毎週末、お姉さんの家でご飯を食べるのが当たり前だった。でもあの日、姉が突然「まゆちゃん、いい加減にしてくれない?」と言ってきた。「兄夫婦のお宅へご馳走になりに行ってるだけですよ」と返すと、姉は「8人分の食事を毎週なんておかしいでしょ」と怒り出した。私は「それってパワハですよ」と言い返した。すると姉は「じゃあまゆちゃんが面倒見ないで誰が見るの?」と、高校生の長女ナサに家事も育児も全部押し付けて…

毎週末、お姉さんの家でご飯を食べるのが当たり前だった。でもあの日、姉が突然「まゆちゃん、いい加減にしてくれない?」と言ってきた。「兄夫婦のお宅へご馳走になりに行ってるだけですよ」と返すと、姉は「8人分の食事を毎週なんておかしいでしょ」と怒り出した。私は「それってパワハですよ」と言い返した。すると姉は「じゃあまゆちゃんが面倒見ないで誰が見るの?」と、高校生の長女ナサに家事も育児も全部押し付けて...

いやあ、お姉さんの家が近くて助かるわ。今日も夕飯ごちそうになるね。

「まゆちゃん、いい加減にしてくれない?」

「え、何がですか?」

「何がって、毎週末うちにご飯食べに来るでしょ。そんなのありえないよ」

「兄夫婦のお宅へご馳走になりに行ってるだけですよ。うち大家族なんで」

「まゆちゃんと子供7人で合計8人よ。それが毎週っておかしいでしょ」

「お兄ちゃんが出さなくていいって言ったんです」

「大輔が言ったことは忘れて。月1ならまだしも毎週はないよ。大人として食費は出すでしょ」

「あ、お姉さん、それってパワハですよ。上の立場の人が下の人にお金を要求するなんて、典型的なパワハじゃないですか」

「は?何言ってるの?そんなのパワハで通じるのはあなただけよ」

「言い訳は聞きたくありません。そういう考え方で普段どうしてるんですか?」

「普段って何?」

「7人の子供の母親でしょ。ちゃんと面倒見られてるんですか?」

「うわ、お姉さん最悪」

「え、何が?」

「今時そんな考え方ありえませんから。母親だから子供の世話をするのが当然とか、時代錯誤すぎてびっくりしました。ジェンダーハラスメント全開ですよ」

「全開?急に知らない単語出てきてびっくりした。何でもかんでもハラスメントって言うのやめてよ」

「知らないんですか?ハラスメントはされた側がそう思ったらそうなんです」

「都合のいい解釈ね」

「そういう時代なんで」

「ああ、そう。だから今の時代、母親だからとか関係ないんだ」

「そうです」

「じゃあまゆちゃんってシングルマザーよね」

「そうですけど」

「じゃあまゆちゃんが面倒見ないで誰が見るの?お母さんたちは北海道だし、頼れないでしょ」

「うちの長女のナサが見てくれてるので大丈夫です」

「ナサちゃん?あの子高校生よね」

「ピッチピチの16歳ですよ。バイトもしてますし、学校にバイトに下の子のお世話に家事も全部やってくれてます」

「それ、どやれる話じゃなくて、もう怖い話だから。16歳の子供にどれだけ負担かけてるの?」

「あ、だったらお姉さんが負担減らしてくださいよ」

「は?」

「明日から毎日食事の世話してください。これからは毎日ご馳走になります。ナサの負担も減って、お姉さんも嬉しいですよね?」

「バカ言わないで。ただでさえ大変なのに毎日なんて無理よ」

「家族8人でいつもごめんね。明日も行くからよろしく」

「ちょっと勝手に決めないで。聞いてるの?」

翌日、大輔が仕事から帰ってくると、リカ子は呆れた顔で言った。

「まゆちゃん、本当に今日も来たのよ」

「ああ、来るって言ってたもんな」

「言ってたけど、まさか本当に来るとは思わなかったわ。でもリカ子、念のためにって夕飯、まゆちゃんたちの分も作ってたじゃない」

「それはそうだけど、予定通り何も問題ないんじゃない?」

「問題しかないでしょ。私たちとまゆちゃんとこ合わせて10人分の食事よ。それを毎日なんて、うちは食堂か」

「大げさだなあ」

「どこが大げさなのよ。食材も全部うち持ちよ。こんなの破産するわ」

「しないって。食費だったらリカのパート代だけで足りるじゃん」

「全部使えってこと?私がパートで稼いだお金を全部?」

「そこまでは言ってないだろ」

「言ってるわよ。そもそも大輔は10人分の食事を甘く見すぎ。2人分作るのと10人分作るの、どれだけ違うか理解できないの?」

「いや、だから大げさだって。人数が増えるってことは食材を増やすだけだろ」

「それ本気で言ってる?」

「俺とお前の分を作るついでに、ちょっと量を増やすだけでいいんだから簡単じゃん」

「8人分をついでに終わらせる神経が怖いわ」

「そりゃ高級フレンチ作ってるなら分かるよ。けどリカ子の料理って適当な家庭料理じゃん」

「あ、適当って言った」

「食材を鍋にぶち込んでまとめて煮込むだけだろ。大した手間じゃないって」

「ねえ、大輔さ、料理作れたっけ?」

「あ、俺作れないけど」

「現実の料理はね、そんな単純じゃないの。ゲームじゃないんだから、煮込んで終わりなんてないのよ」

「そんな怒んなよ。まゆもシングルで大変なんだぞ。ちょっと助けるくらいいいじゃん」

「助けてるのはあんたじゃなくて私よ」

「はいはい。分かってるって」

「分かってないからそういう態度なんでしょ。大輔が同じことやったら?」

「おい、俺無理無理。仕事忙しいし、料理なんて作ったことないもん」

「私、大輔のそういうところ本当に嫌い」

「なんだよ、急に機嫌悪くして。ああ、もしかして生理?」

「本当にそういうとこよ」

「え?何?どういうこと?」

「出しっぱなしにするし、炊飯器にご飯ちょっと残すとか、お茶を補充しないで数ミリ残すとか、片付けたり洗ったり自分でしたくないんでしょ」

「ごめんごめん。次から気をつけるわ」

「口だけだよね。まゆちゃんのことも私に押し付けてるだけ。面倒ごとはほっとけば全部私がやってくれると思ってる」

「だからごめんって。マジでこれからは気をつけるから」

「はいはい。そうですね」

「で、今日の晩飯って何?俺もう腹ペコだわ」

「冷蔵庫に入ってるから勝手に食べて」

「え?怒ってんの?」

「私は先に寝ます。おやすみ」

翌日、ナサがリカ子に話しかけてきた。

「リカ子さん、今日もご飯美味しかったです。弟や妹たちが喜んでくれてよかったです。すみません、大変ですよね」

「ナサちゃんが謝ることじゃないでしょ」

「でも、私たち来てから……だからリカ子さんも、昨日怒ってたじゃないですか」

「え、私が怒ってた?」

「はい。機嫌悪かったですよね」

「違う違う。私が怒ってたのは大輔のせいよ」

「大輔さんですか?」

「そう。あの人本当に家事を舐めててね。10人分作るのも2人分作るのも一緒だろうって。面倒なことは全部私に押し付けて」

「うわあ。なんだか私もちょっと分かります」

「え、ナサちゃんも?」

「はい。うちの弟や妹も服脱ぎっぱなしにしたり、電気消さないし、トイレットペーパー数ミリ残したり、何回言っても治らないんですよ」

「うわ、大輔といっしょ。大輔って小学生とかと同じレベルだったんだ」

「ですね」

「私の親ってね、すごく神経質で細かい人たちだったの」

「そうなんですか?」

「リモコンの位置が少しずれただけでぶち切れるような人たちでね」

「うわ、それはそれできついですね」

「だから大輔の大雑把さが魅力的に見えたんだけどね。実際結婚して生活してみると、この有り様だけど」

「日常のすれ違いって、精神がすり減りますもんね」

「そうそう。そんな感じ。それにしても意外だったなあ」

「何がですか?」

「ナサちゃんとこういう話ができるなんて。女子高生とこんな話題で共感するとは思わなかったわ」

「私も嬉しいです。こういう話って人としたことなくて」

「そっか。同級生とはしないもんね。それにお母さんも、まゆちゃんは家事も育児もしない人なんで、苦労話をして笑い合うなんてしたことないんです」

「そうなんだねえ。ナサちゃん、学校とかバイトはどう?」

「そうですね。学校は下の子が熱出したりしたら休まなきゃなんです。だからあんまり行けてないかな」

「それって勉強は大丈夫なの?大学とか?」

「そこは大丈夫です。私勉強好きなんで、家でも自習してて成績優秀なんですよ」

「部活とかは?」

「部活は家のことや下の子たちのこともあるんでできませんね。やりたいとは思ってるんですけど」

「じゃあお友達は?」

「いないです。遊びに行く時間もないですし、ぼっちなんで。バイトも、はい、楽しいんですけどね。急に休まなきゃってことも多くて、迷惑ばっかりかけてます」

「そっか。大変なんだね」

「あ、いえいえ。これが私の普通なんで」

「普通か。前に何かあったら相談してって言ったのは覚えてる?」

「はい、覚えてますよ」

「今何か困ってたりしない?私にできることなら力になるよ」

「こうして食事を食べさせてもらえるだけで十分ですよ。これ以上迷惑はかけられません」

「迷惑なんて思ってないよ。本当に困ってないの?」

「だって私にとっての生活は、これがいつものことなんで」

「そういうことか。もう考え方の根っこから麻痺しちゃってるんだね」

「え、麻痺?どういうことですか?」

「うん。こっちの話。遅くまでごめんね。しっかり寝て、明日からも頑張って」

「はい。おやすみなさい」

数日後、まゆちゃんがリカ子に言った。

「ああ、今日もお姉さんの料理美味しかった。ご馳走になりました」

「はいはい。お粗末様でした」

「てか思ったんですけど、お姉さんの料理ってレパートリー少なくないですか?美味しいけど飽きてきたっていうか。明日は中華が食べたいな。エビチリとか」

「他人の家で毎日ご飯食べといて、メニューに文句つけるとかいい度胸よね」

「褒められてます」

「褒めてないわよ。人として終わってるなって言ってるの」

「うわ、お姉さん、それモラハラですよ。自分の意見を押し付けて人格否定、最低、通報案件です、これ」

「どうぞ通報して」

「やだなあ。何向きになってるんですか?冗談ですよ」

「冗談?冗談でハラスメントとか言ってたの?私には分からない価値観ね」

「まあ、お姉さんってぶっちゃけおばさんなんで」

「私たち2歳しか違わないわよね。私がおばさんなら、そっちもでしょ」

「2歳の差は大きいですから。学年で言ったら1年生と3年生ですよ。おばさん臭いお姉さんとは違って当然です」

「ああ、それエイハラよね」

「あ、エイハラ?何それ?」

「エイジハラスメント。年齢や世代の違いを馬鹿にすることよ」

「お姉さん、そんなのハラスメントとか、被害妄想強すぎでしょ」

「された側がそう思ったらハラスメントなんでしょ。自分が言ってたのにもう忘れちゃったの?」

「あ、いや、それは違くないですか?」

「何が?あなたの理屈だと間違ってないはずよね」

「こんなの変です。ハラハラですよ、ハラハラ」

「ハラスメントね。確か、正当な行為をハラスメント扱いされることだっけ?」

「そうです。今まさにお姉さんがやってることですよ」

「だったら私はずっとハラハラを受けてたのねえ。他でもないまゆちゃんに」

「いや、そんなことしてませんけど」

「だって私が何か言ったら全部ハラスメント扱いじゃない?これって典型的なハラハラじゃない?」

「ああ、もうなし。この話やめましょう」

「どうして?せっかく楽しくなってきたのに」

「こんな暗い話じゃなくて、楽しい話をしましょう。ハッピー大事ですよ、ハッピー」

「あら、それエンハラね」

「はあ?エンハラ?」

「エンジョイハラスメント。私は今そういう気分じゃないのに、楽しさの押し付けなんて最低だと思わない?」

「何なんですか、さっきから」

「あら、怖い。パワハかしら」

「違います」

「まあまあ、そんなに激昂しないで。明日楽しみね」

「は?明日?」

「中華でしょ?エビチリ」

「ああ、そうですね。楽しみですね。よろしくお願いします」

「はいはい。お願いされました。これに懲りたら、今後はハラスメント扱いは控えなさいね。自分の言動はいつか帰ってくるんだから」

翌日、ナサが慌ててリカ子に連絡してきた。

「リカ子さん、今どこにいますか?」

「あら、そんなに慌てて。ナサちゃん、どうしたの?」

「どうしたのじゃありません。通りかかったらリカ子さんたちの家に行ったら、大輔さんがお母さんに掴みかかってて」

「掴みかかった?どうして?」

「リカ子さん、離婚届け置いて出てったんですよね。それが私たちのせいだって、大輔さんは思ってて」

「ああ、なるほどね。まゆちゃんたちのせいで私が出てったと思ってるのね。だから掴みかかって切れてるんだ」

「大輔さん、見たことないくらい怒ってたんです。お母さんも言い返して、喧嘩になっちゃって」

「2人は今どうしてるの?LINEしてきたってことは落ち着いたのよね」

「私が仲裁して、なんとか今は2人とも頭を冷やしてます」

「大変だったのね。ナサちゃんや他の子たちは大丈夫?」

「私たちは大丈夫です。弟や妹は怖くて泣いてましたけど、怪我とかはありません」

「ならよかった。リカ子さん、早く帰ってきてください。今は落ち着いてるけど、また喧嘩が始まったら」

「それは無理ね。私は2度とその家には帰らないから」

「やっぱり私たちのせいですか?」

「半分正解ね。じゃあもう半分は、ナサちゃん、あなたの自覚のなさよ」

「え、私?」

「ナサちゃんは、ヤングケアラーって知ってる?」

「ヤングケアラー……?」

「本来大人が担うべき家事や育児を、日常的に引き受けてる子供のことよ。つまりあなたのことよ、ナサちゃん」

「私がヤングケアラーでも、それは私にとっては当たり前のことです」

「そう。そこがこの問題の厄介な部分なの。本人に被害者意識がないと、苦労や苦痛を当然だと思い込んでしまう。そんなことはあるわよね。あなたは言ってたでしょ?勉強が好きだって、部活だってやってみたいって」

「言いましたけど、でも私には家のことや弟や妹が」

「それ、あなたがやらないといけないの?まゆちゃんが母親よね。母親の仕事でしょ、それは」

「お母さんはやらないから」

「やらないからあなたがやるの。それが仕方ないって本気で思ってるの?」

「そんなこと言われても……」

「ヤングケアラーの話の続きだけどね。子供が自分で助けを求めない限り、大人は何もできないの。助けを求める。でも今のあなたにそれはできないわよね。ナサちゃんは自己犠牲を受け入れてる。私、自己犠牲を正当化する人って大嫌いなの」

「リカ子さん……」

「私はもうあなたたちのためにご飯を作らないし、あなたの弟や妹の面倒も一緒に見てあげない。あなたが変わらないと、私はあなたを助けないわ。自分の置かれた環境をしっかりと考えなさい。仕方ないから、家庭環境がこうだから、じゃなくて。あなたがどうしたいかを考えて。私がどうしたいか、その答えが出たらまた連絡してきて。その時は私があなたを助けるわ」

数日後、大輔がリカ子に会いに来た。

「大輔、離婚届けはもう出してくれた?」

「出すわけないだろう。俺はこんな形での離婚には納得してない」

「そういうのいいから、早くして。私だって裁判まで起こしたいわけじゃないのよ」

「なあ、リカ子。俺たち、小さい喧嘩はあっても夫婦円満だったろ」

「夫婦円満?それ本気で言ってるの?」

「まゆたちのことが原因なんだろう。それだったらもう解決したんだ。まゆにもう2度とうちに来るなって言っておいた」

「そう。それで?」

「だから帰ってきてくれよ。問題はなくなったんだから、離婚もなしだよな」

「やっぱり何も分かってないのね。確かに離婚のきっかけはまゆちゃんのことよ。けど、問題の本質はそこじゃないの?」

「本質?それって何だよ。俺は浮気もしてないし、暴力とかも振ってない。離婚されるようなことは何もないぞ」

「そういうところよ」

「あ?」

「私の両親って、すごく神経質な人たちでしょ?」

「ああ、細かい人たちだよな」

「それが私はそんな両親との生活が嫌いだったの」

「それは知ってるよ。だから俺のことが好きになったんだろう。俺って、細かいとは正反対の人間だし」

「そう。大雑把って言ったらいいか。大輔のそういうところが魅力的だったんだよね」

「だったら離婚しなくてもいいだろ」

「でも気づいたの。あなたは大雑把じゃなくて、面倒が嫌いなだけだって」

「いや、そんなことは」

「あなた、私に謝るよね」

「そりゃ俺が悪いんだし」

「違うでしょ。すぐに謝るのは、謝ればその場が丸く収まるから。反省なんて一切しなくても、謝るだけで面倒が回避できる。だからあなたはすぐに謝るの」

「いや、俺だって反省くらいはしてる」

「してたら、私に毎日のように文句を言われてないでしょ」

「お前が細かいからだろ。炊飯器にちょっとご飯が残ってるだの、お茶が数ミリ残ってるだの」

「あなたは知らないのね。自分が面倒だって思うことは、他人も面倒だと思ってるのよ」

「それが何だって言うんだ?」

「私ね、実は料理するの嫌いなの」

「え、そうだったのか」

「家事も掃除も大嫌い。炊飯器にちょっとだけご飯が残ってるとイライラするし、お茶が数ミリ残ってるのを見るだけで嫌になる。ああ、これ私がやるのって気持ちになるの。洗濯機を回して、ゴミが一緒になってると嫌が刺す。あなたが仕事のメモとかをポケットに入れっぱなしにしてた時のこと。洗濯物を全部出して、紙くずとか全部取るの。ポケットの中にも入ってたら最悪ね。ああいう時、私は何してるんだろうって本気で思うわ」

「分かった分かったよ。俺が悪かった。これからは気をつけるから」

「あなたと結婚してもう5年よ。5年変わらないものが、変わるわけないでしょ」

「努力するよ。これからどれだけ時間がかかっても、変わる努力をする」

「もう何年も待てるほど、あなたへの愛情が残ってないの」

「そんな……」

「それにね、私は疲れたのよ。あなたが変わってくれるって信じてた。だから5年間ずっと言い続けてきた。それは変わることを期待して、期待を裏切られて。そんな繰り返しに疲れたの。注意をするのも期待するのも、精神がすり減るのね」

「リカ子、待ってくれ。俺は……」

「さようなら、大輔。もう2度と私の前に顔を見せないでちょうだい」

数日後、まゆちゃんがリカ子に連絡してきた。

「ああ、お兄ちゃんか。そう、お姉さんってひどいんだ」

「まゆちゃん、一体何の用?」

「さっきお兄ちゃんが泣きながら離婚届け出してましたよ」

「そう。大輔もようやく決心してくれたのね」

「大の男が号泣。喧嘩したばっかなんで、ざまあみろって感じですけど」

「ああ、そっか」

「まゆちゃん、まだ気づいてないのね」

「は?何がですか?」

「あなた、最近家に帰ったのはいつが最後?」

「いえ、1週間前とかじゃないですか?お姉さんのとこにご飯食べに行かなくなったんで、家に帰る理由もなくなって、遊んでました」

「母親が1週間も。そりゃ気づかないわよね。家に誰もいないことにも」

「は?誰もいない?ちょっとどういうことですか?」

「少し前にね、ナサちゃんから連絡があったの。助けてって」

「助けて?」

「あの子、一生懸命考えたみたいよ。これから自分がどうしたいのか」

「いやいや、話が見えないんですけど。私にも分かるように話してくださいよ」

「私が言ったのよ。ナサちゃんはヤングケアラーだって」

「ヤングケアラー?何それ?ハラスメントの一種?」

「違います。あなたみたいな無責任な親を持って、家のことを押し付けられてる未成年者のことよ」

「ばっかじゃないですか?ナサは自分で勝手にやってるんですよ。そういうのが好きなだけです」

「本当にあなたって最低ね。好きでやってる子があんな風に泣きながら、普通の生活がしたい、同級生みたいな高校生活が送りたいなんて訴えてくるわけないでしょ」

「ナサがそんなこと言ってたんですか?甘えすぎ。子供が大人に甘えて何が悪いんですか。うちにはうちの事情があるんです。他人が口を挟まないでくださいよ」

「ナサちゃんはね、ようやく気づいたのよ。自分が置かれてる環境が異常だって。当たり前の生活を望んでもいいんだって」

「うちはシングルですよ。ヤングケアラーだかなんだか知りませんけど、子供が親に協力するのは当たり前です」

「確かに、仕方なく子供に手伝ってもらう家庭もあるでしょう。シングルならなおさら。それは否定しないわ。けどあなたは、子供の養育費で遊んでるだけ。他のシングルで頑張ってる方に失礼よ。あなたみたいな人と同列に語らないで」

「だから何よ。それでも私は母親です。何を言ったって、これからもそれは変わりません」

「いいえ、変わります」

「あ?」

「ナサちゃんが勇気を出してくれた。そのおかげで私も動けたのよ」

「動けた?お姉さん、あんた何したの?」

「今、ナサちゃんたちはお母さんたちに保護されてます」

「保護?てか、お母さんたちこっち来てるの?」

「遠いところから無理を言って来てもらったわ。孫のためならって飛んできたわよ」

「そんな……」

「ナサちゃんたちと一緒に児童相談所へ行ってくれたわ。ナサちゃんたちの証言もあって、ネグレクトとして対応してくれる」

「ネグレクト?」

「そうよ、ネグレクト。あなたは逮捕はされないでしょうけど、親権は剥奪。今後はお母さんたちが持つことになるわ」

「何それ?意味わかんない。じゃあ養育費はどうなるの?」

「あなたの元旦那さん、2人とも会いました。今後は子供たちの口座に振り込まれるわね。もちろん口座の管理はお母さんたちが行うわ」

「それじゃあ私のお金は1円も触れません」

「それに、あなたのお金じゃありません。私、言ったでしょ。自分の言動はいつか帰ってくるのよ。あなたの使い込んだ養育費も請求されるわ。今度はあなたが取られる番よ」

その後、大輔はリカ子との離婚後、慣れない家事に四苦八苦している。仕事で疲れて帰ってきて、料理を作って、洗濯して、洗い物して。今までリカ子に押し付けていたことを自分ですることになり、疲労困憊なんだとか。料理で指を切って、洗い物でひび割れができて、物の服を洗って色が落ちて。失敗や苦労は絶えないようだが、本人なりに頑張ってはいるらしい。それだけ、大輔にとってリカ子との離婚は大きなことだったのだろう。

一方で、変わらなかった人もいる。

まゆちゃんは親権を剥奪され、養育費も取り上げられた。今まで使い込んできた養育費を請求され、その支払いに苦労してるんだとか。元々養育費に頼りきって働いていなかったらしく、今は水商売をやってなんとかお金を作っている。だが、不満は絶えない。「なんで私がこんな目に」と、被害者づらで嘆いているそうだ。

リカ子はナサちゃんに「被害者意識が足りない」と言ったが、逆にまゆちゃんは被害者意識が強すぎるようだ。その気持ちを少しでも自分の子供に向けることができれば、きっと今よりはマシな生活を送れていたんだろうなと、リカ子は思う。

ナサちゃんたちは今、お母さんたちに引き取られ、幸せな日々を送っている。転校することにはなったが、それが逆に良かったのかもしれない。ナサちゃんは新しい学校で友達を作り、部活に入って、高校生活を謳歌しているんだそうだ。

被害者意識を持つこと。自分の環境を疑うこと。これは大人でも難しいことだ。リカ子はナサちゃんの考えを変え、これからの人生を豊かにしてほしかった。その願いが届いたことが、何よりも嬉しいと感じている。

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