「母さんは来ないで。うちの嫁が嫌がってる」
そのメッセージを受け取った瞬間、私は手に持っていた包みを落としそうになった。73歳の山本静です。夫を亡くして20年以上、横浜で一人暮らしをしています。長年小学校の教師を務め、退職後は少しずつ貯めた預金で静かに暮らしてきました。
そのお金のほとんどを、私は一人息子のために使いました。息子が結婚して家を買うとき、頭金が足りないと言われ、迷わず通帳を差し出しました。息子の幸せのためなら、それでよかったのです。最初の数ヶ月は一緒に暮らし、家事を手伝い、夕食を作りました。でも、お嫁さんの態度が少しずつ変わり始めました。私と二人きりになると無言になる。冷蔵庫の扉を強く閉める。遠回しに「自分たちでやる方が楽」と言われる。
私は静かに身を引くことにしました。4キロ離れた小さなアパートを借り、週に一度は手作りの焼き菓子を持って孫の顔を見に行きました。孫のはじめちゃんが「おばあちゃん」と笑ってくれることが、何よりの喜びでした。見返りなんて求めていませんでした。「ありがとう」とたまに言われるだけで十分でした。
孫の1歳の誕生日会のことを、息子は「嫁の実家が全部やってくれるから」と言いました。私は何か力になりたくて、無断で40万円を振り込み、メールで「会場代や料理に使ってね」と添えました。返事はありませんでした。誕生日が近づくにつれ、不安は確信に変わっていきました。近所の友人から「南川の別荘でやるんだってね。15日だったかしら」と聞かされたのです。私は息子にもう一度メールをしましたが、既読はついたものの、返信はありませんでした。
そして迎えた15日。私はホテルの受付に立ち、「孫の母方の祖母です。お祝いにとケーキを持ってきました」と伝えました。受付の女性は書類を見て、申し訳なさそうに首を振りました。
「恐れ入りますが、こちらのリストにお名前がないようです。ご招待がない方はご入場いただけません」
その瞬間、私はすべてを理解しました。私は呼ばれていないのです。雨の中、私はホテルを後にしました。遠くから孫の笑い声が聞こえ、ガラス越しにろうそくの火を吹き消す姿が見えました。私はただ、その光景を眺めることしかできませんでした。帰り道、木陰のベンチに座り、持ってきたシフォンケーキを一口だけ自分で食べました。孫の好きないちごを飾ったケーキでした。
数日後、息子から手紙が届きました。「母さんへ。昨日のこと本当にごめんなさい。でも、うちの嫁が母さんのせいで場の空気が悪くなると言って、僕はどうすればいいのかわからなくて」
私は嫁の母親に直接会いに行きました。白いレンガ作りの立派な家でした。彼女は冷たく言いました。「あなたはちょっと時代遅れなのよ。お話の仕方も服装も何もかも。お金を出したからって招待されるとは限らないでしょ」
その帰り道、偶然、元姑に出会いました。彼女も同じように排除された経験があると言いました。「彼らが完璧な写真を作りたいだけなんです。気に入らない背景はフレームから外される。それだけの話です」
その言葉で、私はようやく理解しました。私は嫌われたのではなく、映したくなかっただけなのだと。私は間違った母ではなかった。ただ、完璧という幻想にとって、私はノイズだっただけなのです。
それから2年が過ぎ、春が来ました。幼稚園の入園式の案内と手書きのメッセージが届きました。「母さん、もしよければあの日の分も一緒に来てくれませんか」
入園式当日、私は久しぶりに淡い色の着物を着て会場に向かいました。孫は私を見つけると、すぐに「ばあば」と笑顔で走り寄ってきました。その瞬間、私はしゃがみ込み、孫をぎゅっと抱きしめました。お嫁さんは何も言わず、深く長くお辞儀をしました。言葉以上に伝わるものがありました。
帰り道、孫の小さな手が私の指をしっかりと握り返してきます。「ばあば、今日来てくれてありがとう」。その声が心の底まで染み渡りました。あの時の雨も、冷たさも、孤独も、すべてがこの瞬間のためにあったのだと、そう思えました。
私はもう十分です。名誉も何もいりません。ただ、家族として、母として、ちゃんとここに存在していいのだと、そう思わせてくれることが、何よりの贈り物なのです。



