「高卒の底辺が、よくうちの息子に近づけたわね」…

「高卒の底辺が、よくうちの息子に近づけたわね」...

「リエさんで良かったかしら。初めまして。ケ太の母のひみです」

「初めまして、りえです。よろしくお願いします」

「いきなり連絡して悪かったわね。健太からあなたと婚約したとお話を聞いてね。どのような人かちょっと気になったのよ」

「そうだったんですね。健太からお母さんに連絡先を教えていいかと聞かれた時は、ちょっと驚きました」

「でしょうね。もちろん普通の家庭ならこんなことはないでしょう。ただ、我が家は他とは違うのよ。それはあなたもよく知ってるはずだと思うけど」

「もちろんです。スーパーを経営されてるんですよね」

「うちの夫が社長をしててね。何もなかったところから店を大きくしていって、今じゃ県内に6店舗の店を構えるようになったの。これからもどんどん店舗数は増やす予定でね。うちはそういう家だってことを理解してほしいわ」

「素晴らしいことだと思っています」

「健太はその後継者になるのよ。そしてあなたは将来の社長夫人ってわけ。その自覚はあるのかしら?」

「私は私で仕事はやるつもりではいます」

「別に経営をしてくれなんて、そんなことは言ってないわ。あなたにはそんなの無理だって分かってるから。でもね、社長夫人ともなると気品が求められるのよ。あなたのせいで健太が周りから白い目で見られるなんて、あってはならないことでしょ」

「それはそうだと思います」

「だとしたら、将来の社長夫人としての自覚を持って、今後は行動してもらいたいと思います」

「わかりました」

「ちなみに、あなたのことを教えてほしいのよ。お仕事は何をしてるの?」

「父が農業をやっているので、そのお手伝いよ」

「農業? 土いじりで生活をしているの?」

「そういう言い方はやめてください」

「そんな生活を送った人が、うちの家計に入るのはちょっと嫌だけどね」

「そういうのは関係ないじゃないですか」

「ちなみに、最終学歴は何?」

「高卒ですが」

「嘘でしょ?」

「本当ですが」

「そんな人間と健太が結婚しようとしてるの?」

「学歴や生活環境なんて関係ないと思います。私たちは愛し合ってるから結婚をするんです」

「どうやって健太を丸め込んだのかしら」

「後ろめたいことは何もしてないですよ」

「ちょっとあなたとの結婚は考えさせてもらうわ」

「それは私たちが決めることであって、お母さんの意見は関係ないですから」

「黙りなさい。こっちは会社の将来もかかってるのよ」

そう言い放つと、ひみは立ち上がり、振り返りもせずに店を出て行った。リエはテーブルに残された冷めたお茶を見つめながら、深く息を吐いた。緊張で固まっていた肩の力がゆっくりと抜けていく。

その日の夜、健太がリエのアパートに足を運んだ。部屋に入るなり、彼は真剣な表情で尋ねた。

「リエ、母さんとは話したか?」

「うん。でも、いい印象は持たれなかったわ」

「もしかして、学歴とかそういうことか?」

「そう。農家の娘ってのも引っかかってたわ」

「あの人は本当に変なところを気にするな。別に母さんだって大学を出てるわけじゃないんだよ。それなのに、偉そうに学歴がどうとか言うなよな」

「コンプレックスがきっとあるんでしょうね」

「だとしても、それを息子の妻に求めるのは変だろう」

「そうね。それは変ね。もしかしたら、結婚の挨拶で反対されるかも」

「そんなことは俺が絶対に許さないから安心して。俺にとってはリエしか結婚相手はいないんだよ」

「それは私もそうよ。だからこそ、みんなに祝福をしてほしいわ」

「うちの両親はどっちも変わってるからな」

「昔からそういう感じなの?」

「勉強を頑張るみたいなことは、子供の時から言われてたよ。でも、会社の業績が上がっていって店舗を多くしていった辺りから、2人ともなんか人を見下すような言葉を頻繁に使うようになったんだよ。父さんは自分が一代で会社を大きくしたっていう自負があるからこそ、そういう言動になるんだと思うんだけど、母さんもそれに影響されちゃってさ」

「なるほどね。高卒の私のことは下に見て当然か」

「そんなことないよ。リエはすごいことをやってるじゃないか。俺は心からリエのやってることを尊敬してるよ。それに、うちだってその恩恵を受ける予定なんだし。2人にあのことを話したら手のひらをすぐに返すと思うよ」

「いや、そのことはまだ話さないでね」

「どうしてだ?」

「やっぱり嫌なんだ。それで結婚を喜んで認められるのは、少し悲しいわ。私自身のことを受け入れてもらいたいから」

「それは分かるけど」

「どうにかして気に入ってもらえないかしら」

「リエがそこまで考える必要はないよ。何も考えずに、普通に挨拶をすればいいんだ。俺から2人にもきつく言っておくしさ」

「大丈夫なの? あなたと両親の関係が悪くならない?」

「そんなの気にしてられないよ。俺にとって一番大事なのはリエなんだ。リエと結婚するためなら、何だってする覚悟があるよ」

「ありがとう。私も覚悟を決めて、挨拶をしないとね。それに、会ったら意外と受け入れてくれるかもしれないし」

「そうそう。前向きに考えていこうぜ」

健太は優しく微笑み、リエの手を握った。リエも何とか笑顔を作り返した。心の奥ではまだ不安が渦巻いていたけれど、健太がそばにいてくれるというだけで、少しだけ強くなれた気がした。

あれから一ヶ月が過ぎた。リエは毎日のように、健太との将来について考えていた。両親に会う約束を取り付けたわけではない。ただ、リエの中では、健太の両親と正面から向き合う覚悟ができていた。自分から捨てられるだけの女ではないと、いつか必ず認めさせてみせると、心に決めていた。

そんなある日の昼下がり、リエのスマートフォンに一通のメッセージが届いた。送り主は健太の母、ひみだった。

「リエさん、ちょっと相談があるんだけど、いいかしら? 悪いけど、今からしばらく時間もらえるかしら」

リエは一瞬ためらったが、返信を打った。

「わかりました。どこに行けばいいですか?」

指定されたのは、駅から歩いて5分ほどの、隠れ家風の小さな喫茶店だった。店内は薄暗く、革張りのボックス席が並んでいる。リエが入っていくと、奥のソファ席からひみが手を挙げた。彼女は昼間だというのに、キラキラした真珠のネックレスを揺らしながら、ホットコーヒーを一口飲んでいた。

「いらっしゃい。とりあえず座りなさいな」

リエが向かいの席に座ると、ひみは何やら難しい顔をしてメニューも見ずにこう言った。

「あなたが最近、健太と一緒にいるって聞いてるわよ。もちろん、相談っていうのはそのことよ」

「相談、というのは?」

「リエさん、あなたに言っておきたいことがあるの。正直、あなたと健太の結婚は、私たちが許せるものじゃないのよ。だから、あなたから健太に婚約を解消すると伝えてほしいの」

リエは一瞬、言葉を失った。しかし、ひみはそのまま話を続ける。

「できれば健太を説得したかったんだけど、あの子はあなたに入れ込んでるみたいだから、無理そうなの。だから、あなたから、別れを申し出てほしいのよ」

「なぜ、私がそんなことをしないといけないんですか?」

「やっぱり、あなたを我が家に迎え入れるのは無理だって判断したのよ。できれば、あなた自身から去ってもらいたかった。自分の立場を考えれば、うちに嫁入りなんてできるわけがないって、思い知ってほしかったわ。でも、あなたはイチャイチャと結婚しようとしている。今でも信じられないのよ。まさか高卒の底辺が、息子の結婚相手として来るなんてね」

「そうやって学歴だけで人を判断するのは、良くないですよ。私はきっとお母さんたちのお役に立てると思っています」

「思い上がりもここまで来ると立派よ。でもね、高卒の人間が私たちの力になることはありえないわ。まあ、レジ打ちくらいならやれるかもしれないけど、そんな人間が健太の嫁としてふさわしいとは思えないわ。だから、あなたから別れを」

「どれだけ言われても、私は健太と別れるつもりはありません」

リエははっきりと言い切った。それに対し、ひみの眉がぴくりと動く。

「何よ、その態度。やっぱり、お金目当てで健太に近づいたんでしょ?」

「違います。私は健太を愛しています。それでもし、結婚を許してもらえないなら、私は立場をわきまえるつもりはありません。それでも一緒にいたいと思っています」

「そんなに必死にならなくてもいいじゃない。どうせ、金目当てで健太に近づいたんでしょ。うちの家柄を考えたら、あなたのような娘が入ってくるのは迷惑なのよ。わかってるんじゃないの? ここで素直に別れてくれれば、慰謝料くらいは払ってやってもいいわよ」

「慰謝料だなんて、おかしなこと言わないでください。私は健太のお母さんに何と言われようと、別れるつもりはありません。それに、健太は私のことを本気で愛してくれています。その気持ちを裏切るようなことを、私はしたくないんです」

「言うわねえ。じゃあ、こちらとしても断固とした態度を取らせてもらうわよ。お前の父ちゃんや母ちゃんにも迷惑がかかるかもしれないわよ? それでも、そんな意地を張り続けるっていうの?」

リエは一瞬、固まった。両親にまで迷惑がかかるとなると、正直つらい。父親は小さな農家を切り盛りして、娘を大学に行かせることもできなかったことをずっと負い目に思っている。そんな両親に、とばっちりが及ぶのは耐えられない。

しかし、リエの頭の中には、健太の「俺が守るから」という言葉があった。手を握られたときのあたたかな感覚が、胸の奥で小さく、しかし確かに火を灯す。

「何をしたらいいでしょう。お母さんの言いたいことは、よくわかりました。でも、私は決めました。私がこの結婚を諦めることはありません。そういう言葉で揺らぐような気持ちじゃないんです。健太と決めた未来を、私は私の足で歩いていきます」

しばらく沈黙が流れた。ひみは自分のハンドバッグからハンカチを取り出し、口元を押さえるようにして、アーモンド形の大きな目を細めた。その口元には、わずかに笑みにも似た表情が浮かんでいた。

「……フッ。健太をそこまで信じてるのね」

「はい。信じています」

「……」ひみはしばらくリエの目をじっと見つめていたが、ふっと力なくソファにもたれかかり、両手で顔を覆った。それから、低い声で言った。

「言い過ぎたわ。ごめんなさい」

「え?」

「あなたの言う通りね。学歴や畑の仕事で、人を見ちゃいけないわ。私……健太が小さい頃から、いつも肩書きばかり気にしてた。近所に負けたくないとか、会社を継がせるために恥ずかしくない教育をしてきたとか、つい自分のことばかり。あの子が本気で選んだ女の子の良いところを、ちゃんと見てあげられてなかった」

「お母さん……」

「リエさん。あなた、健太と喧嘩したことはある?」

「……二、三回ほど」

「じゃあ、あの頑固な息子のことは、あなたが一番よく分かってるのね。もう何も言わないわ。でも、一つだけ言わせてほしいの。結婚したら、健太がどれだけ会社に追われるか、分かってるわね? あなたは、収入を当てにしない代わりに、しっかり社長夫人を務める自信はある?」

リエはほんのわずかな間をおいて、にっこり微笑んだ。

「ええ。経営はお父様の仕事だと思うけど、私は私にできることをして会社や家族を支えたい。お茶も作法も、今から一生懸命勉強します。経済的なことを除いても、息子さんを幸せにできるお嫁さんでいたいと思っています」

ひみはしばらく呆気にとられていたが、やがてふっと口元を緩め、プッと吹き出すようにして笑った。

「はあ……やるじゃないの。どこの腹黒お嬢様だと思ったら、とんでもない肝っ玉娘ね。分かったわ、健太の目に間違いはなかったってことね。一度、家でご飯でも食べていきなさい。父さんにも会ってちょうだい。愚痴ばかり言っちゃって、仕事以外に趣味もない、愛想のない人だけどね」

リエにも、ようやく笑顔が戻ってきた。ひみの眼の奥には、本心からの信頼めいたものが浮かんでいるように見えた。

その日の夜、健太から電話がかかってきた。

「もしもし。……リエか。母さんからメールが来てたんだが、何かしら知らないか?」

「うーん。まあね。ちょっと2人でお茶して、女同士の話をね」

「は? 母さんが? ……なんて言ってた?」

「『肝っ玉娘だ』って褒められたよ。続けて、『父さんにでも会って仲良くしろ』だって。とにかく、今度お宅にご飯を食べにおいでって」

「ははっ、まさか。……本当か? あの母さんが?」

「もしお父様が許してくれたら、一緒に作ってご馳走しましょうね。健康にいい野菜、たっぷり持ってくから。私は高卒でも、畑仕事のことは誰にも負けないから」

健太は電話越しに、ほっと息を吐くのが聞こえた。

「……リエ。俺、間違ってなかった。絶対に、絶対に幸せにするから」

「健太。私も、自分のことができるよ。ねえ、そろそろ夜も遅いし、今日はゆっくり休なさいよ。明日から、2人で両親に結婚の挨拶をするとこ、相談しよう」

「ああ。……おやすみ、リエ」

「おやすみ、健太」

電話を切った後、リエはもう一度、今日の出来事を思い返していた。おそらく健太の母は、この何年かの間に、周りの家族や友人たちから何かしらんと心ない言葉を言われた経験があったのかもしれない。あるいは、会社の取引先の娘と孫をくっつけたいという、打算的な夫の入れ知恵に振り回されてきたのかもしれない。

だが見合いよりも「愛」で結婚したかったのは、本当は義母の方だったのかもしれない。リエは久しぶりに心が軽くなる思いがして、机の上に置いた夕食の皿(彼女は一人分の買い出しに出ていたのだ)を片付け、明日に備えるのだった。

風呂から上がり、髪を乾かしながらリエは窓の外を見た。アパートの前の道路には、何の変哲もない街灯の明かりが並んでいる。何の変哲もない、何でもない日常だ。でも、そのどれもが、今日から少しだけ輝いて見える気がした。これから始まるのは、会社を継ぐという大きな誇りと、高卒の農家の娘という葛藤の間で揺れながらも、対等に手を取り合って歩いていくための、長い長い道のりだ。それでも、リエにはなぜかそんな未来が怖くなかった。

「さて、明日はみんなで良いお顔をして、おじいちゃんとおばあちゃんちから、取れたてトウモロコシを送ってもらわなくちゃね」

リエはそっと窓辺で微笑むと、週末の連れ添いを楽しみに、カーテンを閉めた。新たな家族が増える安心感に包まれて、彼女はその夜、何度も洗機を回し、翌日に備えた。これこそが、二人の始まりの一日目の夜だった。

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