「ねえ、今日の夕飯またカレー?この前もカレーだったよね。最近手抜きしすぎじゃない?」その一言から、私の長い夜は始まった。食卓には湯気の立つカレーが二皿。私は慌てて「ごめん、じゃあ何がいい?食べたいもの作るから」と答えた。でも夫は「そこを察するのが妻の務めだろ」と吐き捨てた。専業主婦なんだから楽でいいよな、家にずっといられるんだから——そう言われるたび、私はうつむいて「ごめんなさい」と繰り返す…

「ねえ、今日の夕飯またカレー?この前もカレーだったよね。最近手抜きしすぎじゃない?」その一言から、私の長い夜は始まった。食卓には湯気の立つカレーが二皿。私は慌てて「ごめん、じゃあ何がいい?食べたいもの作るから」と答えた。でも夫は「そこを察するのが妻の務めだろ」と吐き捨てた。専業主婦なんだから楽でいいよな、家にずっといられるんだから——そう言われるたび、私はうつむいて「ごめんなさい」と繰り返す...

「ねえ、今日の夕飯またカレー? この前もカレーだったよね。最近手抜きしすぎじゃない?」

「ごめん。じゃあ何がいい? 食べたいもの作るから」

「ああ、そういうのが分かんないんだよ。俺たち結婚して何年目だと思ってる? お前のそういう適当なところがなあ」

「でも、食べたいものなんてその日その日で変わるし…」

「そこを察するのが妻の務めだろ。っていうか、俺の意見を聞いて育ちたいって、お前考えるのをサボるつもりか?」

「え? そんなつもりは…」

「なら自分で考えろよ。俺は毎日働いてやってるんだ。その間、お前は家で何してんだ? 専業主婦なんて楽でいいよな。家にずっといられるんだからよ。なのに、そんなことすら自分で決められないとか、甘えてるんじゃないか? なめてるのか?」

「…ごめんなさい。ちゃんと作るね」

数時間後。

「やっほー、みさ。来週、暇? ランチどう?」

「ありがとう。行きたい。…あ、ごめん、夫に確認してからでもいい?」

「え? ランチの予定も許可を取るの?」

「うん。だって、私、専業主婦だからさ。何かと連絡しておかないと、後で面倒なんだよね」

「まあ、そういうものなのね…」

「でも、最近ちょっと疲れちゃってるかも。夫が仕事で忙しいのは分かるんだけど…」

「おー? 何があった? 私に聞け」

「うーん、愚痴ってもいい? 夫が最近、やたら家事に厳しくてさ。『手抜きするな』『もっとちゃんとしろ』って」

「うわ、何それ? 何様だってんだよ」

「今日なんて、家にいるんだから同じメニュー作るなって言われて。『献立を考える努力を怠ってる』って、2時間くらい説教されたのよ」

「2時間? それ、ひどくない?」

「まあ、まだ今日はマシだった方よ。この前なんて、風邪で寝込んで掃除ができなかった日があってさ。そしたら『家にいるお前が一番部屋を汚してるのに、後始末もできないのか』って怒られて。さすがに後で謝ってくれたけど」

「…みさ、それ、普通じゃないよ。掃除ができなかった理由、ちゃんと話したの?」

「話したわよ。でも『言い訳するな』って言われて終わり。体調が悪いって言ってるのに」

「どう考えてもおかしいわ。普通は理由を聞くものだし、体調不良なら心配するでしょ。それ、完全にモラハラじゃん」

「でも、暴力があるわけじゃないし。まだマシだと思うんだよね」

「マシ? みさ、おかしいこと言ってる自覚ある? DVがないのは当たり前なんだよ。あんた、洗脳されてない?」

「洗脳…? そんな大げさな。…私の実家がDV家庭だったから、そういう基準がおかしいのかな。分かってはいるんだけど」

「あんた、それ洗脳されてるって言うんだよ」

「でも夫って、嫌なことを言ったらちゃんと謝ってくれるし、反省もしてくれるの。心配性だから、どこに行くとか、誰といるとか、細かく聞いてくるけど。無関心で無視されるよりは、愛されてるって思えるじゃない?」

「…それ、愛されてるんじゃなくて、支配されてるんだよ」

「そんなこと…」

「まあいいわ。今話しても信じないだろうし。でも、ひとつだけ言わせて。もしもの話を考えるなら、みさには経済力が必要よ」

「経済力? 離婚する気はないけど…」

「今考えてなくても、必要になることもあるかもしれないでしょ。とにかく、まずは自分で稼げるようになったら? みさ、昔ウェブデザイン学校に行ってたんでしょ? それで在宅のフリーランスをやってみるってのはどう? 家にいたら、夫にも『家にいるんだから』って文句を言われることも減るかもしれないし。ほら、『暇なんだから仕事しろ』って言われたら、『それなら仕事する』って言い返せるでしょ」

「確かに…。家事もやりつつ、できる範囲でなら、やってみようかな」

「そうよ。やってみなって」

その翌日。

「あの、ちょっと話があるんだけど」

「何だ? 手短にしてくれ」

「私、在宅でウェブデザインの仕事を始めたいの。前から興味があったし、在宅でなら家の時間をやりくりしながらできるから」

「は? 何言ってるんだ? お前の仕事は家事だろ。そんなものは、せいぜい月に数万円の小遣い稼ぎだろ。まあ、家事をなおざりにしないなら、好きにすればいいけどな」

「…ありがとう。ちゃんと家事はやるから」

1ヵ月後。

「なあ、あの在宅の仕事ってやつ、稼げたのか?」

「うん。今月は2万円くらいかな」

「はっ、やっぱりな。せいぜいその程度だろ。小遣い稼ぎにちょうどいいんじゃねえか? 数万でも光熱費の足しにはなるしな」

「…うん。始めたばかりだから、これからもっと稼げるように頑張るね」

「まあ、家事をちゃんとした上でなら、好きにすればいいよ」

半年後。

「ねえ、聞いて。今月、50万円稼げたの」

「…は? マジで?」

「うん。すごいでしょ? 大手のクライアントがついてくれて、安定して仕事が回ってくるようになったんだ。在宅でやってるから、家事の合間でもできるし、いい感じなの」

「ふーん。まあ、それはすごいのかもしれねえけど。フリーランスなんだろ? いつ仕事がなくなるか分かんない不安定な業界だろ。たまたま上手くいってるだけじゃないのか?」

「そうかもしれないけど。でも、嬉しいよ」

「稼げるのはいいけど、家事を怠るんじゃねえぞ」

その翌月。

「…今月、稼ぎはどうだったんだ?」

「…ごめんなさい。風邪を引いてしまって。体調が悪くて、あんまり仕事ができなかったの。でも来月からはまた…」

「ほらな、やっぱりな。だから言っただろ。不安定だって。俺は熱があっても、ふらふらになりながら満員電車に乗って会社に行ってるんだぞ。お前は家にいながら、寝込んで仕事をサボれて楽なもんだよな。いいご身分だな、本当に」

「…ごめんなさい。自分の体調を整えるのも、仕事のうちなのに」

「反省してるならいいんだよ。調子に乗ってるから、こうなるんだ。女はやっぱり、大したことはできないんだよ。専業主婦でも、仕事をしても、結局はその程度だってことだ。家にいられて、いいよな。俺は朝から晩まで外で働いてるのに」

「……そうだね。ごめんなさい」

スマホのメッセージアプリ。

『みさ、体調どう? さっきの話、大丈夫だった? また説教された?」

『うん、まあね。でも気にしないことにしてるの。そういう日もあると思うことにしてる』

『あのね、1つだけ言わせて。時々しか会わない友達が言うのもあれだけど、それって絶対におかしいよ。体調を崩したことで責められるなんて、異常だよ。もう在宅じゃなくて、外で働くとか、家を出るとか、何か考えた方がいいんじゃない?』

『それは大袈裟だって。こんなに稼いでいるし、家計も助かってる。夫も感謝こそしないけど、嫌な顔はしてないし」

『でもさ、数ヶ月前はまだ月に2万円がやっとだったのに、今は50万まで稼げてるんだろ? それって凄いことだよ。なのに、夫は一切誉めないんでしょ? むしろ不安定だとか、貶すために使ってるようにしか思えないよ』

『…そこはまあ、不器用な人だなって思うようにしてるの。でも、ありがと。心配してくれて』

『みさが幸せならそれでいいの。でも、我慢しすぎないでね』

数日後。

「ねえ、今日は遅くなるから、夕飯いらない。外で食べてくるから」

「…また? 今月、もう三回目だよ。外で食べるのもいいけど、たまには家で食べてくれない? 私だって、せっかく作るのだって」

「作ってくれって頼んだか? お前が勝手にやってるんだろ。俺は仕事で疲れてんだよ。家でゆっくりしたいの」

「…仕事。そう、仕事ね。ねえ、私の仕事は? 私もこの家にいながら、家事もして、日中はデザインの仕事して。体調が悪い日だってある。なのに、外で働いている人にだけ、言い分があると思ってるの?」

「あ? 何言ってんだ? お前のは所詮お遊びだろ。好きでやってる仕事で苦労した気になるなよ。俺はお前みたいに好き放題やってるわけじゃないんだ」

その場は、みさが黙り込んで話を終わらせた。

その夜、みさは夫が寝静まってから、そっとリビングに降りてきた。1人で、パソコンの前に座って、仕事の資料を開く。涙で画面が滲んでも、目をこすり、もう一度、フォントを確認する。彼女が努力して得た評判と技術が、心を支えにしてくれる。月に50万円。最初は、ただ夫への反発で始めた在宅の仕事だった。それなのに、いつの間にかそれは、確かな自分の武器になっていた。

「私、ちゃんと稼げてる。これは、私の力なんだから」

そう呟いて、彼女は静かに仕事用のファイルを閉じて、明日の打ち合わせのことを考えた。そして、そっとカレンダーを見る。来月のどこかで、また大きな打ち合わせが入っている。今度は、自分から提案を出せるような関係を築いていこう。もう、言われるだけの毎日ではなくなった。彼女はそう、静かに決意した。

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