「ギャルが筆頭株主? 冗談も大概にしろ。帰れ。警備員呼べ」…

「ギャルが筆頭株主? 冗談も大概にしろ。帰れ。警備員呼べ」...

廊下の空気が一瞬で凍りついた。金髪のリボン、ラメのトップス、ミニスカート。受付に立つ十八歳の少女は、名簿の一番上にある自分の名前を指差しながら、にこやかに笑っていた。

「朝倉花です。株主として出席します。確認してもらえますか?」

受付の女性が困惑した顔で立ち上がる。その騒ぎを聞きつけて、会場から一人の男が現れた。朝倉産業の代表取締役社長、若尾孝志。高級スーツに身を包んだ六十歳の男は、少女を見下ろして鼻で笑った。

「なんだその格好は。ここは子供の遊び場じゃないぞ。親でも呼んでこい」

「え、私、筆頭株主なんですけど」

「はあ? ギャルが筆頭株主? 冗談も大概にしろ。帰れ」

後ろから役員たちが顔を出し、笑い声が廊下に響いた。少女は動かなかった。笑顔を保ったまま、静かに言った。

「後悔しますよ」

その言葉に、役員たちの爆笑がさらに大きくなる。少女は振り返らずに廊下へと歩いていった。ただし、その背中が壁に寄りかかった瞬間、唇の端がわずかに震えていた。

その様子を、柱の影から一人の男が見つめていた。木村涼介。四十二歳の弁護士。この少女の父親であり、七年間、娘との間に距離を置き続けてきた男だった。妻の雪が病で倒れた日、涼介は仕事を優先した。病院に駆けつけた時には、すでに三時間前に息を引き取っていた。葬儀の翌日、義父の朝倉吉尾は涼介の差し出した手を取らなかった。

「娘を見取れなかった男に、孫の親は務まらないよ」

その言葉を最後に、涼介は七年間、娘の花に触れずに生きてきた。吉尾が突然亡くなり、葬儀から数日後、事務所に一通の封筒が届いた。もうこの世にいない男からの手紙だった。その中身を読み、涼介はしばらく動けずにいた。

「わかりました。吉尾さん」

翌日から、涼介は静かに動き始めた。花に声をかけなければ、また失う。そう思った。

「花」

花は弾かれたように顔を上げた。すぐに表情を作り直し、ギャル語で返す。

「うわ、マジ? なんでここにいるの? ガチで意味わかんないんだけど」

「少し話せるか? 君の祖父の頼まれ事だ」

その言葉で、花の作り笑いが一瞬で止まった。涼介の事務所で、花はバッグから封筒を取り出した。朝倉吉尾の遺言書と、株主名簿の写し。朝倉産業の株式61. 5%、時価にしておよそ8000億円。全株が孫娘の朝倉花に相続される。役員たちには遺言の存在そのものが伏せられている。

「会社の人は誰も知らないと思う」

花は小さな声で言った。涼介は別の書類を引き寄せる。会計帳簿開示請求書の写しだ。

「これも君が請求したのか?」

「おじいちゃんに教わったの。株主には請求する権利があるって」

帳簿をめくると、役員報酬の水増し、架空と思われる取引先への発注、系列会社への資金移動。三つの不正が、一人の手に集まっているように見えた。花はしばらく書類を見つめたあと、短い問いを落とした。

「なんで父さん、ここまでするの?」

涼介はしばらく言葉を探した。

「花の役に立ちたい。それだけだ」

花は答えなかった。目を伏せて、小さく頷くだけだった。

その夜、事務所のインターホンが鳴った。モニターには、スーツ姿の中年の男が映っている。名乗らず、封筒を差し出してきただけだった。内部の情報を持っている人物だという。架空取引の発注コピー、決済書類の原本の写し。そして「必要なら協力する用意があります」とだけ言って、闇に消えた。花が追求しなかったのは、まだ言えないと涼介が告げたからだ。

数日後、涼介は花にある条文を見せた。会社法297条。株式三パーセント以上を持つ株主には、臨時株主総会の招集請求権がある。61. 5%を持つ花ならば、拒否される余地はない。

「じゃあ私一人で招集できるってこと?」

「ああ。議題も決議も、君の意思で動かせる」

翌朝、業界紙の一面に若尾の笑顔があった。「朝倉産業 若尾新社長 大胆な組織改革へ」。記事の中に、吉尾の名前は一行もなかった。花は新聞を指差した。

「超ムカつくんだけど。マジでありえなくない?」

「腹が立つなら覚えておけ。この一面が招集請求の追加証拠になる」

涼介は、記事と帳簿の数字が全て一本の線で若尾につながっていることを示した。花は目を細めて画面を見つめ、小さく頷いた。

「全部そろったらどうするの?」

「裁判所に招集請求を出す」

総会まで、二週間。相手に逃げる時間を与えるわけにはいかなかった。

総会当日。都心のタワーホテル大宴会場に、朝倉産業の現役員七名が並んだ。中央で若尾が作り笑いを浮かべる。前方の機関投資家席、後方の個人株主席、最前列の記者席。涼介は最前列の代理人席に座っていた。隣には濃紺のブレザーに白いブラウスを着た花がいる。髪は控えめにまとめ、爪だけが星の小さなネイルのままだった。

司会の役員が事務的な挨拶を終えると、若尾がマイクを握った。

「本日はお忙しい中、ようこそお集まりいただきました。ところで、後ろの席のそこにいる娘さん。ギャルが筆頭株主とか、冗談も休み休みにしてくれよ。君はただの就職希望だろう。そういうのは事前に申請して帰っていただくのが筋なんだ」

笑い声が一部から漏れた。花は立ち上がり、マイクへ歩き出す。涼介は動かない。今この瞬間は花の時間だった。花は若尾の手前で足を止め、まっすぐにその目を見上げた。

「後悔するって言いましたよね」

会場のざわめきが一瞬で止まった。若尾の顔がわずかに引きつる。

「なんだと?」

「筆頭株主、朝倉花です。発言ありますよね」

「何を言って……誰だ、この娘を入れたのは」

花は議長に議題を提出した。代表取締役会長決議の件。対象は若尾と取締役四名。会場がどよめく中、涼介が立ち上がり議長席へ歩み寄った。

「朝倉の代理人を務める弁護士、木村涼介です。本日の総会は会社法297条に基づき、議決権の61. 5%を保有する株主の請求により招集されたものです。議題追加は同法に基づく正当な権利行使です。議事進行をお願いします」

「61.

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5%? そんなのありえない。うちの株は……」

「こちらが相続証明書と株主名簿の写しです。すでに裁判所に提出済みです」

「待て。そんな話は聞いていない」

若尾の声が裏返った。花は一歩下がり、マイクを涼介に渡した。

「続けて、解任の根拠となる事実を提示します。A書をお願いします」

スクリーンに数字が映し出された。役員報酬の無許可増額、海外子会社への資金流出、架空取引の発注記録。記者席のシャッター音が止まらない。

「この数字、見覚えありますか? この取引先は全て実在しない法人です。三年間で総額いくら流れたかご存知ですか?」

「ま、待て。それは通常の取引で……」

「国税庁のデータベースで検索しました。いずれの法人番号も実在しません」

若尾の肩が跳ねた。隣の取締役がそっと椅子を引いて距離を取り始める。さらに、役員報酬の件。若尾一人で年額一億八千万円。しかし取締役会議事録には報酬改定の決議そのものが存在しない。

「こちらが議事録の原本の写しです。議長、ご確認ください」

若尾は完全に追い詰められていた。その時、会場の扉が開いた。

「常務取締役の篠原孝志と申します」

会場がどよめく。篠原は深く頭を下げ、マイクに口を寄せた。

「オーシャンパシフィックトレーディングは実態のない法人です。送金指示書に若尾代表の署名があることを、私は経理担当として確認しています。役員報酬の改定決議も、取締役会を経ずに代表単独の署名で実行されました」

「篠原、お前、俺に恩を仇で返すのか?」

「恩は朝倉吉尾前社長から受けたものです。あなたから受けたものではありません」

会場の個人株主席から短い拍手が起こった。涼介は議長席へ向き直る。

「議長、本議題の採決をお願いします。会社法に基づく、代表取締役若尾孝志及び取締役四名の解任決議です」

青札が次々と上がる。花が自らの手で61. 5%の議決権を投じた。機関投資家の席からも賛成の札が上がる。

「賛成97. 8%。本議題は可決されました」

若尾の顔から最後の色が抜ける。警備員が左右に立ち、その腕を支えて出口へ連れ出した。来た時とは別人のような足取りだった。花は若尾を見据え、マイクを引き寄せた。

「おじいちゃんの会社は、おじいちゃんの心を知る人が継ぐんです」

短い一言だった。会場が一瞬の沈黙に包まれ、そして拍手が波のように広がった。

総会の翌日、朝倉産業は動き始めた。新体制下で花は取締役として名を連ねた。若尾は特別背任の疑いで刑事告発され、東京地検特捜部が書類送検を受理した。海外子会社への不正送金およそ二十七億円。民事の損害賠償請求も進められた。若尾の息子が経営していた三社も、取引先から契約解除の通知を受け、半年で資金が尽きると噂された。業界紙の表紙には、若尾の顔写真に赤いバツ印が重ねられた特集が組まれた。数週間後、花は朝倉吉尾記念奨学金財団の設立発表を行った。経済的な理由で法律を学べない若者に学費を支給する制度。初年度の定員は三十名。花は記者会見で、静かにこう言った。

「おじいちゃんは、お金は困ってる人に流すためのものだって言ってました。この財団で、おじいちゃんの言葉を私なりに受け継ぎます」

春。花は早稲田大学法学部の合格通知を手にした。合格発表の日、花は涼介の事務所に駆け込み、スマホの画面を差し出した。

「やった! 涼介、涼介、見て見て! 合格したんだけど、マジやばくない?」

ギャル語がすっかり戻っていた。涼介は小さく笑った。

「おめでとう」

「これで涼介の後輩だからね。よろしくっす」

「先輩として一言いいか?」

「え? 何? なんか緊張するんじゃん」

「最初の一年は単位を落とすな。二年目からは現場を見せる」

「了解。めっちゃ厳しいじゃん」

翌月、朝倉産業の広報誌に花の記事が掲載された。ピンクの星型ネイルの写真と並んで、控えめな姿の写真が載っている。見出しは「18歳の筆頭株主、おじいちゃんの言葉をついで」。財団の入学式で、花は短い言葉を送った。

「困ってる人に流すためのお金を、おじいちゃんは残してくれました。あなたたちの学びが、いつか誰かを守る力になりますように」

涼介は事務所の窓際でその広報誌を読み終えた。机の上でスマホが震える。花からのメッセージだった。

「今日、うちに夕ご飯食べに来て。おじいちゃんの好きだった肉じゃが作ってみたから」

涼介は短く返信を打つ。「行く」。

春の墓参り。吉尾の墓の前に、二人が並んで立った。風が金髪のリボンをそっと揺らす。花は手を合わせ、静かに口を開いた。

「株主は会社の真の主だって、ずっと言ってたね。守る責任のことだったんだね。やっと分かった」

涼介は隣で同じように手を合わせた。

「吉尾さん、遅くなりました」

花が涼介の隣でもう一度手を合わせた。

「おじいちゃんが守った会社、私が守る。涼介と一緒に」

風が吹いた。墓石の前に備えた白い花がゆっくりと揺れた。まるで聞こえていたように。二人は顔を見合わせ、小さく笑った。