくはホテルで生活をしようと思ってる。その間に新しい家を見つけるつもりよ」
「金は?」
「残念だけど、稼ぎはそれなりにあるからね。そして、あんたが言ってた借金は、ついこの間無事に完済することができたわ」
「あ……そうなのか」
「そうよ。真面目に返済をしてたから、海外赴任の最中に返済を終えられたのよ」
「そんなに返済間近だったなんて、俺は知らなかったぞ」
「別にいちいち報告なんてしないわよ。ただ、完済したことは伝えようとは思ってたけどね」
「それじゃあ、生活は問題ないのか?」
「そうね。ありがたいことに海外赴任手当ても出てるし、向こうの生活についても色々と手当をもらってたから、かなり生活は楽だったの。おかげで少しだけど蓄えもあるし、何の問題もないわ」
「マジかよ」
「分かってくれた?ま、別に私なんていなくても大丈夫でしょ」
「当たり前だろ」
「そう。それじゃあ、離婚の話し合いとかは、私の仕事とか生活環境が落ち着いたらやりましょうか」
「勝手にしろ」
一週間後、勝彦の携帯に見知らぬ番号から着信が入った。
「もしもし、勝彦さんですか?トミのおばの祥子です」
「何度かお会いしたことはありますけど、覚えてますか?」
「ええ、うっすらですが。突然、何ですか?どうしてこの連絡先を」
「トミから聞いたんです。どうしてもあなたに一言伝えたいことがありまして」
「離婚のことに関しては、もう決まったことですよ。あなたから何か言われるようなことはありません」
「それはないでしょう。私の可愛い姪にひどい仕打ちをしておいて、何も後ろめたいことがないって言ってるんですか?」
「これは夫婦のことですよ。私にとっては家族のことなんです」
「じゃあ、俺も言いたいことくらい言わせてくださいよ」
「何ですか?」
「こっちはずっとトミのために尽くしてきたんですよ。家だって買ってあげたし、生活の面倒だって見てた。それなのに、あいつは部屋がなくなったというだけでブチ切れて家を出て行ってしまったんです。怒りたいのはこっちの方ですよ」
「生活費を払ってたのは、トミですよね」
「だとしても、あんな借金持ちの女を、こっちは見捨てもせずに住ませてあげてたんだ。俺たちがいなかったら、あいつは今頃ホームレスですよ」
「借金の理由は知ってるでしょ?あの子が何かしたってわけじゃないのよ」
「それは知ってますって。トミの借金は、姉さんが前の旦那に騙されて連帯保証人になっちゃって背負わされたものなの。姉さんはそれをずっと真面目に返してたんだけど、ついに返すことはできなくなった。本来なら相続放棄で借金もなくすことができたんだけど、あの子はそれをせずに借金を返してたのよ」
「そんなのは、あいつが勝手にやったことでしょう。俺には関係ない話ですって」
「だとしても、あの子はあなたに迷惑をかけないように借金も払ってたし、生活費だって二人分を払ってた。あなたに面倒を見てもらってたわけじゃないわ。全部自分がやったみたいな勘違いをしないでよ」
「あいつを、このまま離婚させるんですね。一軒家のそれなりに広い家での生活がなくなるんですよ」
「廊下で寝させようとしてたくせに」
「それでも、いい家で生活できるという利点はありますよ」
「何?もしかして、今更離婚して欲しくないって思ってるの?」
「違いますよ。あなたは家族なら、トミが幸せになるようにするべきじゃないかなと、アドバイスをしてるんですよ」
「あら、そう。でも、あの子はいい暮らしができるわよ」
「どういうことですか?」
「私、不動産投資でそれなりに資産を増やしてるの。いくつか一棟丸ごとマンションを持ってたりするくらいにはね」
「一棟丸ごとですか?」
「その中に、広くてトミの職場へのアクセスもいいマンションがあるから、そこにトミを住ませようかなって思ってるの。オーナー権限で家賃も格安にしてね」
「どうして、そんなことをするんですか?」
「私は、お姉ちゃんにトミを託されたのよ。いや、だとしても……」
「これが、私にできる唯一のお姉ちゃんへの恩返しだから。私は学生時代、いわゆる札付きの不良でね。親にもたくさん迷惑をかけたし、愛想だって尽かされた。そうなって当然のことを、私はしていたの。でも、お姉ちゃんだけは私のことを見捨てなかった。厳しくも愛を持って接してくれて、私を更正させてくれたのよ。今の私があるのは、お姉ちゃんのおかげなの。そんなお姉ちゃんから託されたから、私は全てをかけてトミをサポートするわ。そして、トミを傷つけるような奴は徹底的に排除していくからね」
「いや、別に傷つけるつもりは……」
「とにかく、あんたは今すぐトミと離婚しなさい。そして、あの子に二度と近づかないでよね」
二週間後、トミは久しぶりに勝彦の顔を見た。
「勝彦、離婚の話し合いをしましょうか」
「本気なんだな」
「当たり前よ。あんたともう一緒にはいられない」
「だったら、お前が離婚届を送ってこいよ。そしたらこっちで役所に出しておくから。別に俺はお前と別れても問題ないし」
「そう。それじゃあ、慰謝料と財産分与について話をさせて」
「なんだと?慰謝料?」
「当たり前でしょ。あなたは自分が何をしたか分かってないの?私を部屋から追い出して、廊下で寝ることを強要したのよ。そんなのどう考えても精神的なDVでしょう。だから、あなたには慰謝料を請求するわ。それと、財産分与もちゃんとやってよね。その家を半分にすることはできないから、その分は私に金銭で支払うわ」
「は?お前、ちょっと待てよ。それってとんでもない額になるんじゃないのか?」
「かもしれないね。でも、ちゃんと払ってもらわないと」
「ふざけるな。こっちはただでさえ、母さんたちの生活費を負担しないといけなくて金がねえんだぞ」
「大切な家族のためなんだから、頑張りなさいよ。でも、私への支払いもちゃんとやってもらうからね。言っておくけど、もし滞ることがあったら強制執行とか差し押さえとかもやるつもりよ。逃げられるなんて思わないで。まあ、逃げるなんて無理か。あんたにはその家しかないんだもんね」
「お前……」
「これ以上、反論は聞くつもりないから。もし何か言いたいことがあったら、私じゃなくて弁護士さんにお願いね。それじゃあ、このLINEもブロックさせてもらうから」
翌日、祥子がトミの前に現れた。
「ちょっと、あんた」
「何でしょう」
「あんたのせいで、勝彦が金がないって困ってるのよ。夫に対してそんなことして、心は痛まないの?」
「じゃあ、お母さんは心は痛まないんですか?」
「は?何が?」
「勝手に私の部屋にある私物を処分したでしょう。あんなことをして、心は痛まなかったのですか?」
「あれは、私がそこで生活するのに邪魔だったからよ」
「だとしても、一言あるべきですよね」
「しつこいわね。もう済んだ話でしょ」
「そんなことで終われないんですよ」
「どういうことよ」
「私の部屋には、服とか化粧品とか雑貨とか、色々ありました。最悪そちらの方は別に問題ないですよ。でも、その中に私の宝物があったんです」
「宝物?」
「母から譲り受けた指輪があったんですよ。私にとっては、母の片身だったんです」
「そうだったの?」
「あなたは、それも処分した。私はそれが一番許せないんですよ」
「でも、指輪くらいでしょ?」
「単なる指輪ではないんです。母がいつも大切につけていた指輪で、母が亡くなってから私が引き継いだものなんです。母がいなくなっても、あの指輪をつけていれば母と繋がれているように感じられた。それだけ大事なものだったんですよ。あの指輪を相続すると借金もついてくると言われました。でも、私はそれでもあの指輪を手放すことはできなかった」
「あなたは、それを勝手に処分した。そんなに大事なものなら、家じゃなくて肌身離さずつけておけばいいでしょ」
「初めての海外赴任で、不安があったんですよ。高価なものを身につけているだけで、強盗などに遭ってしまう可能性もありますし。向こうの家だって、窃盗に入られる可能性もある。だから、私は一番安全な我が家に置いて行ったんです。なのに、まさかこんな身近に窃盗犯がいたなんて」
「それは悪かったわね。ごめんなさい」
「そんな謝罪で許すわけないですよ。きちんと損害賠償は請求させてもらいます」
「損害賠償?」
「あの指輪は数百万するものだと、おばから聞いてます。そんな指輪を勝手に処分したのだから、もちろんその分の賠償はしてもらいますからね」
「嘘でしょ?」
「もちろんですよ。そして、警察にも通報しますから」
「警察?や、ちょっと待って。分かった。あの、お金はすぐに返すから。それで、今回は水に流してくれよ」
「お金があるんですか?」
「実は、高そうなものは買い取ってもらってたの。指輪も貴金属を扱ってるところに売って、お金はあるのよ」
「最低。勝手にお金に変えてたなんて。これはもうお金だけの問題ではありません。あなたにはしっかりと罰を受けてもらいますから」
「ちょっと待って。そんなことを言わないでよ。嫌ですよ」
「でも、これはお母さんの意見に賛同してるからですよ。敵は的所に。犯罪者は警察にってことですよ」
その後のこと。祥子は警察に逮捕された。執行猶予がつき、刑務所に行くことはなかったが、民事で損害賠償を請求したため、祥子はかなりの負債を抱えることになった。そんな祥子を迎え入れるほどの余裕が勝彦の父にはなかったようで、離婚を突きつけられて家から追い出された。今は一人でアパートを借りて、パートをしながらなんとか支払いと生活をしているらしい。大きな家での暮らしからはかなりの落差があるだろうけど、自業自得ということで受け入れてほしいところだ。
勝彦は、トミへの慰謝料と財産分与のお金を払わないといけなくなり、生活はかなり苦しくなったようだった。彼は自分が家を買ったのだと奢り、トミの貢献を軽く見ていた。トミが生活費を払っていたからこそ、高いローンを支払って家に住めていたのだと、この件でようやく分かったのではないだろうか。それでも、父親と二人で力を合わせてやりくりをしていたようだが、ついこの間、父親が脳梗塞で倒れてしまったとのこと。返済を手伝おうと、無理をして仕事をしていたようだが、心身ともに無理が祟ったようだ。命に別状はなかったものの、後遺症が残ってしまったことで仕事はできなくなり、さらに介護までしないといけなくなった。色々と災難が降りかかっているようだが、全部自分一人でやれると息巻いていたのだから、そのことを証明していってほしいものだ。
一方のトミは、祥子が進めてくれたマンションで生活をしている。家賃がかなり安いので、おばが値引いてくれているのは分かっているが、正直今は甘えておこうと思う。なぜなら、母の指輪を取り戻すためにかなりの出費をしたからだ。指輪を買い取った業者も騙された側なので、ただで返せとは言えず、しっかりとお金を支払うことになった。祥子からの賠償金も全額返ってくるのはまだ先だし、しばらくはトミが分割払いをしていくことになる。それでも、母の片身を取り戻せて本当に良かったと思っている。今回のことで、夫の家族を失う形にはなったけれど、一番大事な母との繋がりは保てている。それを糧に、これからも頑張っていこうと思っている。
