「楓さん、結婚式の招待状がまだ届いていないわよ。何をモタモタしているの?」
「すみません、印刷所が立て込んでいて明後日には届きます。」
「言い訳はいいの。嫁なら黙ってやりなさい。あと、式場から追加オプションの請求が来たから、80万円あなたのカードで決済しておいて。」
「80万円ですか? 前回の270万円と合わせると350万円になりますが……」
「文句あるの? 娘の一生に一度の晴れ舞台よ。嫁がこのくらい負担するのは当然でしょう。」
「あの、お母様、以前お返しするとおっしゃっていましたよね?」
「へりくだらないの?」
「へりくだるのではなく、お母様ご自身のお言葉です。とりあえず手配はしておきます。」
「全く、一言多いわね。でも安心しなさい。おばさんに会場のことを聞かれたから、全部私が手配したって伝えておいたわ。あなたの名前は出さないから。」
「私が手配しているのに、なぜ名前を隠すのですか?」
「嫁が裏方をやるのは当然のことよ。それで自慢するなんて恥でしかないわ。あなたが恥をかかないように配慮してるのよ。結婚式の表に出るのは中村家の人間。あなたは中村の嫁ってだけなんだから、出しゃばらないでちょうだい。」
1時間後、楓は親友のリンに打ち明けた。
「また追加で80万振り込めって言われたの。」
「は? 合計いくらよ?」
「350万。」
「あんたの貯金ほぼ全部じゃん。なんで黙って出すのよ?」
「結婚式の相場が分からなくて。お母様に式場から追加請求が来たって言われたら、そういうものなのかなって思って。それに、今断ったら3年間やってきたことが全部無駄になる気がして。」
「3年間やってきたことって何よ?」
「お母様に認めてもらうためにいろいろ頑張ったの。式の準備を完璧にやれば『いい嫁ね』って言ってもらえるかもしれないって。」
「完全に足元見られてるよ。それはあんたの一生に一度の貯金でしょ。……そもそも80万円、本当に式場に払ってるの?」
「え? どういう意味?」
「私、ウェディングプランナー7年やってんのよ。あの規模の式で追加80万は不自然すぎる。ちょっと調べさせて。」
「うん、お願い。」
翌日、義母からさらに追い打ちをかけられた。
「当日のことなんだけど、あなたは式と披露宴には出なくていいから、裏方だけお願いね。」
「出席できないのですか?」
「親族席はもう人数いっぱいだし、あなたが座るところないのよ。」
「私も親族ですが……」
「弟の嫁でしょ。血のつながりがないじゃない。あと、当日は裏口から入ってね。正面玄関はゲスト用だから。」
「裏口って……不満なの?」
「中村家の式に関わらせてあげてるんだから感謝してよ。」
「関わらせる? お金まで出させているのにですか?」
「出すのが普通よ。……あーごめんなさい、立替えね。返すから。そもそも楓さんがいると新郎のご家族に変な印象を与えちゃうのよね。うちは裕福な家って説明してるから、楓さんの雰囲気だとちょっとね。傷つけるつもりはないのよ、事実を言ってるだけ。私の式だし、文句は言わないわよね。高が嫁のくせに。」
数日後、リンから連絡が来た。
「楓、まりさんから連絡来た。当日は裏口から入っても、披露宴にも出なくていいってさ。」
「裕福な家って説明してるから、私がいると印象が悪くなるそうだよ。」
「何よそれ。意味わかんなさすぎでしょ。……ていうか、もう我慢しなくて良くない? こっちも調査結果が出たとこだし。」
「調査って、あの80万円の件だよね?」
「そう。あれね、式場に直接確認したら、追加オプションなんて入ってなかったのよ。式場への支払い総額は270万円。残りの80万円は別の口座に消えてるってわけ。つまり、お母さんが80万抜いてるってこと。」
「そんな……」
「請求書の内訳を見れば分かるわ。でもあなたはもらってないんでしょ。それ、完全に黒だから。……それにもっとやばいことが2つあるの。」
「まだあるの?」
「1つ目。昨日、あんたのおばさんから私に直接電話があったの。『楓さんが病気で式を欠席するって聞いたけど、大丈夫?』って。あんた、そんな連絡受けてた?」
「全然。ていうか元気だし。」
「やっぱりね。お母さんが親族全員に、楓は病気で欠席するって一斉連絡してたみたいなの。おばさん経由で他の親族にも裏取りしたわ。間違いない。」
「私は一言も聞いてないよ、そんな話。」
「当然よ。あんたを参加させないためなんだから。……2つ目。あんたに伝えた開式時間、14時でしょ?」
「うん。」
「本当は11時よ。」
「何それ? 3時間も違うなんて。」
「リン、つまりこういうことだよ。親族には『嫁は病気で欠席』と伝える。あんたには3時間遅い時間を教える。11時に遅刻だと怒りのLINEを送って、慌てて来た楓に片付けだけやらせる。式にも披露宴にも出させない。350万払わせて、手柄は全部自分。嫁は裏口から入って裏方だけさせて、しんどいところだけ押し付ける。」
「そこまでするんだ……」
「ふざけんなよ。3年間だよ。認めてもらいたくて、何を言われても笑って耐えてきた。義理のお母さんが私のお母さんにもなるんだって嬉しかったんだよ。結婚式の準備だって、家族の晴れ舞台だから喜んで引き受けたのに。350万は家族のためだと思って、立て替えだと思って出したの。お金が惜しかったことは一度もなかった。……なのに、全部自分の手柄にした。嘘をついて私をのけ者にして。私がいたことをなかったことにするなんて。3年間の全部をなかったことにされるのは許せない。」
「あんたは優しすぎなのよ。もう、いつか認めてもらえるなんて思わない方がいい。」
「うん。……この式の契約、全部私なの。お母様は文句だけ言って、全部私にやらせてたから。会場も料理もドレスも引き出物も、全部私名義で私のカード。なら、この式に対する全ての決定権は私にあるってことね。」
「そういうこと。……楓、力を貸して。私はどうしたらいい?」
「待ってたわ。任せて。いろいろシナリオ考えたから。」
「え、もう?」
「ウェディングプランナー7年よ。式のことなら全部わかってる。」
「頼もしすぎるんだけど。……それで、1つ確認したいんだけど。招待状の発送もあんたがやってたなら、親族全員の連絡先持ってるよね?」
「うん。準備を全部押し付けられたから、連絡先も全部私が管理してる。」
「完璧。じゃあ作戦を伝えるわ。……でも最終確認。これをやったら、義母と義理の家族との関係はほぼ終わりになる。それでいいのね?」
「うん、いいの。……夫にもね、今LINEで伝えたの。」
「そうなの?」
「『楓が決めたことを応援する。母さんのしたことは間違ってる』って。『もっと夫婦でちゃんと話し合えばよかった。私も反省すべきところはある』とも言ってくれた。」
「よかったじゃない。じゃあ計画実行ね。」
式当日。
「楓さん、どこにいるの? もうすぐ式が始まるわよ。11時に開始なのよ。」
「お母様、14時と教えていただきましたが。」
「そんなこと言ってないわよ。とにかく来なさい。親族全員来てるのに、嫁が遅刻とはふざけるな。今すぐ式場に来なさい。じゃないと離婚させる。」
「私を含め、もう全員揃っていますが。」
「え?」
「式場を確認してみてください。そこに現実がありますから。」
10分後、式場の入り口で義母と対面した。
「どうなってるの?! なんで中村家の席に誰もいないのよ!」
「中村家の親族の皆さんは、今朝から私と一緒にいますよ。」
「何ですって?」
「式場の近くのカフェにいます。朝から親族全員に、全てお話ししました。」
「あんた、何をしたの? 何を言ったの?」
「全部です。式の費用350万円を全て私が立て替えていること。式の手配は全て私がしていたこと。そして、私が病気で欠席するという嘘を流していたこと。」
「あんたなんて勝手なことを!」
「それからもう1つ。追加オプション名目の80万円。式場には支払われていませんよね?」
「な、何のことかしら?」
「お母様の口座に入っていますよね? 支払われていないんですから。夫に確認してもらいました。請求書の内訳と入金記録、証拠は揃っていますよ。」
「……生活費が苦しくて、ちょっと借りただけよ。」
「嫁の立て替え金から80万円を抜くことが『生活が苦しい』で済む話ですか?」
「嫁が悪いのなら、私がこう説明するわ。新郎のご家族に、『嫁が勝手に式の費用を使い込んで結婚式を人質に取っている』ってね。」
「なるほど。……しかし、名義は全て私ですよ。」
「それが何よりの証拠よ。あんたが勝手にやったことだって言える。それどころか、名義人だからって脅されたって言えるわ。親族が何を言おうと、新郎側は母親の私を信じるはずよ。娘の式は何があっても私が守るわ。」
「お母様、1つお忘れです。」
「何よ。」
「契約が私名義ということは、式場に私が連絡すれば全てキャンセルできるということです。会場も料理もドレスも写真も、私が一言言えば全て止まります。」
「ほら、脅しじゃない!」
「脅していません。お母様こそ、新郎側に何をおっしゃっても構いませんよ。契約書もカードの明細も全て残っています。使い込んだのが誰か、数字が証明してくれます。お母様が手配したのは、私への指示だけですよね?」
「あんた……それ……」
「今、新郎のご家族には私の知り合いから全て説明しています。私の親友でウェディングプランナーです。『実家が全額負担する』という説明が事実かどうか、明細書をお見せしながらお話ししているところです。」
その同時刻、別の場所でリンが新郎の家族と話していた。
「初めまして。楓さんの友人でウェディングプランナーの瀬川と申します。」
「何よ、今それどころじゃないんだけど。」
「でしょうね。中村家の親族席は空っぽですし、式は中止寸前ですし。普通なら中止ものですしね。」
「なんでそれを……」
「それより現実的な話をしますね。率直に確認させていただきますが、新郎のご家族に『実家が全額負担する』と説明されたそうですね。」
「それが何? 間違いじゃないでしょ?」
「350万円、楓さんが立て替えています。明細書はこちらにありますが、新郎のご家族はご存知ですか? それは楓さんに返す予定はありますか? ないですよね。では、新郎のご家族にもそうお伝えします。」
「やめてよ! そんなことしたら変に思われるじゃない!」
「もう十分すぎるくらい変なことにはなっていますが。」
「こ、こんなことになるなんて私知らないし。私、被害者じゃん。結婚式の準備も全部押し付けて、文句と要望だけは突きつけて——よく言いますね。……ですが、あなたもある意味被害者かもしれません。こうなったのは、あなたのお母様が原因ですから。」
「え? お母さんが?」
「あなたのお母様が80万円を抜いている件、まりさんはご存知でしたか? 式場への追加オプション名目として楓さんから80万円を受け取っていますよね。でも式場には支払われていませんでした。」
「嘘でしょ? 何それ? 私の結婚式を使ってお金を盗んでたってこと?」
「そうなります。私は本職ですが、あの規模の式で追加80万なんて、業界にいたら一発で不自然だと分かります。まりさんも被害者ですね。……でも、楓さんへの返済義務はなくなりません。まりさんもご自分で立て替えるとおっしゃっていたんですから。」
同じ頃、義母は実の娘と激しく言い争っていた。
「お母さん、80万って何? 楓さんの友達って言うウェディングプランナーに全部聞いた。式場に払ってない80万、お母さんの口座に入ってるって。」
「あれはその……必要経費っていうか……」
「必要なら、なんでお母さんの口座に入ってるのよ。私の結婚式のお金から抜いてたってことでしょ。」
「あんたが何も言わなかったからじゃない! 楓さんに立て替えてもらってるって言ったじゃない。だから返すつもりなんだとばかり……」
「返せるわけないでしょ! 年金と夫の仕送りだけで350万、どうやって返すのよ!」
「最初から返す気なかったってことじゃない。」
「あんたもどうなのよ! 新郎側に実家が全額出すって嘘ついたの、あんたでしょ!」
「それはお母さんが『嫁の立て替え金は家のお金だから、うちが出したことにしていい』って言ったから……」
「さらに、そもそも返すって言ってたの、お母さんでしょ!」
「勝手にそう解釈したんじゃない?」
「勝手に私が悪いって言うの? お母さんのせいで、私の結婚式はめちゃくちゃなんだけど!」
「あんたの式のために、私は嫁を利用してあげたのよ。感謝しなさい!」
「は? 何それ? お母さん、今『利用した』って言った?」
「言ってないわ!」
「言ったよ! じゃあ、やっぱり最初からお金を返す気もなかったってこと? なら結婚式が潰れたの、お母さんのせいじゃん!」
「言葉のあやよ!」
「言葉のあやで済む話じゃない! あんたのために全部やってあげたのに……」
「私のために? ふざけんな! ここまで勝手なことして『私のため』って何なの?!」
「あんたは私の娘でしょ!」
「だから何よ! 娘の式で嫁のお金を横取りするのが普通なの?!」
「横取りじゃない! 家のために使ったのよ!」
「お母さんの生活費が家のためなの? マジで意味わかんない。最低!」
1週間後、義母から楓に電話が来た。
「楓さん……新郎のご家族から、『式の費用を嫁に全額立て替えさせて裕福な家だと偽っていたのか。そんな家に息子はやれない』って……破談になるかもしれないの。お願い、費用のことだけは黙ってて。私も知らなかったの。」
「知らなかった? 立て替えていたのは、お母様も知っていましたよね?」
「それは……でも……」
「分かりました。黙ってもいいですよ。」
「本当に?」
「はい。350万円を返していただけたらの話ですけど。」
「そんなお金ないって知ってるでしょ?」
「お金がないのに結婚式ですか? 元々お母様の娘さんの式ですよね。それなのに1円も出さないって、おかしくないですか?」
「それは……」
「というわけで、式の件については黙りませんよ。黙る義理がありませんから。」
2週間後、義母が再び楓を訪ねてきた。
「楓さん……お願いよ。私の結婚がめちゃくちゃで、親族にも見放されて、もう誰も味方がいないの。あんただけが頼りなのよ。」
「なるほど。確かに、もうお母様が頼れるのは私しかいませんね。……でも、私はお母様を助けられません。だって私は、裏口から入る嫁ですから。とても表立ってお母様を助けるなんて、おこがましいことはできませんよ。」
「それは言いすぎたっていうか……嫁が裏方に回るのは普通のことでしょ。無理やり式の準備をさせたのは謝るわ。」
「お母様、私は別に結婚式の準備を嫌々やったわけじゃないんです。」
「え?」
「まりさんの式を素敵にしたかった。そうすれば、お母様に『いい嫁ね』って言ってもらえると思ったから。350万円だって、惜しいと思ったことは一度もありませんでした。家族の晴れ舞台だと信じてたから。」
「それなのに……」
「お母様は全部を自分の手柄にした。嘘をついて私をないものにして、裏口から入れと言って、80万まで抜いていた。……でも、ここまで来てお母様は本気で謝ってないですよね。」
「それは……」
「謝れないのは、お母様も昔、義理のお姑さんに同じことをされたからでしょ?」
「な、なんでそれを……」
「お葬式や結婚式では裏方しかやらせてもらえなかったと、親戚の方から聞きました。20年間、『気の利かない嫁』と言われてきたと。」
「……そうよ。あの人は私を何もさせてくれなかった。どこに行っても裏方で、誰も私を認めなかった。」
「なのに、なぜ同じことを私にするんですか?」
「自分が耐えたから……嫁も耐えるべきだって、そう思ったのよ。じゃなきゃ、私の我慢は何だったの? 報われたっていいじゃない!」
「それ、お姑さんと全く同じことですよ。お母様も認められなかった嫁だったんですよね。その怒りを私にぶつけて、少しでも楽になりたかった。違いますか?」
「うるさい!」
「私はお母様みたいにはなりません。次の世代に同じ苦しみを渡したりしない。」
「あんたに何が分かるのよ!」
「お母様、私がこうして動いたのは、式を壊したかったからじゃないです。ただ、3年間の全部をなかったことにされたくなかった。私がいたこと、払ったこと、作ったこと。それだけは、事実として残したかった。結果がどうなったかは、お母様自身が招いたことです。」
「あんたが壊したようなものじゃない! そうよ、全部あんたのせいよ!」
「そうですか。では、これはどうでしょうか? ……夫からの伝言があります。『母さん、楓は俺の家族だ。家族を裏口から入れるような場所に、俺も行く気はない』と、そう言っていましたよ。」
「そ、そんな……あの子まで私を……」
「誰もお母様の味方なんてしませんよ。さようなら、お母様。……お母様は、裏口からも入れなくなったんですよ。」
半年後。
「楓ねえ、ちょっといい?」
「何?」
「あんたの結婚式、3年前は失敗だったでしょ。お母さんに口出しされて、ほとんど何もできなかったわ。」
「うん……」
「それでさ、もうすぐ結婚4周年でしょ。結婚式、挙げ直してみたいって。夫も言ってた。」
「2人で話し合ってたんでしょ?」
「バレたか。……けど、勝手に企画するわけにはいかないからさ。旦那さんも悔やんでたよ。ちゃんとした結婚式を挙げさせてあげたかったって。」
「私だって挙げたいわ。挙げられるなら。」
「よし。なら今度こそ、私がプロデュースしてあげる。今度はお母さん抜きで、あんたが本当にやりたかった式を作ろう。」
「いいの?」
「当然でしょ。友達の幸せな式を作るなんて、プランナー冥利に尽きるじゃない。」
「ありがとう、リン。」
「もちろん。今度は正面の入り口から入ってよ。裏口は許さないから。」
「うん、分かってる。もう裏方なんて御免だわ。」
その後、義母の娘の結婚は破談になり、結婚式のキャンセル料は娘側が負担することになった。新郎の家族は「嘘をつく家とは縁を結べない」と完全に見限ったようだ。
義母は親族からの信頼を完全に失い、「結婚に関わるな」と絶縁を突きつけられた。息子からの仕送りも停止され、少ない年金だけの生活で、結婚式費用と80万円の返済に追われているという。かつて「全部私が手配した」と誇っていた結婚式は、語り継がれる失敗談として親族の記憶に残ったそうだ。
一方、楓たち夫婦は義実家と距離を置き、穏やかな生活を取り戻した。今はリンと共に、自分の結婚式の準備を進めている。前回の準備で大抵のことはできるようになったので、むしろ自分のやりたいように素敵な式を準備できて、とても幸せだ。



