「お母さん、今日は特別な報告があるの」。その言葉を口にした瞬間は、まさかこんな騒動になるなんて思いもしなかった。三年前に父を亡くしてから、母は一人で静かに暮らしていた。庭のバラに水をやる姿を見て、ようやく自分の時間を楽しめるようになったんだなと安心していた矢先だった。私は母にドールハウスを贈るつもりでいた。心を込めて作った小さな家。ところが兄嫁のみさが突然入ってきて、話を聞くなり目を輝かせ「…

「お母さん、今日は特別な報告があるの」。その言葉を口にした瞬間は、まさかこんな騒動になるなんて思いもしなかった。三年前に父を亡くしてから、母は一人で静かに暮らしていた。庭のバラに水をやる姿を見て、ようやく自分の時間を楽しめるようになったんだなと安心していた矢先だった。私は母にドールハウスを贈るつもりでいた。心を込めて作った小さな家。ところが兄嫁のみさが突然入ってきて、話を聞くなり目を輝かせ「...

母がドールハウスを心待ちにしている様子を見ていると、私の胸も自然と弾んでいた。三年前に父を亡くしてから、母は一人でこの家に暮らしている。庭の花の手入れをしながら、ようやく自分の時間を楽しめるようになった母の背中を見るたびに、私はほっとするのだった。

「お母さん、今日は特別な報告があるの」

母がバラの苗に水をやる手を止めて、私の方を向いた。

「新しい作品を作っているの。お母さんに特別な家をプレゼントするつもり」

「まあ、まきが私に家をプレゼントしてくれるなんて、夢みたいだわ。どんな家かしら?」

母はうっとりした表情で、まるで本物の家をもらえるかのように目を輝かせた。私は母の好みを反映した間取りを考えているところだと説明した。窓は出窓がいいか、リビングに暖炉が欲しいか、何でも言ってほしいと伝えると、母は嬉しそうに頷いた。

ちょうどその時だった。玄関の方で物音がして、顔を上げると兄嫁のみさがふらりと入ってきた。二つ年上の兄の高一は気は優しいが少し頼りない。母を案じて近所のマンションに住んでいるのだが、妻のみさの気の強さがいつも気がかりだった。

「お母さん、ちょっとご挨拶に。あら、まきさんもいらしてたのね」

「今日は偶然まきが遊びに来ていたのよ」

母が笑顔で答えると、みさは一瞬気まずそうに口元を引き締めたが、すぐに興味津々の顔で私と母の間にずいっと入ってきた。

「ちょっと今の会話、聞こえちゃったんだけど。まきさん、お母さんに家をプレゼントするって本当?」

目を輝かせながら私を覗き込んでくる。

「ええ、前から計画していたんだけど、なかなか難しくて。でも、いよいよ実行できそうなの」

ここまでは良かった。私がそう答えた瞬間、みさはパッと母の方に顔を向けて、にこやかに話し出した。

「お母さん、良かったですね。まきさんが家を送ってくれるなんて。新しい家って素敵ですよね。どんな間取りになるのか楽しみです。間取りが変わるなら、一緒に住むのもありですよね」

私は一瞬戸惑ったが、みさはお構いなしだった。同居という言葉を何度も繰り返し、私たち夫婦もお母さんと一緒に住んだらきっと楽しいですよとまで提案し始めた。母は困ったように私とみさを交互に見たが、同居の話を拒否するでもなく、「そうね、楽しいかもしれないわね」とやんわりと答えた。

嫌な予感が胸をよぎった。みさは母の反応を見てさらに調子に乗り、「私もいろいろお手伝いしますから」と笑いながら話を進めていく。その場で口を挟もうとしたが、みさの勢いは止まらない。

「それじゃあ、お母さんが家をもらったら一緒に新生活を始めましょう」

「それは頼もしいわね」

母までそんな返事をしてしまったため、もう会話の流れを止めることはできなかった。もしかしたら母も寂しさを感じていて、兄夫婦と同居するタイミングを測っていたのかもしれない。そう思うと、私は何も言えなくなってしまった。

その日、私が母に送るはずだったドールハウスの話は、なぜか母が新しい家をプレゼントされ、そこに兄夫婦が同居するという話にすり替わってしまった。みさは近々新築の家に住めることに喜びを爆発させていた。

「さあ、お母さん、まきさんが素敵な家をプレゼントしてくれるんだから、準備しましょうね」

すっかりその気になっているみさに、私は慌てて声をかけたが、聞いてもらえなかった。どうにか波風を立てずに誤解を解きたい。不安に駆られる私を見て、母はにっこりと微笑み、「何もしなくて大丈夫」とでも言うようにゆっくり首を振った。母には何か考えがあるのだろう。私はその日、母に任せて自宅に帰ることにした。

それから数日後。母に送るドールハウスの制作もいよいよ大詰めを迎えていた。私は細部の仕上げにこだわり、毎日少しずつ完成に近づいていく作品を眺めるのが楽しみで仕方がなかった。母の喜ぶ顔を想像すると、制作にも自然と熱が入る。

そんなある日、母から電話がかかってきた。

「まき。実はね、みささんがどんどん家に荷物を運び込んできてね。どうやらマンションを解約してしまったらしいの」

少し困惑した母の声が聞こえる。

「え、お母さん。それって、もしかして強引な同居ってこと?」

母は言葉を選びながら答えた。みさは兄の高一を言い伏せて、実家での同居を進めているらしい。気の弱い兄は「同居することになったんだから」と何度も言われ、しぶしぶ同意したようだった。

「それに、みささんがご近所さんに、新しい家に住む予定で母と一緒に同居することになったって言っているみたいなのよ」

「え、そんな話を近所にも?」

驚いて声を上げると、母は少し楽しそうに笑った。

「なんだか舞い上がっているみたいね」

どうやらみさは新築の豪邸での暮らしに夢を膨らませているらしい。兄もいくら気が弱いからといって、妻の言いなりになるのはおかしい。私がお金を出して母の家を建てるとして、その家で同居する必要があるなら、真っ先に私が同居するはずだ。それを考慮すらしない兄には、情けなさを通り越して呆れてしまう。

「まきさんってご主人が会社員勤務なんでしょ?すごい稼いでいるのね。豪華な家をお母さんにプレゼントするなんて、さすがだわ」

みさが兄にそんな話をしていると聞いて、私は思わず苦笑してしまった。私が母に贈るのは家に違いないけれど、それはあくまでドールハウスの話だ。

「ねえ、私からお兄ちゃんに違うって言ってあげようか」

再度母に確認すると、母は少し呆れながら言った。

「ここまで盛り上がっているなら、あえて黙って様子を見てみましょう」

数週間後、ようやく母に送るドールハウスが完成した。細やかな家具や装飾を一つ一つ並べ、最後の仕上げを行いながら、私はこの作品の出来映えに満足していた。完成したドールハウスを慎重に箱に入れ、夫の吉孝に車を出してもらって母の家へ向かった。

道すがら吉孝にはこれまでの経緯を話してあり、「もしかしたら一悶着あるかもしれない」と説明してあった。不安になった私は、思わず吉孝にこぼした。

「お母さんも早く誤解を解いた方がいいと思うんだけど、様子を見るって言うばかりで不安なんだ」

吉孝は私を安心させるように穏やかに微笑み、「何かあればすぐに助けるから」と心強い言葉をかけてくれた。

実家に到着すると、母が玄関で嬉しそうに待ってくれていた。

「お母さん、ついに持ってきたわよ。約束の家。喜んでくれるといいんだけど」

私が言うと、母は両手を打って大喜びだ。

「本当に?それは楽しみだわ。さあ、二人とも早く中に入って」

母は私たちを居間へ通してくれた。大きなドールハウスをテーブルの上に置き、箱から取り出して並べると、母はその精巧な作りに目を見張り、興奮した様子で一つ一つを眺め始めた。

「まあ、なんて素敵なの。まるで本物の屋敷みたいに細かいわね」

「お母さんのために、これまでで一番の作品を作ったのよ」

「まき、素敵な家をありがとう。こんな贈り物、他にはないわ」

母は声を弾ませ、まるで本物の家を手に入れたかのように感激してくれた。報われた気持ちでいっぱいになった、その時だった。

背後から突然、ため息交じりの聞き慣れない声が聞こえた。

「これ、何ですか?」

驚いて振り返ると、兄嫁のみさが腕を組んで立っていた。

「え、これが家?本物の家じゃなくて、こんなおもちゃ?」

みさの顔は一瞬で青ざめ、声はヒステリックに震え始めた。

「こんなの冗談でしょ?私は新しい家に住めるって信じてたのに」

「みささん、これは私が母に送ると約束していた家よ。母のために心を込めて作ったドールハウス。一体、何を期待していたの?」

私が冷静に返すと、みさは一瞬ぽかんとした後、みるみる顔を引きつらせた。

「はあ?こんなおもちゃの家なんて。私は豪邸をもらえると思って、マンションまで解約したのよ」

みさはドールハウスを指さして大声で不満を叫び始めた。その声を聞いて、兄の高一も驚いて部屋に入ってきた。状況を察したのか、高一は母の顔をうかがいながら気まずそうにしていた。

「でもみさ、普通に考えて、まきが家を一軒プレゼントするなんて言ってなかったよな」

兄が確認すると、みさはさらに逆上した様子だ。

「だって、まきさんのご主人は会社員勤務でしょ。それなりの収入もあるはずだから、新しい家くらい買ってくれてもおかしくないって思ったのよ」

みさはそう言って、居間にいた吉孝を睨みつけるようにして吐き捨てた。完全に八つ当たりだ。

母はそれまで黙って様子を見ていたが、ついに表情が険しくなり、みさに向かって静かに告げた。

「みささん、私はこの家に愛着があるのよ。まきが作ってくれたこのドールハウスも、この家の思い出と重なるように素敵なものだわ。でも、あなたはそんな私の気持ちを少しも理解していなかったのね」

みさは母の冷静な口調に気圧され、二の句が継げない。母は構わず続けた。

「この家はね、亡くなった主人と一緒に暮らしてきた思い出が詰まっている大切な場所なの。引っ越しや建て替えなんて考えたこともないし、同居も私からお願いした覚えはないわ。むしろ、あなたが突然同居すると言い出して、正直驚いたくらい」

みさの表情がさらに青ざめていくのが分かった。

「母さん、そうだったのか。俺、みさから『母さんが一人暮らしが不安だから同居して欲しい』って聞いて、その話を鵜呑みにしてしまったんだ」

高一が悔やむように言う。母は静かに頷いた。

「みささん、あなたが高一に嘘をついて同居を始めたのが、豪邸に住めることを期待してだというのなら、これ以上この家にいる理由はないと思うわ」

その言葉に、みさは一瞬息を飲んだが、また何か言い返そうとした。しかし、その時、兄がみさに向き直り、静かな声で話し始めた。

「みさ、いい加減にしてくれ。この家は母さんにとってかけがえのない場所なんだ。君が豪邸のことばかり考えて、母の気持ちを尊重しないなんて、俺は見過ごせないよ」

「高一さん、あなたまでそんなこと」

みさはショックを受けたようで、今度は兄に向かって食い下がろうとする。しかし、兄は真剣な表情を崩さずに続けた。

「俺も、このことをきっかけに考え直したい。みさの自分勝手なところには、前からうんざりしていたんだ。お互い思い違いで結婚生活を続けるより、冷静に別々の道を歩む方がいいのかもしれない」

「何を言っているの?」

「離婚だよ。母やまきに迷惑をかけて、反省もしないようなら、この先やっていけないよ」

みさは絶句し、ついに言葉を失ってしまった。ヒステリックな叫び声が響いた後、私の夫の吉孝と兄の高一に止められたみさは、ようやく正気に戻ったのか、気まずそうにしていた。その後、兄とみさは話し合うと言って家から出ていった。

兄とみさが去った後、母は私の方を見て静かに微笑んだ。

「本当に素敵な贈り物をありがとうね、まき。このドールハウスのおかげで、ずっと手放せなかった厄介なものまで、一緒に片付いてしまったわ」

その日から、母の家には再び穏やかな静けさが戻った。騒がしく飛び込んできたみさの姿はもうなく、母は好きな花の手入れをしながら、落ち着いた日々を楽しんでいると聞く。兄もあれから冷静になり、離婚を前提とした別居を始めたらしい。母とは時折顔を合わせているそうだ。

それから数年後。私には小さな家族ができ、今度は自分の子供を連れて母の家を再び訪れることになった。いつものように玄関のベルを鳴らすと、少し年を重ねた母と、落ち着いた表情の兄が出迎えてくれた。

「まゆ、おばあちゃんだよ。こんにちはって言ってごらん」

子供に話しかけると、母も顔をほころばせた。

「まあ、すっかり大きくなったわね。さあさあ、寒かったでしょう。早くお入りなさい」

そう言うと、私たちを居間に通してくれた。居間に入ると、目に飛び込んできたのはあのドールハウスだった。あの時と変わらず大切そうに飾られていて、母の手で少しだけ飾りが足され、ますます美しくなっているようだった。

母は私がドールハウスに目をやっていることに気づくと、少し照れたように笑いながら言った。

「今でもね、毎日このドールハウスを眺めているのよ。本当に精巧でね。見れば見るほど新しい発見があるの。まるで住んでいる人たちが本当にいるみたいで、気持ちが和むのよ」

そう話す母の目は、若い頃と変わらずきらきらと輝いていて、その視線はドールハウスの部屋の隅々まで慈しむようだった。私もそれを見ながら、この家がお母さんにとって本当に特別なものになったんだなと、心から嬉しく思った。

「ねえ、お母さん、このドールハウスはずっと大事にしてくれているの?」

尋ねると、母は穏やかに頷いた。

「ええ、もちろんよ。まきがくれたこの家には、いろんな思い出が詰まっているの。あの時のバタバタも全部含めてね。だから、これからもずっと一緒にいるわ」

私の子供のまゆも、まだ小さい手でドールハウスを不思議そうに眺めながら、「これ、すごいね」と大きな目を輝かせていた。その様子を見て、母と目を合わせ、思わず二人でくすっと笑ってしまった。

「この小さな家も、こうして三代にわたって楽しんでもらえるなんて、きっとドールハウスも幸せでしょうね」

「そうね。これもまきのおかげよ。ありがとうね、まき」

そう言って、母は私の手を優しく握りしめてくれた。その日の午後、母と私、そして私の子供と一緒にこの小さな家を囲んで過ごした時間は、何とも言えない温かさと幸せに包まれていた。このドールハウスが母に贈られたことで余計な心配事が去り、今こうして家族が穏やかな時間を共有できていることが、心に深く刻まれるひと時となった。母と私、そして私の子供。この家に刻まれた小さな思い出たちが、これからも私たちを結びつけるかけがえのない宝物になるだろう。そんな未来を感じながら、その日は一日をゆったりと過ごした。

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