第1部

「高卒のお嫁さんなんて、本当は嫌だったのよ。でも、息子がどうしてもと言うから……特別に迎えてあげますわ」
その言葉を聞いた瞬間、私の胸の奥が凍りついた。
今日は結婚前の両家顔合わせの日だった。私は緊張しながら、隣に座る母と一緒に彼の母親の前に座っていた。これから家族になるかもしれない人たちとの大切な時間。私は少しでも良い印象を持ってもらおうと、朝から何度も挨拶の練習をしていた。
しかし、そんな私の努力は最初の数分で無意味になった。
彼の母親は挨拶が終わると、すぐに自分の夫や息子の話を始めた。
「主人は有名大学を出ていて、今では会社を経営しているんです。それに息子も昔から本当に優秀で……」
彼女は誇らしげに話し続けた。
そして満足したように私を見ると、突然表情を変えた。
「ところで、あなたはどちらの大学を出ているの?」
私は一瞬戸惑った。
「えっと……私は大学には進学していなくて、高校卒業です」
そう答えた瞬間、彼女は大きくため息をついた。
「まあ……今時、高卒なのね」
その言葉には隠す気のない侮蔑が込められていた。
「正斗は有名大学を出ているのよ。あなたでは釣り合わないんじゃないかしら」
私は何も言えなかった。
確かに私は高学歴ではない。でも、仕事をして、自分の力で生活してきた。学歴だけで人の価値を決められることが悔しかった。
隣を見ると、正斗さんは怒りをこらえていた。
「母さん、いい加減にしてくれ。学歴なんて関係ないだろ」
しかし、彼女は聞く耳を持たなかった。
「あなたは黙っていて。正斗の将来を考えて言っているのよ」
その場の空気はどんどん重くなっていった。

私は彼女の言葉に傷つきながらも、正斗さんのために耐えようと思った。
でも、次の言葉だけは許せなかった。
「それに……あなたのお母さん、母子家庭なんでしょう?」
彼女は私の母へ視線を向けた。
「シングルマザーなんて、やっぱり家庭環境が違いますものね」
その瞬間、胸の奥で何かが切れた。
自分のことなら我慢できた。
高卒だと言われても、馬鹿にされても、耐えられた。
でも、母を侮辱されることだけは許せなかった。
私の母は、女手一つで私を育ててくれた。
朝早くから働き、疲れて帰ってきても必ず私の話を聞いてくれた。辛いことがあっても、私の前では笑顔を絶やさなかった。
そんな母を、何も知らない人に否定されたくなかった。
私は母を見た。
きっと怒っていると思った。
母は昔から気が強く、理不尽なことを言われると黙っていられない人だった。
しかし――。
母は笑っていた。
それが不思議だった。
なぜ何も言い返さないのだろう。
彼女はそんな私たちを見て、さらに調子に乗った。
「まあ、正斗が選んだ人ですから仕方ありませんね」
そして最後に、決定的な言葉を放った。

「高卒のお嫁さんでも、息子が望むなら仕方なくもらって差し上げますわ」
私は唇を噛んだ。
悔しくて、悲しくて、涙が出そうだった。
何も言い返せない自分が情けなかった。
その時だった。
今まで黙っていた母が、ゆっくり口を開いた。
表情は変わらない。
でも、その声は今まで聞いたことがないほど冷たかった。
「……あげません」
その一言で、部屋の空気が止まった。
彼の母親は目を見開いた。
「……え?」
母は微笑みながら、もう一度言った。
「娘は、あなたのような人がいる家にはあげません」
私は驚いて母を見た。
そして、この後さらに予想もしなかった事実を知ることになる。
第2部

「私の大切な娘を、人を学歴で判断するような場所へ渡すつもりはありません」
母の言葉に、彼の母親は顔を真っ赤にした。
「何を言っているの? 高卒の娘を迎えてあげると言っているのよ?」
しかし母は一歩も引かなかった。
「迎える? その言い方がおかしいんです。結婚は誰かが誰かを選んであげるものではありません」
静かな声だった。
でも、その言葉には強い芯があった。
私は初めて見た。
母が怒りを抑えながら戦っている姿を。
すると、今まで黙っていた正斗さんが立ち上がった。
「母さん」
彼の声は震えていた。
怒りではなく、決意で。
「実は顔合わせの前に、ゆみのお母さんと話をしていた」
彼の母親が怪訝そうな顔をする。
「何を?」
正斗さんは私を見て、それから母を見た。
「俺は武田家の一員になるつもりだ」

一瞬、誰も理解できなかった。
「……何ですって?」
彼の母親の声が裏返った。
「俺は婿に入る」
その瞬間、彼女は信じられないという顔をした。
「あなた正気なの? 高卒の女性と結婚するだけじゃなくて、母子家庭の家に入るっていうの?」
「そうだよ」
正斗さんは迷わず答えた。
「俺が自分で決めた」
彼は続けた。
「俺はずっと嫌だったんだ。父さんや俺の学歴を自慢して、人を下に見る母さんの考え方が」
私は驚いた。
正斗さんが、そこまで母親のことを思っていたなんて知らなかった。
「今までは我慢していた。でも、ゆみを馬鹿にして、ゆみのお母さんまで侮辱した時、もう限界だった」
彼の母親は震えていた。
「誰かに言わされたんでしょう?」
「違う」
正斗さんははっきり答えた。
「俺自身がそうしたいんだ」
その言葉を聞いた瞬間、胸が熱くなった。
私は学歴ではなく、自分自身を見てくれる人と出会えたのだと思った。
彼の母親は怒りに任せて叫んだ。
「そんな結婚、私は認めません!」
「認めなくてもいい」
正斗さんは静かに言った。
「でも、ゆみとの結婚を邪魔するなら、俺は母さんと距離を置く」
その言葉に彼女は絶句した。
結局、その日は彼の母親が先に帰っていった。
帰宅後、私は二人に言った。
「どうしてこんな大事なこと、私に黙っていたの?」
すると母は笑った。
「だって、ゆみに言ったら緊張して顔に出るでしょう?」

正斗さんも苦笑した。
「ごめん。でも、絶対に君を守りたかった」
その後、私たちは予定通り結婚した。
正斗さんは本当に私の家に入ってくれた。
それから1ヶ月後――。
突然、義母が私たちの新居へやってきた。
「いるんでしょ!開けなさい!」
玄関を強く叩く音が響いた。
嫌な予感がした。
ドアを開けると、そこには怒りに満ちた義母が立っていた。
「あなた、お母さんに頼んで主人の会社との取引を止めさせたでしょう?」
私はため息をついた。
確かに、私の母は大手企業を経営している。
しかし私はそのことを正斗さんにすら最初は話していなかった。
彼が好きになってくれたのは、社長の娘だからではなく、私自身だったからだ。
「母が取引をやめた理由は、私が頼んだからではありません」
「じゃあ何なのよ!」
私は静かに答えた。
「あなた自身の言葉です」
義母は黙った。
顔合わせの日、自分が何を言ったのか思い出したのだろう。
「母は、人を学歴で判断する人とは関わりたくないと思っただけです」
すると義母は怒鳴った。
「高卒のくせに偉そうに!」
その瞬間だった。
リビングから母が現れた。
「お久しぶりですね」
義母の顔色が変わった。
母は淡々と言った。

「反省している人の態度には見えませんね」
義母は慌てて言い訳を始めた。
「違うんです。あれは少し言い過ぎただけで……」
しかし母は首を横に振った。
「本当に反省しているなら、まず娘に謝るべきでしょう」
義母は何も言えなかった。
そして母は最後に微笑んだ。
「ちなみに私も高卒です」
義母の顔が引きつった。
「でも、高卒でも努力すれば会社を作れます。人の価値は学歴では決まりません」
その後、義母は何も言えず帰っていった。
数日後、義父は全ての事情を知った。
そして妻の行動に激怒した。
結果、義父と義母は離婚することになった。
それから月日が流れた。
私は正斗さんと穏やかな生活を送っていた。
そしてある日、嬉しい知らせが届いた。
「ゆみ……赤ちゃんができた」
正斗さんの目には涙が浮かんでいた。
母も、義父も、生まれてくる子供を楽しみにしてくれている。
昔、私は学歴がないことで傷つけられた。
でも今なら分かる。
人の価値を決めるのは、肩書きでも学歴でもない。
どれだけ人を大切にできるか。
そして、どれだけ自分らしく生きるかだ。
私はお腹に手を当てながら、これから始まる新しい家族との未来を静かに思い描いていた。


