「お母さん、助けてください」
電話の向こうで、エリカの声が焦っていた。久しぶりの連絡がそれかと思いながら、私は受話器を握り直した。
「え? エリカさん、急にどうしたの?」
「生活費が足りないんです。月に十万でいいんで、仕送りしてください」
「十万? 何言ってるのよ。そんなことできるわけないでしょう」
「そんな息子夫婦を見捨てるんですか?」
「そうじゃなくて。そもそも一也の収入は悪くないはずでしょ。二人で生活する分には問題ないんじゃないの?」
「一也が家計のことを考えずにお金を使うんです」
「だったら一也に直接言いなさいよ。お金の管理をしてるエリカさんが言うなら、聞くわよ」
「聞いてくれてたら、こんなことになってません。いいから仕送りしてください」
私は一つ息をついた。
「あのね。先月、私が渡した三十万はどうなったの?」
「もうなくなりました。カードもそろそろやばくて」
「バカを言うんじゃありません。そんな調子でお金を使う人に仕送りなんてできるわけない」
「そっちだって、お父さんの高級時計を認めてましたよね。自分は良くて、私はダメってどういうことですか?」
「お父さんは何十年もお金を貯めて買ったんだもの。しかも家計の範囲内でね」
「あの時計、三千万するらしいじゃないですか。知り合いの質屋に写真を見せたら、驚いてましたよ。それだけ欲しかったみたいで。亡くなった後も資産になるからって言ってたわね」
「じゃあ、その資産を売れば仕送りくらいできますよね」
「なんでお父さんの品を売らないといけないの?」
「息子夫婦よりも、亡くなった夫の形見のほうが大事なんですか? ああ、冷たい母親だ」
私はしばらく黙った。そして、冷たい声のまま言った。
「わかりました。月二十万でいいのね」
「やった! さすがお母さん!」
「調子のいいことばかり言って。仕送りはしてあげるけど、一也にも言うからね」
「え、なんでですか? 原因は一也にあるんでしょ? なら事情を伝えて、自分で直させないと意味ないわ」
「ダメです。ダメ」
「何がダメなのよ。このままってわけにはいかないでしょ」
「お母さんだって知ってますよね。一也はプライドが高いんです。お母さんから仕送りをもらって、説教までされるなんて、きっと仕送り自体を断りますよ」
「いくら何でも、状況を見るでしょ」
「いいえ。一也なら断ります」
「そうは言ってもね」
「そうなったら生活できないんで、一也には黙っててください。そこは私からきつく言っておきます」
「さっき、意味なかったって言ったわよね」
「とにかくそういうことです。なので、これ以上は干渉しないでください」
「ああ、まあいいわ。それじゃあ数ヶ月くらいは仕送りするから。これが最後だからね」
数ヶ月後、一也が苛立った声を上げた。
「マジでさあ、エリカ。ふざけてんの?」
「何が?」
「今日の会社の飲み会、お前が小遣いをくれないせいで行けなかったんだけど」
「しょうがないでしょ。お母さんへの仕送りで余裕がないんだから」
「そもそもなんで仕送りなんだよ。母さんって、そんな生活に困ってたっけ?」
「知らないよ。向こうが仕送りしてくれって泣きついてきたの」
「息子夫婦相手に金をせびるとか情けないな。俺がこんなに苦労してるってのに」
「はいはい。仕事、お疲れ様」
「趣味のマウンテンバイクも我慢してるんだぞ。最新のやつを買おうと思ってたのに。しかも飲み代まで減ってるし」
一也がため息をついたそのとき、私のほうがにこやかに切り出した。
「実はね、一也。一年くらい前から投資を始めてたの」
「投資? お前さ、専業主婦のくせに何勘違いしてんだ? 俺の稼ぎで遊んでんじゃねえよ」
「遊んでないから。そもそも一也のせいでしょ? 趣味だの酒だのでお金を使うから、将来のために私が資産運用してるの」
「だからって俺に黙って」
「配当金、入ったのよ」
「は?」
「配当金が八万」
「八万? マジで?」
「うん。しかもこれからは継続的に入るって。来月には十万以上になるって言われた」
「ああ、それ、大丈夫なやつなのか? 毎月十万ってちょっと怪しくない?」
「有名人もフォローしてる有名なトレーダーさんだよ。SNSで連絡したら、いろいろと教えてくれたの」
「でも実際に八万入ったんだもんな」
「そうそう。ここでやめるとか、そっちのほうがバカだから」
「でもそうなると仕送りがな。せっかく投資が軌道に乗ってんのにもったいなくね?」
「そうだよね。私もそれ思ってた」
「もう断ろうぜ。母さんには老後の世話は自分で見ろって言ってやるわ」
「お母さんのことだから適当なこと言うだろうけど、そんなの無視して思いっきり言ってやって」
「お、任せとけ」
翌日、一也は電話口で言い放った。
「母さん。仕送りするの、もうやめるわ」
「はい?」
「いくら息子夫婦相手とはいえ、甘えすぎだから」
「仕送り? 私がもらってるって?」
「知らばっくれても無駄だ。エリカから全部聞いてるからな」
「エリカさんから? 一也、何を言ってるの」
「母さんがエリカに泣きついたんだろう。だから仕方なく仕送りしてやってたんだ。この数ヶ月ずっとな」
「いや、本当に何を言ってるのよ。仕送りをしてたのは私じゃない」
「あ? 俺の嫁が嘘をついてるって言うのか」
「実際そうでしょ。呆れたわ。失望したわね。母さんって、そういう嘘をつく人だったんだ」
「私は嘘なんてついてないわよ」
「エリカは投資で稼いでるんだよ。資産運用ってやつ? 実際に利益も上げてる。母さんからの仕送りに頼る必要なんてないんだよ」
「すぐバレるわよ。嘘をついて楽しい?」
「ああ、そういうことだからな。お金がないって言ってたのは、そういうことか」
「何がだよ」
「いいや、こっちの話よ。でも私にどうこう言う前に、エリカさんと話し合いなさい。しっかりと事情を聞いて判断するの」
「うわ、今度は俺とエリカを喧嘩させようってか。自分の嘘がバレたから焦ってるんだろ」
「違うわよ。一旦冷静になりなさい。エリカさんと話し合ってからでも遅くないわ」
「いいや、もう遅いね。エリカも母さんにはうんざりして、ぶち切れてんだ。もう俺らに干渉するのはやめろ」
「干渉中? ……ああ、干渉中ね。わかりました。それがあなたたちの答えなら、それでいいのね」
「いいって言ってんだろ。老後の世話くらい自分でやれ。これ以上、俺たちに迷惑かけるな」
「そうですか。じゃあこっちもやめるけど、問題ないわね」
「本当は仕送りしてないくせに、図々しいんだよ。恥知らずもそこまで行くと、逆に立派だな」
「本当にそうね。恥知らずも行きすぎると立派だわ。うんざりしてた。それはこっちのセリフよ」
「あっそ。勝手に行ってろ。もう母さんは家族じゃないから、絶縁するわ」
「どうぞご自由に。三十を超えた息子にここまで言われて、我慢する気はないわ。さようなら」
一ヶ月後、一也の焦った声が家に響いた。
「おい、これ、一体どういうことだよ。カード止まってんだけど」
「悪いんだけど、もうちょっと待って」
「待ってって何だよ。投資はうまくいってんだろ。母さんへの仕送りもやめたんだよな」
「だから、ちょっと待ってって」
「何をそんなに焦ってんだよ」
「へ……嘘でしょ? どうなってんの?」
「エリカ、どうした」
「捕まったって……」
「は? 誰が?」
「私がお金を預けてたトレーダー」
「は? 捕まった? 金は? 俺らの金はどうなんだよ」
「わかんないよ、そんなの」
「てか、捕まったってことは……詐欺? 投資詐欺に引っかかったってことか」
「みたい」
「みたいじゃねえだろ。どうすんだよ。一体いくら渡してたんだ?」
「一年間ちょっとずつ渡してたから、三百万」
「三百万? お前、それってうちの貯金全部ってことか?」
「しょうがないでしょ。一也がお金をバンバン使うから。将来が不安だったの」
「だからってお前」
「あ、詐欺ってことは、帰ってくるんだよな」
「無理っぽいかも」
「はあ? なんで残ってなかったんだよ、一円も。だからSNSでも取り返せないって言ってる人いて……ざけんなよ。マジでどうすんだよ」
「一也……どうしよう」
「くそ。しょうがない。母さんに頼るしかないか」
「それ、多分無理」
「絶縁したって言っても、謝ればいけるだろう。仕送りだってしてやってたんだ。なら、その分を返してもらえば」
「仕送りなんてしてない」
「は? してない?」
「でもお前、してもらってたの。投資でお金を使っちゃってて、生活費が足りなかったから」
「じゃあ何か。全部嘘だったってことか。母さんが言ってたことが、本当だったって」
「ごめん」
「ごめんじゃねえよ。マジで詐欺られて三百万なくして、母さんにも頼れなくて、カード止まったってことは生活費もないんだろ? これからどうやって生きてくんだ?」
一也がしばらく黙ったあと、小さく言った。
「ねえ、エリカ。親父の時計さ、三千万だって」
「親父の遺品だよな、あの時計って」
「三千万。それだけあれば……」
「知り合いの質屋が言ってた。世界に数本しかないモデルだって。シリアルナンバーがついてる本物だよ」
「いや、でも、親父の形見だぞ」
「じゃあ、このまま破産するの? 将来は?」
「でもさ、こうなったのも、お母さんのせいでしょ。お母さんがさっさとあの時計を売って、お金をくれてたら、私だって投資なんてしなかったし」
「そっか。そうだよな。悪いのは母さんだわ」
「でしょ。だったらさ、売っちゃわない? 返してもらおうよ、私たちのお金」
数日後、私のLINEに一也から連絡が来た。
「母さん。うちにあった親父の形見、知らない?」
「ああ、親父さんの時計かしら。知らないわよ」
「あ、やっぱり亡くなったのか」
「そうなのよ。ほら、私の部屋に飾ってあったでしょ」
「そんな分かりやすくしてるからだろ。けど、変なのよね」
「何が?」
「家の鍵はしっかりかかってたのよ。しかも、鍵を壊したりもしてないみたいで」
「ああ、あれだろ。母さんって、玄関前の鉢植えの下に鍵を置いてるじゃん。それを使われたんだって」
「やっぱりそうなのかしら」
「防犯意識がなってねえんだよな。あんな分かりやすいもんを置いてるんだから、しっかりしろよ」
「ねえ、一也。私、あなたに時計の値段を言ったっけ?」
「ああ、それはエリカの知り合いの質屋から聞いたんだよ。なんか写真を見せてたんだろ? エリカのやつが」
「そうね。そう言ってたわね。それで知っただけ。何もおかしくないでしょう」
「ねえ、一也。エリカさんが仕送りをお願いしてきてたでしょう」
「ああ、そうだったな。あいつ、俺に嘘をついてやがったんだよ」
「それはいいんだけど……生活は大丈夫なの? 私の仕送りがなくても、生活できてる?」
「全然問題ないわ。むしろ余裕があるくらいだし。マウンテンバイク、新しいの買っちゃったんだよね」
「ええ、そうなの? 一体どこからそんな余裕が出たのかしらね」
「おいおい。まさかとは思うけど、俺らを疑ってる?」
「疑うなんて、そんな。ただ、少し前まで困ってたのに、どうしたんだろうって。気になるのは当然でしょ」
「それはあれだよ。エリカの投資がうまくいったんだよ」
「ああ、なるほど。それで言ってたもんね、投資の調子がいいって」
「そうそう。そういうこと」
「でも、最近捕まったってニュースがあったわよ。投資詐欺だったかしら。あなたたちも気をつけなさいね」
「大丈夫だって。俺らは関係ないから」
「母さんは泥棒に入られて敏感になってるだけだろ」
「そうよね。それにしても、あの時計を取って、どうする気なのかしら」
「はあ、そりゃ売るんだろ」
「でも、売る意味ないわよ」
「え? どういうことだよ」
「シリアルナンバーが入ってるから、すぐに見つかるわ。保証書だって残ってたし。もし仮に売れたとしても、すぐに捕まるでしょうね」
「え? 捕まる? そんなバカな」
「いや、だって泥棒よ。捕まるに決まってるじゃない」
「いやいやいや」
「どうしたの? 一也、そんなに焦って。あなたたちには一切関係ない話でしょ」
「あ、ああ。俺たちには関係ない。ただちょっと気分が悪いから、LINEはここまで」
「そう、残念ね」
「悪い。ちょっと忙しいから」
十分後、一也はエリカに叫んでいた。
「おい、まずいって。このままじゃ俺ら逮捕される」
「はあ? 何を言ってんの?」
「母さんが言ってたんだよ。なんかシリアルナンバーで見つけられるとか」
「ああ、一也って本当に情弱だよね」
「情弱? どういうことだよ」
「親族相盗例って知ってる?」
「親族相盗例? 親族の家の盗みは犯罪にならないってこと?」
「え? マジで? じゃあ俺らは捕まらないってことか?」
「仮にバレたとしても、そういうことにはなりません」
「てか、母さんは私たちだって気づいてんの?」
「いや、どうだろうね。だから大丈夫」
「よく知ってたな、そんなこと」
「SNSで法律に詳しい人が言ってた。今の時代、ちゃんとアンテナを張ってないとね」
「またSNSかよ」
「でも安心したでしょ。バレたら母さんは怒るかもだけど、もう絶縁してるから問題ないじゃん」
「確かに」
「ああ、安心したらテンションが上がってきた。カーボンフレームのやつも買っちゃおうかな」
「私もブランドバッグ買っちゃおう」
「本当、お母さんとお父さんには感謝しないと」
「マジでそれな。あんなバカ高い時計を買っててくれて、ありがとう」
「親父もあの世で喜んでるだろう」
「息子夫婦の役に立ったんだもん。きっと喜んでるよ」
「だよな。よし、ポチっとね」
数日後、私の電話に一也が出た。
「一也、今、時間ある?」
「お母さん。今日さ、マウンテンバイクが来るんだよ。カーボンフレームの最新のやつ」
「そう、それは残念ね」
「はあ? どこがだよ。最高の間違いだろ」
「それを買ったお金、返してもらうわよ」
「何を言ってんの? 返すって、俺が? 冗談やめろよ」
「これはエリカさんが投資で稼いだ金で買ったんじゃないわよね。お父さんの時計を売って買ったんでしょ?」
「それは泥棒の仕業だろ」
「その泥棒があんたたちだって言ってるのよ。証拠はあるの?」
「エリカさんのSNSから、知り合いの質屋を特定したわ。そこに連絡を取ったら、案の定だったの」
「あ、へえ。そうだったのか。良かったな。親父の形見が見つかって」
「販売者も特定できたわよ。あんたたちね」
「いや、それって個人情報だろう。店が教えるとかありえないよな」
「シリアルナンバーがあるって言ったでしょ。保証書も私が持ってるんだから、事情を説明したのよ」
「だよな。まあいいわ。どっちにしろ分かったからな」
「何だって言うんだ。強気ねえ。親族相盗例ってのがあるんだよ。家族間の盗みじゃ捕まんねえんだな。知ってるわよ、それくらい。じゃあこの話は終わりだろ。無駄な努力。ご苦労さん」
「はあ。あんた、本当に浅はかよね」
「はあ? 何がだよ。俺らは法律で守られるんだよ」
「刑事からはね。けど、民事は別よ」
「え? 民事?」
「家族であっても盗みは盗み。損害賠償の請求はできるのよ。弁護士には相談しましたからね」
「いやいやいや。え、損害賠償? ちょ、それっていくら?」
「あんたが時計を売って得た金額、三千万」
「はあ? 三千万? なんでそんな大金?」
「この辺は少しややこしいのよ。遺品だって知らずに買い取った店も被害者なの。だから、ただで私に返すなんてできない。それを買い戻すための金額よ」
「だからって、そんな三千万なんて大金、使い切ってはないんでしょ? まだ残ってるはずよ」
「そりゃ残ってるけど、もう二百万くらいは使ってる」
「なら、二百万分を補填して返しなさい」
「無理に決まってんだろ。二百万だぞ。貯金だって、時計の売却金を引いたら残ってないんだ」
「だから何? あんたは泥棒が『無理』って言ったら、諦めるの?」
「いや、でも親子だぞ。普通、そんな大金を請求しないだろう」
「普通は親の形見を売ったりしないのよ」
「ふざけんな。親父だって、こんなの望んでねえよ。母さんが持ってても意味ないだろ。俺たちのためになるほうが、親父のためなんだよ」
「一也。あんたって子は、一体どこまで失望させれば気が済むの?」
「はあ。事実だろ」
「あの時計はね、私が持ってないと意味がないのよ」
「どういう意味だよ」
「お父さんは自分のために買ったんじゃないの? 少ない小遣いを何年も、何十年も貯めて。夫婦の時間を刻むものが欲しいって、そう言って買ったのよ」
「いや、でも、あれって親父の趣味だったんじゃ」
「あんた、お父さんが高い時計をつけてるのを見たことある?」
「いや、ないけど」
「あの時計、結婚記念日以外につけたことなんてないわ。値段の問題じゃないの。あれは私とお父さんの人生が詰まってるのよ」
「知らねえよ、そんなの。だからって俺たちから金を取るのか」
「思い出を盗んだ犯人から取り返すだけよ」
「なあ、母さん、落ち着けって。そんなに大事なものだとは思わなかったんだ。ほら、俺たち親子だろ。こんなことはやめよう」
「絶縁したのはあんたでしょ。もう親子じゃなくて、他人よ」
「ま、待てよ。待ってくれ。俺はエリカに言われてやっただけなんだ。だから俺は悪くない。冷静になってくれよ」
「私はすごく冷静よ。もうあんたを息子とは思ってない。そんな『干渉中』だったかしら? ああ、親の思い出を踏みにじって、お金に変えて。これなら寄生中のほうがまだましね。私とお父さんの思い出、返してもらうわよ」
三十分後、私の電話にエリカが出た。
「エリカさん。もう聞いてるわね。損害賠償ですけど」
「聞いてますよ。どうぞ、ご自由に」
「あら、随分と余裕ね。一也が払えないって言ってたのに」
「だって、私、関係ないんで」
「関係ない?」
「離婚しますから」
「ああ、離婚ね」
「そもそもですよ。私はずっと一生懸命やってきたんです。一也が家計のことを考えないから、将来のためにって投資までやったんですよ」
「失敗したんでしょ。だからお父さんの時計を売ったのよね」
「そりゃ、騙されちゃったりはしましたよ。けど、これって私が悪いわけじゃないですよね。騙すほうが悪いですよね」
「それはそうね。言う通りだと思うわ」
「でしょ。それだけやってきたのに、一也のせいで借金なんて。そんなの付き合ってられません。だから離婚するんです」
「本当に、聞いてるだけで吐き気がするわね」
「はあ? なんでですか? 私、何か間違ったこと言ってます? 私は何も悪くないでしょ」
「まず、生活費が足りなくなったのは投資のせいよね。それは、でも将来のためにってやったのよね?」
「そのために、仕送りのことで嘘までついたの? 私に泣きついておいて、一也には逆のことを伝えて。夫婦円満のためですよ。投資のことでお金を勝手に使って、仕送りを頼んだって一也にバレたら、それこそ離婚されます」
「自覚があるんじゃない。『私は悪くない』って、どの口が言ってるの?」
「仕方ないじゃないですか。悪いのは、私の苦労も知らずに散財してた一也なんで」
「仕送りじゃなくても、パートでも良かったわよね。月十万なら、それで足りたはずよ」
「いや、私は専業主婦なんで。一也も真剣に生活費のことを言わなかったのは、喧嘩になったら大変じゃないですか。夫婦仲を保つために、諦めも重要なんですよ」
「結局、あんたはそうやって楽してただけよ。被害者ヅラする資格もない。自分のために周りを悪者にしてるだけじゃない」
「はいはい。お説教なんて聞きたくありません。どっちにしろ、もう離婚するんで。あとはそっちで好きなようにしててください」
「逃げられると思った?」
「え?」
「時計を買い取った質屋がね、警察に通報したそうよ」
「は? 親族相盗例は?」
「いつからあの質屋はあなたの家族になったの? 遺品を盗まれた店が通報するのは当然でしょう。これは立派な詐欺だもの」
「いや、でも、売ったのは一也ですよね。私は関係ないじゃん」
「一也が言ってたわよ。あんたに言われて売ったって」
「あいつ、余計なことを」
「認めるのね」
「いや、そうじゃなくて。私は悪くなくて」
「悪くないなら、堂々としてなさい」
「いや、でも、騙すほうが悪い」
「本当にその通りだと思うわ。私と一也を騙して、質屋を騙して、警察を騙せるかしら。その言い訳で、試してみたら?」
その後、一也とエリカは、質屋からの通報を受けた警察に、詐欺の容疑で逮捕されました。二人のLINEが残っており、共犯と判断されたのです。
幸いなことに、損害賠償で請求した三千万は全額、無事に回収できました。使われていた二百万は、二人の自転車やブランド品を売って補填した形です。
一也が逮捕された後、私は一度だけ面会に行きました。
一也は、ずっと「エリカのせいだ」と言っていました。でもそれはエリカも同じでした。彼女のご両親が面会に行った際も、「一也のせいだ」と恨み言をこぼしていたそうです。
結局、あの子たちはどちらも、誰かのせいにして生きてきたんでしょう。そうやって自分を正当化してきた結果が、この結末です。そのことを反省していない様子は、一人の親として残念に思います。それと同時に、親であっても限界はあるんだと。
今の私は、残念に思う以上に、この結果を当然だと思っています。それだけのことをされた。それだけのことを、あの子たちはした。そのことを、いつか本人たちが気づけるかどうか。それは、あの子たち次第です。
私の手元には、夫の形見である時計が戻ってきました。これから先も、私はこの時計と一緒に人生を歩いていきます。
取り返した思い出と、失った家族。今の私にとって、どちらが重いかなんて、考えるまでもありません。
