「ねえ、今日の夕飯またカレー?前もカレーだったよね。最近手抜きすぎない?」——その一言から、私の日常は静かに崩れ始めた。いつものように夕飯を作っていただけなのに、夫の目は冷たくて、まるで私の存在そのものを責めているようだった。「ごめん。じゃあ何がいい?食べたいの作るから」と答えると、夫は鼻で笑って「そんなのも分かんないの?結婚して何年目だよ」と言い放った。その瞬間、胸の奥がぎゅっと痛くなった…

「ねえ、今日の夕飯またカレー?前もカレーだったよね。最近手抜きすぎない?」——その一言から、私の日常は静かに崩れ始めた。いつものように夕飯を作っていただけなのに、夫の目は冷たくて、まるで私の存在そのものを責めているようだった。「ごめん。じゃあ何がいい?食べたいの作るから」と答えると、夫は鼻で笑って「そんなのも分かんないの?結婚して何年目だよ」と言い放った。その瞬間、胸の奥がぎゅっと痛くなった...

「ねえ、今日の夕飯またカレー? 前もカレーだったよね。最近手抜きすぎない?」
「ごめん。じゃあ何がいい? 食べたいの作るから」
「ああ、そんなのも分かんないの? 結婚して何年目だよ、俺ら」
「でも食べたいものなんて、その日その日で変わるし」
「そこを察するのが嫁の務めだろう。つうか、俺の意見を聞いて自分で考えるのサボるつもりか?」
「え? そんなつもりは……」
「なら自分で考えろよ。俺が毎日働いてる間、お前は家で何してんの? 専業主婦なんて楽でいいよな。家にずっといるんだし。それなのに献立すら自分で考えられないって、ちょっと甘えてるっていうか、なめてんの?」
「ごめんなさい。ちゃんと作るね」

数時間後、スマホが鳴った。友人からのランチのお誘いだ。
「ヤッホー。みさ、来週暇? ランチどう?」
「ありがとう。行きたい。夫に確認するね」
「あ、ランチも許可取るの?」
「専業だからさ」
「まあ、そっか。でも最近ちょっと疲れてない?」
「仕事が忙しいのは分かるんだけどね」
「おお、何があった? 夫の愚痴?」
「まあ、そんなとこかな」
「いいじゃん。教えてよ。そういう話大好きだし」
「ならちょっと愚痴ってもいい? 夫が最近家事にうるさくてさ。手抜きするな、もっとちゃんとしろって」
「うわ、何それ? 何様だっての?」
「今日なんて、家にいるのに同じメニュー作るなって。献立を考える努力を怠ってるって言われてさ」
「そんなの『はいはい』って言ってやり過ごそう」
「そうしたいんだけど、話が長いんだよね。もう二時間くらいその話してるのよ」
「あ、ちょっと待って。二時間?」
「うん。ああ、でも今日はまだましかな。この前、家の掃除ができなかった時は、『家にいたお前が一番汚してるのに、後始末もできないのか』ってしばらく怒られちゃって。まあ、さすがにそれは後で謝ってくれたけど」
「みさ、それ、普通じゃないよ」
「え?」
「掃除ができなかったのって、その日だけでしょ? ちなみになんで掃除できなかったの?」
「体調が悪くて寝込んでて」
「できなかった事情は話した?」
「話したけど、言い訳するなって言われちゃったわ」
「どう考えてもおかしいわよ、それ。普通、できない理由は聞くものだし、それが体調不良なら心配するものでしょ。完全にモラハラじゃん」
「でも暴力とかないし、まだマシだと思うんだけど」
「みさ、おかしいこと言ってる自覚ある? DVがないのは当たり前だよ。あんた、洗脳されてない?」
「洗脳?」
「みさの実家、DV家庭だったじゃん。だから基準がおかしくなってるんだよ」
「そうなのかな? 洗脳とかはちょっと大げさだって」
「それに、嫌なこと言ったらちゃんと謝ってくれるし、反省もしてくれるのよ。心配性だから、どこにいたかとかも聞いてくるけど、無関心で無視されるよりは愛されてるって感じじゃない?」
「まあ、その話は後々しよう。今言っても信じられないだろうし。でもみさも、もし離婚するなら経済力が必要だよ」
「結婚はそこまで考えてないけど……」
「今は考えてなくても、必要になるかもよ。あとは選択肢の一つとして、まずは自分で稼げるようになろうよ。みさ、ウェブデザインできるよね? 学校通ってたんでしょ?」
「うん。昔少しやってたけど」
「じゃあ、在宅でフリーランスやってみたら? 家にいたら夫にも文句言われにくいでしょう」
「でも家事は……」
「家事もやって、できることをしてみようよ。ほら、家にずっといて暇って言い分なんでしょ? 暇な時間を減らすって意味でさ」
「それなら、やってみようかな」

翌日、みさは夫に切り出した。
「あのね、一応在宅でウェブデザインの仕事を始めたいんだけど、いい?」
「は? 何それ?」
「少しだけお小遣い稼ぎをしようと思って。ほら、私、家にいるし、時間あるから」
「まあ、家事がおろそかにならないならいいけど。どうせ大した金額じゃないんだろ」
「そうだね。ありがとう」

一ヶ月後、夫が聞いてきた。
「そういえば在宅始めたんだっけ? いくら稼げたんだ?」
「今月は二万円くらいかな」
「やっぱりなあ。そんなもんか。まあ、お小遣いになってるしいいか。数万でも光熱費の足しになるしさ」
「始めたばかりだから、これから頑張るね」
「家事もちゃんとしろよ」

半年後、みさは友人に報告した。
「聞いて。今月、五十万円稼げたよ」
「マジで?」
「うん。すごいでしょ」
「いや、まあすごいけどさ。たまたまじゃないの? フリーランスなんて不安定だろう」
「そうかもしれないけど、でも嬉しいよ」

翌月、夫が尋ねた。
「今月はいくら稼げたんだ?」
「ごめん、風邪引いちゃって、今月はあんまり仕事できなかった」
「ほらな、やっぱり。だから言っただろ、不安定だって。俺は熱があっても満員電車で通勤してるのに。お前は家で寝込んでサボれていいよな」
「ごめんなさい」
「調子乗るからこうなるんだよ。やっぱり女は男を支えるだけの能力しかねえよな。ああ、羨ましいぜ。だって、頑張って働かなくていいんだからさ」

みさは友人の前で当時のことを話した。
「あの時は、怒られちゃった」
「気にすることじゃないよ。体調崩すこともあるし。それより今後の収入はどうなの? ずっと下がる感じ?」
「今月は二十万円だったけど、来月からまた頑張る。顧客も増えたし、安定して稼げそうなの」
「オッケー。無理しないでね」

数ヶ月後、みさはようやく笑顔を見せた。
「最近、月百万円くらい安定して稼げるようになったんだ」
「ああ、すっごい。百万円?」
「うん。大手企業がクライアントになってくれたの。大学の時に成績が良かったんだけど、ウェブデザイン始めたって言ったら、その時お世話になった人とかの繋がりから、実際に声をかけられたんだ」
「そういえば学生時代、成績トップだったもんね」
「あといろんな企業や個人からもお仕事もらえて」
「すっごいじゃん。夫には言った?」
「言ってない。前に『不安定だ』って言われたから」
「それでいいよ」
「え?」
「自分より稼いでる女って知ったら、何されるか分からないもの。みさが在宅始めてもうすぐ一年でしょ? そろそろ離婚考えたら?」
「まだそこまでは。もしかしたら夫が変わってくれるかも」
「ほら、やっぱりさ。長く一緒にいると信じたいんだよね。それに、いつも機嫌が悪いわけじゃないし、優しいところもあるのよ。そりゃ、あなたには愚痴しか言ってないから印象最悪だけど」
「具体的にいいところってどこよ?」
「えっと、ちゃんと謝ってくれるし、普通にデートとかも行くのよ。機嫌が悪い時は仕事で忙しかったり、なんかタイミングが悪かったりするだけだし」
「タイミングが合わないと機嫌が悪いって、それおかしいよ」
「え?」
「うん。なんでもない。とにかく無理しないでね」

一週間後、また夫の機嫌が悪かった。
「今日の掃除、ちゃんとやった? リビングに埃が溜まってたけど」
「ごめん。仕事が立て込んでて」
「仕事? お前の小遣い稼ぎのせいで家事がおろそかになってるじゃん。在宅ワークなんて楽なくせに」
「ちゃんとやるね」
「あとさ、今日の夕飯、品数少なくない? 俺が毎日満員電車で通勤してるのに。お前は家でパソコン触ってるだけだろ。なのに夫に満足な食事も作らねえって、何考えてんだ」
「ごめんなさい」
「主婦の遊びのくせに、フリーランスとか格好つけるな。たく、誰に養われてると思ってんだよ」

数日後、今度はワイシャツの皺で怒られた。
「あのさ、今日着たシャツに皺があったぞ。アイロン掛けをサボりやがったな。お前のせいで恥かいたじゃねえか」
「ごめんなさい」
「最近たるんでるぞ。お前の小遣い稼ぎ、いい加減やめたら家事に専念しろよ」
「え、でも少しは稼ぎたいし」
「少し? どうせ大した金額じゃないだろう。俺の給料で十分やっていけてるんだから、主婦の遊びで家のことをサボるな。お前は家のことだけしてればいいんだよ」

みさは友人に電話した。
「あの、ちょっと聞いてもいい?」
「どうしたの?」
「実は、夫が仕事をやめて家事に専念しろって言ってきたんだよね」
「はあ? マジで言ってんの?」
「うん。もう限界かも。私、家でやってるだけで、ちゃんと仕事もしてるわ。でも夫は理解してくれない。それどころか、私は家事だけしてればいいって。私、妻として必要とされてない。都合のいい家事要員って思われてるんだよね」
「みさ、やっと目が覚めた」
「うん。悲しいよね。大丈夫?」
「分かんない。まだ受け入れきれてなくて」
「そっか」
「でもね、みさ。今は混乱してるだろうけど、これはチャンスじゃない?」
「チャンス?」
「夫の言う通りにしてみたら? 『はい、わかりました』って仕事やめちゃえば」
「え、でもクライアントもいるし」
「なんとかスケジュール組めない?」
「多分大丈夫。納期に余裕のあるものしか今はないし」
「オッケー。ならさ、みさの稼ぎがなくなったら、夫がどうなるか見てみようよ。あんたの稼ぎ、百万円でしょ? 夫の給料だけじゃ絶対生活できないよ。それに証拠も全部揃ってるでしょ? 夫のモラハラ、全部スクショしてあるよね」
「うん。全部残してある。正直気が引けたけど、証拠は集めなさいって、あなたに口酸っぱく言われてたから」
「口酸っぱく言っといてよかった。よし、じゃあいよいよ動きますか。絶対勝つよ。みさ、私がいるんだから任せなさい」

翌日、みさは夫に伝えた。
「あのね、考えたんだけど、あなたの言う通り、仕事をやめることにした」
「マジで?」
「うん。私も至らなかったわ。家事に専念するね」
「よし、それでいい。やっと分かってくれたか。これからちゃんと家事やれよ」
「はい」
「サボるんじゃねえぞ」

翌月、夫が不満げに言った。
「なあ、なんか最近もやし多くない? なんで前は肉も魚もあったし、品切れになることもなかっただろう。買い出しサボってんの?」
「いいえ、毎日買い出しに行ってるわ。でも生活が厳しいの。生活費が足りなくて」
「今月の生活費が足りない? なんで?」
「あなたの給料だけだと、毎月赤字なの。今まで私の稼ぎで補填してたから」
「は? 補填? 何言ってんの? お前の稼ぎって小遣い程度だろ? それくらいの補填なら節約とかでなんとかなんじゃん」
「えっと、お小遣いも、額によって違うから。あなたにとっては小遣いくらいの収入だったのかもしれないね」
「ちょっと待て。具体的にいくら足りないんだ?」
「毎月二十万円くらい赤字だよ」
「二十万? 嘘だろ? なんでそんなに?」
「家のローンもあれば、車もローン組んでるでしょ。固定費や光熱費もあるし、食費だって結構してるのよ。いい食材を使ってたから」
「安いものを使ったら、あなたは文句を言うもの」
「ちょっと待てよ。話が合わねえぞ。二十万を補填してたって、お前の稼ぎって多くて月十万とかじゃなかったのか」
「最初はそうだったけどね。始めたすぐは。でも、ここ一年くらいは軌道に乗って、多い時は月百万円くらい稼いでたよ」
「百万? あ、いやいやいや。そんなに稼いでるなら、なんで言わなかったんだよ」
「言ったよ。五十万くらい稼げるようになった時に。でも『たまたまだろ』『不安定だ』って言われたよね。それから言わなくなっただけ。何を言っても、結局信じてくれないんだって。それなのに、不調で稼げない時の数字だけは信じていたから。私が稼いでるって事実を信じたくなかったんでしょ」
「そんな……」
「だから生活はこれから厳しくなるよ」
「分かった。悪かった。こんなに貢献してくれてたんだな。それならまた働いてくれ」
「え? でも、小遣い稼ぎをやめろって言ったよね」
「あれは……その、やっぱり働いてくれた方がいい」
「嫌だよ」
「嫌って? え、なんで?」
「いや、むしろなんで働くと思ったの? あなたが『主婦の遊び』ってバカにしたんでしょ? だからもう働かない。それに、あなたのモラハラにはもううんざりなの」
「ちょっと待てよ。モラハラ? いきなり何の話してるんだよ」
「私の実家がDV家庭だったの、知ってるよね」
「ああ、なんかそんな話してたな」
「だから、暴力がないあなたはいい夫だと思ってた。これくらい普通って、感覚が麻痺してたわ。でも友達に言われたの。『あんた洗脳されてるよ』って。それでやっと目が覚めたわ」
「洗脳? お前、それドラマの見すぎだって。それに俺、モラハラって言うほどひどいこと言ってないじゃん。そりゃ暴言はダメだし、手を出すのは論外だけど、俺は当たり前のことしか言ってなかったし。それでモラハラって言われてもな」
「あなたに自覚がないのは知ってるわ。でも私、ずっと我慢してたんだよ。『手抜きするな』『ちゃんとしろ』って言われて。私も仕事してるのに、家事は全部私。あなたは何もしないくせに、文句ばっかり」
「それは……けど、家にいるんだから、家にいる人間が家事するのは当たり前だろ。俺が仕事に行ってる間は、どう頑張ったって家のことはできないんだし」
「そうね。でも、それなら家に帰った後のことは、あなたもするべきじゃない?」
「は? 俺は働いてるんだぞ」
「私も働いてるよ。お互い様だよね。でも、自分は家事をしたくなくて、私はやって当たり前。つまり、家事は自分の仕事じゃないって思ってるでしょ?」
「家でできるくらいの仕事で、えらそうにすんなよ。どうせ片手間でやってるんだろ」
「在宅ワークを舐めないで。あなた、私がどれだけ頑張ってたか知らないでしょ。出勤してるから偉いとか、在宅だから楽だとか、そんなのないわ。私、今あなたの給料の三倍以上稼いでるのよ。それを小遣い稼ぎとバカにされて、どれだけ悔しかったか分かる? もうあなたとは一緒にいられない。離婚するわ」
「離婚? 待った!」
「もう決めた」
「お願いだから考え直してくれ。俺が悪かった。これから変わるから」
「変わる? 今まで何度そう言ったの? 喧嘩する度に『もう言わない』って言っても、次の日には忘れてる。私を傷つけたり不快にさせることを言っても、あなたは都合のいいように解釈して、いつも自分を被害者扱い。もう信じられない。あなたなんて大嫌い」
「頼むって、機嫌直してくれよ」
「無理よ。とりあえず家を出るね。離婚届はそのうち送るから」

別居一日目。夫は荒れていた。
「本当に出て行きやがった。くそ。どこに何があるか教えてから行けよ。引き継ぎもしないなんて」

別居三日目。
「冷蔵庫に何もねえし。買い物に行ってもスーパー広すぎる。洗濯機もうまく回らないし。頼むよ、みさ。戻ってきてくれよ。お前がいないと、俺やっぱりダメなんだ」

一週間後、夫は懇願した。
「みさ、もう無理だ。毎日カップ麺ばかりで体調が悪い。洗濯物もどうすればいいか分からない。頼むから帰ってきてくれ。それに、会社で上司に怒られたんだ。身なりが乱れてるって。ワイシャツもシワだらけ、髪もボサボサだって。社会人としてどうなんだって叱られた。同僚にも『奥さんに逃げられたんだろう』ってバカにされて、『みっともねえな、奥さんに全部やってもらってたんだろう。情けねえな』って笑われたんだ。自分のことくらい自分でやれよって。みさ、助けてくれ」

一時間後、みさの友人に電話がかかってきた。夫だった。
「おい、お前だな。あいつに変なこと吹き込んだの」
「は?」
「お前が変なこと言うから、みさがおかしくなったんだ。今までこんなことなかったのに、勝手に出ていった挙げ句、連絡も返さなくなったじゃねえか。人の家のことに口出ししてんじゃねえぞ。クソが」
「いや、なんで連絡先知ってるんですか? 怖……」
「あいつの携帯を監視してたからな。知り合いの連絡先も控えてたんだよ。出て行く直前に、あんたとやり取りしてたし」
「うわ、マジで引くんだけど。奥さんの携帯を普通に見るとかありえなくない?」
「浮気されたら困るから見るのは当たり前だろ」
「当たり前と思ってるとかヤバい。てか、自覚ないみたいだけど、あんたがやってることは歴史的にも立派なモラハラだからね。あの子の家庭事情、知ってるでしょ?」
「俺はモラハラなんてやってない。あいつも言ってたんだぞ、自分が悪いって」
「被害者は自分を攻めがちですからね」
「分かったようなこと言ってんじゃねえよ」
「あんたよりは分かってますけどね。あの子の実家、結構大変でさ。ようやく親が離婚して自由になれても、寂しい時間も多かったし、苦労もたくさんあった。あの子は、それを人のせいじゃなくて自分のせいって考える癖があるのよ。普通、パートナーがそんな考えなら、『そんなことないよ』って言うのが支え合いでしょうが」
「なんだと? 俺は旦那を支えてたぞ」
「何が支えてるよ。頭おかしいんじゃない? そんな心の弱みにつけ込んで、あんたは自分の支配欲を満たしたいだけのくせに。私の大切な友達をこれ以上苦しめるな。私は絶対許さないよ、あんたのこと」
「お前に何ができるんだよ」
「私、兼業所の探偵なのよね」
「は?」
「だから、モラハラの証拠は全部揃ってるわけ。まあ、集めたのはみさだけど」
「変なこと吹き込んだって……」
「それは半分当たり。証拠集めのテクを全部教えちゃったから」
「あ、なんだと?」
「あんたに勝ち目なんてないから、せいぜい諦めなよ」
「ボコボコにしてやるから!」

二週間後、夫はまたみさに連絡した。
「みさ、助けてくれ。お願いだ。もう限界なんだ。俺が悪かった。全部俺が悪かった。だから帰ってきてくれ」
「洗濯物が分からないって言ってたよね。私が毎日やってたのに、あなた『家で楽してる』って言ってたのよ。なら自分で、その楽なことをやってたら?」
「ごめん」
「料理だって、毎日手料理が食べられる幸せを感じた? いつも頑張って作ってたのに、『手抜きだ』『品数が少ない』って文句言ってたよね。本当にごめん」
「あなた、私がやってたこと全部『楽』って決めつけてた。今、どんな気持ち? 私だって仕事をしながら、そういうのをやってたんだよ」
「分かった。お前のすごさが分かった。だから帰ってきてくれ」
「今さら、私がどれだけ大変だったかやっと分かったの?」
「本当にごめん。これから変わる」
「あなた、反省してないよね」
「してる。本当に反省してる」
「嘘。あなたはただ困ってるだけ。私がいないと生活できないから、必要としてるだけ。私を愛してるわけじゃない」
「そんなことない!」
「じゃあ聞くけど、私がいなくても生活できるなら、私は必要ない?」
「それは……」
「ほら、答えられない。あなたは私を便利な家事要員としか見てなかったんだよ。でも、それがあなたの首を絞めてたの。だって、あなたは私がいないと何もできない。でも私は、あなたがいなくても全然困らない。だから、あなたを捨てることができるの」
「みさ……」
「離婚届、送るね。サインして返して。それから連絡しないで。慰謝料も請求するし、財産分与はなしね。だって、私の方が稼いでるもの」

一ヶ月後、みさは友人に礼を言った。
「ありがとう。おかげで離婚できたし、慰謝料も取れた。まさか家を出て二週間で完全に音を上げるとは思わなかったけど」
「やっぱりね、あんな男、一人じゃ何にもできないよ」
「本当にそうだった。会社でもバカにされてるみたい。身なりがボロボロで注意されたって」
「ざまあみろだね」
「違う。自業自得。身の回りの世話を誰かにさせるっていうのは、自分でやる機会を潰すのと同じだからね」
「私がいないと何もできないくせに、私をバカにしてた。矛盾したことしてるって自覚はなかったんだね」
「ないよ。モラハラしてる方は、自分が被害者だって思い込んで、何があっても認めようとしないから」
「だからさ、みさ、よく頑張ったね。これからは自由に生きなよ」
「うん。ありがとう。あなたに、地獄から目を覚まさせてくれて」

その後、夫は離婚が成立し、モラハラの慰謝料として三百万円を請求された。分割払いでも毎月の返済は十万円。一人では生活できず、毎日コンビニ弁当とカップ麺で済ませる日々が続いた。食費と返済だけで給料の大半が消え、少なかった貯金もみるみる減っていき、洗濯もままならず、シワだらけのシャツを着て出勤。髪はボサボサ、無精髭も生え、目は日に日にひどくなった。会社では「奥さんに逃げられた男」として噂になり、その結果、上司からは注意され、評価は最低ランクに。仕事のパフォーマンスも落ち、ミスが続き、周囲の信頼も失った。部屋は洗濯物とゴミで溢れ、ゴミ屋敷と化し、文字通り転落人生を歩んでいるとか。

一方、みさは新しいアパートに引っ越した。月百万円を安定して稼ぐフリーランスとして、今は自分のやりたいように生きている。夫の顔色を伺いながら過ごしていた日々とは大違いだ。こうして目が覚めたのも、友人のおかげ。
「私なんて、そんな大したことしてないよ」
友人はそう言って笑うが、みさはいつか恩返しができればいいなと思っている。そんなことを考えながら、今日も仕事に励む。

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