半年ほど前、夫の建一が心臓の病気で倒れた。幸い命に別状はなかったが、退院後も定期的な通院と服薬が必要で、食事や運動にも細かく気をつけなければならなかった。建一がようやく少しずつ普段の生活を取り戻し始めた頃、今度は義父が亡くなった。84歳になる義母が、一人で暮らすことになったのだ。
葬儀を終えて一週間ほど経った夜、建一が私に言った。
「母さんを、この家に呼ぼうと思う」
相談というより、もう決めたことを伝えるだけの口調だった。私は同居そのものに反対したわけではない。高齢の義母を一人にしておくのが心配なのは、私にも理解できた。ただ、建一自身もまだ療養中だった。
「一緒に暮らすことには反対しないよ。でも、建一さんもまだ無理はできないでしょう」
私は言葉を選びながら続けた。
「お母さんも高齢だし、どう分担するのか。今後、どちらかに介護が必要になったらどうするのか。もう少しきちんと考えてからのほうがいいんじゃない?」
すると建一は、不快そうに眉を寄せた。
「母さんを邪魔者みたいに言うなよ」
「そんなことは言ってないでしょ」
「家族なんだから、助け合えばいいんだ」
私はそれ以上、強く言わなかった。父親を亡くしたばかりで、母親まで一人にしておけないという気持ちも分かっていた。きちんと話し合えば、なんとか暮らしていける。その時の私は、そう考えていた。
しかし、部屋の使い方や家事の分担を話し合うより先に、義母が引っ越してくる日が決まった。引っ越し当日、玄関のチャイムが鳴ると、建一は私より先に立ち上がり、急いで扉を開けた。
「ママ、それだけ?」
私は一瞬、聞き間違いかと思った。
「そうよ。あとは建一が運んでくれるでしょ」
「もちろん、ママは何もしなくていいよ。疲れただろ」
建一の声は、私がこれまで聞いたことがないほど甘かった。56歳の夫が母親を「ママ」と呼ぶことを、私は結婚して29年目にして初めて知った。私と話す時は、いつも「母さん」と呼んでいたのに。
普段の建一は、気が強く、人前では弱音も吐かない。それなのに、義母を前にすると、表情も話し方もまるで別人だった。
「ママ、こっちに座って」
「ママ、寒くない?」
「ママ、この部屋で大丈夫?」
母親を大切にすることが悪いとは思わない。それでも、目の前の建一は、56歳の夫というより、母親の前で幼い頃に戻った息子のように見えた。私は二人の荷物を運びながら、何とも言えない違和感を覚えていた。
私の名前は祥子。54歳。建一とは29年前に結婚し、これまで夫婦二人で暮らしてきた。建一が倒れてから、私は毎朝、薬を飲んだかどうか確認していた。塩分を控えた食事を作り、診察にも付き添った。夜中に胸の違和感を訴えれば、救急車を呼ぶべき状態かどうかを確認した。少しずつ歩ける距離が伸びるたびに、私は自分のことのように喜んだ。
建一も最初は、「祥子がいてくれて助かったよ」と感謝してくれていた。けれど、義母との同居を境に、それまで見たことのなかった建一の一面が、次々と現れ始めた。
同居が始まった翌朝、私は建一のために塩分を控えた朝食を作った。義母は味噌汁を一口飲むと、すぐに顔をしかめた。
「何よ、これ。味がしないじゃない」
「お母さん、建一さんは食事に気をつけるよう病院から言われているんです」
「医者は大げさなのよ。建一は昔から濃い味が好きなの」
義母は冷蔵庫から漬け物を出し、建一の前に置いた。
「まあまあ、やっぱりこれがないとなあ」
建一は嬉しそうに箸を伸ばした。
「建一さん、食べすぎないでね」
私が声をかけると、義母は不満そうに私を見た。
「いちいちうるさいわね」
「忘れることがあるから、確認しているだけです」
すると建一まで、「ママは俺を心配してくれているんだ。いちいち言い返すなよ」と義母をかばった。
義母は、建一の通院に一度も付き添わなかった。薬の名前も、次の診察日も知らなかった。夜中に建一が苦しそうに起きても、「私は年寄りだから、祥子さんが見てあげて」と私を起こしに来るだけだった。
それなのに、翌朝になると、「昨日は随分慌てていたわね。妻なのに建一の体調も分からないの」と私を責めた。義母が建一に好物を食べさせる。建一が生活上の注意を軽く考える。体調を崩せば私が対応する。その繰り返しだった。
ある日、義母が揚げ物を山盛り作った。
「建一、たくさん食べなさい。体はこれくらい食べないと元気が出ないわよ」
「ママの唐揚げ、久しぶりだな」
「建一さん、今日は少しだけにしたほうがいいよ」
私が言うと、義母は箸を置いた。
「また始まった。あなたは、建一を病人にして、自分がいないと何もできないようにしたいの?」
「そんなつもりはありません」
「じゃあ、好きなものくらい食べさせてあげなさいよ」
私は言葉を選びながら答えた。
「お母さんが心配される気持ちは分かります。でも、治療については先生から聞いた方法で続けさせてください」
その瞬間、建一がテーブルを強く叩いた。
「ママに偉そうな口をきくな」
「偉そうになんて言ってないでしょ」
「ママはお前よりずっと長く俺を見てきたんだ。俺のことは、ママのほうが分かっている」
私は言葉を失った。病名も薬も診察日も知らない義母。夜中に何かあれば、私を呼びに来る義母。その義母のほうが、私より建一を分かっているという。
義母は勝ち誇ったように笑った。
「そういうことよ。妻だからって、何でも分かった顔をしないほうがいいわ」
それから、建一はますます義母に甘えるようになった。薬を飲み忘れても「1回くらい大丈夫だよな、ママ」。食事の注意を無視しても「祥子は神経質なんだよ」。体調が悪くなれば、「お前がちゃんと見ていないからだ」と私を責めた。
私が嫌だったのは、建一を支えることではなかった。二人が好き勝手をした後の後始末だけを任され、その上、何もしていないかのように責められることだった。
決定的な出来事が起きたのは、同居を始めて二ヶ月ほど経った夜だった。建一が胸の苦しさを訴えた。私は病院へ電話をかけ、症状を説明した。電話の向こうから看護師が次々と質問してくる。その横で義母が、「少し寝れば治るわよ。救急車なんて呼んだら、近所に何を言われるか」と話しかけてきた。
声が重なり、看護師の言葉が聞き取れない。私は義母へ言った。
「今は静かにしてください。病院の話が聞こえません」
すると建一が怒鳴った。
「ママに怒鳴るな!」
「怒鳴ってない。建一さんの症状について、病院と話しているの」
「お前は最近、ママに冷たすぎるんだよ」
「今はそんな話をしている場合じゃないでしょ」
建一は苦しそうに胸を抑えながら、それでも義母を守るように私を睨んだ。
「ママに逆らうなら、出ていけ」
耳を疑った。半年前から誰より近くで看病をしてきた私に向かって、建一はさらに言った。
「一度別居して、頭を冷やせ」
義母も隣で薄く笑った。
「少し離れたほうが、自分がどれだけわがままか分かるんじゃない?」
建一は、私が数日で謝って戻ってくると思っているのだろう。私はしばらく二人を見つめた後、静かに答えた。
「分かりました。そうしましょう」
翌日から、私は準備を始めた。感情的に飛び出したわけではない。建一の薬、通院日、病院の連絡先、体調が悪化した時の対応を紙にまとめた。必要な書類も、すぐ分かる場所へ置いた。そして病院へ行き、「現在別居の準備をしており、今後は私を主な支援者として扱わないでほしい」と伝えた。自分名義の預金を確認し、小さな部屋を借りた。
一週間後、私が荷物を運び出していると、建一は驚いた。
「本当に出ていくのか?」
「別居して頭を冷やせと言ったのは、建一さんでしょ?」
「少し離れろって意味だ。こんな本格的に出ていけとは言ってない」
「私は言われた通り、離れて考えます」
義母は鼻で笑った。
「どうせすぐ戻ってくるわよ。建一の世話ができるのは、あなたくらいなんだから」
私は何も答えず、家を出た。
新しい部屋は狭かったけれど、夜中に誰かに呼び起こされることもない。食事の味を攻められることもない。私は久しぶりに、朝までぐっすり眠った。
夫と義母は、私がすぐ戻ると思っていたらしい。しかし、私は戻らなかった。一ヶ月ほど経った頃、建一から何度も電話が入った。緊急の用事かもしれないと思い、一度だけ出た。
「祥子、戻ってきてくれ」
声に、以前の勢いはなかった。
「ママじゃ、薬のことも病院のことも、何も分からないんだ」
「必要なことは、全部書いて残したでしょ」
「書いてあっても、ママは無理なんだ。できるわけないだろ」
「病院へ相談してください」
「妻のお前がいるのに、どうして他人を頼らなきゃいけないんだよ」
その言葉を聞いた瞬間、私は電話を切った。私より義母のほうが夫を分かっている。そう言って私を追い出したのは、建一自身だった。
それから間もなく、建一は再び体調を崩し、入院した。私は病院から連絡を受けた。必要な治療はすでに行われていると聞き、少し安心した。退院前の話し合いには、今後の関係を整理するために出席した。医師と看護師、医療相談員が同席していた。建一の隣には、義母が座っていた。
退院後の生活について尋ねられると、義母は当然のように答えた。
「祥子さんが家へ戻れば大丈夫です。今までも、全部あの人がやっていましたから」
医療相談員が私を見た。
「退院後、支援を続けることは可能ですか?」
私ははっきり答えた。
「いえ、現在は別居中です。私は建一さんの介護者として、家へ戻る予定はありません」
建一が慌てて身を乗り出した。
「何を言ってるんだ。今回は本当に大変なんだぞ」
義母も声を荒げた。
「病気の夫を見捨てるなんて、妻として恥ずかしくないの?」
私は義母を見た。
「別居して頭を冷やせと言ったのは、建一さんです」
そして夫へ向き直った。
「言われた通り、離れて冷静に考えました」
「俺は本気で別れろなんて言ってない」
「私も、離れるまでは本気で離婚を考えていませんでした」
建一の顔色が変わった。
「俺が悪かった。だから戻ってきてくれ」
そして、隣の義母を見ながら言った。
「ママは高齢なんだ。俺の世話なんて、できるわけがないんだよ」
私は静かに問い返した。
「でも建一さんは私に言いましたよね。ママは私より長くあなたを見てきた。私よりあなたのことを分かっているって」
義母が口を挟んだ。
「それと介護は別でしょう」
私は義母へ向き直った。
「口を出す時だけ母親で、支える時だけ私が妻になるんですか?」
義母は何も答えられなかった。
「お母さんは、私の看病の仕方を何度も攻めました。でも、薬の名前も診察日もご存知なかった」
「それは、祥子さんが全部やっていたからでしょ」
「私がやっていた時は文句を言い、私がいなくなったら戻ってやれと言うんですね」
義母は唇を噛み、俯いた。
私は建一へ告げた。
「建一さんが守ったのは、病気のあなたを支えていた妻ではありません。何も知らないまま私を責め続けたママです」
建一は泣きそうな顔で私を見た。
「もう一度だけ、チャンスをくれ」
私は首を横に振り、離婚届を入れた封筒をテーブルへ置いた。
「建一さんが言った通り、頭を冷やして考えました」
そして静かに続けた。
「これが、私の答えです」
部屋の中が静まり返った。医療相談員は、今後利用できる支援や制度、生活上の相談窓口について説明を始めた。私は必要な連絡先が建一へ渡ったことを確認し、席を立った。
夫を病院へ置き去りにしたわけではない。ただ、妻だからという理由だけで、すべてを背負う役目から降りたのだ。
数ヶ月後、離婚が成立した。建一は退院後、専門の支援を利用しながら自分で病気と向き合っていると聞いた。義母も、自分にはできないことがあると、ようやく認めたらしい。二人が今、どう暮らしているのか、私は詳しく知らない。知る必要もないと思っている。
私は今、小さな部屋で一人暮らしをしている。ある朝、自分のためだけに朝食を作った。塩分を測る必要もない。義母の好みに合わせる必要もない。その日に私が食べたいと思った味にした。
誰かを支えることが嫌だったわけではない。支えてもらいながら、その人を踏みにじる関係だけが嫌だった。夫婦や家族なら、困った時に支え合うことは大切だと思う。けれど、一人だけが我慢し、感謝も尊重もされない関係を、「家族だから」という言葉で続ける必要はない。
大切なのは、誰が一番長くそばにいたかではなく、目の前の相手がしてくれていることに気づき、大切にすることなのかもしれない。
あの日、建一は私に頭を冷やせと言った。冷静になったからこそ、私はもう戻らない。
