「どうしてこんなことするのよ。式もドレスもケーキも、全部めちゃくちゃじゃない」
私はドレスのクリームを必死に拭きながら、声を震わせた。
「怒ってるのは分かるけど、しょうがないだろ。あれはわざとじゃないって」
夫になるはずの鉄平が、困った顔で言い訳をする。
「わざとじゃないって、私にはどうしてもそうは思えない。人の結婚式でケーキに体をぶつけるなんて、普通ありえないわ」
「前から抜けてるところがあるんだよ。それにすぐ謝ってただろ。許してやれよ。心狭いな。早く式に戻ろうぜ」
私は彼の言葉に絶句した。心が狭い? 私が? 式をぶち壊したのはあの女――ま衣さんの方なのに。
「どうしてあの人の味方をするのよ。あなたの招待客でしょ。ちゃんと責任取るべきなんじゃないの」
「前も反省してるって。あんなに謝ってたじゃないか」
「ヘラヘラ笑いながら謝るような人が、反省なんてしてるわけないでしょ」
「もう済んだことは仕方ない。早く披露宴会場に戻ってこい。お前がいなくなって、会場が冷めちゃってるんだ」
私だって式を台無しにしたくてここにいるわけじゃない。ドレスにクリームがついたから、それを落としているだけだ。それなのに、全部私が悪いみたいな言い方をされる。
「分かったわよ。戻ればいいんでしょ」
そう言って私は会場に向かおうとした。しかし、どうしても気になることがあった。
「ねえ、前。あなたとま衣さん、本当にただの友達なの?」
「大学の後輩で仲良くしてたって言っただろ。何でそんな疑うようなこと言うんだよ」
「疑われるような態度を取るからよ」
「大事な式なんだ。ちゃんとやろうぜ」
「そうしたいのは私だって同じよ。……その前に、ま衣さんの連絡先を教えて」
「はあ? 何でだよ。あいつをこれ以上責めるなよ」
「いいから、早く」
「……分かったよ」
その日の夜、私はま衣さんに電話をかけた。
「お久しぶりです。鉄平の婚約者の順子です。連絡先は夫から聞きました。ま衣さん、どうしてあんなことをしたのか、理由を聞かせてください」
「何が? 単なるミスよ。理由も何もないわ」
「あれがミスだとは、どうしても思えません。あなた、わざと私の方にケーキを倒したでしょう」
「そんなことするわけないでしょ。濡れ衣よ」
「あなたが私のことをずっと睨んでるの、気づいてましたよ」
「……私、そんな目してた?」
「自覚はなかったんですね。もしかして、鉄平のことが好きだったんですか?」
「何それ。上から目線でムカつくわね」
「あなたの行動はそうとしか思えないんですけど」
「黙りなさい! 私がどれだけ辛い思いをしたか分かる? あんたのせいで、幸せを奪われたんだから」
その言葉に、私は凍りついた。
「……どういうことですか?」
「私もずっと鉄平と付き合ってたのよ。それなのに、ある時急に別れ話を切り出された。理由を聞いたら『順子と結婚するから』って言われたわ。それで、ずっと二股をかけられてたって知らされたの」
「そ、そんな……」
「本当に決まってるでしょ。それで私が仕返しとしてケーキを倒したのよ。それくらいする権利はあるでしょう」
「待ってください。だったら恨むなら鉄平じゃないですか? 悪いのは鉄平の方でしょ」
「最初はそう思ったわよ。でも次第に、あんたさえいなければ私も幸せになれたんだって思うようになったの。そう思ったら、どんどんあんたへの憎しみが湧いてきたのよ」
「そんなの、おかしいですよ」
「あんたにそんなこと言われる筋合いはないわ。それにね、ケーキを倒す提案をしてきたのは、鉄平の方よ」
「――嘘でしょ?」
「本当よ。写真撮影の時に倒したら面白いんじゃないかって、彼の方から言ってきたの」
「どうして、そんなことを……」
「鉄平があんたのこと、好きじゃないってことよ。どうせ、子供ができたとかそういう理由で脅して結婚してもらったんでしょ? 鉄平は真面目だから、断れなかったのよ。でも本心では、私と一緒になりたかったんだと思うわ」
「そんなことあるわけないでしょ!」
「どうしてそう言い切れるの? 鉄平は大手食品メーカーの営業部に務めるエリートよ。そんな鉄平を逃したら、あんたはもう二度といい男と結婚できなさそうだもんね」
私はその言葉で、完全に心が冷めていくのを感じた。この女に何を言っても無駄だ。反省なんて、これっぽっちもしていない。
「……分かりました。あなたの口を見る限り、反省する気は全くないってことでいいですね?」
「当たり前でしょ。悪いのは全部あんたなんだから。これくらいで済んで、良かったなって思ってほしいわ」
「そうですか。では、今回の件は鉄平と話して、対応を決めたいと思います」
「そんなことより、さっさと式に戻りなさいよ。なんなら、このまま中止でもいいけどね」
「人の式を台無しにしておいて、よくそんなことが言えますね」
「先にあんたが私の幸せをぶち壊したのよ。仕返しくらい、する権利があるでしょ」
――その後の鉄平との電話で、私は全てを知った。
「順子、子供みたいなことするなよ。勝手に帰るなんてひどいじゃないか」
「あんたの顔を見たくないからでしょ」
「何をそんなに怒ってるんだよ。ケーキが倒れたのはアクシデントだって言ってるだろ」
「嘘ばっかりついて。ま衣さんと連絡して、全部聞いたわ。あれはあなたが指示したことだったのね」
「……ま-衣がそう言ったのか」
「そうよ。どうしてこんなことをしたの?」
「悪かったよ。ちょっとした演出だったんだ」
「演出?」
「どこかで式の盛り上がりポイントを作る必要があると思ったんだ。アクシデントってのは、そういう意味では大事だろ。みんなの記憶に残る式になるしさ」
「ふざけないで! 私の結婚式がどれだけ大事なものか分かってるの? あなた、食品メーカーに務めてるんじゃないの?」
「食品ってのは、いろんな使い方ができるんだよ。食べるだけが全てじゃない。いろんな有効活用方法があるんだ」
「信じられない。……そうやってま衣さんにも説明したの?」
「さあ? 覚えてねえな」
「そもそも、どうしてま衣さんを私の式に呼んだのよ。あなた、ま衣さんと二股をかけてたんでしょ。ま衣さんが話してくれたわ」
「……あいつ、そのことは言わない約束だったのに」
「どうしてこんなことをしたのか、ちゃんと説明して」
「あいつがどうしても来たいって言うから、呼んだんだ」
「それで私の式をめちゃくちゃにして……私に何か恨みでもあるの?」
「違う! それは断じて違う! 俺は心からお前のことを大切に思ってる。だから順子と結婚したいと思ったんだ」
「まさか、それで私の気持ちが伝わると思ってるの?」
「実際に結婚が決まったら、すぐにあいつとは切った。それだけお前のことを大事に思ってるからだよ」
「馬鹿にしないで。そんなに大切なら、どうして二股なんかかけたのよ。最初から私のことなんて、大して好きじゃなかったんでしょ」
「違うんだ。あいつは本当にしつこかったんだ。ちょっと病んでるところもあって、断ったら何をされるか怖かったんだよ。だから、とりあえず相手をしてただけで……」
「そんなの、言い訳にもなってないわ」
「俺があいつのことなんて何とも思ってないって、分かってほしい。俺はただお前と幸せになりたいだけなんだ」
「あんな指示を出しておいて、信じられるわけないでしょ。ついでに言うと、もうすぐあんたのところに、ある人が怒って連絡するわよ」
「どういうことだ?」
「あんた、式で見覚えのある老齢の男性に気づかなかった?」
「え? ……もしかして、お前のご両親か?」
「いいえ。このことはまだ両親には話してないわ。でも、いずれちゃんと説明するつもりだけど……怒ってるのは、あんたの浮気のことじゃなくて、ケーキに関してよ」
「ケーキ? なんだそりゃ」
「あのケーキ、実は特注品なのよ。私が高校生の時からお世話になってるパティシエの盾野さんが作ってくれたもの。今回のことは、全て盾野さんに報告したから」
「はあ? お前、そんな人とどうして知り合いなんだよ」
「高校と大学の時に、そこでバイトしてたの。すごくよくしてもらって、私が両親以外で一番尊敬してる人よ。結婚の報告をしたら、すごく喜んでくれて、ケーキを作ってくれるって申し出てくれたの」
「……ふざけるな。なんでそんなこと言わなかったんだ? パティスリー・クラフトって言えば超有名店だぞ。そんなところで働いてたなんて、俺は聞いてない」
「軽くは話したわよ。『パティスリーで働いてました』ってね。そこで教えてもらった焼き菓子を作って、あなたに食べてもらったこともあったわ。でも、あなたが大して詳しく聞いてこなかったのが良くなかったんじゃない? あと、私が働いてた時は今ほどの人気店って感じじゃなかったから、わざわざ話すこともなかっただけよ」
「……バカかよ。うちは今、盾野さんと仕事をしようとしてる最中なんだぞ!」
「そうだったのね。だから盾野さんは、あなたのことを知ってる感じだったのね。式の冒頭で勤務先の会社も紹介されてたから」
「盾野さんは本当に怒ってるのか?」
「ええ、とっても。今すぐにでも連絡を取って、謝った方がいいわよ。変に言い訳するより、素直に謝った方がいいと思うけど」
「……分かった。連絡先を教えてくれ」
その後、鉄平は盾野さんに電話をしたが、結果は言うまでもなかった。
「盾野様、この度は私の式にご参列いただきありがとうございます。順子の夫になる山田鉄平と申します」
「何の用ですか?」
「どうしても今回の件を謝罪させていただきたくて」
「そうですか。では、さっさと終わらせてください。……ただ、それでこちらの気が済むことはないんですよ。私は今回の式のために、あのケーキを作りました。そこに込めたのは、お世話になった順子さんへのお祝いの気持ちです。でも、あなたはそれをぶち壊した。そんなことをする人間を、私は許す気持ちにはなれません」
「本当に申し訳ありませんでした! そちらの会社ともお仕事をさせていただくつもりでしたが、白紙とさせていただきたいと思います」
「ちょっと待ってください! 盾野様が監修されたスイーツを販売することは、我が社の長年の夢でもあったんです。ようやくここまで話を進められたのに……」
「それはあなたたち側の考えですよね。こちらは白紙に戻すだけなので、何も問題はありません。他の企業からお話があれば、そちらをお受けするだけです。実際、他にもお話はいただいてましたから」
「盾野様が作られたケーキだと知っていたら、こんなことは絶対にしませんでした!」
「それを聞いて、私が納得するとでも? パティシエとして、私は全てのお菓子に心からの敬意を持っています。どれも多くの苦労や試作の果てに完成したものだと思っていますから。それをぶち壊す人間を、私は信用することはできません」
「ですが、私はあのケーキの製作には関わってないんです!」
「それが何ですか? あなたはあの会社の人ですよね。そんな人間を雇うような会社は、信用できませんよ」
「……本当に白紙にされるんですか?」
「当たり前です。式にはそちらの上司の方は来られていなかったので、電話で伝えさせてもらいます」
「いや、待ってください! 私なりに責任を取りますので!」
「責任の取り方は、きっと会社の方が教えてくれますよ。それに従ってもらえればいいですから。……それと、順子さんはとても真面目で気立てのいい子です。本当に彼女にはお世話になったと思っています。だからこそ、あの子には幸せになってもらいたい。できれば、このまま彼女の前から消えてもらいたい。これ以上、彼女の周りをうろつかないでください」
――数日後、私はま衣さんに直接会って話をつけることにした。
「ま衣さん、今時間ある?」
「何よ。あんたのせいで、こっちは大変なんだから」
「どういうこと?」
「鉄平から連絡があって、すごく怒られたのよ。そのせいで、今は連絡も取れなくなってる」
「そう。……まあ、いいわ。それよりも話したいことがあるの」
「何よ」
「あなたのせいで私の式が台無しにされたことは、もう分かってる。ケーキはめちゃくちゃ、ドレスは汚されて、人生で一度の舞台を最悪なものにされた。そこに、あなたの『言い分』なんて聞くつもりはないわ。もしあるなら、私じゃなくて弁護士に言ってちょうだい」
「弁護士?」
「ええ。あなたに、ケーキのお金とドレスのクリーニング代を請求させてもらうわ」
「はあ? 何言ってるの? あのケーキはあんたの知り合いが作ったんでしょ? なのに、私からお金を取るなんてありえないでしょ!」
「そこら辺の事情は聞いてたのね。じゃあ補足してあげる。ケーキのお金は、きっちりと盾野さんに支払ってあるわ。盾野さんは『気持ちだから』って最初は辞退したけど、私は盾野さんのプロとしての仕事ぶりを尊敬してたから、プロとしてお願いしたかったの。だから絶対に払うって伝えたのよ。……合わせて三十万くらいになるわ。きっちり払ってもらうから」
「三十万も私が払うの?!」
「あなたがやったことなんだから、当然でしょ」
「でも、私は鉄平の指示でやっただけなのよ!」
「そこら辺はちゃんと弁護士と話し合ってもらうわ。私としては、どっちに払ってもらっても構わないから。もちろん、それだけじゃなく慰謝料も請求するからね」
「慰謝料まで?!」
「私の人生を台無しにしたんだから、その罰はしっかり受けてもらうわ」
「じゃあ、私だって慰謝料を請求するわ! あんたが鉄平を私から奪ったんだから!」
「だったら弁護士に頼んで、訴状でも何でも作ってもらいなさいよ。でも、あんたのめちゃくちゃな言い分が通るほど、世の中は甘くないから」
――一週間後、鉄平から着信が入った。
「順子、頼むから話だけさせてくれ。俺は今、最低な状況なんだ。今の俺にはもう順子しかいないんだ」
「……そう。それじゃあ、話し合いをしましょうか」
「本当か! それじゃあうちに帰ってきてくれ。そこでゆっくり話そう」
「いやよ。このままLINEで進めましょう。帰るつもりはないわ」
「そんなこと言うなよ」
「話すことっていうのは、あんたとの婚約解消についてよ」
「婚約解消?! ちょっと待ってくれ! あの件は本当に悪かったと思ってる! もうま衣とは何の関係もない! だから、婚約解消なんてやめてくれ!」
「そんなことで私が許すわけないでしょ。あなたはずっと私を裏切り続けてたのよ。よくもまあ、平気な顔して結婚しようって言えたわね」
「違うんだ! 俺はあいつとは遊びだったんだ!」
「そんな女を私の式に呼んで、ぶち壊させたのよ。一体何を考えてるの?」
「それには理由があるんだ。あいつ、別れることになったのが納得いかなくて、すごく不満を溜めてたんだよ。何かやばいことが起こる可能性があった。それで、式でちょっと仕返しをさせれば、それがガス抜きになって、お前に危害が及ぶような事態を避けられると思ったんだ。俺はあくまで、お前を守るためにやったんだ!」
「ふざけないでよ! 確かに私は怪我はしてないわ。でも、私の心には治らないくらいの深い傷が残ってるのよ。それも、ま衣さんだけじゃなく、あんたからもつけられた傷なの。私からしたら、あんたもま衣さんと同じ加害者よ」
「そんなこと言わないでくれ! お前のためなら何でもするつもりだ! 心の傷なら、俺と一緒に治していこう。それがお互いにとって一番いいことだ」
「黙りなさい! あんたの言うことなんて、もう聞けないわ。あんたには今回の件で慰謝料を請求させてもらうから。反省する気持ちがあるなら、しっかりと払いなさいよ」
「俺はお前を心の底から愛してるんだ! だから、今回のことは許してくれ!」
「無理よ。あんたも知ってるでしょ。私って、とっても心の狭い人間なのよ」
――それから一週間後、私は盾野さんの店を訪ねた。
「盾野さん、今回は色々とご迷惑をおかけしました。なんとか、鉄平との関係にも区切りがつきそうです」
「そうか。色々と大変だったね。……気持ちが落ち着いたら、うちの店に来るといい。うちのミルクレープが好きだっただろ? 好きなだけ食べていいよ。スイーツを食べてる時は、嫌なことも忘れられるからね」
「ありがとうございます。ぜひ、よろしくお願いします」
「もちろんさ。いつでも待ってるから」
その後、私は鉄平と正式に婚約を解消した。鉄平は私への慰謝料を支払うことになり、さらに会社との取引を白紙にされた責任を取って、窓際部署へと左遷されたらしい。会社でも白い目で見られるようになり、ストレスを抱えた鉄平は、色々な女性と遊ぶようになってしまったようだ。
ただ、その遊んでいる姿を、ストーカー気味に尾行していたま衣さんに見られてしまい、襲われてしまったらしい。もみ合いになった結果、鉄平は足を折って入院をすることになったと聞いている。ちなみに、その騒動でま衣さんは警察に逮捕され、接近禁止命令も出されたことで、二度と鉄平に会えなくなってしまったようだ。
一方の私は、また一人身の生活に戻った。両親には気を使われているけど、私は結婚する前に別れられて良かったと思っている。もちろん傷はまだ癒えないけれど、そんな時は盾野さんの作ったケーキやお菓子を食べて、心を回復させている。また時間ができたら、盾野さんに美味しい焼き菓子の作り方を教えてもらいたいなと思っている。



