ハワイの空港で、彼は私を置き去りにした。手続きに不備があって、私だけ飛行機に乗れないかもしれないと言ったら、彼は「じゃあ俺だけ乗るわ」と言って、一人で帰ってしまった。空港に置いていた車も勝手に使われていた。それから三ヶ月、一度も連絡はなかった。
なのに、突然LINEが来た。
「いい話があるから聞けよ」
三ヶ月間無視しておいて、いきなりそれか。私は怒りを抑えて、要件だけを聞くことにした。
「お前の実家潰してアパート立てたぞ。儲けの一割やるから管理は俺に任せろ」
はあ?何を言っているんだろう。私に実家なんてない。両親は団地のマンション住まいだ。あの人は、私が昔「祖母の家」と言っていた田舎の家のことを言っているらしい。だが、祖母は十年前に亡くなっていて、その家は売却済み。相続も放棄している。今は他人の土地のはずだ。
「いつ、どこを壊したの?」
彼は嬉しそうに教えてくれた。場所の番地、業者の名前、契約書は全部自分の名義だと言う。私はそれを聞いて、ある計画を思い描いた。彼にはそれ以上何も言わずに、電話を切った。
すぐに、私は親友に連絡した。彼女は弁護士で、こういうことに詳しい。
「あのね、うちの元旦那が、他人の土地を勝手に壊してアパートを建てたらしいの」
親友は驚いていた。
「ちょっと待って、その住所、うちの祖母の家じゃない?」
え?私が三年前に相続した土地のはずだ。名義は私のまま。売ってもいないし、誰かが勝手に売れるはずがない。
「多分、ブローカーが偽造書類を用意したんだよ。移転登記も全部偽物で、正規の所有者になりすましたんだと思う」
つまり、私の名義の土地に、私の許可なく建物を立てたってことだ。それは全部犯罪だ。
「完全にアウトだね。詐欺、文書偽造、住居侵入… 数えたらきりがないよ」
親友は、その業者の名前を知っていた。別の仕事でずっと追っていたらしい。あちこちから訴えられている、胡散臭い業者だと言う。
そして、彼女は言った。
「とはいえ、まさかあんたの元旦那がここに手を出すなんてね。何かしでかすとは思ってたけど、さすがに祖母の家だとは読めなかったわ」
私は、あの家にあったものを思い出した。祖母が植えた樹齢八十年の桜の木。毎年、二人で見に行っていた。あの木はまだ立っているだろうか。
親友は静かに首を振った。
「多分、ないと思う。土地を買った時に、一緒に植え替えてたから。敷地は更地になってるでしょうし」
あの桜が消えた。祖母が八十年かけて育てたものが、たった一日で消えた。私はもう、どうしても許せないと思った。
「一緒に戦いましょう」
親友が言ってくれた。私は頷いた。
三日後、彼の元に、私の代理人である弁護士から通知が届いた。内容は、彼が私の祖母から相続した私個人の所有地に、無断で侵入し、家屋を取り壊し、建造物を建設したという事実の通告だった。
彼は電話で喚いた。
「待てよ、話が違う!ブローカーがお前の実家だって言ったんだ!」
弁護士は淡々と返した。
「その契約書は全て偽造です。あなたは詐欺に加担しています」
「俺も騙されたんだよ!俺は被害者だ!」
「あなたは離婚成立から四日後にブローカーと接触し、一ヶ月でローンを組んで着工まで進めています。これは騙された人間の動き方ではありません。所有者が誰か確認しましたか?していないですよね。あなたは他人の土地に無断で侵入し、建物を破壊し、新たに建造した。騙されたかどうかに関わらず、それぞれ刑事罰の対象です」
彼は何か叫んでいたが、もう遅かった。
翌日、彼が直接私に連絡してきた。今度は声が震えていた。
「みさ、頼む。俺が悪かった。このままだと本当に破産するんだよ。せめてローンの半分だけでも… 」
「昨日まで『感謝くらいしろ』って偉そうにしてた人が、今日は泣きついてくるのね。その切り替えの速さだけは、本当にあなたらしいわ」
「そんな言い方しなくてもいいだろう!俺たちの話なんだから!」
「あなたと私の話は、三ヶ月前に終わっているわ」
「なんで俺だけこんな目に遭うんだ!」
「あなたが選んでやったことでしょう」
「そうだ!お前だって怪しいんだぞ!」彼は突然、必死になって私を脅し始めた。「業者名もローンの名義も全部聞き出してきた!無関係な人間がそこまで確認するか!共犯だ!」「あなたが私に自白したのよ」
私は静かに言った。「離婚した直後から、あなたとのやり取りは全部録音して保存してある。詳しく聞いたのは証拠を固めるため。あなたが自分から全部喋ってくれたのよ。今の脅迫、弁護士に転送したわ」
「ま、待ってくれ!」
「もう遅いわ。あなたはいつもそう。自分が追い詰められると、人を脅すことしかできない。ハワイで置き去りにした時も、離婚裁判で嘘をついた時も、全部同じやり方。もうどこにも通じないわよ」
その直後、彼にはさらに追い討ちがかかった。今度は、彼が住んでいるそのアパートの部屋についてだ。
「あなたには土地の権利も入居の許可も一切ありません。明日付けで退去要求書を送ります」
「ちょっと待て!俺の金で建てたんだぞ!」
「家賃の問題ではありません。他人の土地に勝手に立て、勝手に住んでいる。そのまま住み続けられるわけがないでしょう」
さらに、彼が転売しようと画策していたことも暴かれた。知人に土地を売却する相談をしていた。その打ち合わせの音声も押さえられている。パスポートも更新済み。フィリピンへの長期滞在ビザの書類も用意していた。他人の土地を売り飛ばそうとした、詐欺未遂と文書偽造だ。
彼は観念したように言った。
「… いつから俺を監視してたんだよ」
「監視というより、ブローカーを追ってたらあなたもいた。それだけのことです」
一方、義母にも通知が行った。義母が最初に送ってきた「嫁の実家を活用してあげたのに感謝くらいしなさいよね」というLINE。それ自体が、彼が動くことを事前に知っていた証拠だという。
義母は電話で喚き散らした。
「私は関係ないわよ!全部浩司が勝手にやったことで!」
「あなたは、彼の背中を押してあげただけでしたか?ブローカーの紹介も、資金の段取りも、全部ご存知でしたよね」
「だって、あの子がかわいそうで…

」
「それで他人の家を奪えばいいと思ったんですか?」
義母は何か言いかけていたが、最後にこう告げられた。「あなたは共犯として刑事告訴されますよ」
彼の実家でも、激しい言い争いが起きていた。彼と義母が、自分たちのせいだと互いに罵り合った。彼は言った。
「こうなったのは全部母さんのせいだ!あの女から何か取り上げろって、ずっと言い続けたのは母さんだろう!」
「何よそれ!あんたが離婚されたから、かわいそうで動いてあげたのに!」
「かわいそう? 母さんだって自分の借金返したかっただけだろ!アパートの収益で返す気だったんじゃないのか!」
二人の間にあったのは、情ではなく、打算と責任転嫁だった。
二週間後、義母はすっかり孤立していた。近所の輪からも外され、誰も口を聞いてくれない。義母は私を責めた。
「あんた、何かしたんじゃないの!」
「私は何もしてませんよ。ただ、あなたが私のことを『貧乏な家の出』とあちこちに広めていたと知り、たまたまその話が私の母の先輩にまで届いただけです。真実が伝わった結果です」
さらに私は、壊された家にあった桜の木のことを伝えた。
「八十年かけて育てたものが、一日で消えた。お金では絶対に戻らない」
「そんなこと知らなかったわよ!」
「知っていても、知らなくても、結果は変わりませんでしたよ。自分のしたことが、自分に返ってきただけです」
その後、彼は会社を首になった。建設業界の常識として、違法業者と取引した人間は業界から弾かれる。彼は「お前の親父が手を回したんだろ!」と叫んだが、私は否定した。「回してないわ。業界の常識が働いただけ」
「でも俺にはもう何も残ってない!仕事も金も、何もかも!」
「あら、あの彼女さんとも別れたのね。良かったわ」
「なんでそれを… 」
「あなたが離婚後に交わしてた女性がいることは知ってたわ。弁護士が調べてたから。かわいそうだから、その女性にもあなたの素性を教えておいたわ。私みたいな思いをさせたくなかったから」
「お前、俺を見限るのかよ!」
「そうね。見限るわ。でもそれは、あなたが私をハワイの空港に置き去りにしたその瞬間から、もう始まっていたのよ」
「俺の何がそんなに許せなかったんだ!」
「あなたは私を荷物のように扱った。人として見てなかった。それが全てよ」
彼は静かになった。しばらくして、絞り出すように言った。
「… あの桜のことは、すまなかった」
「知らなかっただけでしょ。知ろうとしなかっただけよ。あの桜のことは、絶対に許さない」
私は最後に、弁護士からの伝言を伝えた。
「面会には応じません。アパートの解体費を頑張って稼いでください。あなたが管理したかったんでしょ? 借金の管理、頑張ってね」
その後、彼は自己破産を申請したが、不法行為による損害賠償債務は破産しても免除されない。現状回復費用、およそ四千二百万円。そして、詐欺未遂、文書偽造、住居侵入、脅迫。その刑事罰は、生涯、彼の記録として残り続ける。彼は月収のほとんどを差し押さえられ、今はネットカフェを転々としているらしい。
義母も、調査責任を問われ、年金を差し押さえられた。地域社会からは追放され、ワンルームで「私だけ貧乏くじを引いた」と呟いていると聞いた。
一方、私は今、外資系IT企業の管理職として、新しい人生を歩んでいる。親友は祖母の家を再建し、庭には桜の苗木を植え直した。あの桜が咲くのは、ずっと先のこと。それでも、私たちは約束した。この桜は、二人で守っていこうと。


