夫を事故で亡くした翌日、義姉から電話がかかってきた。「あなたには年金があるんでしょ?だったら遺産まで欲張らなくても暮らしていけるわよね。」そして「葬儀にも来なくていいわ」とまで言われた。私は妻なのに、家族として扱ってもらえず、夫を送る席にも立てなかった。それだけじゃない。義姉は相続の書類を全部持ち去り、私の知らないところで私の署名まで偽造していた。でも、夫は亡くなる前に、私を守るための仕組み…

夫を事故で亡くした翌日、義姉から電話がかかってきた。「あなたには年金があるんでしょ?だったら遺産まで欲張らなくても暮らしていけるわよね。」そして「葬儀にも来なくていいわ」とまで言われた。私は妻なのに、家族として扱ってもらえず、夫を送る席にも立てなかった。それだけじゃない。義姉は相続の書類を全部持ち去り、私の知らないところで私の署名まで偽造していた。でも、夫は亡くなる前に、私を守るための仕組み...

夫を事故で亡くした翌日、義姉の直美が電話口で冷たく言い放った。「あなたには年金があるんでしょ?だったら遺産まで欲張らなくても暮らしていけるわよね。あなた一人なら年金で十分でしょ。」

私は耳を疑った。そして直美はさらに信じられないことを言った。「あと、葬儀にも来なくていいわ。」

「待ってください。私、妻なんですよ。うちの家計の葬儀よ。」

「少しは察しなさいよ。あなたをうちの家族だと思ったことはないから。」

電話は切れた。夫を失った悲しみより先に、私は妻であることまで奪われた気がした。

私の名前はり子、48歳。夫のかずやは45歳だった。私は23歳の時、交通事故で脊髄を損傷し、それ以来車椅子で生活している。大学を中退し、会社員として働いた経験もない。事故の後遺症で認められた障害年金と、自宅で作る刺繍小物の売り上げで細々と暮らしていた。

かずやと出会ったのは40歳の頃。街中の小さな段差で私の車椅子が動かなくなった時、「手伝いましょうか」と声をかけてくれたのがかずやだった。同情するような顔も、必要以上に気を使う様子もない。ただ困っている人に手を貸した。たったそれだけ。その自然さが私には嬉しかった。

交際を始めて3年、かずやは言った。「り子、こっちを見てくれ。」

「どうしたの?」

「結婚しよう。」

「で、でも私…あなたに負担をかけるよ。」

「負担かどうかは俺が決めることだろう。」

私はその言葉に救われた。

でも、ただ一人、結婚に強く反対したのが、かずやの7歳年上の姉、直美だった。かずやの実家は代々続く老舗旅館。両親亡き後は、直美夫婦が旅館を継いでいた。初めて挨拶へ行った日、直美は私の車椅子を見るなり表情を曇らせた。

「かずや、本気なの?」

「もちろん、俺はり子と結婚する。」

「困るわ。」

「何が?」

直美は私を見た。「車椅子の嫁なんて、一族の恥でしょ。」

息が止まった。

「姉さん、客商売なのよ。親戚やお客様がどう見るか、あんたも少しは考えなさい。」

そして私に向かって言った。「かずやを諦めてくれるなら、お礼くらい包むわよ。」

かずやは立ち上がった。「帰るぞ、り子。」

「で、でも…」

「姉さんが認めなくても、俺はり子と結婚する。」

直美を振り返り、「もう二度とり子を物みたいに扱うな。」

かずやと結婚後、私たちはバリアフリーの小さなマンションで暮らし始めた。私は刺繍の仕事を続けた。ポーチやハンカチ、小さなバッグ。数は多くない。でも、一つずつ自分の手で作ったものに値段をつけてもらえることが、私の自信だった。

ある日、突然直美が新居へ来た。私の作品を見るなり、「これが仕事?」

「一応、注文をいただいています。」

「弟の給料があるからできるお遊びでしょう。」

私は黙った。するとかずやが作品を一つ手に取り、「り子が積み上げてるもの、俺はちゃんと分かってる。金額の問題じゃない。」

私は泣いた。悔しかったからではない。私自身より、かずやの方が私を信じてくれていたことが嬉しかったのだ。

それでも直美の嫌がらせは続いた。結婚2年目、実家へ呼ばれると、テーブルの上に一枚の写真が置かれていた。若い女性のお見合い写真だった。

「何これ?」かずやが聞くと、直美は当然のように言った。「あなたの再婚相手よ。」

「結婚してるけど。」

「だからやり直すの。そんなことも分からないの?」

そして私を一瞥。「子供も望めない。助けも必要。この先ずっとかずや一人に背負わせるつもり?」

かずやは写真を突き返した。「俺の人生を勝手に決めるなよ。」

それ以来、かずやは直美と距離を置いた。私は申し訳なく思った。でもかずやは「り子のせいじゃない」と言ってくれた。

そして結婚3年目、最愛の人かずやは仕事帰りの事故で亡くなった。あまりに突然だった。病院へ駆けつけ、冷たくなった手を握っても、現実だと思えなかった。

そこへ直美が来た。私を見るなり、「あなたのせいよ。」

「何を言ってるんですか?」

「あなたと結婚しなければ、かずやはこんなことにならなかった。」

私は言い返せなかった。大切な人を失った直後、心は簡単に弱くなる。

そして翌日、直美から電話がかかってきた。「葬儀には来なくていい。」

結局、私は夫を送り出す席にすら入れてもらえなかった。

葬儀の後、喪服姿の直美が私たちの家へ来た。「相続の手続き、全部こっちでやるから。」そう言いながら、通帳、保険証券、委任関係の書類、かずや名義のものを次々とバッグへ入れていく。

「待ってください。私にも確認させてください。」

「あなたが見ても分からないでしょ。」

「でも、私は妻です。」

直美は鼻で笑った。「年金があるんだから、生活には困らないでしょ。」そのまま全部持っていった。

それから3ヶ月、相続は一向に進まない。直美へ聞いても「必要なら連絡する」たったそれだけ。私の手元に残ったのは、何年も動いていないかずやの古い通帳だけだった。

年金と刺繍の収入だけでは、家賃と生活費がギリギリ。ある日、私はその通帳から10万円を下ろした。これで今月も家を出なくて済む。そう思った自分が情けなくて仕方なかった。

でも、その2日後、銀行から電話があった。「り子様でいらっしゃいますか?」

「はい、そうですけど。」

「ご相続の件で、確認したい書類とお話がございます。」

銀行へ行くと、奥の応接室へ通された。目の前に置かれた書類。そこには私の名前、そして私の署名…でも違う。

担当者が顔を上げる。「何か?」

「これ、私の字じゃありません。」

空気が変わった。「やはりそうでしたか。」

私の知らないところで、私が相続の一部を放棄するような書類が提出されていたのだ。銀行は不自然さに気づき、処理を止めていた。誰がこんなことを…答えは考えるまでもなかった。

その時、応接室へ一人の男性が入ってきた。「お久しぶりです、り子さん。」

その方は健二さんという銀行の役員で、かずやが昔から世話になっていた人だった。「り子さん、かずや君から頼まれていたことがあります。」

「頼まれていたことですか?」

健二さんは静かに頷いた。「自分に何かあったら、妻を守ってほしいと。」

胸が詰まった。さらに、かずやの親友だったタイガさんも呼ばれていた。タイガさんは一通の契約書を見せた。「かずやは生前、主要な資産の一部を信託に移しています。」

「信託?」

「簡単に言えば、り子さんの生活を守るために別枠で管理していたんです。かずや側の親族が何をしても、ここには手を出せません。」

私は言葉を失った。かずやは亡くなった後まで私を守ってくれていた。そんなこと、一言も…

健二さんが微笑んだ。「言えば、あなたが心配すると思ったのでしょう。」

涙が止まらなかった。

1週間後、私は健二さんとタイガさんと一緒に直美の家へ向かった。「通帳と書類を返してください。」

直美は顔を曇らせた。「家の財産を私が管理して、何が悪いの?かずやはこの家の人間なのよ。」

私は、以前なら言えなかった言葉を口にした。「私も家族です。」

直美が私を睨む。「私はかずやの妻です。そして正式な相続人です。」

健二さんが続けた。「それに、直美さん。旅館の経営がかなり厳しいようですね。」

直美の顔色が変わった。赤字が続き、資金繰りに困っていたこと。その穴を埋めるため、かずやの資産を旅館へ回そうとしていたこと。全て分かっていた。

私は直美を見た。「私に何度も言いましたよね。『弟に寄りかかって生きるな』って。」

直美は黙っている。

私は静かに続けた。「でも今、かずやの遺産がなければ困るのは誰なんですか?」

返事はなかった。

「年金があるんだから、遺産まで欲張るな」そう言ったのは直美だ。私は首を振った。「障害年金は私が生きるためのお金です。かずやの遺産をあなたの旅館へ渡す理由にはなりません。」

しばらくして、直美は持ち去った書類を返した。警察や裁判となることを恐れたのだろう。相続も正しい手続きへ戻った。旅館はその後規模を縮小し、一部を手放したと聞いている。私はそれ以上、直美を追いかけなかった。

そして数ヶ月後、タイガさんが撮ってくれた私の刺繍作品の写真がきっかけで、小さな展示会の依頼が入った。初日、壁に並んだ作品を見ながら、私は緊張していた。でも、一つまた一つ、作品を手に取ってくれる人がいた。嬉しくて裏口で涙した。

あっという間に最終日。並べた作品は全て、新しい持ち主の元へ旅立った。

帰宅後、私は作業机の横にあるかずやの写真へ話しかけた。「ねえ、かずや。これ見て。私のお遊び、全部売れたよ。」

もちろん返事はない。でも写真のかずやは、いつものように笑っている。

私はずっと、障害年金で暮らしている自分をどこか申し訳なく思っていた。人に助けてもらうことを弱さだと思っていた時期もある。でもかずやは一度もそう言わなかった。喧嘩しても、嫌なことがあっても、一度も言わなかった。

支えてもらうことと、寄りかかることは同じではない。夫婦は、できないことを補い合い、できることを渡し合うもの。それを教えてくれたのは、最愛の夫かずやだった。

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