お母さんからの電話は、唐突にそう切り出した。
「はるかさん、明日から私と夫は息子と一緒に暮らすわ」
「はあ、そうですか。お母さんたちは物好きですね」
「うちの旦那が部屋を開けておけってさ」
「部屋は……うん、まあ、開いてると思いますよ」
「何その反応?」
「そう言われましても、達也さんとクラスって本気ですか?」
「本気も本気よ。実は前々から思ってたのよね」
「思ってた? 同居ですか?」
「息子の稼ぎでいい生活してるあんたが許せないって」
「え、あ、そっちですか? というか、私が達也さんの稼ぎでいい暮らししてるんでしょ。私、知ってるんだからね」
「知ってるとは? 達也がよく愚痴ってたわよ。あんたは稼ぎも低いくせに、家のこともしないダメ嫁だって。達也が」
「うー、そうなんですね」
「そうなんです。それにね、お父さんの同僚の山田さんね」
「山田さん? 誰ですか?」
「その人が早期退職するの?」
「それはおめでとうございます」
「おめでたくないわよ」
「なんかすみません」
「息子夫婦と同居するんですって」
「それで?」
「そう、達也やちゃんは有名大学卒で大企業勤めのエリート。山田さんとこの息子よりも顔も稼ぎも上よ」
「顔は関係ないんじゃないですか」
「あそこの息子夫婦にできるなら、達也ちゃんにもできる。お父さんも最近は年で仕事が辛いって言ってたしね」
「だといいですね」
「ん? あれ、ってことは達也は知ってたんですか? 同居のこと?」
「当然でしょ。三ヶ月前に伝えて承諾も得てるわ」
「三ヶ月前……ああ。ふーん。そういうこと」
「何? 何の納得、それ?」
「こっちの話です。ていうか、私は何も聞いてませんよ」
「F大卒の低学歴嫁に伝えるわけないでしょう」
「学歴って関係あります?」
「達也ちゃんに養われてるだけの嫁に言う必要ないってこと。相変わらずの学歴至上主義、痛み入ります」
「ってことで、明日から私と夫も暮らす。息子の家だし当然よね」
「それは別に、お好きにどうぞ。ところでお母さん」
「何よ?」
「お母さんって虫とか平気ですか?」
「は? 虫? 平気だけど」
「なら虫除けスプレーは忘れずに」
「タワマンの最上階でしょ。虫なんて入ってこないわよ」
「ああ、というか住所、知ってます?」
「知ってるわよ。引っ越し祝いで行ったことあるじゃない」
「じゃあ改めて送っておきますね。ご確認をお忘れなく。それじゃあ、いい気分で」
その日のうちに、はるかは義母へメッセージを送っていた。
翌日、義母から電話がかかってきた。
「お母さんすみません、お昼の時、伝え忘れたことがあって」
「何よ、はるかさん。こっちは引っ越し作業で忙しいのよ」
「引っ越しですよね。細かい荷物をまとめてるの」
「それで、伝え忘れたことって何?」
「その前に、住所確認しました?」
「それよ、それ。はるかさん、住所間違って送ったでしょ?」
「え、そんなはずは……だって、送られた住所調べたら河川敷だったわよ。低学歴は住所もまともに読めないの?」
「ああ、大丈夫そうですね」
「何がよ」
「それよりも、キャンプ道具。はあ、キャンプ道具、何? 急に」
「買っといた方がいいですよ、って伝え忘れてました。いやあ、うっかり、うっかり」
「キャンプ道具って、テントとか寝袋とかよね」
「はい」
「なんで買っとく必要があるのよ」
「はあ。もしかして私たちとキャンプ行きたいの?」
「いえ、お断りします」
「誘ってないわよ。なんで私が振られたみたいな流れなの?」
「お母さん、住所見たんですよね」
「見たわよ。間違ってたけど」
「それ、合ってます」
「え? 合ってる?」
「息子さんの家は河川敷です」
「えっと、河川敷って、川の横のあれ?」
「ついでに駅の地下で、公園も隣接です。いい立地で良かったですね。え? ついでに、私と達也は先月離婚してます」
「え、え?」
翌日、達也から連絡が来た。
「あれ? 達也。まだスマホ生きてたんだ」
「先月の支払いだけはできたからな。っていうのはどうでもいいんだよ。お母さんたちと河川敷で一緒に暮らすんでしょう? お幸せに」
「無理に決まってんだろ。しょうがないから、お前の言ったことは嘘ってことにしたから」
「は? 嘘なんてついてないよね」
「会社を首になった挙げ句、嫁に追い出されて家にまで追い出されました、なんて親に説明できるか」
「はい、ダウト。ダウト」
「何がダウトだ」
「会社から自主退職を勧められて逆切れ。『俺から辞めてやった』とか『自主退職は最終職余裕』とか言ってたのに、半年無職で捨てられたね。言えないよね、余計に」
「言えなくても、これが事実だから」
「ああ、そうそう。お母さんが言ってたよ。私があなたに養われてたって」
「それはまあ当たらずとも遠からずだろう」
「生活費、出してくれたことなんてないけど」
「いや、一回くらいは出したことあるだろう」
「ないよね、一回も」
「あと、私が家事もしてないって」
「じゃあ誰がしてたの? あなた?」
「俺だって、家事くらいはしたことあるぞ」
「ないね、一回も」
「いや、ゴミ出しくらい」
「ゴミ出しどころか、脱いだ服を洗濯機に入れたこともないね」
「じゃあ何だ。俺はお前と結婚してから何もしてないって言うのか」
「そうだね。あ、呼吸とかはしてたと思うよ。さすがに」
「ガキかよ」
「ガキ以下でしょ。『ごめん』と『ありがとう』、正直どうやって社会生活送ってんのって思ってた」
「あのな、今はいいだろ」
「そういうのは大事なことだと思うけどね。それよりも、だ」
「とりあえず母さんと父さんは家に置いてやってくれ。なんでもう家を解約してるんだと。他に行く当てもないんだからしょうがないだろう」
「嫌ですね」
「俺は出張してるとか適当にごまかせるから」
「嫌です」
「なんでだよ」
「もう他人なんで、あなたの嘘に付き合う義理とかないですし」
「住む場所ないんだぞ」
「あるじゃない。あ、河川敷で親子水入らずで暮らせばいい。隣に川が通ってるから、水バシャバシャだけどね」
翌日、コンシェルジュから連絡が入った。
「ちょっとはるかさん。あなたの義理の両親が来ましたよ」
「開けて」
「ああ、お帰りください」
「なんでよ」
「ここは河川敷じゃないんで。コンシェルジュに行って、警備員呼びますよ」
「あのね、私、知ってんのよ」
「何をですか?」
「あんたが言ってたことは全部嘘ってこと。達也ちゃんが言ってんだから」
「ああ、それ嘘なんで、お帰りください」
「はあ。うちの自慢の達也ちゃんが嘘ついたって言うの?」
「ついたって言ってるんで、お帰りください」
「『お帰りください』しか言えないのかしら。F大卒ってボキャブラリーが少ないのね」
「『F大卒』しか言えないんですか? お母さんってボキャブラリー少ないですね」
「達也ちゃんはね、学歴優秀で大企業勤め。仕事もできるエリート。しかも顔も良くて性格もいい完璧息子なのよ」
「そんな少女漫画のキャラクターみたいな人は知りません。達也ちゃん、違いです」
「なんですって?」
「私の知ってる達也ちゃんは、プライド高くて自主退職を勧められる仕事できない人。学歴だけの典型みたいな人です」
「誰よそれ?」
「あなたの達也ちゃんですけど」
「嘘言わないで。達也ちゃんは今は海外出張中のはずよ」
「河川敷にはもう行きました」
「は? 行くわけないでしょ」
「そこにいますよ、海外出張中の達也ちゃん。あの河川敷が国内じゃないとは知りませんでしたけどね」
「さっきから何なの? うちの達也ちゃんを馬鹿にして」
「馬鹿にしてるんじゃなくて、事実を言ってるだけです」
「あんたには見る目がないのね。だからそうやって達也ちゃんを悪く言えるのよ」
「見る目はなかったんでしょうね、私にも。達也は最初いい人に見えたんですよ」
「そりゃそうでしょ。実際あんなにいい男は他にいないんだから。学歴は言うまでもないですし、自信に満ち溢れて」
「そうそう」
「自分に自信があるのは魅力的よね」
「加えて、奢ったところもなくて」
「そうなのよ。あれだけ優秀なのに謙虚なのよね」
「そういう風に見せてたんだなって、今は思います」
「そうそう。達也ちゃんたら猫を被るのが上手で……って、はあ。何言わせてんの?」
「いざ結婚してみたら、学歴マウントうざいし、家事もしない、生活費も入れない、『ごめん』も『ありがとう』も言わないし、すぐ切れるし」
「そんなの大した欠点じゃないわよ。あんたを一人で養ってるんだから」
「聞いてました? 生活費を入れてくれたこととかないんですけど」
「バカねえ。すぐ口答えするんじゃありません。達也ちゃんが生活費入れないでタワマンに住めるわけないでしょ」
「私、これでも年収一億超えてます。小さいですが、コスメの会社を経営してるんです」
「F大卒のバカ女が。そもそも大企業勤めだからってタワマンは無理ですよ。達也の給料じゃ、フロントに住めるかも怪しいです」
「そんなの嘘よ。だって達也ちゃんは能力を買われて出世街道走行中。年収も一億が目前に迫ってるって」
「まあ、私が稼ぎがないって嘘をつくと、そうなりますよね。今の生活との整合性を取ろうと、嘘を重ねたんでしょ。あの達也ちゃんが、そんなこと認めたくなかったんじゃないですか。自分が私よりも下だって。プライドだけは高い人なんで」
「そんな、今となっては社会的立場だけじゃなくて、住む場所も物理的な立場も下になりましたけどね」
数日後、達也から再び連絡が来た。
「お前のせいで大変だったんだぞ」
「はい。なんですか、急に」
「お前が母さんたちを追い返して、嘘もばらしたんだってな」
「そうですけど」
「そのせいで母さんたちが河川敷に来ちまった。ボロクソに言われたわ」
「そうですか。大変だったんですね」
「だからそう言ってんだろ。あんた育てるのにいくらかけたと思ってるんだ、って母さんが泣き出すし、親父も『俺の息子はこんな負け犬じゃない』って怒るし」
「うわあ、地獄絵図」
「お前が作った地獄だろ」
「で、その後どうしたの?」
「とりあえず母さんたちはお前のとこで暮らすことに決まった」
「はあ。何言ってらっしゃるんですか? 脳みそ沸騰してんの?」
「いいだろ、別に。俺とお前は三年も夫婦だったんだ。このくらいの頼みくらい聞けよ」
「もう他人でしかない義両親と一緒に住むのが『このくらい』。冗談やめてくれます?」
「お前さ、金だけはあるだろ。もう一人身で使い道だってどうせないんだからさ。あ、なんか言ってたじゃん。将来子供ができた時のためにって貯金してたんだよな」
「そうだけど」
「その金を使って母さんたちの世話してやれよ。ついでに俺の新しい家も用意してくれ」
「私さ、あなたのことを誤解してたみたい」
「はあ? 誤解?」
「言ってることもやってることもクズだけど、三年も夫婦だったから、私の地雷は踏まないって。けど、これはダメ。本当に無理」
「何がなんでそんな怒ってんの?」
「私さ、結婚前から言ってたの覚えてる? 『いつか子供が欲しい』んだって。あなたも結婚前は『子供欲しいな』とか言ってたけど、結婚した途端に『子供は要らない』って言い出したよね」
「俺、子供嫌いだし」
「正直ね、子供のことは諦めがついたのよ。お互いに望んで生まれないと子供が可哀想だもん」
「なら終わった話だろ。今更になって何言い出してんだよ」
「あなたが会社首になった時さ」
「首じゃない。俺の方から辞めてやったんだ」
「はいはい。そうですね。その時も再就職するって言うから待ってたのよ。嫁なんだから当然だろ。でも結果は、『あの会社は元大企業勤めの俺にはふさわしくない』『あの会社は優秀な俺のためにポストを用意しない』そう言って半年も無職でヘラヘラして。しょうがないだろ、俺みたいな優秀な男が務めるには大企業以外ない。クソみたいな大したことない弱小企業なんてごめんだ」
「そんなあなたにうんざりしても、私は我慢した。再就職が難しいなら家庭に入ってくれてもいい。稼ぎは私だけでも何とかなるからって、提案もしたよね」
「俺に専業主婦になれってやつだろ。バカにすんなって話だわ。そんな弱者男性みたいな扱い、耐えられないから」
「こっちは子供も諦めて、金も出さない、家事もしない、普段の言動も最低最悪。そんなあなたへの不満を全部飲み込んできたのに」
「あのさあ、人間関係ってそういうもんだから。不満を飲み込んで我慢するのは当たり前なら、お前も不満飲み込んで我慢しなよ」
「してるでしょ。家が河川敷とか、不満爆発するからな」
「それは自業自得。退職金だってあったはずだよね。離婚した時に財産分与したよね」
「それはホテル暮らししてたら亡くなったし。家から追い出したお前のせいだろう」
「一泊五万もするホテルに一ヶ月も泊まるからでしょ」
「必要経費だ。どこがだ。ていうか、無駄な貯金を使ういい機会だろう。在庫処分セールみたいな。どうせお前が子供を産むことなんて一生ないんだし」
「デリカシーって言葉を知らないの? それに、仮に子供を産まなかったとしても、あなたの親を世話するためのお金じゃないから。人生の支援をして欲しいなら、ママにでも頼みなさい」
翌日、義母が今度はしおらしく訪ねてきた。
「はるかさん、全部あなたの言う通りだったわ。達也に会ってきたんですってね」
「そうよ。なんなのあの子。あの子を育てるのに一体いくらかけたと思ってるのよ」
「うわあ、そのセリフって本当に言う人いるんだ」
「小学生の頃から評判のいい家庭教師を雇ってたのよ。中学だって有名私立を受験させたわ。高校大学だって有名なところを卒業させて。全部で五千万はかけたのに」
「ええ、何よ。さっきから無関心そうにして」
「いや、興味ないなと思って」
「そこまでしたのに、何あの子は? あんな子が息子なんて恥ずかしい」
「自慢の息子の達也ちゃんが悲しみますよ」
「はるかさん、今まで本当にごめんなさい」
「え、急にどうしたんですか?」
「嘘をついてたのは達也の方だったのね。それを知らずにあなたにひどいことを言って」
「まあ、分かっていただけたならそれで。じゃあ、一緒に住んでいいわよね」
「良くないですね」
「そうよね。ひどいことを言ってたのに、こんな都合のいいこと……」
「分かってるみたいで安心しました。でもね、私たちだって辛いのよ」
「カウンセラーでも紹介しましょうか?」
「親戚の家に置いてくれないかって頼んだの。そしたらね、『私たちみたいな人を置くつもりはない』って。ひどいと思わない?」
「いや、全然。どうして?」
「や、あの、親戚の集まりの時に何してたか忘れました?」
「え? 何かした?」
「親戚の方相手にマウント取りまくりでしたよね。『うちの子はこんな優秀なんですけど』『お宅の子は?』って」
「それが何なの? ただの世間話じゃない」
「そこから『あ、ごめんね。有名大学も出てない低学歴な息子さんだもんね。中小企業の一般社員じゃ、うちの子の相手にならないわ』とか言ってましたよね」
「そこまで嫌味ったらしくは言ってないわよ」
「あの時の親戚の方の顔を覚えてます。言われた人全員、仏頂面でしたよ」
「何それ? 心が狭いわね」
「や、あれで切れないのは仏様だけです。人間には無理なんで。でね、都合が悪いからって無視やめてくれます? お父さんの退職金も一応はあるのよ」
「はあ」
「それで、家に置いてくれたら生活費は出すわ。あのバカ息子とは違って、私たちはちゃんとするから」
「いや、その退職金で家でも借りたらどうですか?」
「生活費はどうするのよ?」
「え? はい?」
「それで矛盾するのやめてくれます? うちで暮らしてても生活費は払ってくれるんですよね。こは、嫁割引みたいな。お気持ちを見せてくれると助かるなって」
「ああ、じゃあ無理ですね。お母さんたちに割けるお気持ちとかないんで」
「そんな私たち、このままじゃ露頭に迷っちゃうのよ」
「だからって、なんでうちなんですか? もう何度も断ってますよね。いい加減にしてください」
「他に頼れる当てがないのよ」
「だとしてもですよ。散歩歩いたら忘れちゃうんですか? 鳥頭ですか?」
「何よ。もう。こっちが下手に出たら調子に乗って」
「勝手に下手に出て、勝手に切れないでください。怒りの発電とか、手に負えません」
「私たちにこんなことをして、無事で済むと思わないで。知ってます? そういうのを『逆恨み』って言うんです。また一つ賢くなれましたね」
「にして、F大卒女よりも知性がないみたいだったんで、つい。覚えてなさいよ。絶対痛い目に合わせてやるから」
数日後、義母からまた電話が来た。
「お母さん、やりましたねえ」
「何? 何のこと?」
「私の車ですよ。なんかもう見るに耐えないほどボコボコなんですけど」
「うわあ、大変ね。もしかして誰かに恨みでも買ってたんじゃない?」
「だから、恨みを買ってそうな人に今聞いてるんですが」
「私? 私じゃないわよ。まあでも、金持ちマウントする女社長とかねえ。なんか感じ悪いし、嫌いな人も多いんじゃない?」
「本当に違うんですね」
「だから違うって。散々マウント取ってきたんだから自業自得よ」
「人生でマウント取ったことってないんですけどね。あ、ちなみになんですが」
「何?」
「うちの駐車場って、監視カメラついてるんですよ」
「あ、監視カメラ」
「映ってましたよ。夜中にこそこそと駐車場に侵入して、私の車をボコボコにするお母さんとお父さんの姿」
「いやいや。え、ちょっと待って」
「ボンネットにドアにバンパーまでボコボコ。これじゃあ、廃車になりますね」
「えっとね、はるかさん」
「はい」
「その……あれよ。ちょっと腹が立ったっていうか。住んでないタワマンの駐車場に、バッと自分の車で忍び込んで、それで……腹が立ったってのは無理では? ほら、一時の感情で、うわあって。ねえ、あるでしょ? 近くにあるものを投げ出したくなる気持ち」
「でもこれは計画的ですよね。か、フロントガラスもめちゃくちゃ入ってますよ」
「だって、だって、はるかさんが家に置いてくれないから」
「そうですか。じゃあ修理費お願いしますね」
「へ? 修理費?」
「はい。これ、ベンツのGクラスなんで、全部コミで一千万ちょいくらいですかね。詳細は業者に確認取りますんで」
「ちょっと待って。一千万以上? お父さんの退職金、全部吹き飛ぶじゃない」
「自業自得です」
「何よ、何よ。金持ちだからって高級車乗り回してマウントですか? 嫌な女ね。可愛げがないわ」
「私はでも良かったんですけどね。達也がどうしても高級車がいいって」
「え? あの子が?」
「はい。選んだのは達也ですよ。せっかくなんで、今も乗ってるだけです。で、どうします?」
「どうするって何よ。払えないからね、そんな大金」
「じゃあ通報ですか?」
「通報? どこに?」
「警察に」
「はあ。ダメでしょ、それは」
「いや、だって払いたくないんですよね。だけどそれは……一応私としてはどっちでも構いません。修理費を払ってくれるなら、示談でまとめますよ。それとも、お世話になりますか? 警察に」
「分かった。分かったわよ。払えばいいんでしょ?」
「はい、よろしくお願いします」
「お父さんの退職金が……私たちの老後の費用が……これからどうやって生きていけばいいのよ」
「ああ、そういえば今って家もないんでしたっけ?」
「そうよ。なのにお金もなくなって」
「家の当てがないなら、紹介しますよ」
「いいの?」
「高熱費も家賃もなしですよ」
「そんな夢みたいな家が……」
「お似合いだと思いますよ。河川敷。え、息子さんもお待ちなんで、ご一緒にどうぞ」
「今度は仲良くできるといいですね」
一週間後。仕事を終えて外に出ると、達也が立っていた。
「よし、はるか。仕事終わった? 迎えに来てるんだけど、外寒いよ」
「通報しました」
「あ、冗談やめろって」
「『冗談やめろ』はそっちね。なんなの、ここ数日ずっと付きまとってきて」
「いや、俺はお前の夫として心配してるだけだから」
「必要ありません。ていうか、離婚してるんだから他人ね。キモいからやめろ」
「もしかして昨日のことで怒ってんのか?」
「は?」
「けどお前もひどいよな。タワマンの前で待ってた俺を無視なんて」
「あのさ、本当に気持ち悪い。いい加減にしてくれる?」
「そう言うなって。そうそう、仕事終わりで疲れてるだろう。お茶持ってきたから」
「お茶?」
「河川敷暮らしの達が、そこら辺の雑草で作ったお茶。意外とうまいぞ」
「それは何よりですね。あと、これが最後だから」
「え? 何が?」
「警告が。これ以上私に付きまとうなら、本当に通報する」
「なあ、頼むよ。俺がここまでやってんだぞ。復縁くらいしてくれたっていいだろ」
「しません。理由はキモいから。以上」
「あのな、俺がこんな目に会ってるのはお前のせいだぞ」
「は?」
「最近じゃうちの親まで河川敷仲間だ。親子揃ってこんなとこで。責任取れよ」
「あなたの人生の責任は、あなたが取りなさいよ」
「元とはいえ嫁だろ」
「嫁だった期間、私は十分すぎるほど責任を果たしました。これ以上求められても困ります」
「ふざけんな。いいのか? このまま一生俺が付きまとって、お前も困るだろう」
「そう。改める気はないんだ」
「ないね。お前が復縁するって言うまで、俺はやめない」
「通報しました」
「何回目だよ」
「もういいよ、ね。いいや、本当に」
「え、マジ?」
「うちの会社の警備員もすぐに行くわ。それまで大人しく待ってなさい」
「いや、ごめん。冗談。今後一生お前には関わらない」
「あれ? あなたって人に謝罪できたんだ」
「そうだよ。俺が謝ってんだから、もういいだろ」
「だが断る」
「え?」
「あなたみたいな嘘つき男の謝罪なんて信じられない。ああ、そうそう。暴れたりしないようにね。再就職先が刑務所なんて、あなたも嫌でしょ」
その後、達也は警備員に確保され、後から来た警察へと引き渡された。達也も刑務所暮らしは嫌だったのか、無抵抗のまま連行されていった。私も事情聴取のために出頭し、達也との関係やこれまでの経緯を説明。LINEでのやり取りが証拠となり、達也には接近禁止命令が出ることになった。
そのまま少し経って、達也のスマホの契約も終了。私への連絡手段も失い、彼は私の人生からフェードアウトしていった。
ちなみにとある駅前の河川敷では、親子三人のホームレスが目撃されてるんだとか。隣接された公園で遊ぶ子供相手に、お菓子をねだって警察に通報された、なんて話も小耳に挟んだが、もう私には関係のない話だ。
私はといえば、今も会社の社長として日々を過ごしている。前に住んでいたタワマンは売りに出した。何でもあのタワマンの近くで不審者が出るらしい。その三人組は「妖怪お菓子ねだり」と呼ばれてるだとか、なんて怖い噂もあったので、今は離れた場所で一人暮らしをしている。
達也のこともあって、すぐにとは思わないが、いつか理想の男性と結婚して子供を授かること。それが今の私の人生の夢だ。
