「あの新居、名義は匠でしょ。だったら嫁のあんたに住む権利はないわよ」
義母に突然そう言われたのは、新居が完成する少し前のことでした。匠と一緒に買った家。頭金には、私が祖母から受け継いだ遺産二千万円を全て使いました。それなのに、義母は平然と言い放ったのです。
「私も同居することにしたから。息子のそばにいたいの。あなたの部屋は私が使うから、あんたは出ていきなさい」
「私も費用を出しています。それでも出ていけと言うんですか?」
「嫁が家に貢献するのは当然でしょ。それが嫁の役目よ。文句があるなら匠に言いなさい」
匠に電話をしました。泣きそうになりながら、義母が同居すると言っていること、部屋を奪おうとしていること、私に出ていけと言っていることを伝えました。
「ああ、それなんだけどさ。母さんずっと一人だったから寂しかったんだと思う」
「驚かないのね。もしかして、同居するって話を聞いてたの?」
「まあ前から言ってたし。いつかはそうなるかなってくらいにしか思ってなかったけど」
私はこの家を、あなたと一緒に暮らすために買ったんです。あなたの母親と住むための家じゃない。拒否権もなく勝手に決められて、私だけが我慢しろと言われて。それでも匠は「母さんを傷つけたくない。一人にしておけない」と繰り返すだけでした。
数日後、義母が新居にやってきました。間取りを見せてほしいと匠に頼んでいたようです。
「南向きの部屋は日当たりがいいわね。私の部屋にするから、開けておいて」
「その部屋は私が書斎として使う予定です」
「書斎? 嫁に書斎なんて必要ないでしょう。掃除でもしてなさい。働いてないんだから、もっと家に尽くしたらどう?」
私はパートで働いていましたが、義母には無職も同然に見えているようでした。リビングのカーテンを写真で見たとも言われ、「趣味が悪い。センスがない」と一方的に選び直すと言い出しました。もちろん費用は私持ちで。
「口答えするの? 嫁が出すのが当然でしょ。それに、あの家は息子の家。母親である私にも所有権があるのよ」
匠に話しても、義母の肩を持つばかり。私はもう、自分の気持ちを飲み込むことにしました。しかし、一ヶ月後、新居が完成した日。義母は笑顔で言いました。
「今日から私も住むから。荷物運んでおいて。部屋はもう決めてあるから」
「だから、勝手なことをしないでください」
「何度も言ってるけど、この家は息子の名義。嫁に住む権利はない。私は同居するから、あんたの部屋はない。邪魔だから出ていきなさい」
匠に確認しました。すると匠は「母さんと二人で暮らすことになったんだ」と認めました。
「私が出ていくことに同意しているんですね」
「母さんを大事にするのは、いい子だものね。さあ、さっさと消えなさい。今日中に荷物をまとめなさい」
私は言われた通りにしました。ただ、その前に一つだけ言いました。
「手続きはきちんと行いますので」
「手続き? 何の手続きよ。さっさと出ればいいだけでしょう」 義母は嘲笑うように言いました。
私は何も言い返さず、友人で司法書士の愛に連絡しました。新居の名義とローンの契約書、全てを確認してほしいと。翌日、愛から連絡が来ました。
「青い、もらった書類、全部確認したよ。面白いことになってる」
「何が分かったの?」
「まず、新居の所有者の名前を見てみな。青い、あなたの名前よ。匠の名前はどこにもない」
私は頭金を出しただけでなく、ローンも自分の名義で組んでいたのです。収入が私の方が多かったから。だから登記名義も私になっていました。義母の言っていた「名義は息子」というのは、匠が義母に本当のことを言っていなかっただけでした。
「つまり、法的にその家は青いのもの。旦那に権利は一切ないわよ。ローンも青いの口座から毎月二十六万円、引き落とされてるよね?」
「うん。そういう設定にしてるから」
「じゃあ、青いが入金をやめたら、来月には残高不足になるってことよ。匠の年収は三百万ちょっとで、月二十六万円の返済は不可能だからね。生活できないでしょうね」
そう。その通りです。私は、法的手続きを進めることにしました。
退去して三日後、義母から電話が来ました。
「もう家を出たのね。早かったじゃない。嫁は従順な方がいいのよ」
「お母さん、私は出ていきました。その代わり、大事な話があります。ローンのことですが、来月から引き落とし口座の変更手続きが入ります」
「だからなんだって言うの? そんなの匠が払えばいいでしょう。息子の家なんだから」
「そうですね。では、匠さんに任せます」
匠にも同じ話をしました。すると彼は言いました。
「青い、ありがとう。助かったよ。母さんがすごく喜んでた。これで二人で暮らせるって」
「お母さんと二人で、これから頑張ってね。大変だろうから」
「え、どういう意味?」
「そのままの意味よ」
翌日、匠から電話が来ました。慌てた様子です。
「青い、やっぱり戻ってきてほしい。考え直したんだ」
「どうしたの? 急に」
「母さんが家事を全然やってくれなくて、何もしないんだ。俺も仕事あるし、正直きつくて。青いがいてくれたら助かるんだよ。料理も掃除も青いの方がうまいし」
「私が便利だから戻ってこいってこと? それって嫁としてじゃなくて、家政婦じゃない?」
「そういうわけじゃないけど……」
「お母さんとは別居して?」
「それは難しい。母さんを一人にはできない」
「つまり、私の部屋もない家に戻って、お母さんの世話と家事を全部やれってことね。分かったわ」
匠は「本当か!」と喜びましたが、私は続けました。
「何か勘違いしてない? 分かったのは、あなたたちに我慢しても無駄だってことよ。そっちで勝手にやってちょうだい。でも、家に住みたいならお金は払わないとね」
翌月、義母は銀行からの通知で騒いでいたようです。
「これどういうこと? 銀行から電話が来て、残高不足だって! ローン払えてないの? 匠、説明しなさい!」
匠は私に電話をかけてきました。
「青い、銀行から連絡が来た。ローンの返済が止まってるって」
「そうね。私が止めたわ」
「止めたってどういうことだよ!」
「ローンは私の名義で、私の口座から引き落とされてた。だから退去した後に残高をゼロにしたの。当然のことでしょ」
「ま、待ってくれよ。そんなこと急に言われても払えないって!」
「無理よね。年収三百八十万で、家のローンだけで月二十六万の返済は赤字になるもの」
「頼む。また払ってくれ。話し合おう。話せば分かる」
「話し合いの余地があるなら、なぜ私を出ていけと言ったの?」
「それは母さんが……」
「なら、お母さんに相談して決めたら? 全部お母さんが決めたんでしょ」
その翌日、義母はついに真実を知りました。匠は口を割ったのです。
「母さん、この家の名義なんだけど……」
「名義? あなたでしょ?」
「蒼いの名義なんだ。俺は審査が通らなかったんだよ。年収が足りなくて。だから蒼いに頼んだ。頭金も蒼いのおばあちゃんの遺産二千万円で全部出してもらった」
「つまりこの家は、あの女の家ってこと?」
「法的にはそうなる」
「なんで言わなかったの! 最初から言いなさいよ! 男のくせに嫁にローン組ませて恥ずかしくないの?」
義母は自己陶酔したまま、結局「笑い話にもならないわ。恥ずかしい」と言い放ったそうです。すると匠は逆に義母を責めました。「母さんが名義は息子だから嫁に権利はないなんて言い出したから、全部おかしくなったんだ」と。義母は「全部あんたが悪いわ」と言い返しました。
そうして二人は、互いに責任をなすりつけ合うようになりました。
数日後、義母から私に電話が来ました。
「蒼いさん、ローンのことなんだけど、もう少し待ってもらえないかしら。家のことで話し合って、なんとかするから」
「お母さんは私に『さっさと消えろ』とおっしゃいましたよね。私はその言葉通りに動いただけです」
「でも、あなたが出ていったら、私たちはどうなるの?」
「名義のことを知らなかったのは分かります。でも、勘違いしていたとしても言っていいことと悪いことがありますよね。お母さんは私に出ていってほしかっただけ。名義は後付けの理由に過ぎないでしょう?」
「そ、そんな!」
「お母さんが私を追い出したんです。それなのに、今さら泣きついてこないでください」
そして翌日、私は愛に頼んで、正式な通知を送ってもらいました。
「初めまして。蒼井の友人の愛と申します。探偵です」
「探偵?! 何の話よ!」
「蒼井さんから正式に依頼を受けてご連絡しました。あなたがこのまま家に住むのであれば、蒼井さんは頭金として拠出した二千万円の返還請求と、精神的苦痛への慰謝料請求を進めます。弁護士と相談済みです」
「二千万?! ちょっと待って!」
「驚くのは早いですよ。まだあります。法的にこの家の所有者は蒼井さんです。なので、弁護士から正式に通知が届きます。近日中に」
「そんな……私たちはどうなるの? 住むところが」
「それはあなたと匠さんで解決してください。蒼井さんの問題ではないので」
数週間後、匠から連絡が来ました。
「もう一度話し合いたい。家のことも、俺たちのことも、全部」
「匠、それならあの日、どうして私を止めてくれなかったの?」
「それは母さんが……」
「母さんがじゃなくて、あなたはどうしたかったの?」
「俺は……青いといたかった。一緒にいたかった。でも母さんも一人にできないし」
「結局、どちらも選べなかったんでしょ。おばあちゃんはね、『青いの幸せのために使いなさい』ってお金を残してくれたの。その二千万円で立てた家に、私の居場所はなかったのよ。匠、私は三年間ずっと我慢してきた。あなたが一度でも守ってくれると信じて期待してた。でも、一度もなかったわよね。お母さんに部屋を取られても、追い出されても、家政婦として戻れとしか言われなかった。あなたはいつもお母さんの味方だった」
「それは……」
「私ね、ちゃんと怒ってるんだよ。今まで飲み込んできた分、全部。ごめんね、じゃ済まないの」
「本当にごめん」
「もう無理よ。離婚してください。弁護士から正式に連絡がいくから。慰謝料と、すぐに出ていかないなら頭金の返還請求も進めるわ。全部、書面でね」
「待って。そんな急に……」
「急? あなたが三年かけてしたことの結果よ。急なんかじゃないわ」
義母からも電話が来ました。
「蒼いさん、お願い。もう一度だけ話を聞いてちょうだい。私だって息子に騙されていたのよ。私も被害者なの」
「同じ被害者? 笑わせないでください。三年間、お母さんは私に何をしましたか? お母さんは覚えてないですよね」
「それは……」
「私には家族がいませんでした。親もいなくて、おばあちゃんだけが家族だった。だから匠と結婚した時、やっと家族ができると思ったんです。すごく嬉しかった。お母さんのことも、いつか『お母さん』って呼べる日が来るかもしれないって思ってた。三年間ずっと、家族になろうとしてきた。でも、私はお母さんの家族には一度もなれなかった。おばあちゃんが『幸せになって』と願ってくれたのに、こんな結果になって。おばあちゃんに何て報告すればよかったんですか?」
「これからは大事にするわ! だからお願いよ!」
「大事にする気持ちがあるなら、今すぐその家から出ていってください。そこに、あなたの居場所なんてないんですから」
その後、匠は年収三百八十万円では月二十六万円の返済が不可能で、義母の遺族年金でも焼け石に水でした。結局、ローンが払えなくなり、家を出ていくしかなくなりました。慰謝料の支払いで資産はほぼゼロ。大きな債務を抱え、自己破産しました。
義母は親族から「嫁を追い出して自滅した」と呆れられ、完全に孤立しました。匠は職場にも借金が知れ渡り、同僚からの信頼を失いました。二人は互いを攻め合い、関係は完全に破綻しました。今は、寒いアパートで細々と暮らしているそうです。
一方、私は家を取り戻し、今は愛と二人で暮らしています。最初は断られたのですが、「せっかくなら家族と暮らしたい」と言うと、愛は照れ臭そうにしながら「そこまで言うなら、いいけど」と承諾してくれました。
私は今、とても幸せです。誰かに認めてもらおうと必死になるのではなく、認め合いながら支え合う。そんな、素敵な家族と一緒に暮らしています。



