「高卒の作業員にこの会社の未来は任せられない。今日限りで首だ」と社長が、私の目の前で言い放った瞬間、私は無言で荷物をまとめた。私、篠原美緒、18歳。付き合いもない上司に、「コネで入っただけだろ」と毎日のように罵られても、私は黙って最適化した物流データを提出し続けてきた。それがこの会社の命綱だと分かっていたから。辞め際に私は一言だけ残した。「この会社の物流ルートの最適化は、私の頭の中にしかあり…
社長室の空気が凍りついた。童島勝典が、高卒の作業員に未来は任せられない、今日限りで首だ、と声を張り上げた時、無言で荷物をまとめていた少女は、去り際に一言だけ残した。 この会社の物流ルートの最適化は私の頭の中にしかありません。 童島は鼻で笑った。そんなもの何の役にも立ってないだろうが。数日後、西和ロジスティクスのロビーで額を床に擦りつけた童島の声が響いた。頼む、戻ってきてくれ。 お断りします。 少女は振り返らなかった。童島が見下した相手は、自らの想像をはるかに超えた存在だった。人を踏み台にした者には、必ず同じ重さが返ってくる。童島の因果応報はこの日から始まった。 朝の通勤時間帯、都内のオフィス街を地味なグレーのスーツの男が歩いていた。男の名は黒瀬大輝、58歳。業界大手の物流会社の社長として、従業員8000名、売上3000億円の会社を率いているが、その姿に華やかさはない。国産の安価な時計、無地のネクタイ。すれ違う若いビジネスマンには、この男が業界の頂点だとは想像もできないだろう。 社長室に入ると秘書が歩み寄ってきた。 「社長、本日のご予定でございます。」 「読み上げてくれ。」 「午前は役員会議。午後は新規取引先のご挨拶が3件です。」 「午後は全て開けておけ。篠原吉夫さんの葬儀に行く。」 「篠原様ですね。承知いたしました。ああ、戻りは遅くなる。」 窓の外のビル群を見つめ、黒瀬は胸の奥で呟いた。吉夫さんがいなければ、俺はこの業界で立ち上がれなかった。 午後、斎場の室には煙が天井へとゆっくり登っていった。黒瀬は名刺も役職も告げず、一人の弔問客として列に並んだ。祭壇の前で背筋を伸ばし、弔問客に頭を下げているのは、亡き友の孫娘、篠原美緒、18歳。喪服の袖口がわずかに震えているが、それでも顔を上げ続けている。溢れ出してくる感情を必死で抑えているような表情だった。 葬儀の片付けが進む頃、黒瀬は美緒に歩み寄った。 「吉夫さんからよく話を聞いていた。」 「祖父のご友人でいらっしゃいますか?」 「20代から共に倉庫で働いた仲だ。何度も助けられた。」 「そうでしたか。そういえば祖父はよくその頃の話をしていました。」 一瞬だけ美緒の目が揺れた。懐かしむような、どこか遠くを見るような表情だった。 「他に家族は?」 「いません。祖父だけでした。」 「そうか。」 短い沈黙が落ちる。黒瀬は美緒の言葉をゆっくり受け止めるように、一度だけ深く頷いた。 「困ったことがあれば、いつでも連絡しなさい。」 「お気持ちはありがたく頂戴します。でも、自分のことは自分でやります。」 「吉夫さんにそっくりだな。」 「祖父からよく言われていました。誰かに負けることを恐れるな。昨日の自分に負けることを恐れろ、と。」 「それは吉夫さんの言葉か。」 「はい。私もそう生きていきたいと思っています。」 「ああ、その心がけがあれば大丈夫だ。」 真剣な面持ちで、黒瀬は声のトーンを落とした。 「だけどな、君はまだ若い。何かあったら、いつでも頼ってきてくれ。」 黒瀬は名刺を美緒の小さな手に押し込み、そのまま何も言わず振り返らずに斎場を後にした。最後の出口で一度だけ足を止めたが、最後まで振り返ることはしなかった。ただ、吉夫と同じ目をしたあの娘の顔が、いつまでも頭から離れなかった。 夜が更けた頃、自宅マンションに戻った黒瀬は、暗い部屋の電気もつけずに椅子に座った。半年前、吉夫と最後に会った時のことを思い出していた。久しぶりに飲んだ帰り道、駅のホームで別れ際に吉夫が言ったのだ。 「大輝、お前に頼みたいことがある。」 「珍しいな。なんだ?」 「孫娘がな。春からいよいよ社会人になる。私みたいな老いぼれじゃ、もう何もしてやれん。」 「お前が老いぼれなら、俺は何だ?」 「はは。まあ聞けよ。もし何かあったら、あの子のことを頼む。」 その時は笑って流した。吉夫はまだ元気だったし、「何かあったら」などという言葉を黒瀬は本気で受け取っていなかった。しかし今、その言葉が胸の奥で重くなっていく。吉夫さん、あなたとの約束だ。必ず守る。立ち上がった黒瀬は、夜空を見上げ静かに拳を握った。 都内の湾岸の埋め立て地に広がる総運物流株式会社の本社倉庫。フォークリフトのアラーム音とコンベアベルトの低い唸りが、朝から夜まで絶えない。中央事務所で誰よりも早く出社し、誰よりも正確に伝票を捌く小柄な作業着姿があった。篠原美緒、18歳。高卒で入社してまだ数ヶ月というのに、その動きに無駄は一切ない。 「美緒、お前の積み付け図、また採用されたぞ。」 「ありがとうございます。指示書通りに動きます。」 「18歳にしては謙虚すぎるんだよ、お前は。本社のお偉いさんも褒めてたぞ。」 「いえ、現場の方々のおかげです。」 「そういうとこだよ。その年でそういう気遣いはなかなかできん。IQ200の本気をもっと見せてくれていいんだぞ。」 「いえ、会社の役に立てていれば、それで十分です。」 ベテランの間で美緒のIQ200は公然の事実だった。すでに配送ダイヤルの組み換えで、空車回送を1日数十便削減した実績があった。それだけの成果を出しながら、美緒は一度も自分の手柄を口にしたことがない。現場の人間はそれを嫌味に捉えるどころか、この子は本物だと静かに認めていた。 しかし、新社長の就任によってその空気は一変させられる。本社の大会議室に全社員が集められた。姿を現したのは童島勝典、51歳。オーダーメイドのノーカラースーツ、ブランドのネクタイ、手首には高級腕時計がギラギラと輝いている。壇上に立った童島は、ゆっくりと社員席を見渡した。 「私は結果しか信じない男だ。覚えておけ。感情で飯は食えない。数字だけが真実だ。これからの総運物流は、徹底した効率主義で生まれ変わる。結果を出せないものは、現場も役員も必要ない。」 社員たちの顔が、一人また一人と縮こまっていく。童島はそれを確認するように視線をゆっくり動かした。 「何か意見のあるものは、今のうちに手を挙げろ。」 前列の美緒は表情を変えずに童島を見上げていた。危険な気配を鋭い目つきで静かに察知している。 就任挨拶が終わり、社員たちが散っていく中、童島は人事部長を社長室に呼んだ。 … Read more