三回目の結婚記念日に、少し背伸びして妻のゆかのために高級レストランを予約した。落ち着いた照明、完璧な料理、久しぶりの夫婦水入らずの時間。ワインを傾けながら、俺はこの穏やかな夜がずっと続けばいいと思っていた。だが、若いウェイターが料理を運んできた瞬間、ゆかの顔色が一変した。まるで幽霊でも見たかのように青ざめ、視線を必死に逸らしている。彼もまた、俺の妻をじっと見つめていた。「知り合いか?」と聞く…

三回目の結婚記念日に、少し背伸びして妻のゆかのために高級レストランを予約した。落ち着いた照明、完璧な料理、久しぶりの夫婦水入らずの時間。ワインを傾けながら、俺はこの穏やかな夜がずっと続けばいいと思っていた。だが、若いウェイターが料理を運んできた瞬間、ゆかの顔色が一変した。まるで幽霊でも見たかのように青ざめ、視線を必死に逸らしている。彼もまた、俺の妻をじっと見つめていた。「知り合いか?」と聞く...

その日は俺たちの三回目の結婚記念日だった。少し背伸びして、妻のゆかが喜びそうな高級レストランを予約した。店内は落ち着いた照明で、雰囲気も料理も素晴らしかった。普段はなかなか一緒に外食する機会も少なかったから、二人とも浮かれた気分でワインを傾けていた。

俺がそろそろメイン料理かと思い始めた頃、一人の若いウェイターが俺たちのテーブルに料理を運んできた。年の頃は十代後半。誠実そうな顔つきの青年だった。彼が皿をテーブルに置いた瞬間、ゆかの顔がさっと青ざめた。明らかに動揺していた。目が合っただけで、そんなに顔色が変わるものだろうか。

「どうした、ゆか?」と俺が尋ねると、彼女は視線を泳がせながら「うん……なんでもないよ」とぎこちなく答えた。だがその目線はチラチラとウェイターの方へ向いたままだった。その青年もまた、俺の隣に座るゆかをじっと見つめている。知り合いなのかと問いかけると、ゆかは「そんなわけないじゃない」と妙に慌てた様子で否定した。不自然だった。彼女の態度はどう考えてもおかしかった。

しばらくして、そのウェイターが再びテーブルにやってきた。料理を置くなり、彼はゆかに向かって低い声で呟いた。

「母さん、どうして今まで連絡よこさなかったんだよ」

一瞬、言葉が理解できなかった。母さん?目の前にいるのは俺の妻だ。どうしてこの青年がゆかを母さんと呼ぶんだ。

「おい、ゆか。どういうことだ?」

俺が問い詰めると、ゆかは何も答えず、うつむいたまま硬直していた。青年は俺の視線には目もくれず、さらに声を低めて続けた。

「こんな高級店に来る金があるなら、せめて養育費くらい払ってくれよ。俺、ずっと待ってたんだからさ」

頭の中が混乱した。母さんという呼びかけ。そして養育費という言葉。俺はゆかに子供がいるなんて一度も聞いたことがなかった。まさかと思いつつも、目の前で起きていることは紛れもない事実だ。

「子供がいたのか。どういうことだ?説明してくれ」

ゆかは黙り込んだまま、視線を落として何も答えない。代わりに、青年がため息をつきながら口を開いた。

「母さん、あんた結婚相手に子供がいるって話してなかったのか。そんなに俺が邪魔なのかよ。田舎のばあちゃんに預けて、あんたは自由な生活を送っていいよな」

「ゆか、本当のことを話してくれ」

俺の問いに答えるように、青年は静かに頷いた。

「俺はこの人の息子です。広代って言います。今年で十九歳になりました。母さんには俺を捨てて自由に生きるって選択があったみたいで」

「こんな言い方やめて……」

ゆかが絞り出すように抗議した。しかし広代は言葉を止めない。

「じゃあなんで今まで黙ってたんだよ。俺が好き勝手に生きてたのに、急に家庭を持って普通の主婦の顔してさ。ばあちゃんに面倒を見させて、養育費だって払ったり払わなかったりで、ばあちゃんが年金でやりくりして育ててくれたんだ」

「こ……広代、もうやめて。養育費だって、家計費からやりくりして送っていたじゃない」

ゆかは小さな声で言い訳したが、広代は鼻で笑った。

「気が向いた時だけだろ。そんなの養育費のうちに入らないよ。俺、やりたいことがあって勉強したくても、お金がなくて進学できなかったんだ。だから今ここで働いて金を貯めてるんだよ」

俺の頭の中は沸騰しそうだった。怒りと混乱が渦巻く中、必死に冷静さを保とうとした。

「ゆか。本当に、今まで子供がいることを隠していたのか」

ゆかはついに観念したのか、か細い声で話し始めた。

「そうよ。広代は私が若い頃にできた子なの。産んで、母のいる田舎に預けてきた」

「自分の夢があって……母としての責任を放り出してしまったの。誠を失いたくなかったから、黙っていたの。結婚して落ち着いたら話そうと思ってたけど、なかなか言えなくて」

夢。そんな軽い理由で子供を親に置き去りにして、一度も会うことなく自由に暮らしてきたというのか。しかもそれを隠したまま俺と結婚した。

「それで俺には何も話さないまま結婚して、俺の稼ぎから勝手に送金してたってわけか」

ゆかは肩を震わせながら、やっとの思いで頷いた。俺は拳を握りしめ、絞り出すように言った。

「俺を失いたくなかった?そんな言葉で許されると思ってるのか。ゆか、お前はただ自分が楽になるために嘘をついてきただけじゃないか」

ゆかは何も返せなかった。俺は深いため息をつき、広代の方に顔を向けた。

「広代君。すまない。君がそんな苦労をしていたのに、俺は何も知らなかった。もしもう少し早く知っていれば……」

広代は悲しげな顔で頷いた。

「それは……大丈夫です」

その一言だけ返して、彼は立ち去った。返された言葉は短くとも、その顔には複雑な感情が滲んでいた。

残された俺とゆかの間には、重苦しい沈黙が漂った。目の前にいるゆかは、今まで俺が知っていた妻とは全く別人に見えた。優しくて穏やかで、俺の悩みを真剣に聞いてくれる女性。家庭に憧れがあると語っていたあの姿は、全て偽りだったのか。俺は怒りと失望で何を言えばいいのか分からなかった。

家に帰っても、ゆかと話をする気になれず、俺は寝室に閉じこもった。ドアの向こうからゆかの謝罪の声が聞こえてくるが、何を言われても言い訳にしか聞こえなかった。子供の存在を隠して結婚するなんて、まるで詐欺だ。それも養育費も満足に払わず、子供を親に預けて自分の生活を謳歌していたのだ。

ふと、ある予感がした。俺は寝室にあるウォークインクローゼットを開けた。主にゆかが使っているそこには、俺の知らないブランド品が溢れていた。棚に置かれたバッグの中を漁ると、見覚えのない通帳が見つかった。

開いた瞬間、俺は目を疑った。そこには、俺の給料からゆかが家計の一部と偽ってこっそり別の口座に移した記録が残っていた。金額は俺が思っていた以上に高額だった。しかも履歴を見ていくと、その金が高級ブランドの買い物やエステに使われていることが分かった。養育費だと言っていた金の一部も、実際には自分の贅沢に消えていたのだ。

「なんだよ、これ……」

人の金で贅沢をするために、ゆかは俺と結婚したのか。こんな贅沢品に使う金があるなら、養育費だって送ることができたのに。子供のことを全然考えていない。人として、どうかしている。怒りで手が震えた。彼女がこっそり俺の稼ぎを着服していた事実を目の当たりにして、ゆかへの想いは一瞬で冷めていった。

翌朝、早く仕事に出た俺の携帯には、ゆかから何度もメッセージが届いていた。後悔と謝罪の言葉が並んでいたが、もはや俺の気持ちは変わらなかった。

「もういい。俺たちの信頼は完全に壊れた。これ以上お前と一緒にいる理由が見つからない」

俺はきっぱりと返事をし、正式に離婚する決意だと伝えた。そして有給を取って、弁護士事務所に向かった。

離婚手続きを進める中で、俺はさらに驚愕の事実を知ることになった。弁護士がゆかの支出や財産状況を調べると、彼女が俺の給料だけでなく、カードローンまで使って散財していたことが判明したのだ。結婚後から毎月のように高額なブランド品を買い、エステや高級サロンにも頻繁に通っていたというクレジットカードの利用明細が提示された。明細書にはブランド名や高額な美容サロンの利用履歴がずらりと並んでいた。

俺は呆然と明細を見つめた。ゆかはただ俺を裏切っていただけでなく、家計にまで手をつけていた。信じたくなかった。ずっと信じようとしてきた相手だったのに。優しく穏やかで、俺の悩みを聞いてくれていた彼女。家庭に憧れると語った時、俺も自然に将来を考えた。だが、彼女が裏でしていたことは、そんな想いとはかけ離れた自己中心的な行為だった。

こんな派手な生活をしておきながら養育費を滞納し、実の息子にまで迷惑をかける。どこまで俺を騙せば気が済むんだ。心の中に溜まった怒りが、今まさに限界を超えようとしていた。彼女の見せていた優しさも愛情も、全て俺を欺くための偽りだった。離婚こそが、嘘まみれだった時間に終止符を打つ唯一の方法だと、俺は改めて決意を固めた。

離婚協議の日。俺は弁護士と共に会議室の一角に座っていた。しばらくして、ゆかが現れた。済まなそうな顔をしていたが、俺の視線は冷たく、それに応える気はなかった。ゆかが口を開き、涙ぐんだ目で俺を見つめる。

「誠、お願い、話を聞いて」

「もう全部分かったんだ。お前には俺に隠し通した過去があった。その上、俺の金で派手な生活までしていたとはな。どこまで俺を騙せるか、試してたのか」

俺の冷たい問いに、ゆかは小さく首を振り、か細い声で反論した。

「そんなつもりじゃなかったの。私は……あなたのことを愛していたのよ。だから黙っていただけなの」

「養育費って名目で家計から金を引き出して、こうやって好き放題使っていたのか。お前、俺のことを何だと思っていたんだ」

ゆかは苦し紛れに言い訳を始めた。

「違うのよ。ちゃんと必要なものだけを買ってたの。誠に頼りすぎたのは反省してるけど、私だって色々と大変だったのよ」

「必要なもの?ブランドバッグやエステが、必要なものなのか」

怒鳴りつけたいのを堪えて、俺はゆかを睨んだ。ゆかはうつむき、さらに言い訳を続けようとするが、俺はもう耳を貸す気になれなかった。

「いい加減にしろ。ゆか。愛情を裏切るだけじゃなく、家計まで壊すなんて、本当に信じられない。お前がしてきたことの責任は、全部自分で取ってもらう」

俺は離婚協議の場で、これまでの裏切りや嘘、そして浪費の実態を全て記録として提出した。そしてゆかに対して、慰謝料やこれまでの支出の返済を求めるよう強く主張した。

「今まで見逃してきたけど、もうお前には甘くしない。自分のしたことを、自分で背負え」

俺の決意に、ゆかは何も言い返せず、ただ青ざめた顔でうつむいた。彼女の弁護士も、これ以上の擁護はできないと悟ったのか、黙り込んだままだった。

離婚が正式に成立した日、俺は長く続いた重苦しい日々から解放されたような感覚を味わった。心の奥に刺さっていた棘が抜けたようで、新しい生活が始まることへの安堵が込み上げてきた。

その後、俺は新たな生活を少しずつ築いていった。仕事に打ち込み、自分のやりたいことにも時間を使えるようになり、心に余裕が生まれてきた。これまでの生活がどれだけ無理をしていたのか、今でははっきりと分かる。あの時、離婚を選んで本当に良かった。そう心の底から思えるようになった。

一方、ゆかは養育費や慰謝料の支払いに追われ、朝から晩まで働いていると聞いた。かつて家計を食いつぶすような生活をしていた彼女も、今では経済的に苦しい状況に追い込まれているらしい。息子の広代への責任も、今度こそ自分で果たさなければならないだろう。自分の過去を欺き、俺を騙して幸せを手に入れようとした代償は、今になってゆか自身に返ってきている。

誰かを欺いて手に入れた幸せなんて、長くは続かない。俺は静かに過去に別れを告げ、これからは自分の正直な気持ちを大切にしながら、信頼できる人たちと新しい人生を歩んでいこうと決意した。

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