「旦那が結婚3周年記念のハワイ旅行に、私を置いて母さんと行くって言い出したの。しかも前日の夜になってから。」
夫の元木は、義母が「自分たちだけずるい」と泣いたから、と言った。義母は昔から嘘泣きで人を動かすタイプだ。足の骨を折ったと騙されて仕事を休んで駆けつけたら、ただの捻挫だったこともある。顔が見たかっただけだと笑い飛ばす夫に、私は腹が立っていた。
「親孝行はできるうちにしておくべきだろ。」
「そうかもしれないけど、妻を犠牲にしてまでするものじゃない。」
反対しても、夫は折れなかった。「母さんにとっては最初で最後のハワイかもしれない」と言い張る。仕方なく、部屋は別にすることを条件に、私は一緒に行くことを許可した。
なのに、旅行前日の朝。夫は言った。
「今回は遠慮してほしい。母さんがどうしても2人で行きたいって言うんだ。」
「チケットは?3人分あるんじゃないの?」
「チケットは2枚しか取ってない。最初から2人分しかなかったんだ。3人分取ろうとは思ったんだけど、決済画面であまりの高さに怖気づいた。」
最初から私を行かせる気はなかったんだ。私は怒りを通り越して呆れた。
「あなたと結婚して3年経つけど、そんなに親孝行したい人だとは知らなかったわ。」
「目覚めたんだ。親へ恩を返すということにさ。」
「はいはい、ご立派。でも、その代わり言わせてもらうけど、こんな約束を破る夫とは、ここで永遠にさよならしてもいい?」
「な、なんで?」
「だって、妻との約束を破るから。妻を犠牲にしてまで親孝行するのは違う。この先の長い人生を歩んでいくのは私たち2人なんだよ。」
「でも母さんとの時間は短い。」
「だったら、最初から私を入れないでよ。今更私だけ省くのはおかしいでしょ。」
夫は黙った。私は、もうこれ以上言い争う気はなかった。旅行から帰ったら、きちんと考えよう。そう心に決めた。
翌日。私は義母の家に行った。
「お母さん、ハワイ楽しんできてくださいね。怪我のないよう祈ってます。」
「はあ?何の話よ。」
「とぼけても無駄ですよ。私が引き下がったおかげで行けるんですから、感謝してください。」
「あんた、何言ってるの?年寄りをからかうなんて趣味が悪いわよ。」
義母は本気で知らない顔をしている。まさか、本当に知らない?
「お母さん、本当にハワイのこと、何も知らないんですか?」
「私は家でワイドショーを見てたんだよ。邪魔しないで。」
「じゃあ、元木さんは誰とハワイに行ったんですか?」
「さあね。あんたが知らないなら、私が知るわけないでしょ。」
義母は嘘をついているようには見えなかった。夫は私に「母さんと行く」と言い、義母には何も伝えていない。ならば、夫は誰と行ったのか。私は義母に草むしりを頼まれ、掃除までしてから家を出た。腰が痛い。
「マイク、助けて。腰が痛いの。」
「アロハ。お姉さん、ご無沙汰してます。」
マイクは、私の父の弟子みたいな人だ。日本全国を旅して、木に触れないギリギリのラインで人にストレスを与えるだけのボランティアをしている変人だ。今はハワイにいるらしい。
「夫が義母とハワイに行くって言って、私を置いていったの。でも義母は日本にいる。つまり、夫は嘘をついてる。」
「なるほど。じゃあ、誰と行ったんだ?」
「分からない。だから、マイクに見てきてほしいの。夫が泊まってるホテルを教えるから。」
数時間後、マイクから連絡が来た。
「いてもたってもいられずホテルに行ったら、プールサイドで女といちゃついてたぜ。」
「はあ。分かりきってたことじゃん。数パーセントの希望くらいは持ってたけど。」
「人生はひつまぶしと同じだよ。途中から薬味やお出汁を入れて味を変えるだろ?味変は自分で決められる。レナにとって、今が味変の時なのさ。」
「師匠の言葉?」
「そうだよ。」
「父が娘に言ったことない言葉だわ。」
「僕はひつまぶしのように生きたい。レナもそうしろ。」
翌日、私は夫に電話をかけた。
「ハワイ、どう楽しんでる?もちろんお母さんも大喜びでしょ?」
「ああ、母さんも大喜びだよ。」
「私は昨日、あなたの実家に行ったんだけど。」
「は?」
「お母さんはハワイのことなんて知らなかったし、日本にいたよ。」
「あ、それはね、色々あって…いざとなったら外国行くのが怖いって言い出したんだ。」
「全部、分かってるから。正直に言って。」
「……実は、1人なんだ。」
「嘘ね。1億賭けてもいい。」
「なんでそんなに自信ありげなんだよ。」
「プールサイドで女といちゃつくあなた。私と言った時よりいいホテルに泊まるあなた。ブランド品を買ってあげて満足げなあなた。全部、見たから。」
「まさか、レナもハワイに来てるのか?」
「どこかって?私がどこにいるか、探してみたら?」
「出てこいよ!」
「嫌だね。これは仕返しよ。現地でちょっと仲良くなっただけの女と旅行してる人に、何を言われても響かないわよ。」
「俺のことを信じてくれないんだな。」
「信じない私が悪いみたいに言わないで。信じてもらえない自分が悪いんでしょ。とにかく、帰ってきて話しましょう。」
「今はお互いハワイを楽しめばいいじゃないか。」
「そうね。そうするわ。楽しめるといいわね。」
翌日、マイクからメールが来た。
「レナ、証拠ありがとう。おかげで優位に立てたわ。」
「どういうこと?」
「旦那は、なぜか私もハワイにいると思い込んでるの。だから、その作戦で行こう。」
「何をする気だ?」
「まあ、ちょっとした嫌がらせだよ。義母さんから連絡が来るまで実家で待機してて。そこで全てが分かるはずさ。」
2日後、夫から電話が来た。怒り狂った声だった。
「お前の仕業か?予約してたレストランもアクティビティも全部キャンセルになったんだ!現地の知らない人に早口の英語で怒られたり、警察に5回も通報されたり、もう意味が分からない!」
「何もしてないけど?神様の仕業じゃない?お天道様は見てるってことよ。」
「じゃあ、この不運は誰のせいなんだよ!おまけに、一緒に来た女は現地のイケメンにナンパされて、ついて行っちまったんだぞ。」
「あら、その女の人は、たまたま会った人じゃなかったの?」
「ああ、もういい!そうだよ!浮気してたんだよ!開き直るけど、おねだりされて断れなかったんだ!」
「私たち、約束したよね。毎年ハワイに来れるようにお互い仕事頑張ろうって。子供が生まれたら、その子たちも連れてこようって。」
「そのうちの1回くらい、別にいいだろ。」
「よくないでしょ。私は、あなたの母親なら、って思って今回は折れたの。赤の他人の女のために、お金を貯めてきたわけじゃない。」
「分かった。俺が全部悪い。」
「ハワイにいるんだろう?合流しないか?」
「いないわよ。そんなお金ないし。」
「え?昨日いるって言ってなかった?」
「あなたが勝手に勘違いしただけでしょ。じゃあ、この不運は誰の仕業なんだ?」
「知らない。あり得るとしたら神様じゃない?」
夫は電話を切った。
その後、マイクの指示通り、私は義母に全てを話した。
「お母さん、元木さんは私には『お母さんをハワイに連れて行く』と言いました。でも実際は、別の女を連れて行きました。」
「は?それ本当なの?」
「はい。私の友人がたまたまハワイにいて、証拠もあります。」
「許せない!あんなやつ、ボコボコにしてやる!」
「お母さんの方が怒ってる…。私、何度も『お母さんも一緒にハワイに連れて行ってね』って言ったのに、『いいよ。必ず連れていくよ』って言ってくれたのよ。」
「なのに、嫁でもなく見知らぬ女を連れて行ったって…最低だわ!」
「帰国はいつ?」
「明日には帰ろうかなって言ってましたけど、どうなるか分かりません。」
「あの野郎に伝えて、帰国後すぐにうちに来るようにって。」
「分かりました。でも、1つだけ言っておきます。私はお母さんにハワイ旅行を譲りました。結果的に騙されましたけど、親孝行ならいいと思って、最後は折れたんです。」
「分かってる。あんたはいい嫁よ。」
「…厳しくしてたのは、接し方が分からなかっただけなの。嫌いになってくれたら、その方が楽だと思ってた。」
「え?」
「でも、あんたは私が呼んだら断らないし、悪態つきながらも何だかんだやってくれるし、心の中では感心してたのよ。」
「それは、好きな人のお母さんだから、できることはしようと思ったし、今よりももっと仲良くなれたらって思ってたからです。」
「そうなの?」
「はい。これは本当です。」
「ムカつくことの方が多かったけど、無駄な時間を過ごしちゃったわね。」
「はい。そうですね。」
「よし、今日からはどうしよう?クズ討伐を組みましょう。」
「面白そうですね。」
3日後、夫は帰国した。実家に寄るのを楽しみにしていたのに、義母は水一杯すら出さず、4時間説教をしたらしい。親子の縁を切るとまで言われて、夫はすっかり落ち込んでいた。
「レナ、聞いてくれよ。俺はハワイ行ってから、ずっと不運続きなんだ。部屋のカードキーは毎回エラーになるし、写真撮るたびに謎のアメリカ人が映り込むし、シャワーは水しか出ないし、最後の飛行機では200キロはありそうな男に隣でずっと肩が密着されてた。」
「大変だったね。」
「おまけに、母さんには全部話が行ってるし。なんでだよ。」
「事実しか伝えてないけど。」
「俺がハワイに行ったことの恨みを、延々と言われたんだ。親子の縁は切るって聞かないし。」
「まあ、あなたが悪いよね。」
「は?浮気した自分が悪いんじゃないですか。」
「母さんが傷つくと分かって言ったあなたが悪いでしょ。」
「レナ、もう1回考え直してくれないか?」
「何を?」
「俺たち、ハワイの直前まで愛し合ってたわけじゃん。」
「そのつもりではあったけど、裏切ったのはそっちでしょ。」
「出来心だったんだ。愛してるのはレナだけなんだ。」
「でも、もうすぐパパになるんだし、責任は取らないといけないんじゃないの?」
「は?どういうこと?まさか、妊娠したの?」
「うん。」
「マジか!やった!俺、いいパパになるから頑張って!」
「いやいや、一緒に頑張ろうよ。私は産まないけど。」
「は?妊娠してるのは誰なんだ?」
「ミクちゃん。」
「え?嘘だろ?!」
「本当だよ。」
「なんでお前が知ってるんだよ!」
「ミクちゃんが帰国した後、探偵さんに付けてもらってたの。そしたら産婦人科に行ってたのよ。母子手帳ももらってたから、もう6週は超えてるはずよ。」
「いや、俺の子じゃない!多分、ハワイで会ったケビンってやつの子だ!」
「出会ってから10日しか経ってないわよ。妊娠が分かるのはもっと早いの。」
「既婚者に手を出すような女だぞ!俺以外にも男がいるに決まってる!」
「じゃあ、DNA鑑定でもしたら?6週目以降なら、母体の血液検査で分かるらしいよ。」
「そうなのか…分かった。そうしよう。それで俺の子じゃなかったら、考え直してくれるよな?」
「いいよ。」
2週間後、結果は「俺の子だった」。
「レナ、どうしたらいいんだ?」
「責任取るしかないでしょ。」
「レナとはもう一緒にやっていけないってこと?」
「妊娠どうのこうのの前に、浮気した時点でアウトだけどね。」
「母さんも、あれからずっと怒ってて電話も出てくれないし、この間家を尋ねたら2階から水をぶっかけられたんだ。」
「息子大好き、嫁大嫌いだったのに、逆転したね。」
「は?私とお母さん、あれから意気投合して、しょっちゅう飲みに行ってるのよ。共通の敵がいるだけで、結構盛り上がるんだよね。」
「いやいや、おかしいだろ!」
「離婚届け、会社に届いたでしょ?早くサインしてよ。調停とか裁判とかやりたくないよね。」
結局、夫は離婚に同意せざるを得なかった。慰謝料は、私の旅行代金を使い込んだことも含めて500万円。ミクとの間には養育費だけを払う関係になった。夫は、外国人だらけの薄壁のアパートで、眠れない毎日を送っているらしい。ミクにも慰謝料を請求して、200万円を一括で支払わせた。
1週間後、マイクから連絡が来た。
「レナ、聞いてくれよ。最高だぜ。ミクがケビンに捨てられたらしいんだけど、それだけじゃなくて、ケビンからもらったブランド品が全部偽物で、税関で没収されたんだって。しかも、自分が持ってた本物のバッグまで没収されてやんの。」
「あら、そう。」
「おまけに、帰りの飛行機で100キロ超えのおばさんが隣に座ったらしくて、肩がびしょびしょだったって。」
「楽しそうだね。」
「最高だね。その上、レナの言う通り、案の定よりを戻したいとか言ってきたから、断ってやったぜ。」
「もっと喜ばせてあげようか?」
「おお!」
「ミクちゃんの家に、内容証明を送っておいたわ。」
「ナイス!」
「あんたも、払うのよ。」
「うっ、そうだった…。」
夫はミクに慰謝料を請求され、養育費と慰謝料の二重払いで、手元に残るお金はほぼゼロ。安アパートで、知らない言語に囲まれながら生活している。そして、唯一の肉親だった母親からも絶縁され、完全に孤立した。
私は今も、義母と月に数回、食事や飲みに行く仲だ。マイクは相変わらず漁師の修行をしているらしい。毎年ハワイに行く約束は消えたけれど、いつかまた、自分のためにあの海を見に行くつもりだ。お天道様に恥じないように、生きていきます。



