あの日、教室の机の上に一枚の案内が置かれた。「感謝状は私が受けます」——毎日通っていたのは私なのに、なぜ?その瞬間、八年間が音を立てて崩れた。月曜の夕方、子供たちが帰った公民館の教室で、PTAの森川マホさんは笑っていた。「毎日ここにいるだけで、代表を取るんですか?すえさんは裏方でしょう」。私は何も言えなかった。口を開けば涙が出そうで。「当日は来ないでください。表彰されるのは一人で十分なので」…
私の名前は西岡住江。六十二歳。学校の近くにある公民館で、平日の放課後教室を八年間続けてきた。PTA主催の感謝会を三日後に控えた夕方、子供たちが帰った教室に、森川マホさんが一枚の案内を机の上に置いた。 「感謝状は私が受けます」 「え、どういうこと?」 マホさんは教室に通う子の母親で、PTA役員でもある。だが、手伝いに来るのは週に一度だけだった。 「週に一度しか来ていないでしょ」 「回数の話ですか?」 マホさんは呆れたように笑った。 「毎日ここにいるだけで、代表を取るんですか? 学校もPTAも、私の方がよく知っています。すえさんは裏方でしょう」 マホさんは感謝会の案内を指で叩いた。 「それと、表彰式当日はすえさんは来ないでください。表彰されるのは一人で十分なので」 私は感謝状のために子供たちと過ごしてきたわけではない。しばらく黙り込み、涙をこらえて案内をマホさんへ返した。 「わかりました」 マホさんは私の顔を見るより先にスマートフォンを開いた。 「すえさんの了承が取れました。感謝状の受け取り人は私、森川マホでお願いします」 送信を終えると、今度は机の上の記録簿を私の方へ押した。 「式で読む教室の紹介文は、すえさんが明日までに作ってください。八年間のことは、私より詳しいでしょうから」 壇上に立つのはマホさんで、その人を紹介する文章を書くのは私だった。 その夜、私は自宅で古い記録簿を開いた。八年前、この教室は数人の子供と地域の大人たちの持ち回りで始まった。平日の放課後、公民館の一室を借り、宿題を見たり本を読んだりして、迎えが来るまで一緒に過ごした。利用する子供が増え、開催が週二日から平日全てになると、担当の穴も増えた。担当者が変わるたび、保護者への連絡や鍵の受け渡しを説明する必要もあった。 「明日は私が入ります」 そう言って穴を埋めているうちに、私は毎日教室へ来るようになった。複数の大人が入る決まりは守られていたが、担当を探し連絡を回し、最後に戸締まりを確認する役だけは、いつも私に残った。教室が休みにならなかったため、誰もその偏りを問題にしなかった。 今回、子供代表として感謝の言葉を読む六年生の男の子も、一年生の頃から通っていた。宿題が分からず鉛筆を握ったまま泣いた日も、友達と喧嘩して靴を履かずに座り込んだ日も覚えている。母親の迎えが遅れた冬の夕方、二人で玄関の曇った窓を何度も覗いたこともあった。 マホさんが手伝いに加わったのは二年前だった。紙で管理していた連絡表を見やすく作り直し、PTAへの配布物を印刷してくれた。 「すえさんは子供を見ていてください。こういう連絡は私の方が早いですから」 その言葉に、私は助けられた。やがてマホさんは、PTA行事の写真では教室の子供たちを呼び集め、自分が中央に立つようになった。教室で転んだ子の手当てをしている間に撮影が終わり、後で届いた写真に私が映っていないこともあった。 「外部との話は私に任せてください」 教室が続くなら、それでいいと思った。だから、推薦の連絡も感謝会の進行確認も、私ではなくマホさんへ届くようになった。 記録簿を見ながら書いた紹介文は、すらすらと書けた。子供たちの人数、保護者の協力、地域の大人が交代で見守ってきたこと。最後に八年間の感謝を添えて、マホさんへ送った。すぐに返信が来た。 「これなら私の紹介にも使います。助かりました」 私はスマートフォンを伏せた。それでも、自分の八年間を自分で書き、それが別の人の名前と一緒に読まれると思うと、胸の奥が空っぽになるようだった。 私はPTAへ、感謝会を欠席すると連絡した。机に置いていた来年度の予定表も閉じた。マホさんの言う通り、毎日いるだけの存在だったのかもしれない。若い保護者が前に立つ方が、子供たちのためになるのかもしれない。年度末で教室を辞めることまで考えた。 翌日の放課後、六年生の男の子が私の前へ来た。 「すえさん、感謝会に来ないの?」 「ええ、少し都合が悪くなったの」 「先生から、マホさんに向けて感謝の言葉を読んでって言われた。でも、僕が書いたのはすえさんのことだよ」 そばで聞いていた子供たちも集まってきた。 「すえさんが来ないなら、誰にありがとうって言うの?」 「僕が泣いた時、ずっと隣にいたのはすえさんだよ」 「来てください。僕たち、すえさんにありがとうを言いたいんだよ」 感謝状を取り返したいとは思わなかった。ただ、八年間の最後から、自分で自分を消したくなかった。 「分かった。みんなの話を聞きに行くね」 その日のうちに、私はPTAへ出席すると伝えた。 三日後、学校の体育館には保護者と子供たちが並んでいた。私は後ろの端の席に座った。進行役が私の書いた紹介文を読み始めた。平日の放課後を八年間、一度も途切れさせなかったこと。宿題だけでなく、喧嘩の仲直りや迎えを待つ時間まで支えてきたこと。聞き覚えのある文章が体育館へ響く中、マホさんが笑顔で壇上へ立った。 前列にいた低学年の子が、隣の子へ小さな声で訪ねた。 「このおばさん、誰?」 別の子が首をかしげた。 「金曜日に来て写真を撮るおばさんじゃない?」 近くの保護者が振り返り、体育館がざわついた。 感謝の言葉を読む番になり、六年生の男の子がマイクの前へ立った。用意した紙を開いたが、マホさんの方を見なかった。 「この手紙は、すえさんに書きました」 会場が静かになった。 「毎日一緒にいてくれたのは、すえさんです。宿題が分からない時も、喧嘩した時も、迎えが遅い時も、最後まで一緒にいてくれました」 男の子は後方の私を見つけた。 「すえさん、八年間ありがとう」 子供たちの視線が一斉にこちらへ向いた。私は立つこともできず、膝の上で両手を握った。自分がしてきたことを、子供たちは見ていた。 … Read more