パート2

ホテルの部屋で弓が温かいお茶を両手で包んだ瞬間、ポロポロと涙がこぼれた。「温かいね、健一さん」。たったそれだけで泣く妻を見て、私は自分の愚かさを深く呪った。
異変に気づき始めたのは半年前からだ。ビデオ通話で弓はいつも同じすり切れたグレーのセーターを着ていた。リビングから出てくることは一度もなく、薄暗い廊下ばかり。3ヶ月前、通話中に激しい物音と母の金切り声が聞こえた。「あんたの拭き方が悪いから床が汚くなったじゃないの。役立たずね!」。弓は慌ててカメラを隠し、「テレビの音よ」と通話を切った。その翌日の病院の領収書が、後に財布から落ちてきた。右肋骨の不全骨折と極度の栄養失調。母に蹴り折られたのだ。
私は大学時代の親友で弁護士の高橋に全てを打ち明けた。ネットバンキングを開くと、毎月振り込んでいた30万円の生活費は光熱費や食費に使われていなかった。残高はわずか4500円。毎月10日、私が振り込んだ翌日にはきっちり10万円が弟・浩二の口座へ送金されていた。ボーナス月は50万円。1年で300万円近く。高橋が調べた明美のSNSには高級レストランや温泉旅行、新作バッグの写真が並び、「優しいお義母様からのお小遣い」とハッシュタグがついていた。3年目の結婚記念日に私がオーダーメイドで作ったプラチナのダイヤモンドネックレスまで、明美が「お義母様から譲り受けた」と投稿していた。
さらに、浩二の信用情報には高級車ローンと消費者金融からの多重債務が並び、総額は地元の小さな会社の給料では到底返済できない額だった。家賃も数ヶ月滞納。母は弓を精神的・肉体的に追い詰め、自ら出て行くように仕向け、浩二一家を実家に住まわせ、私の送金を借金返済に充てる計画だったのだ。

私は高橋と水面下で動き、実家の売却手続きを進めた。土地も建物も100%私の名義だ。現状のまま買い取る不動産会社を見つけ、正月明けに契約を完了させた。生活費口座の暗証番号を変更し、キャッシュカードを利用停止。母が持っていたカードはATMに吸い込まれた。
防犯カメラの映像も確認した。3ヶ月前、床を拭く弓に母が雑誌を投げつけ、右脇腹をスリッパで強く蹴る決定的な場面が残っていた。私が弓を連れ出した直後の映像では、母と浩二は「兄貴が嫁を説教に連れ出したんだろう」と笑い、明美は「ゆみさんの部屋を私の衣装部屋に」と話していた。午後7時過ぎ、カードが使えなくなった母が青ざめて帰り、「暗証番号が違う」とパニックになる姿も全て記録されていた。
翌朝、内容証明郵便が届く。弓への虐待に対する慰謝料、生活費の不正流用に対する返還請求、新所有者からの即時退去通告。母は書類を見て高笑いし、「嫁の差し金だ。親族会議を開いてゆみを追い出し、離婚届にサインさせてやる」と勝ち誇った。本家の叔父から電話が来て、「親不孝者め。明日親族を集めて話し合う。嫁を連れて来い」と怒鳴られた。私は静かに「わかりました」と答えた。

翌日、私たちは実家へ向かった。リビングには叔父を始め親族が揃い、母は泣き真似をして弓を責め立てた。離婚届を突きつける。私は無言で銀行の取引履歴、浩二の借金リスト、弓の診断書をテーブルに置いた。そして天井のカメラを指差し、「5年間、全て録画されていました」と告げた。さらに「昨日、この家の売買契約は完了しました。今、あなたたちは他人の家に不法に居座っている状態です」と告げると、母の顔から血の気が引いた。
叔父は激怒し、母を「一族の面汚し」と罵り、親族全員を連れて帰った。浩二は母親に責任を押し付け、明美は「借金まみれの男なんか最低」と逃げ出した。私たちはその地獄のような光景を冷たく見下ろし、背を向けた。

翌日午前10時、不動産会社が鍵を交換した。母と浩二はビニール袋と古いボストンバッグだけを持って追い出された。浩二は会社を解雇され、母の口座も保全措置で凍結された。彼らは遠くの古い木造アパートに身を寄せ、日雇い労働で暮らしているという。慰謝料と返還請求は自己破産しても免責されず、一生背負い続ける。
半年後。私たちは海の見える小さなマンションで暮らしている。弓の体にはふっくらとした赤みが戻り、赤切れだらけだった手は本来の柔らかさを取り戻した。毎晩、私は彼女の手にハンドクリームを塗る。小さな丸いテーブルに神座も下座もない。隣り合って温かい味噌汁を飲む。休日は海辺を歩き、弓は「今、すごく幸せよ。私の席はいつでも健一さんの隣にある」と笑う。

あの大きな家は必要なかった。本当に必要だったのは、お互いの痛みに気づき、手を差し伸べられる距離だったのだ。冷たい台所から始まった戦いは、この温かい海辺の家で静かに終わった。私が座る場所の隣には、必ず愛する弓の席がある。


