「息子の誕生日に、義母が勝手に来てたの。家族だと思ったことなんて一度もないのに。早く帰ってくれないかな。」
リサは庭に溢れる人々を見渡しながら、つい本音を漏らしてしまった。その瞬間、自分の失態に気づく。
――しまった。母に送るはずのLINEを、間違えて義母に送ってしまった。
「そうなのね。そんな風に思われてるなんて、ショックだわ。」
「すみません。でも、本音なんで。」
「だって、私、呼んだ覚えないですもん。」
「息子に『来ればいい』って誘われたんだけど。」
リサは舌打ちしながら言った。「勝手なことすんなって、後で説教ですね。」
義母は静かに訊ねる。「そんなに迷惑だったかしら。」
「はい。赤の他人が紛れ込んでると、どうも盛り上がらないんですよね。」
義母は庭を見渡した。「随分とたくさんの赤の他人が来てるようだけど。庭にも人が溢れてるわよ。」
「友達とか親戚とかで、20人くらい呼んでますね。」
「どうしてこんなに盛大にしたの?」
「プレゼントがもらえるからに決まってるじゃないですか。」
「そんな理由で……」
「何か文句あります?」
義母は呆れたように息を吐いた。「いや、別に。ところで、息子の姿が見えないんだけど。」
「さあ、出張か何かじゃないですか?」
「なんだ、そうだったのね。あなたとはる樹君はどこなの?」
「なんでそんなこと聞くんですか?」
「主役がいない状態で、みんなもどうしていいかわからないって感じだから。」
「駅まで母を迎えに行ってます。ちゃんと友達には伝えてきました。」
「そう。お母様にもご挨拠したかったけど、夫が帰るって言ってるから、失礼するわね。」
「どうぞご自由に。」
義母は最後に言った。「お誕生日おめでとう。それといつも子育てご苦労様です。」
「ああ、そうだ。プレゼント、何買ってきました?」
「1歳の男の子が遊びそうなおもちゃとか、絵本を選んだの。」
「マジか。もういらないんで、持って帰ってください。」
「せっかく夫と選んだのよ。はる樹君は気に入ってくれるかもしれないじゃない。」
「ゴミになるのでいりません。」
「ひどすぎるわ。」
「優しい方だと思いますよ。会話してあげてるだけマシでしょ。」
「もういいわ。じゃあ帰るわね。」
「やった。」
翌日。夫の竜二が不機嫌そうに言った。「裕子、お前、あんなことするなら行かなきゃよかったわ。」
「何が?」
「はる樹の誕生日会よ。」
「何言ってんの? 俺、行ったよ。」
「え? ずっとビール飲んでたけど、中にいたから気づかなかったわ。なんで話しかけてくれないのよ。」
「リサに言われてたんだよ。『義母が来ても無視してろ』って。なんでそうすれば居心地悪くなって5分で帰るでしょ、ってさ。」
「何なのよ、それ。だったらどうして呼んだの?」
「お祝い目当てに決まってるじゃん。」
「はい?」
「でもおもちゃとか本だろ。リサすごくがっかりしてたぞ。」
「あなたまでそんなこと言うなんて。」
「あなたはリサさんの言動に対して何も思ってないの? 別に無視するくらいなら、どうして私たちを呼んだの?」
「プレゼント次第では1時間くらいならいさせてやってもいいって、リサが言うから。」
「何だったら満足だったのかしら? 現金じゃね?」
「それはあなたたちが嬉しいだけでしょ? 私は孫が喜ぶものを渡したかったのよ。」
「それこそエゴじゃないか。自分たちがはる樹に好かれたいだけだろ。」
「あなた、どうしちゃったのよ。結婚する前は優しい子だったじゃない。」
「別に変わったつもりはないけどな。親を無視するなんてありえないでしょ。」
「でもさ、リサのお母さんはちゃんと現金で10万円くれたよ。」
「お祝いの額で付き合い方を変えるっていうのね。庭付きの家を買って俺らが苦労してることくらい分かるだろう。」
「そういう気遣いの話をしてんだよ。」
「そうね。気が効かない親で悪かったわ。」
「ふて腐れんなって。」
「そっちがそのつもりなら、それでいい。」
「どういう意味?」
「今後関わらないってこと?」
「まあ俺たちは困らないけど。孫に会えない老後でいいのか?」
「会うためには多額のお布施が必要なのよね。まあ、少しもらえたら嬉しいけど。」
「だったら結構よ。そんなことをするつもりはない。」
「あ、そう。分かった。じゃあ、そういうことで。」
3ヶ月後。リサのお母さんが亡くなった。
「え? 今夜が通夜で、明日が葬儀だ。」
「分かった。お父さんと行くから、場所だけ教えて。」
「分かってるよな?」
「何が?」
「香典だよ。」
「言われなくても、手ぶらでなんか行かないわよ。」
「じゃなくて、中身の話だってば。恥ずかしくない額にしてくれって言ってんの。」
「こんな時にまでお金の話をするの? ただでさえリサはショック受けてるんだ。少ない香典だったら余計落ち込むだろう。」
「意味が分からないわ。お祝いも香典も、人の気持ちを測るものじゃないの。」
「俺もバタバタで相手できないから、迷惑かけんなよ。」
翌日、葬儀場でリサが鋭い目で二人を睨んだ。「何しに来たんですか?」
「え?」
「私を笑いにでも来たんですか?」
「何を言ってるの? 私たちは息子から連絡を聞いて、葬儀に伺っただけでしょ。」
「香典、開けてびっくりでした。1万円って何ですか? バカにしてるんですか?」
「あなたね。お母様を失ってショックだとは思うし、きついことは言いたくないけど、その言い方はあんまりじゃないの?」
「どっちがですか? 私の母は1万円そこそこの価値しかないって、失礼なことしてるのはそっちじゃないですか?」
「もう話にならないわ。」
「こっちのセリフです。お金、お金って、それしか頭の中にないの?」
「そうですよ。生きていくには必要ですからね。」
「今日くらいはお母様を思ったらどうかしら?」
「悔しいんでしょ。なんで分からないんですか?」
「そうね。あなたとは一生分かり合える気がしない。今日で最後にしましょう。」
「願ったり叶ったりですね。」
「今後、お互いに何があっても連絡しない。それでいいわね。」
「結構です。この度はご愁傷様でした。会場では挨拶もできなかったから、こんな形で失礼します。」
「世にもならない言葉なんていりません。」
「そうね。では、さようなら。」
1年後。
「お母さん、ご無沙汰してます。お元気ですか? リサさん。」
「ああ、よかった。ブロックされてなくて。」
「設定の仕方が分からないから、そのままにしてただけよ。」
「嬉しいです。1年も連絡できずに申し訳ありませんでした。」
「今更何なの? もう連絡しないっていう話で終わったわよね。」
「あんなの間に受けないでくださいよ。お祝いや香典が少ないという理由で私たちを遠ざけたのはあなたよ。忘れたとは言わせないわ。」
「あの時は私も育児疲れでどうかしてたんです。そのことをどうしても謝りたくて。1年経ってから申し訳ないと思ったってこと。実は色々大変だったんです。」
「そうですか。頑張ってください。では。」
「待ってください。今本当に困ってて、助けて欲しいんです。」
「お金なら貸さないわよ。」
「違うんです。実は、はる樹の面倒を見て欲しくて。」
「なぜ?」
「近くの保育園に入れないんです。遠くなら空きがあるんですけど、電車とバスで乗り継がないといけなくて。」
「ええ、仕事を始めたのね。」
「はい。はる樹の将来のためにお金を貯めてあげたいんです。」
「それはいい心意気だけど、私にできることはないわ。」
「お母さん、1年前は本当に申し訳ありませんでした。私、何もかもが間違っていました。」
「そうね。」
「親友が嫁姑問題で苦しんでて、お祝い事とか全部口出ししてきて、本当にうつになる寸前まで追い詰められてたんです。」
「それは他の人の話でしょ?」
「そうなんですけど、最初のうちに強めに出ておいた方がいいってアドバイスされて、受けちゃいました。」
「事情は分かったわ。だからと言って、あなたたちの行いが消えるわけじゃない。」
「はい、分かっています。チャッピーもひたすら謝るしかないって言うし、私もそうだなと思ったので。」
「チャッピー? 誰なの、それ?」
「ああ、ご存知ないですか?」
「知らない。」
「私の頼れる相談相手です。」
「へえ。」
「保育園が見つかるまででいいんです。じゃないと、はる樹を置いたまま働くことになります。それは職場も許さないでしょ。」
「毎日とは言いません。たまにでいいんです。」
「本当に反省してるのね。」
「もちろんです。LINEではあれなので、改めて夫と一緒に謝罪とお願いに伺わせていただきます。」
「夫に相談してみるわ。」
「よろしくお願いいたします。はる樹、お父さんのお顔によく似てきたんですよ。」
「血のつながった孫だものね。分かった。前向きに検討するわ。」
「はい。お願いいたします。」
数分後、みか子のスマホに国際電話がかかってきた。
「マイクさん、久しぶり。」
「みか子様、ぶち久しぶりじゃけん!」
「あら、もしかして今は広島?」
「そうじゃ。日本全国旅してると言ってたものね。」
「僕が日本来た時、ドルしかなくてカツ丼食えなくて泣いとったら、みか子様が1万円貸してくれた。大したことはしてないのに。」
「以来、毎年、年賀状もお母さんもくれるんだもの。こんなに義理堅い外国人がいるのかしらって、夫といつも感心してるのよ。」
「当たり前だのクラッカーじゃろ。あの日の活動が僕のスタートなんだ。この国には美味しいものがたくさんあると思って、日本中を旅するきっかけになったんだからさ。」
「日本を好きになってくれて嬉しいわ。」
「みか子様のことも好きじゃけん。」
「ありがとう。で、何なのよ。」
「それがね、1年以上疎遠だった息子夫婦から突然連絡が来たの。」
「なんでそんなに長い間会ってなかったん?」
「孫のプレゼントが安っぽいとか、香典が少ないとか、理不尽なことばかり言われてね。」
「とんでもない奴らじゃな。」
「仲良くしたかったんだけど、私も頭に来ちゃって。」
「怒って当然じゃ。」
「そうね。ただ、今後働くのに保育園が見つからなくて、たまに見て欲しいって言うのよ。」
「うーん。息子夫婦は腹立たしいけど、孫に罪はないからね。」
「そうなの? それで迷っちゃって。」
「なるほどな。嫁が『チャッピー』っていう外国人のお友達に相談してるって言ってたから、それでふっとマイクさんのことを思い出したのよ。第三者視点でどう思うかしらと気になって。」
「おいおい、チャッピーはAIだよ。ChatGPT、聞いたことない?」
「あるわ。」
「じゃあ、AIに謝れと言われて連絡してきたってこと? 適当なやつだぜ。」
「やっぱりもう関わらない方が良さそうね。断るわ。」
「いや、預かっちゃいなよ。」
「え?」
「みか子様と旦那様は可愛い孫に会える。僕はその間に、息子夫婦がなぜ今になって連絡してきたかを探る。」
「マイクさん、探偵を始めたって言ってたわね。そんなことも調べていただけるの?」
「お安い御用じゃ。最近、息子の小さい頃を思い出すの。動物が大好きな子でね。動物園への年間パスも買ったのよ。」
「孫ちゃんとズーに行ったらいいじゃん。」
「そうね。もう2歳だし、歩き回って大変そうだけど、久しぶりに行ってみようかしら。」
「あとは任せて。でもマイクさんは忙しいんじゃない?」
「広島の師匠は牡蠣の養殖をしてる。今はオフシーズンだから、もみじ饅頭を焼いとるんじゃ。」
「そうなのね。終わったら連絡するからね。ありがとう。」
翌日、みか子はリサに返事をした。
「リサさん、昨日のお話だけど、夫とも相談して、今回は協力することにしたわ。」
「本当ですか? ありがとうございます。お母さんならそう言ってくれると思ってました。」
「保育園が見つかるまでということでいいわね。」
「もちろんです。助かります。」
「ただし、私は1年前のことを許したわけじゃないわ。あれはあまりにも酷すぎた。」
「分かってます。本当に反省しています。」
「悪いけど、そうですかと簡単に信じることはできない。一旦、その言葉は預かっておくから。」
「はい。それで構いません。じゃあ、明日から早速お願いしてもいいですか?」
「分かったわ。大事にお預かりします。」
1ヶ月後。
「リサさん、もう22時を過ぎているんだけれど、まだ仕事? はる樹君、もう寝てしまったわよ。」
「すみません。今、仕事が終わったところで。」
「ちょっと、最近帰りが遅すぎないかしら?」
「残業代稼がないとやっていけないんですよ。」
「竜二はどうしたの? 連絡しても既読がつかないけれど。」
「あの人は私より忙しいんです。」
最初は週に2、3日だったのが、最近じゃ毎日。土日も預けっぱなしで、限度を超えていた。
「はる樹もお母さんたちに懐いてるし、孫と過ごせて嬉しくないんですか?」
「まだまだママが恋しい時期なのよ。一緒に過ごす時間を作ってあげてほしいの。」
「うちの子はメンタル強めなんで、平気です。もう寝てるなら、そのままお願いしますね。」
「ちょっと、それはダメでしょ。迎えに来なさい。」
「もう疲れちゃったので、休ませてください。おやすみなさい。」
翌日、マイクから驚きの報告が入った。
「みか子様、オーマイガー。息子夫婦の闇、深かったわ。」
「何か分かったの?」
「リサは昼の仕事なんてしてない。キャバ嬢じゃ。」
「え?」
「うん。そもそも保育園の申し込みすらしてない。しかも、稼いだ金は全部、ひろし・シューティングスターに注ぎ込んでるんじゃ。」
「スター? 何それ?」
「ホストの源氏名だよ。元は売れない4流ホストだったけど、最近メキメキと頭角を現してきよるんじゃ。」
「名前のセンスが独特なのね。」
「ああいう世界は目立ったもんがちじゃからの。」
「なるほどね。じゃあ、リサさんはシューティングスターに会うために、私をただの託児所にしたんじゃないの。」
「嘘でしょ? 許せない。じゃあ、竜二は?」
「竜二も竜二じゃ。会社は首になっとった。いい会社に入って真面目にやってたのよ。無断欠勤と借金トラブルで追い出されたんよ。夫婦関係はとっくに破綻しとるし、今はネットカフェで寝泊まりしとる。」
「信じられない。リサのお母さんが残した遺産が5000万あったんだって。先に亡くなった旦那様が経営者だったって言ってたわね。」
「2人ともそんな大金に興奮しちゃって、派手に遊びまくっちゃったわけさ。」
「だからって、なんでホストとかキャバクラって話になるの?」
「金銭感覚が狂ったんだ。一度でもいい生活を送ったら、なかなか元の質素な暮らしには戻れない。それが人間ってものさ。悲しいけどね。」
「でも、子育てってものがあるでしょう。みか子様みたいなちゃんとした人はそうだね。でも、あいつらみたいなアホは違う。子供もいるって言うのに情けない。」
「みか子様、僕に任せて。追い詰め屋の本領発揮させてもらうわ。」
「何それ? 探偵さんじゃなかったの?」
「実はこっちが本業なんだよね。まあ、お金はもらわないからボランティアなんだけど。」
「何をするの?」
「暴力に触れない、ストレスのない、じわじわと精神的なプレッシャーを与えてやるだけじゃ。」
「マイクさんが捕まったりするのは嫌よ。」
「そんなことはしないぜ。それに、今は広島なんでしょ? わざわざ関東まで来ていただくなんて申し訳ないわ。」
「みか子様、もうカツ丼屋の前で泣いてた頃のマイクじゃないんだぜ。たくさんの仲間が増えて、彼らが動いてくれるよ。」
「頼もしいわ。何から何まで甘えてしまっていいの?」
「任せとけ。」
数日後。リサのスマホに、ひろし・シューティングスターからLINEが届いた。
「ひろし君、今日もお店行くからね。」
「もう来ないでくれ。」
「え? なんでそんなこと言うの?」
「子供の面倒も見ずに遊ぶ女は嫌いじゃけん。」
「何その喋り方?」
「わしは広島の男じゃけん。」
「知らなかった。でもワイルドでかっこいい。でもね、子供のことは誤解なの。」
「何がだ? 言ってみろ。」
「義父母が喜ぶから、預けてあげてるだけなのよ。」
「でも、お前の子だろうが。」
「なんか今日のひろし君、オラオラで男らしくて好き。」
「親ならちゃんとせえ。」
「分かった。でも今日だけはお店に行かせて。」
「わしはしばらく休みじゃ。」
「ええ。寂しい。」
「やかましい。」
翌日、リサからまた連絡が来た。
「ねえねえ、なんで突然LINE変えちゃったの?」
「しつこい客がいたのさ。」
「最低だね。私はしつこくなんかしないもん。」
「勝手にしやがれ。」
「でも、なんで『ひろし』って書いてあるの?」
「そのうち解き明かしたいからさ。少しずつ慣れてもらおうと思ったのさ。俺なりの、姫たちに対する気遣いさ。」
「なんか語尾とか変だけど、新鮮でドキドキする。」
「じゃろ。」
「じゃあ今日は帰るね。次の出勤、分かったら教えてよ。」
「はい。はい。」
数分後、リサからみか子に連絡が入った。
「お母さん、すみません。今日は迎えに行きますね。」
「え?」
「私が間違ってました。はる樹のことお任せしたばかりじゃダメですよね。」
「まあ、そうだけど。」
「今まですみません。ちゃんとやりますので。」
「分かった。待ってるわね。」
翌日、みか子はマイクに報告した。
「マイクさん、一体どんな手を使えばリサさんが回心することになるわけ?」
「僕がひろし・シューティングスターになりすましたのさ。」
「へ? ひろしからリサに『LINE変えた』って連絡させて、僕に繋いでもらったってわけさ。」
「そうなのね。久しぶりに迎えに来たから驚いたわ。でも、これは一時的なものだから、また始まると思うよ。」
「それでも一歩前進よ。はる樹君も嬉しそうだったし。」
「引き続き継続するから、朗報待て。」
「ところで、息子の方はどうしてるのかしら。クズだとは分かっていても心配で。」
「こちらも引き続き調査中だよ。ちょい待っててね。」
数日後、リサからまた悲痛な連絡が来た。
「ひろし君、助けて。お店に行こうとするとなぜかミャンマー人の団体に道を尋ねられたり、落とし物を拾ったおばあさんから『お礼をしたい』と2時間引き止められたりして、なかなかたどり着けないの。」
「僕は今日もお休みだよ。」
「え? そんな……牡蠣が当たったよ。」
「嘘? 大丈夫なの?」
「心配いらないよ。ひろし君に会えないなら、キャバで稼ぐ意味ない。僕は子供を大事に育てる君が好きだぜ、ベイビー。」
「へ……まだ偉大なのさ。子供を大事に育てる女性を僕は尊敬するよ。そんな人と一緒に生きていきたいのさ。」
「ひろし君……私、子育て頑張る。」
「勝手にせい。」
翌日、マイクがみか子に連絡した。
「みか子様、ごめん。ちょっとおふざけしすぎたかもしれないから、そろそろ気づくと思われる。ホストになりすましてることが。」
「うん。」
「でも、どうやってもホストクラブにはたどり着けないよう妨害してるから大丈夫だよ。」
「そんなこと、一体どうしたら可能なの? マイクさん、ゲームみたいで気になるわね。次は竜二だ。居場所はもう特定した。」
「どこにいるの?」
「ネットカフェ生活もお金が続かなくて、今は女の家に転がり込んでる。」
「はあ? あの子たち、もう離婚してるの?」
「してない。意味が分からない。もうジャパニーズ・カップルは理解不能だ。」
「本当に、何考えてるのかしら。近いうちに竜二から連絡が来ると思う。その時に、今から送るメモの言葉以外は言わないでくれるかい?」
「それは構わないけど、どんな効果があるの?」
「ゲーム。そうでしたね。マイクさんの言う通りにする。夫には連絡来ても無視するよう言っといて。」
数日後、竜二から電話がかかってきた。
「母さん、久しぶりだね。ある人から体調悪くしたって聞いたんだけど、大丈夫?」
「わしは、飯は食ったかね?」
「え? 今、ご飯の話はしてないよ。実はリサとはうまくいってなくて、はる樹とも会えてないんだ。孫の顔も見せてやれず、申し訳ないと思ってる。近々、俺も実家に顔出していいかな?」
「わしは、飯は食ったかね?」
「母さん、どうしたの? 入力ミス? さっきも同じこと言ってたけど。」
「パンがなければお菓子を食べたらいいじゃない?」
「いきなり何言ってんの?」
「子供がまだパンを食ってる途中でしょうが。」
「母さん、大丈夫か?」
「わしは、パンは食ったかね?」
「ちょっと待ってくれよ。やばいことになってるじゃないか。パンがなければ、パンを食べたらいいじゃない。すぐに帰る。一緒に病院に行こう。」
数分後、みか子が言った。「マイクさん、本当に息子から連絡が来たわ。」
「そっか。でも、ごめんなさい。最初は言われた通りのことを言えたんだけど、途中で『パン』とか『飯』とかごっちゃになっちゃって。」
「構わん。ボケたふりはカウントだから、それでいいのさ。」
「やっぱりそういうことだったのね。でも、竜二ったら結構慌ててたわ。親がそうなったら心配するのが子だよ。いくらクズでも、人の心は1ミリくらいは残ってたね。」
「それはありがたいんだけど、素直に喜べない。これで息子が帰ってきたら、私たちはどうしたらいいの?」
「大丈夫。たどり着けないから。」
「また、一体どうなってるのよ?」
「次の返信リストも送っておくから、それ以外のワードは使っちゃダメだよ。」
翌日、竜二からまた電話が来た。
「母さん、ごめん。帰りたいんだけど、どうやっても帰れないんだ。パン。症状が悪化してる。父さんとも全く連絡がつかないんだ。パン。俺がそばにいれば、こんなことにならなかったのに。孫の顔を見せてれば、ボケずに済んだんだよな。パン。そういえば母さんがたまに焼いてくれたバターロール、美味しかったな。パン。母さんが焼いたパンが食べたいよ。俺さ、リサとうまくいかなくなって家を出たんだ。お母さんの遺産で浮かれてさ、子供をシッターに預けて好き放題使ってたら、1年も持たずにあっという間に無くなって、気づいたら生活レベルを落とせなくなってたんだ。パン。2人で借金重ねて、せっかく買った家も売ってしまった。リサの言うことに逆らえずに、孫にも合わせずに悪かったよ。早く駆けつけてやりたいんだけど、なぜか帰れなくて。電車でおばさんが痴漢されたって騒いで、警察に拘束されたり、行く先でお年寄りが倒れてて、毎回病院に付き添ったりで、なかなかたどり着けなくて。パン。母さん、もう俺のことも覚えてないんだろうな。まともに会話もできなくなる前にもっと親孝行しておくべきだった。パン。悪かったよ。はる樹にも会いたい。リサがまともにお子育てしてるとは思えない。心配だけど、連絡も取れないし、本当に後悔してる。ごめん。必ず帰るから、もう少し待ってて。」
数分後、みか子はマイクに言った。
「マイクさん、『パン』しか言わない約束なのに、つい語尾を指摘してしまったの。ごめんなさい。」
「もう満足だよ。逆にリアリティがあってよかった。」
「しかし、息子が実家にたどり着けないなんて、一体どういうことなのかしらって思うけど。主犯は義務なのよね。」
「イエス。」
「どういう目的でこういうことをしてるのか、そろそろ教えてくれないかしら。」
「人ってさ、大事なものを失わないと気づけない生き物なんだ。」
「確かに、そうかもしれないわね。」
「リサは推しのホストを失いかけてるけど、その代わり子供との時間が増えた。もう預けなくなったでしょ。」
「確かに。」
「竜二は、みか子様がボケたかもと思った途端に、親の大事さに気づいた。家にたどり着けないことで、その気持ちはさらに大きくなってるはずさ。」
「なるほど。すごいわね。」
「ただ、また同じことを繰り返すかもしれないよ。なぜなら、あいつらはアホだからな。」
「本当、おっしゃる通りだわ。」
「みか子様は、今後は永遠に奴らを無視していいよ。」
「え? せっかく立ち直ろうとしてるのに、手を差し伸べなくていいの?」
「会えない時間が愛を育てるのさ、ってジャパニーズシンガーが歌ってたじゃないか。」
「よく知ってるわね。」
「本当に会いたい、申し訳ないと思えば、きっと努力するのさ。」
「分かった。マイクさんの言う通りにする。」
「それが最大の罰であり、最大の愛でもある。僕はそう思うよ。それに、みか子様は認知症だと思われてるから、頼ろうとも思わないだろう。そういう目的もあったのね。」
「あ、全部、僕の思い通りさ。」
「私にとってあなたは最高の友達よ。本当にありがとう。」
「どういたしまして。僕にとっても、最高の日本のマドンナだよ。今回の費用はおいくらかしら。」
「知らねえよ。」
「そういうわけにはいかないわ。」
「みか子様だって、かつての1万円を受け取らなかったじゃないか。お互い様。日本人みんなそうしてる。」
「そうね。じゃあ、ありがたくお気持ちとして頂くわね。僕が焼いたもみじ饅頭を送るよ。今日には届くと思う。」
「ええ、嬉しい。夫の大好物なのよ。」
「ほんまどすか? そりゃよかったな。色々やりすぎて、方言が混じってるわね。じゃあ、元気でな。」
「マイクさんもお体に気をつけて、旅を続けてね。また何か送るね。」
さて、その後。もみじ饅頭が届いた。
「いっぱい食べなさい。10箱もいらないのよ。」
どうしてもホストクラブにたどり着けないリサ、そして同じく実家に帰ることができない竜二。そんな日々が続くことで、次第に目の前のことに向き合うようになり、再び一緒に暮らすようになったそうです。そして、2人の間で笑うはる樹君が、いかに大事なのかやっと気づいたみたいですね。
ただ、重ねた借金からは逃れることはできず、2人はちゃんと昼の仕事に就いて、はる樹君を保育園に預けながらも必死に働いているとか。また、5000万の相続税を忘れていたらしく、加算税を重ねた支払いを抱えたそうです。確かに、マイクさんの言った通り、『パン』しか言わない母を頼る気はないらしく、真面目に頑張っているようですね。
私は何の縁か、保育園の補助員として働き始めました。たまたま孫のいる保育園に、たまたま働き口が見つかり、たまたま孫のクラスの担当になったのですが、息子夫婦には内緒にしています。
人は過ちを犯すものですが、誰かの手助けと道案内があれば、立て直すことができるのかもしれません。遠い国から日本に来た友人に、そんな大切なことを教えてもらいました。
もみじ饅頭はどうにかご近所や知り合いに配り終えたけど、夫はしばらくは食べたくないと言っています。マイクさんは次にどの街を旅するのでしょうね。



