玄関のドアを開けた瞬間、義母が仁王立ちで待っていた。靴を脱ぐ暇もなかった。「ご飯とかはいいから、まず最初に部屋の荷物をまとめてもらっていいかしら」。あまりに突然で、私は何も言えなかった。リビングには夕飯の支度をする途中の私のエプロンが、まだ椅子にかかっていた。「もういい加減にして欲しいのよね。あんたと一緒に生活するなんて。私はうんざりだから」。立ち尽くす私に、義母は冷たい目を向けたまま続けた…

玄関のドアを開けた瞬間、義母が仁王立ちで待っていた。靴を脱ぐ暇もなかった。「ご飯とかはいいから、まず最初に部屋の荷物をまとめてもらっていいかしら」。あまりに突然で、私は何も言えなかった。リビングには夕飯の支度をする途中の私のエプロンが、まだ椅子にかかっていた。「もういい加減にして欲しいのよね。あんたと一緒に生活するなんて。私はうんざりだから」。立ち尽くす私に、義母は冷たい目を向けたまま続けた...

仕事から帰ってきた瞬間、そう告げられた。玄関で靴を脱ぐ暇もなかった。

「ご飯とかはいいから、まず最初に部屋の荷物をまとめてもらっていいかしら」

「え……何かありましたか」

「もういい加減にして欲しいのよね。あんたと一緒に生活するなんて。私はうんざりだから」

立ち尽くす私に、義母は冷たい目を向けたまま続けた。

「あんたって本当にどういう神経をしてるのかしら。自分の立場ってものを全く理解してないよね」

「立場、ですか」

「あんたは弘樹のおかげでご飯が食べられてるんでしょ。弘樹は超有名大学を卒業して大手企業で働いてるわ。給料だってすごいし、出世してもっと稼げることは間違いないわよ」

「それはもちろん理解しています。本当に弘樹のようなすごい人と結婚できて、とても幸せだと思っています」

「それで今は私たちの家で生活をしているのよ」

「そうですね。本当に感謝しています」

「感謝? そんな風に思ってもないくせに」

「思ってますよ」

「だったらどうして私の言うことを聞けないわけ? 私がお願いしたことを何一つ聞いてくれないじゃない」

「何一つというのは大げさです。ただ、この前みたいにいきなり『バラ寿司を作れ』みたいな要求をされても、難しいから断ることはありますよ。もう晩ご飯を作り終えた後だったのでね」

「私が食べたいと言ったものが作れないのなら、あんたはシフトは呼べないわ」

「お母さんがわがまますぎるんですよ。こちらも仕事をしながら家事をやっているので、何でもかんでもできるわけじゃないです」

「そうやっていつも口答えするわよね」

「お母さんの要望を全部叶えていたら、こちらは体も精神も持ちませんから」

「弘樹と結婚してるくせに、図々しいのよ」

「お母さんが弘樹のことを誇りに思ってるのは分かります。ですけど、私だって仕事をして頑張っているんです。それなのに、よく『結婚してるくせに』なんて言えますね。そんなひどい言葉を人に言えるなんて、お母さんはどうかしてますよ」

「私は事実を言っただけよ。実際、あんたの稼ぎなんて弘樹の半分以下なんだから」

「だとしても、私はお母さんのわがままに全部付き合うつもりはありません。それに何度も弘樹から注意をされてるでしょう。私の意見は聞けなくても、弘樹の言葉には耳を貸してください」

「あの子はあんたに気を遣って言ってるだけよ」

「そうですか。そう思ってればいいです」

「じゃあ、さっさとこの家から出て行ってちょうだい」

「だから荷物をまとめろとか言ってたんですね」

「今がいい機会よ。弘樹が海外出張中に離婚しなさい。今すぐ出ていけ」

「それ、弘樹は知らないでしょ」

「当たり前よ。あの子はまだ何も理解してないから。でも、海外出張であんたと距離を取ったことで、いかにあんたが不必要な存在か分かると思うわ。あの子はもうすぐ出張先から帰ってくるんだから。それまでにあんたの存在を消しておかないとね。だから今のうちに離婚だけでもしておきなさい」

「どうしてそうなると思えるんですかね」

「親子なんだから分かるのよ。あの子は私が愛情をかけて育てたの。だからあの子の考えなんて手に取るように分かるわ」

「申し訳ないですけど、そんなことできません」

「はあ。また口答え」

「当たり前じゃないですか。離婚は夫婦が決めることです。あなたに何を言われて決めることじゃない」

その日の夜、弘樹に電話をした。

「ちょっと大変なの」

「何かあった? もしかしてまた母さんか」

「ええ。しかも今までとはちょっと違うのよ」

「何があったんだ」

「いきなりあなたと離婚して家を出て行けって言われたの」

「はあ……マジで?」

「本当よ。ついさっきそんなこと言われてさ。今から帰らないといけないのに、本当に気が重いわ」

「母さんが千明きに対してきついのは知ってたけど、そこまでのことを言ってくるなんて、今までなかったよな」

「うん。さすがにこんなことは……本当にごめんな。あの人は俺に対して思い入れが強すぎるんだ」

「理解はできるのよ。弘樹は自慢の息子だからね。しかも性格だって優しいし。私だって自慢の旦那だって思ってるわ。そういう部分では理解できるんだけど、私に対してどうしてあそこまできついのか分からないわ」

「確かにそれはひどすぎるよな。俺も何度も母さんを注意したんだけど、さすがに離婚まで要求されるのは許せないよ。しかも、あなたが海外出張中ってのがやり方として汚いわ。止められる存在がいない時にやろうなんて」

「どうする?」

「あの案を進めてもいいんじゃないか。さすがにもう俺は限界だよ」

「そうね。でも、もう少しだけ様子を見るわ。なんかちょっとイライラしてて八つ当たりをしてきただけかもしれないし」

「だとしても許されることじゃないよ。俺の気持ちも無視してさ」

「でも、とりあえず帰って話をしてみるわ。それでも改善しなかったり、同じようなことを言ってきたりしたら、もうやっちゃっていいかもしれない」

「そうだな。そっちは千明きに任せてもいいか?」

「ええ、もちろんよ」

「ごめんな。俺が海外にいる時にこんなことになって」

「あなたが謝ることじゃないわ。あなたは仕事に集中しておけばいいの。帰って来た時には全部丸く収まってるからね」

「どういう形になってるかは分からないけど。ありがとう。それじゃあ、何かあったらまた連絡してくれ」

「うん」

それから三日後。私は義母の家を訪ねたが、家にいなかった。電話をかけると、すぐに繋がった。

「お母さん、どこにいるんですか」

「はあ? 何よ」

「家にいらっしゃらないんですか」

「そうよ。今日は久しぶりに直子とご飯を食べてるから。せっかく家族水入らずで過ごしてるのに邪魔しないでよね」

「私の部屋にあったものはどうしたんですか。全部なくなってるんですけど」

「あんなゴミは全て処分したわよ」

「え……処分?」

「そりゃそうでしょ。私はあんたに言ったはずよ。荷物をまとめてさっさと出ていきなさいってね。それなのに口答えしていったんでしょ。だからそんな奴のものは我が家にとってはゴミなので、全部処分させてもらいました」

「ふざけないでくださいよ。あそこには私の大切な宝物もあったのに」

「あんたにとっての宝物なんて、こっちからしたらゴミくらいの価値しかないから。それで全部捨てたってことね。あ、それと、あの部屋には直子が住むことになったわ」

「は……」

「あんたを追い出そうって話を直子としてたのよ。そしたら『荷物を処分するのを手伝うから、あっちの部屋に住ませて』って言われてね。それで了承しておいたわ」

「勝手にそんなこと」

「あんたの家でも何でもないんだから、別にいいでしょ。これであんたの居場所はもうあの家にはないって分かった? 分かったのなら、ぐだぐだ言ってないでさっさと出ていきなさいよ」

「……お母さんがそうまでして私のことを追い出したいのなら、残念ですね。これからはあんたは一人で惨めな生活をすることになるでしょうね。でもあんたならきっと楽しめるわ。一人にはぴったりの人生だと思うから」

「あなたの思い通りにはなりませんよ」

「あら、まだ言い返す余裕があるの? そんなことしてる暇があったら新しい家を探した方がいいんじゃない」

「そうですね。そうさせてもらいます。では、さようなら」

「二度と顔を見せるな」

私はその足で、今度は直子さんに会いに行った。

「直子さん、私の荷物をどうしたか教えて」

「荷物? あはは。あのゴミですか? あれなら全部捨てちゃいましたよ」

「よくもそんなことができるわね」

「だってそもそもあそこは私の部屋だったんですよ。それを取り返したってだけです。勝手に人の部屋を使っておいて、よく偉そうなことが言えますね。お母さんがあなたのことをわがままな人だって言ってたけど、やっぱりそうだったみたいですね」

「私がわがままじゃないとは言わないけど、あなたたちに比べたら私なんて全然よ。あなたはお母さんと長く暮らしてて、変だとは思わなかったの?」

「そういうのはもういいから、今後あそこには家族で住みます。ですので、ごちゃごちゃ言わずに出てもらえますか」

「嬉しいわ。正直助かる」

「何それ。強がっちゃって」

「強がりなんてないわ。嬉しいってのは正直な気持ちよ。ただ、もちろんだけどこんなことされて許せるわけじゃないから。言っておくけど、変なことしたらすぐに警察に突き出してやるからね」

「お好きにどうぞ。そっちが泣きを見ることになるから」

「そんなわけあるか」

一週間後、弘樹が帰国した。義母が家に呼び寄せようとしたらしいが、彼は断固として拒否した。直子さんからその話を聞いて、私は義母に電話をかけた。

「もう直子さんから聞いたわ。弘樹がそっちに行ったんでしょ。どうして私の言うことを聞かなかったのよ」

「何を言ってるんですか。弘樹にはちゃんと自分の意思があります」

「あの子は私が育てたのよ。私の言うことを聞くに決まってるわ」

「残念でしたね。弘樹は私のところに来ました。もうあなたのところには戻りませんよ」

「ふざけないで。あの女にたぶらかされてるのよ、弘樹は。あなたのせいであの子がおかしくなったのよ」

「弘樹はおかしくなんてなってません。ずっとあなたに耐えていただけです。何度もあなたを注意してきたのに、あなたは一度も変わらなかった。だから弘樹は決めたんです。もうあなたとは関わらないって」

「そんな……私がどれだけあの子に愛情を注いできたか。大学に行かせるためにどれだけお金をかけたか。私は何一つ贅沢をせずに、あの子のために全部やってきたのよ。ちょっとくらい恩返しをしてくれてもいいじゃない」

「弘樹は恩返しをするつもりでしたよ。あなたのことは好きじゃなかったけど、感謝はしてましたから。でも、そんな弘樹が去ったのは全てあなたの行いが原因です。弘樹から見捨てられたのは、全てあなたのせいです。だから責めるのなら、自分を責めてください」

「お願いよ。もう一度だけ弘樹に、仕送りだけはしてくれってお願いしてよ。こっちはとても困ってるの。お母さんが生活に困ってるって言ったら、あの子だって……」

「あなたが『弘樹の考えてることは手に取るように分かる』って言ったんでしょ。だったら、そんなことをしても無駄だって分かるんじゃないですか」

それから、私は弁護士に相談し、警察にも届け出を出した。勝手に私の部屋に入り、私の持ち物を捨てたこと。それは立派な器物損壊だった。そして、直子さんが私のネックレスを盗んでいたことも、彼女のSNSの投稿がきっかけで分かっていた。

「直子さん。あなたは私が宝物だと思って大事にしていたネックレスを、処分したと嘘をついて取っていたでしょう」

「あ、あれは母の形見なの。それが何だって言うのよ」

「それを盗むなんて許せません。どうしてそんな風に言い切れるの? 馬鹿にしないでください」

「あなた、自分のSNSでそのネックレスを付けた写真を上げてたじゃないですか」

「いや、あれは私が前から持ってたもので……」

「そのネックレスの裏には、私の母の名前が刻まれています。父がそうするようにお願いしてたみたいです。だから調べたら私のものだとすぐに分かります」

「うそ……」

「ただ、その名前を見つけた時、あなたたちが私の家に入って荷物を処分した時に確信しました。それで警察に相談して、被害届も受理されました」

「ちょっと待ってよ。どうにかできるなら、私が持ってようと思って……」

「そもそも勝手に人のものを捨てるというのが間違ってるんですよ。どうしてそんなことができるんですか」

「しょうがないでしょ。こっちは仕事を首になって生活に困ってたんだから」

「だからって言い訳にならないでしょう。人のものを取るなんて許されないですよ」

「取らなきゃ何も得られなかったのよ。うちは経済的に裕福でも何でもなかったの。親は兄さんを塾に行かせたり、そっちにばかりお金を使って、全然私は好きなことをさせてもらえなかったの。だから欲しいものは自力で奪うしかなかった。だから私はそうしたってだけよ。それの何が悪いの」

「なんて自分勝手な考え方なの。もういいです。その言い訳は警察でやってください。誰もあなたに同情なんてしないと思いますけどね」

結局、直子さんは器物損壊と窃盗で警察に連行された。損害賠償も支払わないといけなくなり、生活はかなり苦しくなったらしい。頼りの義母には無視され、今はいくつものアルバイトを掛け持ちしてなんとか生活しているようだ。それでもSNSでは昔と変わらないいい暮らしをしてる風に写真を加工して、高評価をもらっていたらしいが、先日それがバレて炎上し、アカウントを削除したそうだ。

義母も器物損壊で損害賠償を求められ、高額な支払いを迫られた。頼れる者もいなくなり、貯金を切り崩して暮らしているという。弘樹から拒絶されたショックが大きく、今は家でアルバムをずっと見続けているらしい。

一方の私は、弘樹と二人で新しい生活を始めた。あの義母と距離を取れたことで、精神的にかなり楽になり、とても幸せだ。そして、嬉しいことが続いた。私のお腹に弘樹との子供ができたのだ。

もし生まれてくる子が苦しんでる時には、誰よりもそばにいてあげたい。そうやって成長を見守っていきたい。もちろん、誰かさんみたいに見返りなんて求めない。

Thumbnail