正月の昼下がり、台所に立ったまま私は動けなくなった。義母から届いたLINEには、こう書かれていた。「妊婦なんだから、30人分のおせちくらい朝5時から作れるでしょ。それが嫁の務めよ」。私はその日の朝、まだ悪阻が残る体で必死に料理を作り終えたばかりだった。なのに義母は、私を物置同然の夫の古い部屋に閉じ込め、「他人のあなたが正月を祝う権利はない」と笑った。ドアは外から何かが挟まれ、開かなかった。夫…

正月の昼下がり、台所に立ったまま私は動けなくなった。義母から届いたLINEには、こう書かれていた。「妊婦なんだから、30人分のおせちくらい朝5時から作れるでしょ。それが嫁の務めよ」。私はその日の朝、まだ悪阻が残る体で必死に料理を作り終えたばかりだった。なのに義母は、私を物置同然の夫の古い部屋に閉じ込め、「他人のあなたが正月を祝う権利はない」と笑った。ドアは外から何かが挟まれ、開かなかった。夫...

「お母さん、今度の正月のことなんですけど」

「けど何?まだ優香さんのターンでしょ」

「ターン?」

「会話ってのはキャッチボールなのよ。お互いに言葉を投げ合うものなの。あなたが言葉を続けなさいよ。あなたの言葉をもらったら私も返すわ。はい、どうぞ」

「え、あ、はい。その、私もう月ですし、体調が優れないことも多くて」

「はい、はい。それで?」

「だから……ちょっと顔を出せないかもなって」

「ちょっとって何分?数分だけ顔を出すってこと?それとも1時間待ったら顔を出すの?」

「いや、そういうことではなくて。物事ははっきり伝えないと。曖昧な言葉じゃ何が言いたいのかわからないでしょ」

「あー、ですよね。リでしんどいので、正月の集まりには参加できません」

「それ、LINEで言うこと?そういうのは直接顔を見ながら言うべきでしょ」

「ですから体調が優れなくて」

「そういう言い訳は結構。断る立場なのにLINEで終わらせるなんて、失礼だと思わないの?」

「前々から思ってましたけど、お母さんって行きづらい性格してますよね」

「何?私に文句でもあるの?」

「いや、こっちの話です」

「うちに来るの?来ないの?」

「じゃあ、明日にでも一度そちらに顔を出させていただきます」

「はあ。来れるの?」

「え?はい。断るなら直接言えって言ったのはお母さんですから」

「来れるなら正月も来れるでしょ」

「え?」

「私のところにだけ来ても駄目よ。正月は親戚も集まるんだから、私やお父さんも含めて30人もいるのよ」

「もしかして……全員に直接断りを入れてこいって言ってます?」

「親戚の方に断りも入れずに無断で休む気?それって失礼でしょ」

「無理ですって」

「だったらちゃんと出席しなさい」

「ですから月でして」

「優香さんはた志と結婚して1年目の新山嫁でしょ。他の方に迷惑をかけるなんてごどうよ。うちの集まりでは嫁がおせちを作るのが伝統なの。30人分のおせちはあなたが作るんだからね」

「聞いてませんけど」

「今言いました。当日はうちの台所を使っていいから、よろしくね」

その日、優香は夫のた志に報告した。

「お母さんに連絡したんだけど、全然駄目だった」

「ああ、お疲れ。そっちも仕事お疲れ」

「ねえ、お母さんってあんな感じだったっけ?話が通じないっていうか、あれはないよね」

「母さんのお得意の言葉がりだよ。俺もあのモードの母さんの相手は苦手なんだ」

「言葉がりっていうか、魔女裁判だよ。私が行くの前提で話してるじゃん。こっちの話を聞く気なんて最初からなかったんだよ」

「わかる。結局、正月は行かないと駄目みたい。リは出産日まで余裕はあるけどさ」

「俺から断っとこうか。最近体調が悪いことも多いんだろう」

「いいよ、大丈夫」

「本当か?俺は正月の集まりとか行かなくてもいいけど」

「大丈夫だって。それに、た志とお母さんが話したらまた喧嘩するでしょ」

「そこはほら、頑張るみたいな」

「それ絶対するやつじゃん。私、ああいうの苦手なんだよね」

「俺は別に」

「それにさ、母親は大事にしないと。高志で私みたいになって欲しくないし」

「優香、お母さんのことまだ気にしてんの?」

「そりゃしてるよ。だから志は私みたいになったら駄目なの」

「そうだな。気を使ってくれてありがとう」

「いえいえ、それほどでもありますね」

「はいはい、調子のいい女だな。本当にしんどかったら、遠慮なく言えよ」

「はーい」

「じゃあ、当日はサクっとおせち作っちゃいますか」

「俺はその日、朝から上司の家に挨拶に行くからな。昼頃には戻るけど、何かあったら連絡してくれ」

「そんな心配しなくても大丈夫。おせち作った後はゆっくりできるでしょ。親戚の目があるんだから、お母さんも大人しいでしょ」

「だといいんだけどな。じゃあ、これから帰るわ」

「はーい」

正月当日。

「優香さん、おせち料理30人分はちゃんと作った?」

「はい。朝5時から作ってましたからね」

「それにしても」

「何よ。言いたいことがあるならはっきり言いなさい」

「お父さんは足が悪いのでご実家にいましたけど、お母さんは朝からどちらへ?」

「朝の散歩よ」

「え、輪月の妊婦に料理を丸投げしてお散歩ですか?日家なの?」

「悪い?」

「いや、悪いとは言いませんけど」

「だからけど何けどって接続しでしょ。そこで切ったら文法としておかしいと思わない?」

「あー、いや、なんでもないです」

「だったら最初から言葉を濁すんじゃありません」

「とにかくおせちは作り終わりました。自分が悪いのに何起こってるんだか」

「優香さん、あなた情緒不安定だって言われない?」

「それはお母さんでは?」

「は?何ですって?」

「何でもありません」

「ああ、もういいわ。それじゃあ私はゆっくりさせてもらいますね」

「じゃあ、高志の部屋にでもこもってなさい」

「高志の部屋、まだ残ってるんですか?」

「そこに親戚が帰るまでずっといなさい」

「は?ずっと?」

「他人のあなたがお正月を祝う会に参加する権利ないでしょ?」

「は?他人?」

「そもそも体調の悪い妊婦さんとかも迷惑だしね。お祝いの空気を邪魔しないように、見せないでちょうだい」

「あの、さすがにその言い方はないんじゃないですか?」

「何よ。文句でもあるの?私は高志の妻です。他人って言い方はないですし、おせちだって全部私が用意したんですよ」

「だから言い方が悪いって」

「言い方を指摘できるほど、あなたって国語力あるの?」

「今はそんなこと関係ありませんよね」

「全く、これだから何なの?」

「あのね、これでも私は気を使ってあげたのよ」

「気を使ってあげた?私にですか?」

「あなた体調が悪いんでしょ?ずっとそう言ってますよね。だからゆっくりさせてあげようと思ったの。それとも何?あなた月の実でお釈して回ったりしたいわけ?」

「いや、それはそれは……って続きは何でもありません」

「そうじゃないでしょ。こういう時は感謝の言葉を言うのが普通じゃない」

「はい。感謝?私がですか?リの母親があなたを気遣ってあげてるのよ。感謝の言葉以外に何があるの?その程度の常識もないの?」

「そうですね。ありがとうございます」

「はい。結構。じゃあ大人しく部屋にこもってなさいね。私たちは楽しくお正月を祝いますから」

数時間後。

「優香、大丈夫か?」

「ごめん、ちょっと寝てた。た志、電話くれてたんだ」

「いや、寝てたんならしょうがないよ。てか寝てたって大丈夫なのか?」

「お母さんがね。その、文句言ってこないかって?」

「大丈夫。私はあなたの昔の部屋に隔離されてるから」

「は?隔離?どういうことだ?」

「なんか他人は正月以外に参加する資格はないんだって。他の人の邪魔になるからこもってろってさ」

「は?何だそれ?」

「まあ、ゆっくりはできてるから」

「そうは言っても、その扱いはないだろう。輪月の優香におせち作らせて、自分は何もせずに、いざ祝いの席には参加もさせないって、やってること気持ち悪すぎだろ」

「私もそう思う。それよりも、た志はそろそろこっち来る?」

「ああ、上司への挨拶は終わったからな。すぐに行くよ」

「そっか。待ってる」

「……どうした?」

「部屋のドア、開かないんだけど」

「は?開かない?鍵でもかけてるんじゃないか?」

「いや、かけてないけど。そういう感じじゃなくて、何か引っかかってる」

「引っかかってるって、何が?」

「どうしよう。た志、今度はどうした?」

「寝起きだからかな?なんか気持ち悪くなってきた」

「あ、大丈夫かよ」

「トイレ行きたい」

「母さんに連絡してるけど、既読無視だ」

「じゃあ親父は?」

「親父、お酒飲むって言ってたから。あいつ弱いもんな。使い物にならないか」

「他の親戚の人の連絡先とか知らない?」

「家に親戚の連中がいるんだろう。声を出せば誰か来ないか?」

「ここ2階だし、大声出したら吐きそう。正直、LINEを打つのもしんどいかも」

「分かった。すぐに行く。俺が行くまで横になってろ」

数日後。

「お母さん、どうも」

「どうもじゃないでしょ。何回も連絡したって言うのに。正月から高志も優香さんも連絡返さないんだから」

「色々と忙しかったので」

「あのね、あなたたちのせいでこっちは大変だったのよ。高志が急に帰ってきたと思ったら、私たちや親戚の方に挨拶もせずにどかどか入ってきて、あなたを連れてさっさと帰っちゃったんだもの」

「ああ、それですか」

「せっかくのお祝いの日だったって言うのに、空気が悪くなって早々に解散よ。それもこれもあなたたちのせいだからね」

「お母さん、私は今、病院にいます」

「え、病院?どうして?」

「どうしてかわかりますか?」

「どうしてって?さあ、体調悪いって言ってたし」

「それ、お母さんが部屋に閉じ込めたせいですよ」

「え、私が悪いって言うの?」

「お母さん、ドアに放気を挟んでたでしょ?」

「さあ、何のことかしら。というか体調は大丈夫?妊婦でしょ?お腹の子は?」

「昨日、出産しました」

「え、どうして言ってくれなかったの?おめでとう。よかったわね」

「あの、正気ですか?とはいえ、それはそれ、これはこれですよ。あなたたちのせいで正月が台無しになったんだから、そのことについてはしっかりと反省しなさい」

「ああ、ここまで来ると一すというか」

「というかというか、何よ。言葉を途中で切るなって何回も言ってるでしょ。ほら、続きはまだあなたのターンよ」

「私って、他人なんですよね?」

「話の途中で別の話をしない。いいから答えてください」

「何よ、全く。そうよ。とついで1年経ってない嫁なんて他人」

「そうですか。なら、私も今後は他人扱いしますね」

「何それ?仕返しのつもり?どうぞどうぞ、好きにしてちょうだい」

「では、他人なのでもう我慢も遠慮もしません。先に確認しときたいんですが、お母さんの言う他人って何ですか?」

「他人は他人でしょ」

「リの妊婦におせち作らせて部屋に閉じ込めて。そういう扱いも、他人だからってことですね」

「それが何よ」

「つまり、他人には気遣いも思いやりも必要ないと」

「それはそうでしょ。他人は家族じゃないんだから」

「ならこれも確認させてください。ご実家のリフォーム代、払ってますよね」

「それが何?」

「他人には気遣いも思いやりも必要ないなら、他人のリフォーム代を払う必要はありませんねえ」

30分後。

「ちょっと高志、あなたの嫁はどうなってるの?」

「優香が何だって?」

「リフォーム代を払わないって言い出したのよ。総額で500万だぞ。今まで払ってやっただけありがたいと思えよ」

「そういう問題じゃないでしょ。嫁にあんな口を聞かせるなんて旦那の責任よ。恥ずかしい話なの、これは」

「はあ。恥ずかしいのはあんたの方だろ」

「何ですって。母親に向かって『あんた』とは何?そもそもリフォームはあんたのためじゃない。事故で足を悪くした親父のためにやったんだ」

「そんなの分かってます。バリアフリーでしょ。提案したのは俺たちの方だったが、親父は納得してなかったよな」

「お父さんは現実が見えてないのよ。息子夫婦に払わせるなんて心苦しいって言いながら、自分はリフォーム代を出せないんだから」

「だから親父に黙って、母さんが話を進めた。そのことで俺と喧嘩になったの、忘れたのか?」

「でも結果的にはあなたたちが払うことで決まったわよね。自分たちで言い出したことでしょ。吐いた唾を飲み込むなんて最低よ」

「話を聞いてたか。俺たちが金を払ってたのは親父のためだ。だから、そのお父さんが困るでしょって言ってるの」

「それなら心配ない」

「え?」

「親父が母さんと離婚するらしい」

「は?離婚?」

「親父が、母さんが俺たちに内緒でリフォームを進めたことを知ったらしくてな。もう我慢の限界だとな」

「何言ってるの?お父さんがそんなことを言うわけない」

「元々、母さんの言葉がり的な言動もしんどかったんだろう。親父が母さんに詰められるたびに、宇宙猫状態だったし」

「宇宙に猫はいないわよ。とにかくもう、リフォーム代を払う理由がなくなったんだ」

「ちょっと待って。ローンの名義は私よ。親父に黙って勝手に話を進めたんだから、そうだろう」

「なら、私が払うの?1人で?」

「親父の同意を得ずにローンを組んでるんだ。共有財産としては扱われないだろうから、そうなる」

「無理だわ。私は専業主婦なのよ。高志、こんなの間違ってるわ。母親をこんな目に合わせていいと思ってるの?」

「俺が今までどれだけ我慢してきたか、気づいてないのか?」

「え?我慢って?」

「母さんの優香への言動は、ずっと気に触ってた。けど、優香が俺と母さんの喧嘩を望んでなかったんだよ」

「優香さんが?」

「優香は実の母親と喧嘩別れして、それっきりなんだ。仲直りする前に、去年亡くなった。だから俺に同じ思いをして欲しくないってさ。けど、今回のことで、あんたにその価値がないって分かったよ」

「価値がない?私が?」

「あんたは優香だけじゃなく、お腹の子も巻き込んだ。輪月の妊婦を部屋に閉じ込めて、連絡が来ても既読無視。何かあったらとは思わなかったのか?」

「それは、その」

「嫁も大事にしない。孫の命を危険に晒す。そんなやつは、もう俺の母親じゃない」

「ちょっと待ちなさい。高志」

「ちょっとちょっとって、何分だ?言葉は正確に使えよ。自分でも言ってることだろう」

「いや、これはそういう意味じゃ」

「まあ、何を言われたところで意味ないけどな。もうあんたを待つ気なんて、こっちには全然ないんだから」

翌日。

「ちょっと、義理の母親が連絡してるのよ。早く返事しなさい」

「ああ、すみません。ちょうど親戚の方が出産祝に来てくれてたんですよ」

「そんなことは今はどうでもいいの。それよりも問題はこっち。お父さんと離婚されるんですよね」

「そうよ。お父さんが急に離婚届を突きつけてきて、ローン500万の支払いも私だって。本当にもうどうしたらいいかん」

「あの、お母さん。まだお母さんのターンですよ」

「は?ターン?」

「だって、そうですよね。『どうしたらいいか』で終わらせられ困ります。だからどうしたいんですか?どうして欲しいんですか?」

「あのね、人が落ち込んでる時に、何その言い草は?」

「そういうのは今は必要ないんで。言葉を途中で切るなんて、相手に失礼ですからね。はい、続きをどうぞ」

「その、あれよ」

「『あれ』って曖昧な言葉を言われても分かりませんよ。私、エスパーじゃないんですから」

「だから、その、ローンとか払って欲しいなって」

「いくらですか?ローン『とか』って、疑問系ってことは、ローンじゃなくてもいいんですか?」

「さっきから何なの?こんなの会話にならないじゃない」

「ああ、お母さんは知らないんですね」

「何をよ」

「会話ってキャッチボールなんです。なのに会話の途中で急に怒り出すとか、これじゃバッティングセンターじゃないですか?駄目ですよ」

「あのね、そっちがふざけてるから怒ってるのよ。私と会話する気がないの?」

「ああ、それセルフデッドボールですね」

「はあ。デッドボール?」

「自分の発言が、思いっきり自分に当たってますよ」

「何の話よ」

「お母さんがずっと言ってきたことですよね。なのに、自分が同じことをされたら『会話する気がない』って。それって、今まで会話する気がなかったってことですか?」

「いや、それは……それは」

「『それは』って、続きがあるならどうぞ。会話が下手なお母さんのことも、ちゃんと待ちますよ」

「もう本当に何なの?あんたのせいで全部めちゃくちゃじゃない?」

「はい。私が何かしましたか?」

「あんたが高志と結婚してから、私の立場が狭いのよ。親戚の連中から影口を叩かれてるのよ。『優香さんはいい人なのに、私はひどい』って。私が優香さんに意地悪してるとか言われて」

「それは事実ですよね。しかも『会話するのもしんどい』とか言われてるの。あんたが被害者ずらばっかりするせいで、私だけ損してるみたいじゃない」

「あの、お母さんとの会話がしんどいのは前からです。さっきいらっしゃってた親戚の方が言ってました。昔から、お母さんの言葉がり的な会話は辛かったって」

「昔から?それって、優香さんが来る前からってこと?」

「そうですね。そんな今回の私への言動も、お母さんならやりそうだって。親戚の方は皆さん、どこか納得されてました」

「あの、優香さん」

「はい」

「『今回の』って言いましたね。それって何のことかしら?」

「正月のことですよ。皆さん何があったか気にしてらしたんで、私の方から全て説明させていただきました」

「え、全て?」

「輪月なのにおせち30人分を作らされたことに始まって、物理的に閉じ込められたことも、全部ですね」

「なんてこと」

「皆さんお怒りでしたよ。もう2度とお母さんの顔も見たくないそうです」

「私の味方はいませんね。じゃあ、これからどうしたらいいの?夫にも捨てられて、ローン500万重なって、味方になる人もいないなんて」

「さあ、私には分かりません。だって私たちはもう他人なんですから。他人には気遣いも思いやりも必要ないですもんね」

数日後。

「優香、おめでとう。親父と一緒に迎えに行くよ」

「ありがとう。お父さんも一緒なの?足は大丈夫?」

「親父は助手席に座ってるだけだから平気。てか、親父が迎えに行きたいってさ」

「それは嬉しいけど、なんでまた」

「ほら、母さんのことで迷惑かけたろ。改めて謝りたいんだと」

「そんな、別に大丈夫なのに」

「こういうのは気持ちの問題だからな。謝られて困ることもないんだし。謝られておけ」

「それはそうだけど。てか、お母さんなんだけど」

「うん。親父と離婚して、ローンもあるからって、家を売ったらしいね」

「そのローンの支払いがきついらしくてな。親戚中に金を貸してくれって頼み込んだらしいぞ」

「誰も貸さないでしょ」

「だから今は泣く泣くパート生活だってさ。昼も夜も働いて返済してるらしいわ」

「そっか。まあ、事業自得だね」

「だな。それよりも、お父さんの家は見つかった?」

「おう、うちの近くで見つけた」

「よかった。お父さん足が悪いから心配で」

「これからは孫の顔をちょくちょく見にくるってさ」

「そう、それ」

「え、どれ?」

「子供の名前は決まったの?」

「いや、まだ悩んでてさ」

「もう生まれたんだから、早く決めてよ」

「候補からいくつか絞っといたから、帰ったら一緒に決めよう」

「了解。あ、忘れてた」

「どうしたの?」

「昨日さ、優香のおばさんがうちに来たんだ。おばちゃんがっていうか、手紙を預かった。亡くなった優香のお母さんからって」

「へえ。手紙は見てないけど、優香のお母さんはとっくの昔に優香を許してたってさ」

「そっか。お母さんが」

「だから今度、墓参りに行かないか。孫の顔も見せてあげたいしな」

「そうだね。でもその前に、名前は決めないと。初孫が七しのご兵じゃ、お母さんが困っちゃうからね」

その後、今回の件も終わり。お母さんは今も実家に1人で暮らしている。離婚や500万のローンといった現実的な問題よりも、一番応えているのは、誰も自分の話を聞いてくれなくなったことだろう。今まで言葉で人を責め続けてきたお母さん。そんなお母さんはもう、自分の言葉さえ受け取ってもらえなくなった。これが、誰かを責める言葉を選んできた末路なんだと思う。

一方で私は、退院後すぐに母の手紙を読んだ。そこには、すれ違っていた間の言い訳も、私への恨み言もなかった。ただ、私のことを心配し、ただ、私の幸せを願ってくれていた。そして最後には「これから何があっても、あなたの母親だったことを誇りに思う」という言葉。誰かを責めるための言葉じゃない。母からの優しさだけを感じた。

そんな偉大な母の背中に、私は約束を一つだけした。「きっとあなたに負けない母親になります」と。この約束を胸に、私はこれから立派な母親になりたいと思う。

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