臨時株主総会の受付で、受付の女性が私の顔を三度見した。「え、私、株主なんですけど」そう言った瞬間、奥から出てきた六十代の男が私を一瞥して鼻で笑った。「なんだその格好は。ここは遊び場じゃないぞ。親でも呼んでこい」。金髪にリボン、ラメのトップス。十八歳の私が筆頭株主だと信じてもらえなかった。役員たちの嘲笑が廊下に響く中、私は笑顔を崩さずに言い返した。「後悔しますよ」。その場は一瞬静まり、すぐに大…

臨時株主総会の受付で、受付の女性が私の顔を三度見した。「え、私、株主なんですけど」そう言った瞬間、奥から出てきた六十代の男が私を一瞥して鼻で笑った。「なんだその格好は。ここは遊び場じゃないぞ。親でも呼んでこい」。金髪にリボン、ラメのトップス。十八歳の私が筆頭株主だと信じてもらえなかった。役員たちの嘲笑が廊下に響く中、私は笑顔を崩さずに言い返した。「後悔しますよ」。その場は一瞬静まり、すぐに大...

朝倉産業本社二十八階。臨時株主総会の受付に、金髪のリボン、ラメのトップス、ミニスカート姿の少女が立っていた。受付の女性社員は、名簿と少女の顔を何度も見比べて困惑している。少女の名前は朝倉花。十八歳。筆頭株主として出席すると主張していた。

騒ぎを聞きつけて会場から出てきたのは、朝倉産業代表取締役社長の刑部和孝志、六十一歳だった。高級スーツに身を包み、少女を一瞥して鼻で笑う。

「なんだその格好は。ここは遊び場じゃないぞ。親でも呼んでこい」

「え、私、株主なんですけど」

「ギャルが筆頭株主だと? 冗談も大概にしろ。帰れ」

後ろから役員たちが顔を出し、嘲笑が廊下に響く。刑部は畳みかけた。

「そのチラチラした格好で何が株主だ。警備員を呼べ。つまみ出せ」

花は一歩も引かなかった。受付カウンターに片手を添え、笑顔を崩さない。怒っている時ほど笑顔になる。祖母のそばで育った十八年がそうさせていた。

「社長ですよね」

「そうだ。それが何か」

「後悔しますよ」

その瞬間、廊下が静まった。花の声が、さっきまでの張り上げた声とは別人のように落ち着いていた。刑部と役員たちは一瞬面食らったが、すぐに大笑いを始めた。

「後悔だと。いいね。楽しみにしてるよ。送ってやれ。迷子のギャルがまた来ないようにな」

花は背筋を伸ばしたまま会場を後にした。廊下に出た瞬間、小さな背中が壁に寄りかかる。唇の端がわずかに震えていた。

柱の影から、一人の男がそれを見ていた。ネイビーのスーツに銀縁の眼鏡。木村涼介、四十二歳。この日のために七年ぶりに娘からのネクタイを締めていた。

「花」

花は弾かれたように顔を上げた。すぐに表情を取り繕い、作り笑いを浮かべる。

「うわ、マジ? なんでいるの? ガチで意味わかんないんだけど」

「少し話せるか」

「何の話?」

「君の祖父の頼まれ事だ」

花の作り笑いが止まった。涼介は事務所へ向かうよう促した。花は一瞬迷い、小さく頷いた。

事務所のソファに花はぎこちなく腰を下ろした。コーヒーを差し出すと、花はブラックで、と答えた。

「じいさんの好みと同じだな」

「よく知ってんじゃん」

できる限り自然に振る舞おうとしているのが分かった。葬儀の翌日、会社から封筒が届いたこと。祖父の遺言書と、高額書類の控えが入っていたことを花は話した。

朝倉産業の株式六一・五パーセント。時価にしておよそ八千億円。全株が孫娘の朝倉花に相続される。創設者以外の役員には、遺言の存在そのものが伏せられている。

「会社の人は誰も知らないと思う」

涼介は別の書類を引き寄せた。会計帳簿開示請求書の控えだ。

「これも君が?」

「おじいちゃんに教わったの。株主には請求する権利があるって。三パーセント以上の株主には会社法四百三十三条で認められた権利だ。六一・五パーセントの君なら拒否される余地はない」

帳簿をめくると、役員報酬の過大計上、架空と思われる取引先への発注、系列会社への不自然な資金移動。すべてが刑部の名前へ収束しているように見えた。

「特別背任罪の法定刑は懲役十年だ。刑部は三十年の報酬を自らの手で奪おうとしている」

花は湯気の立つコーヒーを両手で包み、短い問いを落とした。

「なんで父さん、ここまでするの?」

涼介はしばらく言葉を探した。

「花の役に立ちたい。それだけだ」

花は答えず、目を伏せて小さく頷いた。それだけで、今は十分だった。

数日後、深夜の事務所にインターホンが鳴った。モニターに映っていたのは、落ち着かない様子の中年の男だった。名乗らず、ガラス越しに封筒だけを差し出してきた。

「内部の情報を持っている者です」

「お名前は?」

「今は申し上げられません。必要なら協力する用意があります」

男はそれだけ告げて闇に消えた。封筒の中には、架空取引の発注書のコピーと、本人しか持ち出せないはずの決裁書類の原本の写しが入っていた。

花は顔を上げた。

「誰なの? 今の人。めっちゃ怪しくなかった?」

「まだ言えない。ただ、役に立つ情報を置いていった」

花は追求しなかった。キーボードに視線を戻し、書類の海へ再び潜っていく。

涼介は会社法の条文をディスプレイに呼び出した。会社法二百九十七条。株式三パーセント以上を保有する株主には、臨時株主総会の招集請求権がある。取締役会が拒否すれば、裁判所の許可を得て自ら招集できる。株主の切り札だ。

「じゃあ、私一人で招集できるってこと?」

「ああ。六一・五パーセントを単独で持つ株主なら、議題も決議も君の意思で動かせる。役員の解任は三百三十九条。普通決議の過半数で足りる」

「それ、おじいちゃん教えてくれなかった」

「教える時間が足りなかったんだろう」

さらに涼介は会社法三百三条を指し示した。株主総会の目的事項の追加提案だ。招集請求と合わせて使えば、議長の裁量で議題が外される心配がなくなる。

「じいちゃん、こういうの本当は私に教えるつもりだったのかな?」

「多分そうだろう。時間さえあれば、君はもう弁護士顔負けの株主になっていた」

花はほんの一瞬、少女のような笑いを見せた。すぐに顔を引き締め、条文番号をメモに書き写し始めた。

翌朝、業界紙の一面に刑部の笑顔が載った。『朝倉産業、がらりと大胆な組織改革へ』。役員構成の刷新、系列会社の再編。涼介は新聞を畳み、花の前に置いた。

「これが今朝の新聞だ」

「うわあ、めっちゃドヤ顔じゃん。超キモいんだけど。三十年間支えてきた。これからは私の時代だ。って書いてあるよ。三十年前なんて、おじいちゃんが創業者なんですけど。意味わかんなくない?」

見出しに、朝倉吉尾の名前はない。一行も。

「腹が立つなら覚えておけ。この一面が招集手続きの追加証拠になる。発言内容と人事方針が一致していればな」

数日後、再びあの男が訪れた。今度は黒い鞄を持っている。厚さ二センチほどのファイルが二冊。決裁書類の原本だった。

「原本の場所もお伝えしておきます。経理の金庫番号は設立記念日の逆読みです」

「そこまで教えてくれるのか。あなたの勇気に報いたい。名前は総会の日にお伝えします」

男は短く頷き、夜の闇に消えた。花は何も聞かなかった。涼介も答えなかった。

ある夜、花がコンビニの袋を持って事務所に現れた。おにぎりとお茶だ。

「夕飯食べてないでしょ。マジで心配なんだけど。ねえ、なんで私のためにここまでするの?」

低い声だった。ギャル語が抜けている時の、花の本当の声。

「花の役に立ちたい。それだけだ」

「それだけ?」

「それだけだ」

花はおにぎりを食べながら、こちらを見ずに笑った。二十分ほど居て、帰り際に言った。

「総会の日、迎えに来て。朝八時半でいい」

「ああ、約束だ」

総会当日。都心のタワーホテル大宴会場。朝倉産業の現役員が七名、壇上に並ぶ。最前列の代理人席に、涼介が座っていた。隣には濃紺のブレザーに白いブラウス姿の花がいる。髪は控えめに後ろでまとめ、爪だけが星型の小さなネイルのままだった。

司会の雑務が終わり、刑部がマイクを握った。

「本日はお忙しい中、ようこそお集まりいただきました。ところで後ろの席のそこな娘さん。ギャルが筆頭株主だと? 君はただの就活希望だろう。事前に申請して帰っていただくのが筋だ」

笑い声が一部から漏れた。花は立ち上がった。爪先まで静かに。マイクへ歩き出す。涼介は動かない。今この瞬間は、花の時間だった。

花は壇上の前で足を止め、刑部の目をまっすぐ見上げた。

「後悔するって言いましたよね」

静かな声だった。会場のざわめきが一瞬で止む。

「なんだと?」

「筆頭株主の朝倉花です。発言があります」

花は議長席に書類を差し出した。

「取締役会決議の件です。対象は代表取締役の刑部氏、及び取締役四名。会社法三百三十条に基づく議題追加です」

涼介が立ち上がり、議長席へ歩み寄った。

「朝倉の代理人を務める弁護士、木村涼介です。本日の総会は会社法二百九十七条に基づき、議決権の六一・五パーセントを保有する株主の請求により招集されたものです。こちらが相続証明書と株主名簿の写しです。すでに裁判所に提出済みです」

「待て。そんな話は聞いていない。大体、お前のような小娘が株主だなどと、誰が信じる」

刑部の声が裏返った。花は一歩下がり、資料の提示を続けた。役員報酬の無許可増額。海外子会社への資金流出。架空取引の発注記録。記者席のシャッター音が途切れない。

「この取引先は全て実在しない法人です。国税庁のデータベースで確認しました」

「ま、待て。それは通常の取引だ!」

「取締役会の議事録には、報酬改定の決議そのものが存在しません。こちらが議事録の原本の写しです」

刑部の肩が跳ねた。隣の取締役がそっと椅子を引き、距離を取り始める。その時、会場の扉が開いた。経理担当の専務、篠原だった。深く頭を下げ、マイクに口を寄せる。

「オーシャンパシフィックトレーディングは実態のない法人です。送金指示書に刑部代表の署名があることを、経理担当として確認しています。役員報酬の改定決議も、取締役会の承認を得ずに代表単独の署名で実行されました」

「篠原! お前、恩を仇で返すのか!」

篠原は壇上を見据え、深く息を吐いた。

「恩は朝倉吉尾元社長から受けたものです。あなたから受けたものではありません。亡き方を『じいさん』と呼ぶ人間の下では、もう働けません」

会場の一部から拍手が起こった。涼介は議長席へ向き直る。

「議長、採決を願います。会社法三百三十九条に基づく解任決議です」

青札が次々と上がる。花が自らの手で六一・五パーセントの議決権を投じた。機関投資家の席からも漏れなく賛成の札が上がる。

「賛成九十七・八パーセント。本決議は可決されました」

刑部は何か叫ぼうとしたが、声は出なかった。隣の役員たちが次々と席を立ち、壇上から降りていく。警備員が両側に立ち、刑部の腕を支えるようにして出口へと連れて行った。

花はマイクを引き寄せた。

「おじいちゃんの会社は、おじいちゃんの心を知る人が継ぐんです」

短い一言だった。会場は一瞬の沈黙に包まれ、それから拍手が起こった。前列から、中央から、波のように重なっていく。

席に戻った花が、涼介の袖をほんのわずか掴んだ。十八歳の娘が父にだけ見せる仕草だった。涼介はその手を、そっと自分の手のひらで包んだ。

総会の翌日、朝倉産業は新体制で動き始めた。刑部と解任された役員四名に対し、特別背任容疑で刑事告訴。東京地検特捜部が書類送検を受理した。業界紙は一面で『朝倉産業 経営刷新へ』と報じている。約一週間後には、刑部の資産の差し押さえ手続きが始まった。海外子会社への不正送金はおよそ二十七億円。篠原から涼介の事務所に連絡が入り、刑部の息子が経営していた三社がすべて取引先から契約解除の通知を受けたと伝えられた。週刊経済誌の表紙には、刑部の顔写真に赤いバツ印が重ねられた。刑部一家は都心のマンションから姿を消し、行方を知る者はいなかった。

数週間後、花が事務所を訪ねた。ピンクのジャージではなく、白いシャツに細身のデニム姿だった。

「ねえ、おじいちゃんの手紙って、残ってたりする?」

静かな声だった。涼介は引き出しから、吉尾から預かった封筒を取り出した。封は切られていない。ずっと開ける資格がないと思っていた。今はある。君が開けろと言ってくれるなら。

花は頷いた。涼介は封を切り、便箋を広げた。

「木村涼介殿。私が初めて君に仕事を頼んだのは、君が二十八歳の時だった。朝倉産業が海外訴訟で沈みかけた時、大手事務所は全て断った。若手の君だけが受けてくれた。あの時から、私は君を信頼していた。娘の雪を君に託したのも、花を君に託したのも、全て同じ理由だ」

花の目が大きく開く。

「雪がなくなった時、君は花から距離を取った。自分を罰したかったのだろう。私は知っていた。あの時君に強く当たったのも、君を守るためだった」

花の方から一筋の涙が伝った。拭かずに、そのまま聞いている。

「花が本当に君を必要とする時が来る。その時、君が立てる男であるように。花を頼む。それだけだ。朝倉吉尾」

事務所の中に時計の音だけが残った。

「ねえ、おじいちゃん。涼介のこと、ずっと見てたんだね」

「見てたらしい」

「七年間、わざと嫌われようとしてたんでしょ。おじいちゃんに言われたから」

「そうかもしれない」

「ずるいよ。そういうの、マジでずるい」

「すまなかった」

「なら、これからで返して」

「ああ、返す」

花は小さく頷き、便箋を胸の前でもう一度撫でた。

「涼介、あのね。私、おじいちゃんが残してくれた役目はちゃんとやるけど、もう一人でやりたいわけじゃない。涼介がそばにいてくれたらいいなって」

ギャル語は抜けていた。十八歳の娘が父にかける声だった。

「ああ、そばにいるよ。約束だ」

春になり、花は早稲田大学法学部に合格した。合格発表の日、事務所に駆け込み、スマホの画面を差し出す。

「やった! 涼介、見て見て。合格したんだけど、マジやばくない?」

ギャル語がすっかり戻っていた。涼介は頷き、小さく笑った。

「おめでとう」

「これで涼介の後輩だからね。よろしくっす」

「先輩として一言いいか。最初の一年は単位を落とすな。二年目からは現場を見せる」

「了解。めっちゃ厳しいじゃん」

窓の外で桜の花びらが風に揺れていた。

数ヶ月後、花は朝倉吉尾記念奨学金財団の設立を発表した。経済的な理由で法律を学べない若者に学費を支給する制度だ。初年度は全国から三十名が選ばれた。会見の場で、花は紺色のワンピース姿でまっすぐ立っていた。

「おじいちゃんは、お金は困ってる人に流すためのものだって言ってました。この財団で、おじいちゃんの言葉を私なりに受け継ぎます」

ある晴れた日、二人は吉尾の墓前に並んで立った。風が金髪のリボンをそっと揺らす。花は手を合わせ、静かに口を開いた。

「株主は会社の真の主だって、ずっと言ってたね。守る責任のことだったんだね。やっと分かった」

「ああ、そうだな」

二人の間の七年分の沈黙が、ようやく埋まっていた。風が吹き、墓前に備えた白い花がゆっくりと揺れた。まるで聞こえていたように。ずっとそこにいたように。

二人は顔を見合わせ、小さく笑った。

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