「楓、結婚式の招待状、まだ届いてないわよ。何をモタモタしてるの?」
「すみません、印刷所が立て込んでいて、明後日には届きます」
「言い訳はいいの。嫁なら黙ってやりなさい」
それが始まりだった。義母の言葉はいつもこうだった。私は何も言い返せず、ただ頷くことしかできなかった。
「あと、式場から追加オプションの請求が来たから、80万円あなたのカードで決済しておいて」
「80万ですか?前回の270万円と合わせると350万円になりますが」
「文句あるの?娘の一生に一度の晴れ舞台よ。嫁がこのくらい負担するのは当然でしょう」
「あの、お母さん、以前、後で返すとおっしゃっていたじゃないですか」
「減らず口を叩かないの!」
私は黙ってカードを取り出した。3年間、ずっとこうだった。認めてもらいたくて、何を言われても笑って耐えてきた。義母に「いい嫁ね」って言ってもらえたら、それで全部報われると思っていた。
式の準備は全部私がやった。会場も、料理も、ドレスも、引き出物も。義母は文句と要望だけを言って、すべて私に押し付けた。でも私は嬉しかった。家族の晴れ舞台のために尽くしているんだと思ったから。
1時間後、親友の凛に相談した。
「また追加で80万振り込めって言われたの」
「は?合計いくらよ?」
「350万」
「あんたの貯金ほぼ全部じゃん。なんで黙って出すの?」
「結婚式の相場が分からなくて…それに今断ったら、3年間やってきたことが全部無駄になる気がして」
「完全に足元見られてるよ。それに、そもそも80万本当に式場に払ってるの?」
「え?どういう意味?」
「私、ウェディングプランナー7年やってんの。あの規模の式で追加80万は不自然すぎるの。ちょっと調べさせて」
翌日、さらに追い打ちが来た。
「楓さん、当日のことなんだけど。あなたは式と披露宴には出なくていいから、裏方だけお願いね」
「出席できないんですか?」
「親族席もう人数いっぱいだし。あなたが座るところないのよ」
「私も親族なんですが」
「弟の嫁でしょ。血のつながりないじゃない。あと当日は裏口から入ってね。正面玄関はゲスト用だから」
私は息ができなくなった。350万円も払って、裏口から入って、式には出ない。それでも私は耐えた。義母に認めてもらえれば、それでいいと思った。
「裕福な家って説明してるから、楓さんの雰囲気だとちょっとね…傷つけるつもりはないのよ。事実を言ってるだけ」
その言葉で、何かが確実に壊れた。
「楓、莉乃さんから連絡来た」
凛が電話で言った。
「なんて?」
「当日は裏口から入っても、披露宴にも出なくていいってさ」
「裕福な家って説明してるから、私がいると印象が悪くなるそうだよ」
「意味わからなさすぎでしょ。ていうか、もう我慢しなくて良くない?調査結果出たとこだし」
「あの80万の件だよね」
「そう。式場に直接確認したら、追加オプションなんて入ってなかった。式場への支払い総額は270万。残り80万は別口座に消えてる」
「つまり、義母が80万抜いてるってこと?」
「それだけじゃない。もっとやばいことが2つある」
「まだあるの?」
「1つ目、昨日あんたの義母から私に直接電話があったの。『楓さんが病気で式を欠席するって聞いたけど大丈夫?』って。あんたそんな連絡受けてた?」
「全然。元気だし」
「やっぱりね。義母が親族全員に『楓は病気で欠席する』って一斉連絡してたみたい。裏取りしたわ」
「そんな…」
「2つ目。あんたに伝えた開式時間14時でしょ?本当は11時」
「3時間も違うなんて」
「つまりこういうこと。親族には『嫁は病気で欠席』と伝える。あんたには3時間遅い時間を教える。遅刻だと怒って慌てて来た楓に片付けだけやらせる。式にも披露宴にも出させない。350万払わせて、手柄は全部自分。嫁は裏口から入って裏方だけ。そこまでするんだよ」
私はその場に崩れ落ちた。3年間。3年間、認めてもらいたくて、何を言われても笑って耐えてきた。結婚式の準備だって、喜んで引き受けた。350万は家族のためだと思って出した。義母の好みを夫の翔太に何度も聞いて、お金が惜しかったことは一度もなかった。家族の晴れ舞台だと信じていたから。
それなのに、義母は全部自分の手柄にした。嘘をついて私を「欠席」にして、裏口から入れて、お金まで抜いていた。
「私がいたことをなかったことにするなんて…3年間の全部をなかったことにするのは許せない」
凛が言った。「あんたは優しすぎなのよ。もういつか認めてもらえるなんて思わないで」
「この式の契約、全部私なの。義母は文句だけ言って、全部私にさせてたから」
「じゃあ、この式に対するすべての決定権はあなたにあるってことね」
「そうなる」
「楓、力を貸して。私はどうしたらいい?このまま式をあげるのは嫌」
「待ってたわ。任せて。色々シナリオ考えたから」
式当日。朝、私は中村家の親族全員に連絡をして、カフェに集まってもらった。そして、全部話した。式の費用350万円を全て私が立て替えていること。式の手配は全て私がしていたこと。病気で欠席するという嘘。追加オプション名目の80万円が式場に支払われていないこと。
義母から電話が来た。
「楓さん、どこにいるの?もうすぐ式が始まるのよ。式は11時に開始なのよ」
「お母さん、14時と教えていただきましたが」
「そんなこと言ってないわ。とにかく来なさい。親族全員来てるのに嫁が遅刻とはふざけるな。今すぐ来ないと離婚させるわよ」
「私を含め、もう全員揃ってますが」
「え?」
「式場を確認すればいいと思いますよ。そこに現実がありますから」
10分後、式場に着いた義母は叫んだ。
「どうなってるの?なんで中村家の席に誰もいないのよ!」
「中村家の親族の皆さんは今朝から私と一緒にいますよ。式場近くのカフェに」
「何ですって?あんた何をしたの?」
「全部お話しました。式の費用350万円を全て私が立て替えていること。式の手配は全て私がしていたこと。病気で欠席するという嘘。あと、追加オプション名目の80万円が式場に支払われていないこと。お母さんの口座に入ってますよね。夫に確認してもらいました。請求書と入金記録の照合済みです」
「嫁がふざけたことを…」
「私はこう説明しますよ。新郎のご家族に、『嫁が勝手に式の費用を使い込んで、結婚式を人質に取っている』って」
「なるほど。しかし、名義はすべて私ですよ」
「それが何よりの証拠よ。あんたが勝手にやったことだって言える。名義人だからって脅されたって言えるわ」
「お母さん、1つお忘れですよ」
「何よ」
「契約が私名義ということは、式場に私が連絡すれば、すべてキャンセルできるということです。会場も、料理も、ドレスも、私が一言言えばすべて止まります。契約金もカード明細もすべて残っています。使い込んだのが誰か、数字が証明してくれます。お母さんが手配したのは、私への指示だけですよね」
同時刻、義母の夫と婚約者が式場の控え室にいた。凛がそこにいた。
「はじめまして、まりさん。楓さんの友人でウェディングプランナーの瀬川と申します」
「何よ。今それどころじゃないんだけど」
「中村家の親族席は空っぽですし、式は中止寸前です。それより現実的な話をしますね。新郎のご家族に『実家が全額負担する』と説明されましたよね。350万円、楓さんが立て替えています。明細書はこちらにありますが、新郎のご家族はご存知ですか?返す予定はありますか?ないですよね。では、新郎のご家族にもそうお伝えします」
「やめてよ!そんなことしたら変に思われるじゃない!」
「もう十分すぎるくらい変なことにはなってますが。それに、あなたも被害者かもしれません。こうなったのはあなたのお母様が原因ですから。あなたのお母さんが80万円を抜いている件、まりさんはご存知でしたか?」
「80万?何の話?」
「式場への追加オプション名目として、楓さんから80万円を受け取っていますよね。でも式場には支払われていませんでした。私、本職ですが、あの規模の式で追加80万なんて、業界にいたら一発で不自然だと分かります。まりさんも被害者ですね。でも、楓さんへの返済義務はなくなりません。あなたも、ご自分で『立て替える』とおっしゃっていたんですから」
同時刻、義母は娘のまりに問い詰められていた。
「お母さん、80万って何?楓さんの友達っていうウェディングプランナーに全部聞いた。式場に払ってない80万、お母さんの口座に入ってるって」
「あれは…その…必要経費っていうか」
「必要ならなんでお母さんの口座に入ってるのよ!私の結婚式のお金から抜いてたってことでしょ!」
「あんただって何も言わなかったじゃない!」
「立て替えてもらってるって言ったじゃん。返すつもりなんだとばかり思ってた」
「返せるわけないでしょ!遺族年金と父さんの仕送りだけで、350万どうやって返すのよ!」
「最初から返す気なかったってことか!」
「あんただってどうなのよ!新郎側に『実家が全額出す』って嘘ついたの、あんたでしょ!」
「それはお母さんが『嫁の建金は家のお金だから、うちが出したことにしていい』って言ったから!」
「大体、結婚式が潰れたの、お母さんのせいじゃん!」
「言葉のあやよ!」
「言葉のあやで住む話じゃない!」
「あんたの式のために、私は嫁を利用してあげたのよ。感謝しなさい!」
「は?…利用した?今、自分で利用したって言った?じゃあ、やっぱり最初からお金も返す気もなかったってこと?」
「あんたは私の娘でしょ!」
「だから何?娘の式で嫁のお金を横取りするのは普通じゃないし!」
1週間後、義母から連絡が来た。
「楓さん…婚約者のご家族から、『式の費用を嫁に全額立て替えさせて、裕福な家だと偽っていたのか。そんな家に息子はやれない』って…破談になるかもしれないの。お願い、費用のことだけは黙ってて。私も知らなかったの」
「知らなかった?立て替えていたのは知ってましたよね」
「それは…でも…」
「分かりました。黙ってもいいですよ。350万円返していただけたら」
「そんなお金ないって知ってるでしょ?」
「お金がないのに結婚式ですか?元々あなたの式ですよね。それなのに1円も出さないって、おかしくないですか?というわけで、式の件は黙りませんよ。黙る義理がありませんから」
2週間後、義母がまた来た。
「楓さん…お願い。私の結婚がめちゃくちゃで、親族にも見放されて、もう誰も味方がいないの。あんただけが頼れるの」
「なるほど。確かに、もうお母さんが頼れるのは私しかいないですね。でも、私はお母さんを助けられません。だって私は『裏口から入る嫁』ですから。とても表立って、お母さんを助けるなんておこがましいことをできませんよ」
「それは…言いすぎたっていうか…嫁が裏方に回るのは普通のことでしょ。無理やり式の準備をさせたのは謝るわ」
「お母さん、私は別に結婚式の準備をいやいややったわけじゃないんです。まりさんの式を素敵にしたかった。そうすればお母さんに『いい嫁ね』って言ってもらえると思ったから。350万円だって、惜しいと思ったことは一度もなかったんです。家族の晴れ舞台だと信じてたから。それなのに、お母さんは全部自分の手柄にした。嘘をついて私をないものにして、裏口から入れと言って、80万まで抜いていた。ここまで来て、お母さんは本気で謝ってないですよね」
「それは…」
「謝れないのは、お母さんも昔、お姑さんに同じことをされたからでしょ」
「なんでそれを…」
「お葬式や結婚式では裏方しかやらせてもらえなかったと聞きました。20年間『気の利かない嫁』と蔑まれてきたと親戚から。なのに、なぜ同じことを私にするんですか?」
「自分が耐えたから…嫁も耐えるべきって…そう思ったのよ。じゃなきゃ、私の我慢は何だったの?報われたっていいじゃない!」
「それ、お姑さんと全く同じことですよ。お母さんも認められなかった嫁だったんですよね。その怒りを私にぶつけて、少しでも楽になりたかった。違いますか?」
「うるさい!」
「私はお母さんみたいにはなりません。次の世代に同じ苦しみを渡したりしない。私がこうして動いたのは、式を壊したかったからじゃないです。ただ、3年間の全部をなかったことにされたくなかった。私がいたこと、払ったこと、作ったこと。それだけは事実として残したかった。結果がどうなったかは、お母さん自身が招いたことです」
「あんたが壊したようなものじゃない!そうよ!全部あんたのせいよ!」
「そうですか。では、これはどうでしょうか?翔太さんからの伝言があります。『母さん、楓は俺の家族だ。家族を裏口から入れるような場所に、俺も行く気はない』。そう言ってましたよ」
「そんな…あの子まで…」
「誰もお母さんの味方なんてしないんです。さようなら、お母さん。誰もお母さんについてきません。お母さんは、裏口からも入れなくなったんですよ」
半年後。
「楓ねえ、ちょっといい?」
「何?」
「あんたの結婚式、3年前は失敗だったでしょ?」
「うん…お母さんに口出しされてさ。ほとんど何もできなかったわ」
「それでさ、もうすぐ結婚4周年でしょ。結婚式やり直してみたい」
「え?」
「それ、夫も言ってた。2人で話し合ってたんでしょう」
「バレたか」
「でも、勝手に企画するわけにはいかないからさ。旦那さん悔んでたよ。『ちゃんとした結婚式をあげさせてあげたかった』って」
「私だってあげたいわ。あげられるなら」
「よし。じゃあ今度こそ、私がプロデュースしてあげる。今度はお母さん抜きで、あんたが本当にやりたかった式を作ろう」
「いいの?」
「当然でしょ。友達の幸せな式を作るなんて、プランナー冥利に尽きるじゃない」
「ありがとう、凛」
「もちろん。今度は正面の入り口から入ってよ。裏口は許さないから」
その後、まりさんの結婚は破談になった。結婚式のキャンセル料はまりさんが負担した。新郎の家族は「嘘をつく家とは縁を結べない」と完全に見限った。百貨店の職場でも評判は広まり、32歳での婚活やり直しを余儀なくされたが、相手にされないようだった。
義母は親族からの信頼を完全に失い、「結婚に関わるな」と絶縁を突きつけられた。息子からの仕送りも停止され、少ない年金だけで、結婚式費用と80万円の返済に追われている。「全部私が手配した」と誇っていた結婚式は、語り継がれる恥として親族の記憶に残ったそうだ。
私たち夫婦は義実家と距離を置き、穏やかな生活を取り戻した。今は凛と共に、本当に自分たちがやりたかった結婚式の準備をしている。あの時の経験で大抵のことは分かるから、むしろ自分のやりたいように素敵な式を準備できて、とても幸せだ。



