第2部

翌朝、拓也は何事もなかったように帰宅した。
高級スーツからは、知らない女性の香水の匂いがした。
「まだ怒っているのか?」
彼はソファに座りながら言った。
「本当に面倒な女だな」
私は黙って彼を見つめた。
「お前は俺がいなければ何もできないだろ」
「俺が稼いだ金で生活しているだけなんだから」
その言葉を聞いて、私は心の中で笑った。
俺が稼いだ金。
俺が作った会社。
俺の成功。
全部、幻想だった。
拓也は知らない。
このタワーマンションも。
会社の成長も。
重要な取引先も。
全て、私が裏で作ったものだということを。
すると拓也は、さらに驚くべき行動に出た。
テーブルの上へ私のカードと通帳を置いた。

「これから金は俺が管理する」
「お前に金なんて必要ないだろ」
「美香が欲しいものがあるらしいから、そっちに使う」
私は静かに頷いた。
「分かったわ」
拓也は満足そうに笑った。
彼は知らない。
今、自分で破滅への扉を開けたことを。
その日の夜、私は元部下の調査会社へ連絡した。
数時間後、詳細な報告書が届いた。
そこには予想以上の事実が書かれていた。
美香。
彼女はただの秘書ではなかった。
彼女の父親は、かつて私が追い詰めた悪質な企業乗っ取り屋だった。
つまり、美香が拓也へ近づいたのは偶然ではない。
目的は明確だった。
拓也を利用して、私の財産と会社を奪うこと。
私は静かに息を吐いた。
「なるほど」
「あなたたちは最初から私を狙っていたのね」
翌日。
私は父へ電話をした。
父は、日本有数の財閥を率いる人物だった。
私が拓也との結婚を選んだ時、父は猛反対した。
「そんな男に大切な娘を渡せるか」
私はそれでも彼を信じた。
しかし今、全てが間違いだったと分かった。
「お父様」
「私、もう大丈夫です」
父は静かに答えた。
「分かっている」
「お前は昔から、一度決めたことを最後までやり抜く子だった」

「だが無理だけはするな」
私は微笑んだ。
「これは私自身の問題です」
「私が終わらせます」
そして私は動き始めた。
まず、会社へ潜入した。
地味な服。
眼鏡。
清掃スタッフの姿。
誰も私だとは気づかなかった。
社長室の前で、私は信じられない会話を聞いた。
「これで会社も安泰ね」
声の主は義母だった。
「美香さんのお父様の投資が入れば、あの女なんて必要ないわ」
私は息を止めた。
義母まで共犯だった。
拓也。
美香。
義両親。
全員が私の財産を狙っていた。
その時、社長室へ銀行関係者が現れた。

「拓也社長」
「会社資金について確認があります」
拓也は焦った。
しかし、すぐに責任を私へ押し付けた。
「妻が勝手にやったことです」
私はその言葉を聞きながら、静かに笑った。
もう終わりだった。
銀行員は冷たい声で告げた。
「あなたは大きな勘違いをしています」
「この会社を支えていたのは、あなたではありません」
その瞬間、私は清掃員の姿をやめた。
眼鏡を外す。
髪を整える。
そして、彼らの前に立った。
「久しぶりね、拓也」
拓也の顔から血の気が引いた。
「……美咲?」
銀行員が深く頭を下げる。
「美咲様」
「この会社の本当の支援者であり、所有者です」
部屋が静まり返った。

義母は震えた。
「嘘よ……」
「こんな女が……」
私は静かに答えた。
「あなたたちが無能だと思っていた女は、最初からあなたたちの未来を支えていたのよ」
拓也はその場に崩れ落ちた。
「違う……俺は……」
もう誰も彼の言葉を聞かなかった。
さらに調査の結果、美香の嘘も全て明らかになった。
妊娠したという写真。
後継ぎという話。
全部、嘘だった。
彼女は拓也を利用していただけだった。
警察が到着した時、拓也は泣きながら私にすがった。
「美咲、頼む」
「やり直そう」
私は静かに彼を見た。
「あなたが愛していたのは私ではない」
「私が持っていたものよ」
その言葉に、彼は何も言えなかった。
数ヶ月後。
私は新しい人生を始めた。

父の会社で働くのではなく、自分自身の新しい事業を立ち上げた。
本当に人を助けるための会社。
弱い立場の人が、誰かに利用されないための場所。
春。
桜の下で、私は大きくなったお腹に手を当てた。
「あなたは幸せに育てるからね」
もう私は誰かの影ではない。
誰かの妻でもない。
私は私自身。
そして、これから生まれる命と共に、自分の未来を歩いていく。
あの日、彼らは私を捨てたと思った。
でも本当に失ったのは――。
彼らの方だった。



