「お姉さんの家、近くてラッキー。今日も夕飯、ごちになります」
まゆがスマホを片手に、にこやかにそんなことを言い放った。週末の夕方、食卓を囲むその台詞にもう何度目かの呆れが込み上げてくる。
「まゆちゃん、もういい加減にしてくれない?」
「ああ、何がですか?」
「何が、じゃないでしょ。毎週末、うちにご飯を食べに来て」
「りにって言い方、やめてくださいよ。兄夫婦のお家へご馳想になりに行ってるだけです」
「まゆちゃんと子供7人、合計8人よ。それが毎週って、ありえないでしょ」
「うち、大家族なんで」
「そういう問題じゃないの。そもそも、食材費も出さないって、どういうこと?」
「だって、お兄ちゃんが出さなくていいって」
「大輔が言ったことは忘れて。月1回とかならまだしも、毎週でしょ。大人として、食費は出すでしょ」
「あ、お姉さん、それってパワハですか?上の立場の人が下の人にお金を要求するとか、最低、典型的なパワハですよ」
「いや、ごめん。れ、何言ってるの?これでパワハが通るの、正規の世界だけよ」
「言い訳は聞きたくありません」
「そういうことじゃなくて…。てか、そんな考え方で、普段どうしてるの?」
「普段って、何ですか?」
「いや、7人の子供の母親でしょ。面倒見たり、できてるの?」
「うわ、お姉さん、最悪」
「え?何が?」
「今時、そんな考え方、ありえませんから。母親だから子供の世話をするの当然とか、時代錯誤すぎてびっくりした。ジェンダーハラスメント、全ハです」
「全ハ?急に知らない単語、出てきてびっくりしたわよ。何でもハラスメントって言うの、やめてくれない?」
「知らないんですか?ハラスメントはね、された側がそう思ったら、そうなんですよ」
「都合のいい解釈ね」
「そういう時代なんで」
「あ、そう。だから今の時代、母親だからとか、関係ないんです」
「いや、まゆちゃん、シングルマザーよね」
「そうですけど」
「じゃあ、まゆちゃんが面倒見ないで、誰が見るの?お母さんたちは北海道だから、頼れないでしょ」
「うちの長女が、見てくれてるんで、大満足です」
「凪沙ちゃんがあの子…。高校生よね」
「ピッチピチの16歳ですよ。バイトもしてるって言ってたし。学校にバイトに、下の子のお世話に、家事も全部やってくれてます」
「それ、自慢できる話じゃなくて、もう怖い話だからね。16歳の子供に、どれだけ負担かけてるの?」
「あ、だったら、お姉さんが負担減らしてくださいよ。はい。明日から、毎日、食事の世話、してください」
「は?何言ってんの?」
「これからは、毎日ごちになります。凪沙の負担、お姉さんも嬉しいですよね」
「バカ言わないでよ。ただでさえ大変なのに、毎日なんて無理」
「家族8人で、いつもごめんね。明日も行くから、よろしく」
「ちょっと、勝手に決めないでよ。聞いてるの?まゆちゃん!」
翌日。
「うわあ、今日も疲れた」
「大輔、仕事お疲れ」
「わ、なんだ、なんだ…。もしかして、凪沙君もお疲れか?」
「まゆちゃん、本当に今日も来たのよ」
「ああ、それで。まあ、来るって言ってたんだろ」
「言ってたけど、まさか本当に来るとは思わなかったわよ…。でも、凪沙が念のためにってさ、夕飯、まゆんとこの分も作ってたじゃん」
「それはそうだけど。なら、予定通り、何も問題なくね?」
「問題しかないでしょ。私たちとまゆちゃんとこ、合わせて10人分の食事よ。それを毎日って、うちは食堂か?」
「大げだなあ」
「はあ。どこが大げか。食材費も全部うち持ちだよ。こんなの、破産するわ」
「しないって。食費だったら、凪沙のパート代だけで足りるじゃん」
「全部使えってこと?」
「言ってるよね」
「…。そもそも大輔は、10人分の食事を甘く見すぎ。2人分作るのと、10人分作るのと、どれだけ違うか、理解できないの?」
「いや、だから、大げだって。人数増えるってことは、食材増やすだけだろう」
「は、それ本気で言ってるの?」
「俺とお前の分を作るついでに、ちょっと増やすだけだろ。簡単じゃん」
「8人分を”ついで”に終わらせる神経が、怖いわよ」
「そりゃ、高級フレンチ作ってんなら分かるよ。けど、凪沙の料理って、適当な家庭料理じゃん」
「あ、適当って言った?」
「食材を鍋にでもぶち込んで、まとめて煮込むだけだろう。大手間じゃないって」
「ねえ、大輔さ、料理作れたっけ?」
「あ、俺、作れないけど」
「現実の料理はね、そんな単純じゃないのよ。ゲームじゃないんだから、煮込んで終わりとかないの」
「そんな怒んなよ。まゆもシングルで大変なんだぞ。ちょっと助けるくらいいいじゃん」
「助けてるのは、あんたじゃなくて私ね」
「はいはい。分かってるって」
「分かってないから、そういう態度なんでしょ」
「一緒のこと、大輔がやってみたら?」
「おえ。俺、無理無理。仕事忙しいし、料理とか作ったことないもん」
「私、大輔のそういうところ、本当に嫌い」
「なんだよ、急に機嫌悪いな」
「ああ、もしかして生理、大丈夫?」
「本当にそういうとこ?」
「え?何?どういうこと?」
「出しっ放なしにしないとか、炊飯器にちょっとご飯残すとか、お茶を補充しないで数ミリ残すとか…。片付けたり洗ったり、自分でしたくないんでしょ」
「ごめんごめん。次から気をつけるわ」
「口だけだよね。まゆちゃんのことも、私に押し付けてるだけ。面倒なことは、ほっとけば全部私がやってくれると思ってる」
「だから、ごめんって。マジで、これからは気をつけるから」
「はいはい、そうですね」
「で、今日のお晩ご飯って、何?俺、もう腹ペコだわ」
「冷蔵庫に入ってるから、勝手に食べて」
「え?何?怒ってんの?」
「私は先に寝ます。おやすみ」
翌日。
「凪沙さん、今日もご飯、美味しかったです」
「凪沙ちゃんたちが喜んでくれて、よかった」
「すみません、大変ですよね」
「凪沙ちゃんが謝ることじゃないでしょ」
「でも、私たちのせいで…。だから、凪沙さんも、今日、怒ってて」
「え、私が怒ってた?」
「はい、機嫌悪かったですよね」
「違う違う…。うん、違うのよ。私が怒ってたのは、大輔のせいよ」
「大輔さん、ですか?」
「そう。あの人、本当に家事を舐めててね…。「10人分作るのも、2人分作るのも一緒だろう」って。面倒なことは、全部私に押し付けて」
「うわあ…。なんだか、私もちょっと分かります」
「え、凪沙ちゃんも?」
「はい。うちの弟や妹も、服脱ぎっぱなしにしたり、電気消さないし、トイレットペーパー数ミリ残したり…。何回言っても治らないんですよ」
「うわ、大輔と一緒…。大輔って、小学生とかと同じレベルだったんだ」
「ですね」
「大輔。私の親ってね、すごく神経質で、細かい人たちだったの」
「そうなんですか」
「リモコンの位置がずれてただけで、ぶちぎれたりね」
「うわ、それはそれで、きついですね」
「だから、大輔の大雑把さが、魅力的に見えたんだけどね…。実際、結婚して生活してみると、この有り様だけど」
「日常のすれ違いって、精神がすり減りますもんね」
「そうそう、そんな感じ。
それにしても、意外だったなあ」
「何がですか?」
「凪沙ちゃんと、こういう話ができるなんて。女子高生とこんな話題で共感するとは、思わなかったわ」
「私も嬉しいです。こういう話って、人としたことなくて」
「そっか…。同級生とは、しないよね。それに、お母さんも…。まゆちゃん、家事も育児もしない人なんで、苦労話をして笑い合うなんて、したことないんです」
「そうなんだねえ…。凪沙ちゃん、学校とかバイトは、どう?」
「え、そうですね…。学校は、下の子が熱出したりしたら、休まなきゃなんですよ。だから、あんまり行けてないかな」
「それって、勉強は大丈夫なの?大学とか」
「そこは大丈夫ですよ。私、勉強好きなんで、家でも自習してて、成績優秀なんですよ」
「部活とかは?」
「部活は、家のことや下の子たちのこともあるんで、できませんね…。やりたいとは思ってるんですけど」
「じゃあ、お友達は?」
「いないです…。遊びに行く時間もないですし、ぼっちなんで」
「ってことは、バイトも?」
「はい…。楽しいんですけどね。急に休まなきゃってことも多くて、迷惑ばっかりかけてます」
「そっか…。大変なんだね」
「あ、いえいえ、これが私の普通なんで」
「普通か…」
「前に、何かあったら相談してって言ったのは、覚えてる?」
「はい、覚えてますよ」
「今、何か困ってたりしない?私にできることなら、力になるよ」
「こうして食事を食べさせてもらえるだけで、十分ですよ…。これ以上、迷惑はかけられません」
「迷惑なんて、本当に困ってないのよ」
「だって、私にとっての生活は、これがずっと、つものことなんで」
「そういうことか…。もう、考え方の根っこから、麻痺しちゃってるんだね」
「え、麻痺?どういうことですか?」
「うん、こっちの話。遅くまでごめんね。しっかり寝て、明日からも頑張って」
「はい、おやすみなさい」
数日後。
「ああ、今日もお姉さんの料理、美味しかった。ごちになりました」
「はいはい、お粗末様でした」
「てか、思ったんですけど」
「何よ?」
「お姉さんの料理って、レパートリー少なくないですか?」
「はあ?」
「はい…。美味しいけど、飽きてきたっていうか。明日は、中華が食べたいな。エビチリとか」
「他人の家で毎日ご飯食べといて、メニューに文句つけるとか、いい度胸よね」
「褒められてます」
「褒めてないわよ。人として終わってるなって、言ってるの」
「うわ、お姉さん、それモラハですよ。自分の意見を押し付けて人格否定、最低、通報案件です、これ」
「どうぞ、通報して」
「やだなあ…。何、向きになってるんですか?冗談ですよ」
「冗談?冗談で、ハラスメントとか言ってたの?私には分からない価値観ね」
「まあ、姉さんって、ぶっちゃけおばさんなんで」
「私たち、2歳しか違わないわよね。私がおばさんなら、そっちもでしょ」
「2歳の差は大きいですから…。学年で言ったら、1年生と3年生ですよ。おばさん臭いお姉さんとは、違って当然です」
「ああ、それ、エイジハラスメントよね」
「あ、エイハ…」
「何それ?」
「エイジハラスメント。年齢や世代の違いを馬鹿にすることよ」
「お姉さん、こんなのがハラスメントとか、被害妄想強すぎて、受けるんですけど」
「された側がそう思ったら、ハラスメントなんでしょ。自分が言ってたのにもう忘れちゃったの?」
「あ、いや、それは違くないですか?」
「何が?あなたの理屈だと、間違ってないはずよね」
「こんなの変ですよ。ハラスメント、ハラスメント、ハラスメント…」
「ハラスメントね…。確か、正当な行為をハラスメント扱いされること、だっけ?」
「そうです。今、まさにお姉さんがやってることですよ」
「だったら、私はずっと、ハラスメントを受けてたのねえ…。他でもない、まゆちゃんに」
「いや、そんなことしてませんけど」
「だって、私が何か言ったら、全部ハラスメント扱いじゃない?これって、典型的なハラスメントじゃない?」
「ああ、もうなし。この話やめましょう」
「どうして?せっかく楽しくなってきたのに」
「こんな暗い話じゃなくて、楽しい話をしましょうよ。ハッピー、大事ですよ」
「ハッピーね…。あら、それ、エンハラスメントね」
「はあ…。エンハラスメント?」
「エンジョイ・ハラスメント…。私は今、そういう気分じゃないのに、楽しさの押し付けなんて、最低だと思わない?」
「何なんですか、さっきから…」
「あら、怖い…。パワハかしら」
「違います」
「まあまあ、そんなに激昂しないでよ。明日、楽しみね」
「は…。明日、中華でしょ?エビチリ」
「ああ…。そうですね、楽しみですね…。よろしくお願いします」
「はいはい、お願いされました。これに懲りたら、今後はハラスメント扱いは控えなさいね。自分の言動は、いつか帰ってくるんだから」
翌日。
「凪沙さん、今、どこにいますか?」
「あら、そんなに慌てて…。凪沙ちゃん、どうしたの?」
「どうしたの、じゃありませんよ。凪沙さんたちの家に行ったら、大輔さんが、お母さんに掴みかかって」
「掴みかかった?どうして?」
「凪沙さん、離婚届け置いて、出てったんですよね」
「そうね」
「それが私たちのせいだって、大輔さんは思ってて…。だから、掴みかかって、切れてるんだと思います」
「ああ、なるほどね…。まゆちゃんたちのせいで、私が出てったと思ってるんだ。だから、掴みかかってるのね」
「大輔おじさん、見たことないくらい怒ってたんです…。お母さんも言い返して、喧嘩になっちゃって」
「2人は今、どうしてるの?凪沙ちゃんからLINEしてきたってことは、落ち着いたのよね」
「私が仲裁して、なんとか今は2人とも、頭を冷やしてます」
「大変だったのね…。凪沙ちゃんや、他の子たちは、大丈夫?」
「私たちは、はい。弟や妹は、怖くて泣いてましたけど、怪我とかはありません」
「なら、よかった…。凪沙さん、早く帰ってきてください。今は落ち着いてるけど、また喧嘩が始まったら」
「それは無理ね…。私は、2度と、あの家には帰らないから」
凪沙からの連絡を受けて、私は覚悟を決めた。ずっと、この日が来るのを、どこかで待っていたのかもしれない。
大輔の前で、離婚届けを突きつけた日の夜…。私は考えていた。凪沙のこと、まゆのこと、そして、自分自身のこれまでの人生を。
やっぱり、私たちのせいですか?そう凪沙に問われて、私は首を振った。
半分正解ね、と私は言った。じゃあ、もう半分は?凪沙ちゃん、あなたの、自覚のなさよ、と。
「凪沙ちゃん…。ヤングケアラーって知ってる?」
「ヤングケアラー…?」
「本来、大人が担うべき家事や育児…。そういったことを日常的に引き受けてる子供のことよ…。つまり、あなたのことよ、凪沙ちゃん」
「私が、ヤングケアラーでも…。それは私にとっては、当たり前のことで」
「そう…。そこが、この問題の厄介な部分なのよ。本人に被害者意識がないと、苦労や苦痛を、当然だと思い込んでしまう。あなたは言ってたでしょ?勉強が好きだって、部活だってやってみたいって」
「言いましたけど…。でも私には、家のことや、弟や妹が」
「それ、あなたがやらないといけないの?」
「え?」
「まゆちゃんが、母親よね。母親の仕事でしょ、それは」
「お母さんは、やらないから…。やらないから、あなたがやるのよ」
「それが、仕方ないって、本気で思ってるの?」
「そんなこと言われても…」
「ヤングケアラーの話の続きだけどね…。子供が自分で助けを求めない限り、大人は何もできないのよ」
「助けを求める…」
「でも、今のあなたに、それはできないわよね…。凪沙ちゃんは、自己犠牲を受け入れてる」
「私…」
「私はね、自己犠牲を正当化する人って、大嫌いなの」
「凪沙さん…」
「私は、もう、あなたたちのためにご飯を作らないし、あなたの弟や妹の面倒も、一緒に見てあげない」
「凪沙さん…?」
「凪沙ちゃん、あなたが変わらないと、私はあなたを助けないわよ。自分の置かれた環境を、しっかりと考えなさい、仕方ないから、家庭環境がこうだから、じゃなくて。あなたがどうしたいかを、考えなさい」
「私が…、どうしたいか…」
「その答えが出たら、また連絡してきて…。その時は、私があなたを助けるわ」
数日後、大輔が我が家に現れたのは、それから間もなくのことだった。
「離婚届けは、もう出してくれた?」
「出すわけないだろう…。俺は、こんな形での離婚には、納得してない」
「そういうのいいから、早くしてよ。私だって、裁判まで起こしたいわけじゃないのよ」
「なあ、凪沙…。俺たち、小さい喧嘩はあっても、夫婦円満だったろ」
「夫婦円満?それ、本気で言ってるの?」
「まゆたちのことが原因なんだろう…。それだったら、もう解決したんだよ。まゆにも、もう2度とうちに来るなって、言っておいた」
「そう…」
「だから、帰ってきてくれよ…。問題はなくなったんだから、離婚もなしだよな?」
「やっぱり、何も分かってないのね…。確かに、離婚のきっかけは、まゆちゃんのことよ。けど、問題の本質は、そこじゃないの」
「本質?それって何だよ…。俺は浮気もしてないし、暴力とかも振ってないぞ。離婚されるようなことは、何もない」
「そういうところよ」
「あ?」
「私の両親って、すごく神経質な人たちでしょ?」
「ああ…。ああ、細かい人たちだよな」
「私は、そんな両親との生活が嫌いだったの…。それは知ってるよ。だから俺のことが好きになったんだろう?俺って、細かいとは正反対の人間だし」
「そう…。大雑把って言ったらいいか…。大輔のそういうところが、魅力的だった…。だから、私はあなたと結婚した」
「だっ、たら、離婚しなくてもいいだろう!」
「けど、気づいたのよ…。あなたは大雑把じゃなくて、ただ面倒くさいことが嫌いなだけなんだって」
「いや、そんなことは…」
「あなたはね、いつも、すぐ謝るでしょ」
「それは…、俺が悪いんだし」
「違うでしょ…。すぐに謝るのは、謝ればその場が丸く収まるからよ。反省なんて一切しなくても、謝るだけで面倒が回避できる…。だからあなたは、すぐに謝るのよ」
「いや、俺だって、反省くらいは…」
「してたら、私に毎日のように文句を言われてないでしょ」
「お前が細かいからだろ!炊飯器にちょっとご飯が残ってただの、お茶が数ミリ残ってただの…」
「あなたは知らないのね…。自分が面倒だって思うことは、他人も面倒だと思ってるのよ」
「それが何だって言うんだ?」
「私ね…、実は、料理するの嫌いなのよ」
「え…、そうだったのか?」
「家事も掃除も大嫌い…。炊飯器にちょっとだけご飯が残ってるとか…、お茶が数ミリ残ってるのを見るだけで、嫌になる…。”これ、私がやるの?”って気持ちになるのよ」
「凪沙…」
「洗濯機を回して、ゴミが一緒になってるとか…。あなたが仕事のメモとかを入れちゃってた時、洗濯物を全部出して、紙クズとか全部取るのよ…。ポケットの中にも入ってたら、最悪ね…。ああいう時、私は何してるんだろうって、本当に思うわ」
「分かった分かったよ…。俺が悪かった…、これからは気をつけるから」
「あなたと結婚して、もう5年よ…。5年、変わらないものが、変わるわけないでしょ」
「努力するよ!これから、どれだけ時間がかかっても、変わる努力をするから!」
「もう、何年も待てるほど、あなたへの愛情が、残ってないの…」
「そんな…」
「それにね、私は疲れたのよ…。あなたが変わってくれるって、信じてた… 。だから5年間ずっと、言い続けてきた… 。それは、変わることを期待して、期待を裏切られて… 、そんな繰り返しに、疲れたのよ…

。注意をするのも、期待するのも、精神がすり減るのね」
「凪沙、待ってくれ… 、俺は… 」
「さようなら、大輔… 。もう2度と、私の前に顔を見せないでちょうだい」
数日後。
兄からの電話で、私はすべてを悟った。
「ああ、お兄ちゃんか…
。そう… 」
「お姉さんって、ひどいんだよ!まゆちゃん、一体何の… 」
「さっき、お兄ちゃんが泣きながら、離婚届け出してましたよ」
「そう… 。大輔も、ようやく決心してくれたのね」
「大の男が号泣…
。喧嘩したばっかなのに、ざまあみろって感じですけど」
「ああ、そっか… 」
「まゆちゃん、まだ気づいてないのね」
「は?何がですか?」
「あなた、最近、家に帰ったのは、いつが最後?」
「いえ… 、1週間前とか、じゃないですか?お姉さんのとこにご飯食べに行かなくなったんで、家に帰る理由もなくなって… 、遊んでました」
「母親が1週間も…
。そりゃ、気づかないわよね… 。家に誰もいないことにも」
「は? 誰もいない? ちょっと、どういうことですか?」
「少し前にね…
、凪沙ちゃんから、連絡があったの… 。「助けて」って… 。あの子… 、一生懸命考えたみたいよ…
、これから自分がどうしたいのか」
「いやいや、話が見えないんですけど! 私にも分かるように、話してくださいよ!」
「私が言ったのよ… 、凪沙ちゃんは、ヤングケアラーだって」
「ヤングケアラー…? 何それ?
ハラスメントの一種?」
「違います… 。あなたみたいな無責任な親を持って、家のことを押し付けられてる、未成年者のことよ」
「ばっかじゃないですか!凪沙は、自分で勝手にやってるんですよ… 、そういうのが好きなだけです」
「本当に、あなたって最低ね… 」
「は?」
「好きでやってる子が、あんな風に泣きながら、「普通の生活がしたい」「同級生みたいな高校生活が送りたい」なんて、訴えてくるわけないでしょ」
「凪沙が、そんなこと言ってたんですか…?
甘えすぎですよ!」
「子供が大人に甘えて、何が悪いって言うの?」
「うちには、うちの事情があるんです!他人が口を挟まないでくださいよ!」
「凪沙ちゃんはね… 、ようやく気づいたのよ… 、自分が置かれてる環境が異常だって… 、当たり前の生活を望んでもいいんだって」
「うちはシングルですよ!ヤングケアラーだかなんだか知りませんけど、子供が親に協力するのは、当たり前です!」
「確かに…
、仕方なく子供に手伝ってもらう家庭もあるでしょう… 。シングルなら、なおさら… 。それは否定しません… 。けど、あなたは、子供の養育費で遊んでるだけ…
。他のシングルとして頑張ってる方に、失礼よ」
「だから… 、何よ!それでも私は、母親です!何を言ったって、これからもそれは変わりません!」
「いいえ、変わります」
「あ?凪沙さん、あんた何したの?」
「今、凪沙ちゃんたちは、お母さんたちに保護されてます」
「保護…? てか、お母さんたち、こっち来てるの?遠いところから… 」
「無理を言って、来てもらったわよ…
、孫のためならって、飛んできたわ」
「そんな… 」
「凪沙ちゃんたちと一緒に、児童相談所へ行ってくれたわよ… 、凪沙ちゃんたちの証言もあって、ネグレクトとして対応してくれるそうよ」
「ネグレクト…? 」
「そう…
、ネグレクト… 。私が逮捕はされないでしょうけど… 、親権は剥奪… 、今後は、お母さんたちが持つことになるわ」
「何それ!?
意味わかんない! じゃあ、養育費はどうなるの!? 」
「あなたの元旦那さん、2人とも会ったわよ… 、今後は、子供たちの口座に振り込まれるわね…
、もちろん口座の管理は、お母さんたちが行うわ」
「それじゃあ、私のお金は、1円も… 」
「触れません… 、それに、あなたのお金じゃありません」
「そんな… 、これから、どうしたらいいの!?
養育費がなくなったら、私… 」
「私、言ったでしょ… 、自分の言動は、帰ってくるのよ… 、あなたの使い込んだ養育費も、請求されるわよ…
、今度は、あなたが払う番よ」
その後…
大輔は、私との離婚後、慣れない家事にてんてこ舞いしているらしいだろう…。仕事で疲れて帰ってきて、料理作って、洗濯して、洗い物して…、今まで私に押し付けていたことを、自分ですることになり、疲労困憊なんだとか。料理で指を切って、洗い物であかぎれができて、物の服を洗って色が落ちて…、失敗や苦労は耐えないようだが、本人なりに頑張ってはいるようだ…。それだけ、大輔にとって私との離婚は、大きなことだったんでしょう…。
一方で…、変わらなかった人もいます…。
まゆちゃんは、親権を剥奪され、養育費も取り上げられました…。今まで使い込んできた養育費を請求され、その支払いに苦労してるんだとか…、元々養育費に頼りきって、働いていなかったらしく、今は水商売をやって、なんとかお金を作っています…。ですが、不満はたらたら…、「なんで私がこんな目に…」なんて、被害者面で嘆いているそうです…。
私は、凪沙ちゃんには被害者意識が足りないと言いました…、ですが、逆にまゆちゃんは、被害者意識が強すぎるようです…、その気持ちを、少しでも自分の子供に向けることができれば、きっと今よりはマシな生活を送れていたんだろうな、と思います…。
凪沙ちゃんたちは、今はお母さんたちに引き取られ、幸せな日々を送っています…、転校することにはなりましたが、それが逆に良かったのかもしれません…、凪沙ちゃんは、新しい学校で友達を作り、部活に入って、高校生活を謳歌しているんだそうです…。
被害者意識を持つこと…、自分の環境を疑うこと…、これは大人でも、難しいことです…、私は凪沙ちゃんの考えを変え、これからの人生を豊かにしてほしかった…、その願いが届いたことが、何よりも嬉しいと感じています…。