「ふざけんなよ。産むのに何時間かかってるんだ。さっさと産めよ。大事な話があるから早く電話出ろ」
陣痛で意識が朦朧とする中、スマホの画面に並ぶ夫からのLINEの数々。私はちょうど出産を終えたばかりで、病室には看護師さんたちがいて、電話なんてできる状態じゃなかった。
「ごめん、まだ動けなくて…」
そう返信するのが精一杯だった。でも、その後の夫からの言葉に、私は全てを理解した。
「母親になった女に興味ないんだよ。離婚で頼む」
「待って、何言ってるの? あなたが子供欲しいって言ったんでしょ?」
「悪いんだけど、途中からなんか気持ち悪くなっちゃって。腹が膨れ上がっていくことに恐怖を覚えたっていうかさ」
自分だってそうやって生まれてきたのに。あんなに優しかった人が、妊娠してお腹が目立ち始めた頃から帰りが遅くなって、『子供のために残業してる』って言ってたのに、本当はお腹の大きくなっていく私を見るのが嫌だったんだって。
「養育費は払わないから」
「無責任すぎる。許せない。構成少々にして必ず払わせるから」
「無駄だって。俺の知り合いでも結構養育費から逃げてるやつ多いぜ」
出産したその日に、夫は私と生まれたばかりの赤ちゃんを捨てて、家からも出て行ってしまった。私は泣くこともできず、頭が真っ白なまま数日を過ごした。
三日後、義母から連絡が来た。「そろそろ落ち着いた頃かしら? 赤ちゃんに会いに病院に伺ってもいい?」
メンタルが不安定で、面会を断っていたことを謝ると、義母は「ごめんなさい。早く行ってほしいなんて、私のわがままだったわ」と気遣ってくれた。
「お母さん、私たち離婚することになってしまいました」
「え、なんで急に?」
私は夫からのLINEの内容を打ち明けた。義母はしばらく沈黙した後、「私があの子と話してみる」と言ってくれた。
でも、数分後。義母はおかしかった。息子と電話で話した後、こう言ったんだ。
「あそ、いいんじゃない? あいつとは別れるの?」
私はてっきり怒られると思っていたので驚いた。だって、義母は息子である夫を可愛がっていたから。
「だって母さんは累のこと可愛がってただろう?」
「そりゃその方が色々と得だもの。最近じゃ、嫁女の仲が悪いと孫の顔も見せない嫁が多いって聞くし」
「あれ、演技だったのかよ。我が親ながら最低だな」
義母は笑った。「ご機嫌取りも疲れちゃったわ。私は母親よ。息子の味方に決まってるじゃない」
そして、義母は夫にこう尋ねた。
「で、本当の離婚原因は何なの?」
「あ、あいつに言った通りだよ。妊娠してまるまると太っていくのに恐怖を覚えたんだ」
「じゃあ、この間一緒に歩いてた女性は誰?」
「何の話?」
「偶然見かけたのよ。腕組んでたし、仲良さそうだったけど」
夫は動揺した。元カノのリエちゃんだと認めた。義母は「いいと思うわ。お似合いだもの」と言い、温泉のペアチケットを渡すと言った。
「今はリエちゃんの家に住んでるの? 住所教えてくれない?」
「なんで?」
「宮崎の親戚がお肉を送ってくれるって言うんだけど、この年になるとあんまり食べられないから、あなたたちで食べたらいいと思って」
夫は疑いもせず、リエの住所を教えた。
翌日、義母が私に電話をかけてきた。
「大したことは分からなかったわ。本当に妊娠したあなたが嫌になったみたい。どうしようもない息子でごめんなさいね。私からも怒鳴りつけてやったわ」
「私のためにありがとうございます」
二週間後。夫は義母に送ったはずの高級旅館でリエと温泉を楽しんでいた。
「温泉楽しかった。最高だったよ。リエも大喜びでさ、あんな高級旅館譲ってもらって悪かったな」
「言ったのは先週でしょ。感想くらい言いなさいよ」
「ごめん、色々忙しくてさ。母さんは俺がいつか連れてってやるからな。今はリエさんの家。あ、そうだ。封筒が届いてないかしら?」
「ああ、なんかテーブルの上に置いてあるな。リエは中身も見ずに昼寝しちゃったよ」
「あなた当てだから開けていいわよ」
夫が封筒を開けると、中には探偵の報告書が入っていた。夫とリエの密会の写真や行動記録。二週間分、たっぷりと。
「なんだよこれ」
「見て通りよ。探偵の報告書。めちゃくちゃ隠し取りされてんじゃん」
「まさか、これを送るために住所を聞いたのか」
「その通り。肉も届かないし、おかしいと思ったんだよ」
「だったらあっさり教えるんじゃないよ。親が裏切るなんて思わないだろう」
「残念でした。親ガチャ失敗したみたいね。ちょっと温泉の写真まで撮ってんのかよ」
「まさかあんなところまでついてきてたのか」
「探偵さんって本当に大変なお仕事よね」
「なんで母さんがこんなことするんだよ!」
「ルイさんがあまりにもかわいそうだからに決まってるでしょ」
「俺の味方じゃなかったのか!」
「そう思わせたら本当のことを話すと思ったのよ。ちなみに街中であんたとりえさんを見かけたって言うのも嘘。私が気をかけただけ」
「ふざけんな! 出産直後の妻にいきなり離婚を突きつけるんだもの。浮気してるに違いないと思ったら案の定だったわ」
「でも俺と累はもう終わってる。だからこれは不倫にはならない!」
「まだ離婚は成立してないじゃない。法的にはルイさんはまだ妻なのよ。ってことは、あんたとりえさんに慰謝料請求できるわ」
「息子を騙すなんて、それでも親かよ!」
「まあ、びっくり。あなたが親の同技を語るなんて。それは母親になった女に興味がないとか、取ってつけたような理由並べて、それで自分だけ幸せになれると思ったの?」
「俺にだって色々あるんだよ! リエさんも妊娠してるんんだもの!」
義母は冷静に言った。
「私も驚いたのよ。探偵の報告書の中に、産婦人科に行ってる写真を見た時はまさかと思ったわ」
「いや、あれは検診に付き添っただけで…」
「普通の女性が検診に彼氏は連れて行かないわ。それに、どうしてリエさんを選んだの? 私の目から見ても、絶対ルイさんの方が素敵な女性だと思うけど」
夫は観念したように言った。
「脅されたんだよ」
「え?」
「久しぶりに再会して、酔った勢いでそういう関係になっちゃって。そしたらそれ、動画で撮られてたっぽくてさ。離婚して私のところに戻ってこなければこの動画をばらまくって言われたんだ」
「嘘」
「本当だって信じてくれよ!」
「私はあんたの母親よ。報告書の写真に映ってるあんたの顔を見れば、脅されてるのか、心から楽しんでるのかくらい分かるわ」
「だから仕方なく累を切り捨てるしかなかったんだ!」
「全然辻妻が合わないわね。嘘に嘘を重ねると必ずボロが出る。お父さんが生きてた頃、よくそんなことを言ってたわ。とにかく、このことはルイには黙っててほしい。リエを怒らせたら、ルイと子供がどうなるかわからない」
「じゃあ、今から謝りに行くわよ」
「え、なんで? LINEで離婚を要求しただけらしいじゃない?」
「そうだけど、してくれてるからわざわざ行かなくても大丈夫だって」
「ちょうどご実家からお母様もいらしてるみたいなの。あなたに対してすごく怒ってるみたいだから、一緒に謝りに行くわよ」
「やだよ」
「あ、そう。じゃあいいわ。私ね、最近おっちょこちょいなの。冷蔵庫に卵があるのに二日連続で買っちゃって。今三パックもあるのよ。あなたの会社の近くで探偵の報告書とか落としちゃったら、ごめんなさいね」
「いや、やめてくれよ!」
「わざとじゃないのよ。ただこの間もお財布落としちゃって、つくづく廊下って怖いなと思ってるところなのよ」
「まだ六十歳手前だろ。ボケたふりすんな!」
「今すぐ準備しなさい」
数時間後。病院で、私は義母たちと対面した。夫は土下座して謝っていた。
「お母さん、ありがとうございます。神兵はともかく、お母さんにまで土下座なんかさせてしまって、すみません」
「こちらこそごめんなさい。あいつらの尻尾を掴むために、本当のことをしばらく言えなかったの」
「私のことを思ってしてくれたことですよね。母が、本当に素晴らしいお姑さんねって、感謝していました」
「大事な娘さんを傷つけたのに、そんなことを言ってもらう資格はないわ」
義母は、夫が浮気したこと、リエが妊娠していること、夫が脅されたと言い訳していたことなど、すべてを私に話してくれた。
「あれは全部、神兵が自分を守るためについた嘘よ。でもきっとすぐ別れるわ」
「なぜですか?」
「あの二人が破局した原因は、リエの浮気よ。そして今回は神兵が浮気した。どちらも責任感のないクズってこと。そんな二人が一緒になって、うまくいくわけがない」
「確かに…」
「神兵は二人分の養育費を抱えることになりそうね」
「払ってくれるでしょうか?」
「当然よ。二人分の命の重みをとことん理解させてやる」
数日後、離婚調停が行われた。夫は弁護士を通して、養育費を月1万5000円にしたいと提案してきた。
「払わないなら給料を差し押えることもできるわよ」
「お前らより新しい家族が大事なんだよ!」
「今ので気が変わったわ。最高額の6万を取りに行くわ」
「やめてくれ! 浮気して悪かった! 嘘ついてごめんなさい!」
「今更罪なんていらないわ。全部お金に変えてくれたらいいの」
「そんなこと言うなって!」
「ああ、そうだ。お母さんが言い忘れてたみたいなんだけど…リエさん、他にも男の人がいたっぽいよ」
「え? 本当にあなたの子なのかしらね」
「嘘だろ? 俺、新しい家族のためにマンションまで買ったんだぞ!」
「私たちにはしてくれなかったことね。リエさんには全部やるんだ。彼女の何がそんなに良かったの?」
「なんていうか、すごく褒めてくれるんだ。かっこいいとか、仕事できるとか」
「それだけで良かったの?」
「自己肯定感が上がるっていうかさ。一緒にいて気分が良かったんだよ」
「まあ、お腹の子を育てるための財布目当てなら、そのくらいの嘘は平気でつくわよね」
「嘘じゃない!」
「だったら彼女を信じて幸せに暮らせばいいわ。DNA鑑定なんてする必要もないわね」
「あ、なるほど。その手があったか。ありがとう。生まれたらやってみるわ」
「ちなみに、私が産んだ子はあなたそっくりよ。何の因果かしらってほど似てる」
「そうなんだ」
「一生合わせないけど、血を分けた存在がこの世にいる。その子には未来があるの。そのために、養育費だけは頑張って払ってほしい」
「わかった。では、養育費6万円で請求します」
その後、七ヶ月後。リエが産んだ子供は、どう見ても欧米の血が入っていた。リエは「覚醒遺伝よ」と言い訳したそうだが、リエの母に確認したところ、何代遡ってもそのような血筋はないとのこと。
やはり、父親の分からない子を産むために、再び神兵に近づいたというのが真相だった。
さすがに騙されたと気づいた神兵だが、マンションのローンや私への慰謝料と養育費で、全く首が回らない状態。弁護士に相談したり、訴訟する余裕もないとか。
実の母親からも縁を切られ、途方に暮れた神兵は驚きの行動に出た。
「実の我が子と暮らしたい。復縁して欲しい」
毎日LINEを送ってくるようになったのだ。鬱陶しいので、すぐにブロックした。
今は、家から逃げたら地獄の果てまで追いかけると圧力をかけられているようで、仕方なく、全く似ていない子供を育てるために、休む暇もなく働いているようだ。
私も少し小さなマンションに引っ越し、子供を保育園に預けて働いている。義母だった知恵さんもよく遊びに来てくれて、神兵そっくりの孫にメロメロのようだ。時折、うっすらと瞳が濡れていることがある。会えなくなった息子に、何かを重ねているのかもしれない。
いくら我が子でも、間違いを指摘し、正しい道に導くというのは簡単なことではない。それをやってのけた知恵さんを心から尊敬している。私も、こんな素敵な母になりたいと思った。



