「今年の正月、実家に帰ってきてあげてもいいわよ。」
「あら、結構です。」
「え?可愛い息子と嫁に会いたくないの?」
「言葉遣いも礼儀も知らない上に、味付けから家の面積まで何から何まで文句を言われるのはごめんだもの。」
「なんてひどい親なの。信じられない。」
直美は義母の言葉を鼻で笑い飛ばした。今年は直美の実家で過ごすはずだったが、両親がハワイへ行くと言い出し、置いて行かれたのだという。
「一緒に行けばよかったんじゃない?」
「置いて行かれたんだから、暇してるんでしょ?」
「そうなのよね。でも今年は夫と二人で静かに過ごすつもりなの。」
「年寄り二人だけじゃ新聞が寂しいだけじゃないの。若いうちがいて盛り上げてあげるからさ。」
「うちにミラーボールなんてないわよ。」
「そんなもん、いらないし。ふざけてないで、ちゃんと表装しなさいよ。」
「そう言われても急には無理よ。」
「とりあえず条件だけ言っておくわ。私、寒いのは絶対無理だから、暖房ガンガンでよろしく。貸し布団もいいやつを置いておいてね。」
「あの古い布団は不潔だから、新品を買っておいて。」
「それから、料理はこだわってよ。松坂牛と特大のズワイガニはマストだから。分かった?」
「やった。じゃあ、まとめて請求書を送ればいいのよね?」
「はあ?なんでうちが払うのよ。」
「だって、それだけ揃えるお金なんてうちにはないもの。」
「貧乏すぎるでしょ。若くて最先端を生きてる私たちと触れ合えるんだから、そのくらい投資だと思って頑張りなさいよ。」
「投資先くらい自分たちで決めたいわ。」
「蒼太もたまには親孝行したいって言ってるのよ。息子の気持ちを無駄にする気?」
「まあ、息子が帰りたいって言うなら仕方ないけど、できればやめてほしいわね。」
「なんてひどい親なの。夫に言いつけてやる。」
数日後、蒼太から電話がかかってきた。
「母さん、直美から聞いたぞ。帰ってやるって言ってるのに、なんで断るんだよ。」
「直美さんの要求がひどすぎるからよ。」
「直美は実家が金持ちなんだから、少しはあっちのレベルに合わせろよ。」
「でも松坂牛に新品の布団なんて、うちにそんな余裕はないもの。」
「出し惜しみすんなよ。将来、俺たちに介護してもらうんだろう?直美に見捨てられたら知らねえぞ。」
「いつ誰があなたたちに介護を頼んだの?」
「そうやって強がってられるのも今のうちだけだぞ。いずれ泣きついてくるのは目に見えてるんだからな。」
「あなたも結婚して変わったわね。そんなことを言う子じゃなかったのに。」
「嫁の機嫌が一番いいのが一番だって、母さんが昔言ったんだぞ。」
「まあ確かにそうだけど。」
「だったら奮発してくれよ。」
「私は毎年、お父さんの好きなものだけを手作りしてるでしょ。それでいいじゃない。」
「そんな安物で満足するわけないだろう。とにかく直美の機嫌を損ねないでくれ。」
「親なら息子の幸せを一番に考えろよな。」
「あなたの幸せって、親に無理をさせることなの?」
「長年暮らしてきたんだから、へそくりの一つや二つあるだろう。」
「そんなものがあれば、もっと贅沢してるわ。」
「借金でもして、ちゃんと稼いでくれ。」
「…お父さんと相談してみるわ。」
翌日、今度は蒼太が直接家にやってきた。
「親父、正月に帰る前に確認したいんだが、和室の金庫ってまだあるよな?」
「あるけど、それがどうした?」
「暗証番号を教えてくれよ。」
「はあ?」
「今年から金の話で揉めたくないから、先に言っておくが、生前贈与してほしいんだ。」
「勝手なことを言うな。」
「俺、知ってんだぜ。母さんに黙って、あの中にへそくりを隠してることはよ。」
「だったらなんだ。お前には関係ない話だろ。」
「どっちみち全部、俺が相続するんだから、だったら今のうちに前渡ししても同じだろ。」
「俺が働いて、俺が貯めた金だ。」
「それが目的なら、正月は帰ってくるな。」
「いやいや、冗談だよ。」蒼太は慌てて手を振った。「親の元気な顔が見たいだけだよ。金庫とか遺産とか金とか、そういうのには興味ないから。」
「なんだお前は。意味が分からん。」
「じゃあ来週、楽しみにしてるよ。」
数分後、こんどは蒼太の妻、直美から連絡が入った。
「今、蒼太から変な連絡が来たんだけど。」
「私にも来たわ。」
「嫁の満足する料理を出せって。俺には金庫の暗証番号を聞いてきた。」
「はあ…なんでそんなこと聞くのよ。」
「あいつら、金に困ってるんじゃないか?」
「まさか、お金目的で帰ってくるってこと?」
「俺はそう思ってる。」義父はため息をついた。「あの嫁の要求もおかしいだろう。実家が金持ちなら普段からうまいものを食ってるはずだしな。」
「だからって、うちに来たって隠し財産なんてないわよ。」
「大した価値もないし。金庫って言ったって、飾りみたいに置いてあるだけでしょ?」
「いや、それが実はあるんだ。」
「何がお金だよ。」
「お父様から相続した遺産のことだよ。」
「あれなら三百万くらいだったじゃない?」
「実はその金を投資に回してたんだ。」
「あら、そんなことしてたの?」
「それが驚くほど増えてしまったんだよ。」
「そんな話、聞いてないわよ。」
「あえて言わなかった。」
「どうして夫婦で隠し事しないって約束でしょ?」
「お前の夢だったクルーズ旅行を手配して驚かせたかったんだよ。サプライズってやつをやってみたかった。」
「やだわ、俺ったら…でも、なんで今言っちゃうのよ。」
「家中を探されたら、通帳や暗証番号を見つけられるかもしれないだろ。」
「確かに…家以外に隠すと言っても、そんな場所ないわね。」
「ああ、いや、それがあるんだ。」義父は得意げに言った。「貸金庫だよ。」
「ドラマで見たことあるわ。」
「年間一万ちょっとでいいらしい。」
「意外と安いのね。」
「ああ、だから今日銀行に行くって言ってたのね。」
「そうだ。今日、契約してくる。」
「あの子たちは、どうするつもり?」
「罠を仕掛ける。」
「何をする気?大丈夫なの?」
「心配はいらない。」義父は静かに言った。「もし何もしなければ、正月は無事に終わるだけだ。」
「確かにそうね。」
「ただ…裏切ったら、その時は容赦しない。」
「分かったわ。」義母は小さく頷いた。「お父さんがそう言うなら、見守るわ。」
「この正月が、蒼太との最後になるかもしれないな。」義父はぽつりと呟いた。
「ゆっくりする予定だったのに。」
「飛んだ正月になりそうね。」
「だな。」
「でも…あの嫁の態度には、私も我慢の限界だったのよ。」
「本章を炙り出して縁が切れるなら、その方がいいわ。」
「まあ…どうなるか見物だな。」
正月当日。
「あれ?食事の支度ができてるけど…どこか出かけたの?」
直美がリビングに姿を見せたのは、床の間の重箱を見下ろすためだった。
「お母さん、ごめんね。出かけることにしたわ。」
「どうしてよ?おせちを開けようと思ったのに…って、なんでおせちが二つもあるの?」
「一つは私が作って、もう一つは夫が買ってくれたの。」
「四人じゃ足りないだろうからって。」
「…あそ、食べないの?」
「あれを私が食べる?笑わせないでよ。」
「どういう意味?」
「あんな地味なおせち、誰が喜ぶのよ。」
直美はそう言うが早いか、床の間の重箱を抱えると、そのまま縁側へ歩いていった。
「ちょっと、何して…」
「イラついたから、庭にぶちまけてやったわ。」
義母が窓の外を見ると、松の木の下で二つの重箱が無残に転がっていた。
「嘘でしょ…」
「カラスが喜ぶわね。良かったじゃない。」
「やだ、本当に捨ててる…なんてことするのよ!」
「正月に帰省したら、ババアの手作りおせちとか地獄すぎるでしょ。」
「はあ…」
「松坂牛もカニも用意できないんだったら、高級料理店くらい予約しなさいよ。」
「貧乏人はこれだから嫌だわ。」
「おせち作りがどれだけ大変だと思ってるのよ!」
「知らねえし。」
「そもそも二段重とかケチすぎない?色味も地味だし、あれじゃインスタ映えしないわ。」
「だからって、捨てることはないでしょ!作った人の気持ちを考えなさいよ!」
「うん。」直美は涼しい顔で言った。「ちゃんと考えた上で捨てたわ。」
「信じられない…」
「しかし、おせちまで貧乏とは笑っちゃったわね。」直美はスマホを取り出した。「高級店なら普通は三段重でしょ。」
「食べもしないで判断するなんて…」
「見ただけで分かるわよ。」
「それより今から寿司に向かってるから。」
「あなたたち、一体何しに帰ってきたの?」
「食べるものがないんだから、仕方ないじゃん。」
「貧乏人の飯で口を汚したくないの。」
「お正月だって言うのに、最低の気分よ。」
「それはこっちのセリフね。」
三十分後。
高級寿司屋の暖簾をくぐると、直美は満足げに頷いた。
「やっぱり本物は違うわね。ネタが新鮮で、全部美味しいわ。」
「正月に開いてるお店なんてあったの?」
「隣町まで来たら、あったわよ。パチンコ屋の裏手。」
「ああ、あそこか。」
「ああ、有名なんだ。」
「通りで美味しいと思ったわ。「言ったことはないけど、話には聞いたことがあるわ。」
「ええ。まあ、母さんには一生縁のない店でしょうけどね。」
「そうね。」
義母は黙って寿司を口に運んだ。
「おせちもそうだけど、雑煮もひどいもんよね。」
「あれは私の母のレシピよ。」
「ただのごった煮じゃん。」
「家畜の餌でも出てきたかと思って、二度見したわよ。」
「お前は牛みたいに動かないんだから、ぴったりでしょ。」
「言うね。」
「家に食べるものなくて、お腹空いたから特に頼んじゃった。」
「わざわざ報告しなくていいから。」
「ああ、この寿司台後で請求するから。」
「なんで私が払うのよ。」
「お母さんの料理がまずいのが原因でお腹空いてるんだから、当然でしょ。」
「屁理屈ばっかり…」
「文句ある?」
「あるわ。文句しかないわよ。」
「領収書持ってくるんで、お会計お楽しみに。」
十分後、今度は義父が現れた。
「調子に乗るなよ、ガキが。」
「え、お父さん…」
「お前、何をしてるんだ?」
「何って?美味しい寿司食べてるだけですよ。」
「直美に何を言った?」
「別に、思ってることを言っただけですが。」
「おせちを捨てるなんて、何を考えてる?」
「稼ぎもできない自分たちが悪いのを棚に上げて、怒らないでくれます?」
「立派なおせちを用意しておいただろう。」
「冷蔵庫には刺身もあったし、肉も買っておいたんだぞ。」
「見ましたけど、松坂じゃないじゃないですか。」
「お前に牛の種類なんか分かるのか?」
「幼少期から高級ランクの肉で育ったんですよ。分かるに決まってるじゃないですか。」
「その割に、あのおせちの価値も分からないんだな。」
「二段の地味なおせちのことですか?まだネット通販の方が見栄えが綺麗ですよ。」
「お前、何も知らないな。」
「何がですか?」
「まあいい。」義父はため息をついた。「それより今すぐ寿司屋を出ろ。」
「はあ?さっき来たばかりなんですけど。」
「話があるから、帰ってこいと言ってるんだ。」
「嫌ですよ。」直美は箸を置かなかった。「人の食事を邪魔する権利なんか、ありませんよね。」
「じゃあ勝手にしろ。」義父は背を向けた。「思う存分、食え。」
十分後。
「大トロ、やっば。」
「三連続で頼んじゃった。」
「あなたの胃の内容物に興味はないのよ。」
「あんな量のおせちでお腹を満たさなくて、本当に良かった。」
「直美さん…本当に気づいてないのね。」
「なんかお父さんもそんなこと言ってたけど…何なの?」
「木箱のお重があったでしょ。」
「ああ、ネット通販か何かでしょ?」
「あれは、両親の劇場の名店の『おせち』よ。」
「へえ、そこは聞いたことあるわ。」
「全然予約が取れないって、うちの両親が言ってた気がする。」
「毎年、十個しか作らないそうよ。」
「でも確かすごく高いお店だよね。」
「今年の価格は、六十万だって。」
「は?嘘でしょ?」
「あんな地味な見た目で…」
「科学調味料も着色料も使わないから、自然な色合いになるのよ。」
「でも二段じゃん。」
「たくさん重ねればいいってもんじゃないでしょ。」
「本物の職人は、それを知ってるわ。」
「そんな…直美さん、インスタで金持ち自慢するのが生きがいなのよね。」
「別に、そういう意味でアップしてるわけじゃないけど。」
「あのおせちをアップしていれば、フォロワーにマウント取れたのにね。」
「箱残ってるよね?」
「書き集めて綺麗に詰めれば、それっぽくなるかも。」
「もう処分したわよ。」
「嘘。」
「もったいない…」
「あなたが捨てたんでしょ。」
「六十万もすると知ってたら、捨てたりしなかったわ。」
「いくらだろうと、食べ物を粗末にしてはいけないの。」
「育ちがいいと散々自慢してきたけど…あなたのご両親は、教えてくださらなかったの?」
「そうよ。」直美は唇を歪めた。「親が悪いのよ。」
「情けない人ね。」
「大人なんだから、事業自得でしょ。」
「弁償してもらうから、覚悟してなさい。」
「は…無理なんだけど。」
「金額を伏せてた自分たちが悪いんじゃん。」
「知らなかったで済む話じゃないわ。」
「せっかくの寿司が、喉を通らなくなった。」
「それは邪魔したわね。」義母は立ち上がった。「どうぞごゆっくり。」
「もう帰るわ。食べる気がしない。」
「そういえば…その寿司屋、たかりで有名なのよ。」
「はあ?」
「正月に空いてる高級寿司屋なんて、普通はないわよ。」
「確かに変だなとは思ったけど…」
「客が少ないから、一人当たりの単価を釣り上げてるのね。」
「今、会計待ちなんだけど。」
「あら、楽しみだわ。」義母はほほ笑んだ。「いくらかしら?」
十分後、直美の顔色が真っ青に変わった。
「嘘…十五万円。」
「うわあ、すごいわね。まさに高級寿司。」
「お酒も頼んでないし、ほとんど食べてないのに。」
「大トロ三連発で、十万行ったんじゃないの?」
「ありえない…」
「あなたはおいしいって言ってたけど、ネタは外国産の冷凍物ばかりよ。」
「へえ?」
「‘舌が肥える’って、何でも美味しく食べられるって意味だったの?」
「いや、あの…美味しくはなかったけど、食べるものがないから仕方なくっていうか…」
「後出しじゃんけんは、ずるいわよ。」
「ネタが新鮮とか言ってたじゃないのよ。」
「うるさいわね!」直美はテーブルを叩いた。「あんたにマウント取るために、仕方なく嘘ついたのよ!」
「そうだったのね。」
「それはごめんなさい。」義母は冷たく言った。「じゃあ、お会計して…そのままホテルでも行きなさい。」
「はあ?荷物はそっちにあるんですけど!」
「出しておくわ。」
「じゃあ、さようなら。」
「ちょっと待って!」直美は慌てて叫んだ。「支払いはどうすればいいのよ!」
「皿洗いでもしたら?」
数分後、蒼太から義父に電話が入った。
「父さん、ちょっと助けてほしいんだ。」
「もったくり寿司屋の会計のことなら、断る。」
「知ってるなら頼むよ!」蒼太は悲鳴を上げた。「寿司屋で十五万なんて行くと思わないから、手持ちがないんだ!」
「泥棒を助けてやる義理はないな。」
「何の話だよ!」
「お前ら、家中のものを物色しただろ。」
「金庫なら開けてないぞ!暗証番号、分からなかったし!」
「それ以外のものだよ。」義父は淡々と言った。「俺の小銭に貯金が、こっそりなくなってた。」
「親父、認知症になった方がいいぞ。」
「元々なかったものを、俺らのせいにするなんてひどい。」
「なるほど。」義父は鼻で笑った。「そうやって俺たちをボケ扱いして、逃げ切るつもりだったのか。」
「違う!」
「ああ、そんな小銭程度でいいなら…盗んだものは、全部くれてやるよ。」
「否定してるのに、疑うんだな。」
「最低だよ。」
「こっちのセリフだ。」義父の声が冷たく落ちた。「お前の嫁が母さんにどれだけひどいことを言って傷つけたかも分からないようなやつは、俺の息子じゃない。」
「そうかよ。」
「だったら、もう二度と帰らねえよ!」
「何を言うか。お前なんて、二度と会わせないからな。」
「さっき言ったよな?」
「盗んだものは、くれてやるって。」
「そうだ。」
「絶対だぞ。」
「好きにしろ。」
「じゃあ…この分厚い封筒も、もらっていいんだよな?」
「…え?」
義父が手にした封筒を見て、蒼太はにやりと笑った。
「金庫に入ってたぞ。」
「暗証番号が分からないと言ってたじゃないか…一体どうやって開けたんだ?」
「暗証番号のメモを引き出しに入れたのは、自分だろ。」
「見つけたのか。」
「うちの嫁をなめるなよ。」蒼太は封筒を上着の内ポケットにねじ込んだ。「直美がバックの底に隠してたのを、今思い出したんだ。」
「待て。」義父が鋭く言った。「それは、撤開はなしだぞ。」
「金の入った封筒を家に置いておくなんて、無用心すぎるんだよ。」
「脳の検査をした方がいいぜ。」
「お前、親を馬鹿にしやがって。」
「正月明け早々に、受診をお勧めします。」
「じゃあな。」
数分後、今度は直美から義母に電話がかかってきた。
「さっきは皿洗いでも白とか、散々煽ってくれたけど…後悔してない?」
「別に。」
「金庫の中にあった封筒をバックの奥底に隠してたのを、今思い出したの。」
「盗みを自白してるけど、大丈夫?」
「暗証番号も覚えられなくてメモするのが悪いのよ。」
「そうかもしれないわね。」
「そういうわけだから、会計は余裕なの。」
「ここを出たら、もう一件ご飯食べに行ってくるわ。」
「お好きにどうぞ。」
「こんなにため込んでたなんて、卑怯よね。」
「そうね。」
「いかにも貧乏ですって顔してたのにさ。」
「別に溜め込むってほどのものでもないけど、それだけあれば色々使えるから取っておいただけよ。」
「お金ってのは、使わないと回ってこないのよ。」
「こんなにへそくり貯め込んで…何か欲しいものでもあった?」
「別に。」
「まあ、全部もらうから、何にも買えないけど。」
「残念でした。」
「また一からお金貯めてね。」
「うん。」
「何よ?お金って何?」
「この封筒の中身でしょ?」
「マジでボケてんじゃないの。」直美は呆れた声で言った。「もしかして、お正月明けたら病院行ってこようかしら。」
「それじゃあ、会計済ませちゃうから…またね。」
十秒後、直美の絶叫が電話越しに響いた。
「おい、ババア、ふざけんなよ!」
「なんだよ、これ!」
「あら、ご機嫌なななめねえ。」
「封筒の中身が、噛切れじゃねえかよ!」
「そうよ。」
「はあ…知ってたの?」
「確認もせず、お金だと思い込んでたのは自分でしょ。」
「この分厚さの封筒が金庫にあれば、誰だってお金だと思うわ!」
「そう。」義母は静かに言った。「私はチラシを長方形に切って、メモ用紙として保管してただけなんだけどね。」
「だったらなんでわざわざ封をして金庫に入れるのよ!」
「中身が飛び出したら大変だし…入れるところがなかっただけ。」
「騙すなんて、最低!」
「盗むなんて、最低。」
「置いておく方が悪いんでしょ。」
「確かにそうね。」
「盗まれると分かってて置いてたから、私たちの事業自得だわ。」
「はあ…」
「でも、大事なものは全て銀行の貸金庫に預けてあるから、大丈夫だけどね。」
「貧乏人が貸金庫?私も知らなかったんだけど、月千円程度らしいの。」
「あなたも借りて、そのメモ帳でも預けたら?」
「ふざけないで!」
「小銭に貯金とはいえ、お金よ。」
「被害届は出すから。」
「身内を警察に売るの?」
「身内だからこそ、悪いことは悪いと教えてあげないと。」
「証拠もないくせに、どやってんじゃないわよ。」
「あなたたちが金を盗む瞬間、ばっちりカメラに映ってるけど…何それ?」
「最近のカメラって、すごく小さいのよ。」
「お父さんが三個くらい買ってきて、家中に設置してたわ。」
「家族を監視するなんて、あんまりだわ!」
「家族のものを盗むなんて、あんまりだわ。」
「全部ブーメランで返ってくんな!」
「家中の引き出しや戸棚を全部開けてくれたわね。」
「せっかくお掃除したのに、ベタベタ触らないでほしいわ。」
「カメラ三台で、全部映せるわけないでしょ!」
「仕掛けておいた糸が、全部落ちていたけど…何それ?」
「開けられたかどうか分かるように、しておいたの。」
「あなたたちがやったことは、ただの犯罪よ。」
「それはちょっと大げさじゃない?」
「おせちは器物損壊、現金の窃盗。ほら、犯罪でしょ。」
「…分かったわよ。」
「警察にでも何でも言えばいいわ。」直美は投げやりに言った。「親に頼んで、保釈金出してもらうし。」
「寿司はどうするの?」
「親のカード、切るわ。」
「二度と連絡すんな。」
数分後、今度は蒼太から義母に電話がかかってきた。
「お母さん、助けてください。」
「二度と連絡するな、と言ったばかりよね。」
「寿司屋が払えません…十五万、貸してください。」
「親のカードは、止められてましたでしょ。」
「え…」
「お母様の貴金属や、お父様の財布から現金を盗んだんでしょ。」
「なんでそれを…」
「先ほど連絡をくださったのよ。」
「そちらに言ってれば、同じことをするかもしれないって。」
「余計なことを…ハワイに行ったってのも、嘘だったのね。」
「それは…お父様の会社が倒産したのは、知らなかったわ。」
「立て直そうと頑張ってる中、娘の裏切りにあって、随分とショックを受けていらしたわよ。」
「突然貧乏になる親が悪いでしょ!」
「どうしてそんなにお金に困ってるのよ。」
「あなたの息子の給料が安いからに決まってんじゃない?」
「あなたも働けば?」
「なんで私が!私も若い頃はパートをして、家を支えたわ。」
「そんなの、結婚した意味がない。」
「支え合うのが家族だと私は思うけどね。」
「今までは遊ぶお金は実家がくれてたけど、そうはいかなくなったの。」
「生活レベルは落とせないし、物欲はあるし…どうしようもなかったのよ。」
「私は我慢のできないわがまま女ですって、自己紹介してるだけよ。」
「なんだっていいから、早くお金持ってきてよ!」
「助ける義理がないわ。」
「自分の息子も困ってるのに!」
「あんな白痴のは、息子じゃないわね。」
「このままじゃ、やばいのよ!」蒼太の声が裏返った。「なんか突然、黒いスーツの男が三人くらい入ってきて…『姉ちゃん、金払えないのか』って睨んでくるの!」
「やっぱり、あの噂は本当だったのね。」
「何が…なんか知ってんの?」
「ただのぼったくりじゃないって噂があったのよ。」
「裏に怖い人たちがいるらしいって、誰かが言ってたけど…まさか本当だなんてね。」
「飲み屋なら分かるけど、寿司屋でこのパターンありなの?」
「厳しい世の中だからね。」
「そういう人たちも手を変え、品を変え、頑張ってるのかも。」
「感心してる場合じゃないのよ!」
「このままじゃ、変なところで働かされたりするわ!」
「働けばいいじゃない。」
「可愛い嫁が、そんなことになっていいの?」
「うん。可愛い。」
「誰が?」
「なんだかんだで、今まで私のこと許してくれたじゃない。」
「私は自分の親みたいに甘えられたから、気を使わずに言いたいことを言えたのよ。」
「誰も、甘えていいなんて言ってないんだけど。」
「え?」
「あなたの振る舞いや生き方には、腹を立ててたわ。」
「何も言わなかったでしょ。」
「同じ土俵に立ちたくないから、我慢してただけよ。」
「…悪かったわよ。」
「ごめんなさい。」
「これでいい?」
「謝り方も知らないのに、適当な謝罪しなさんな。」
「もういいじゃん!」
「そう思ったから…警察を呼んでおいてあげたわ。」
「最後の優しさよ、受け取って。」
「どこがよ!」
「怖い人たちに連れて行かれるより、マしでしょ。」
「あ、確かに…」
「いや、でも警察は嫌!」
「じゃあ、その人たちと逃げるしかないわね。」
「それは絶対に嫌!」
「あとは、好きな方を選んでちょうだい。」
「私はお父さんとのんびりお正月を過ごすわ。」
「迎えに来てくれないの?」
「行かない。」
「もうお酒飲んじゃったし。」
「小銭に貯金は、プレゼントするわ。」
「あんな一円玉ばかりのじゃ、寿司屋の足しにもならない!」
「その一円を稼ぐこともしないやつが、偉そうに寿司なんか食ってんじゃないわよ。」
「そうだわね。」
「親にあんな口を聞くような子じゃなかった。」
「あんただけのせいにするつもりもないけど、結婚してから変わったのは事実よ。」
「育て方が悪かったんでしょう。」
「私のせいにすんな!」
「かもしれないわね。」
「ただ、監視カメラの映像で、我が子が盗みを働いているのを見る親の気持ちなんて、あんたには分からないでしょうね。」
「分かるわけないじゃん。」
「子供いないし。」
「それだけが、救いね。」
「…六出なしが、子育てなんてしない方がいいもの。」
「は、言いすぎでしょ。」
「本当、最低なめ。」
「あら、ごめん遊ばせ。」義母は軽く笑った。「では、素敵な新年を。」
「え、待って…寿司屋、どうにかしてよ!」
翌日、義父は穏やかな表情でリビングに戻ってきた。
「クルーズ旅行の予約、できたぞ。」
「あら、嬉しい。」
「まずは手始めに、日本語対応してくれる国内発着の船にしてみた。」
「手始めって…どういうこと?」
「今はクルーズ旅行も、手の届く価格なんだよ。」
「そうなの?」
「数千万するかと思ってた。」
「日本をぐるっと回ったって、一人五十万もかからないぞ。」
「えー、じゃあ…」
「だから、一度きりとは言わず、何度か行こう。」
「いいの?嬉しいわ。」
「今まで、働き詰めだったからな。」
「何よ、急に。」
「今後は、自分のために時間や金を使ってくれ。」
「私の嫁みたいに、我儘に育っていいの?」
「あれはあんまりだろう。」
「高級おせちも美味しそうだったけど、私は今まで通り、あなたの好きなものだけを詰めたおせちが食べたいわ。」
「作るのは大変だろう。」
「来年も買えばいい。」
「六十万もするもの食べたら、口が肥えちゃうもの。」
「あれ、実は一万円なんだ。」
「はあ?」
「嫁をビビらせたくて、嘘をついた。」
「すまん。」
「あなたって人は…さあ、クルーズ旅行の準備でもしよう。」
「楽しみ。」
その後、蒼太は会社を解雇になりました。
実家に無断で金を引き出しに来た裏で、会社のお金にまで手を出していた罪が、ずる式に発覚したのです。
直美さんは、ぼったくり寿司屋での十五万円の借金を抱えたまま、離婚して実家に送り返されました。
あんなに自慢していた実家も、実は倒産寸前で、彼女のインスタの更新は止まったようです。
私たちが仕掛けたメモ帳の封筒を盗もうとした現場の映像は、決定的な証拠となりました。
親身になってくれた親戚の方々も、あの動画を見て「あんな奴ら、二度と我が家の敷居をまたがせるな」と。今では私たちの味方になってくれています。
庭にぶちまけられたおせちは、春の店で用意した一万円のダミーでした。
あの子たちは「六十万円の高級品を捨ててしまった」と最後まで震えていたようですが、本当の名店のおせちは、今、私たちの目の前で輝いています。
本物を知らない人たちがいなくなったリビングで、夫と二人、静かに味わうおせちと地酒は、格別です。
ようやく、本当の意味での穏やかな新年が始まりました。
