「由美子、上からお前を別の部署に異動させるよう命令が来ているぞ。」
「あら、そうなの。総務部に来てもう三年になるのね。本当にあっという間だわ。」
「お前、危機感はないのか?」
「危機感?どういうこと?」
「お前ぐらいのキャリアの人間が、こんなに頻繁に部署を変わるのは異常だぞ。どこに行っても結果を残せていない証拠じゃないか。」
「そんなことないわよ。私なりに頑張って、それなりの結果は残しているつもりよ。実際、会社の売上はずっと右肩上がりじゃない。」
「それは父さんの手腕によるものだ。」
「まあ、それは否定できないかもしれないけどね。」
「父さんは一台の機械からこの会社をここまで大きくした、本当にすごい人だ。俺は心から尊敬している。でも、父さんももう六十八歳で、定年が近づいているんだ。うちは取締役は七十歳で定年って規則で決まっているからな。」
「だからこそ、俺たちがしっかり頑張って、父さんが安心して会社を任せられるようにしないといけないと思うんだ。」
「私もあなたと同じ気持ちよ。父にはゆっくりとした老後を過ごしてほしいわ。」
「そう思うなら、もっと仕事を頑張ってくれよ。」
「私は頑張っているって言っているでしょ。」
「もっと目に見える成果を出してほしいんだよ。」
「確かに数字で見える成果は出せていないかもしれないけど、私は別のところで頑張っているのよ。」
「そんなのはいい訳だよ。お前は社長の娘という立場だから役職につけているんだ。普通なら、お前が出している結果ではとても無理だぞ。」
「随分とひどいことを言うのね。私の仕事ぶりを一度も見たこともないくせに。」
「俺は人事部として社員の評価をしているんだ。その上で、由美子は活躍していないと言っているんだよ。俺にとやかく言われる筋合いはないわ。別に。」
「もし俺が社長になったら、お前を会社には置いておけないぞ。こそ泥みたいな人間は、我が社には必要ないからな。」
「私がこそ泥だと言いたいの?」
「この結果を見たら、そう思わざるを得ないよ。」
「自分の妻に対して、本当に嫌な言い方をするのね。」
「俺は『家族だから』みたいな甘い考えは大嫌いなんだ。」
「あら、そう。だったら、あなたも人のことを言える立場になるように頑張らないとね。」
「俺は人事部長としてしっかり仕事をしている。これから中途採用で入ってくる社員たちの選考もしないといけないんだ。今の会社に必要な人材を見つけるという、大切な仕事をしているんだぞ。」
「そう。それじゃあ、頑張ってね。私は新しい部署に移るための引き継ぎをしないといけないから。」
「頼むから、父さんの顔に泥を塗るようなことだけはしないでくれよ。」
一週間後。
「お父さん、大丈夫?お母さんから連絡があって、風邪を引いたって聞いたの。」
「おお、そうなのか。お前には心配をかけたくないから、黙っていてほしかったんだがな。」
「何言っているのよ。娘なんだから心配する権利はあるでしょ。」
「ちょっと体がだるいだけだよ。熱も三十七度あるかどうかくらいだ。」
「仕事は他の人に任せておけばいいからね。」
「そうさせてもらっているよ。ありがたいことに、優秀な人間が周りにいてくれるからな。」
「みんなお父さんのために働きたいって思っている人たちの集まりだからね。」
「まさか自分がこんな立場になるとはな。ただがむしゃらに仕事をしてきただけなんだが。」
「お父さんはとても優秀な人だと思うわ。ただ頑張るだけじゃなくて、冷静に現状を踏まえて、将来のために行動ができる人よ。私はそんなお父さんを見本にして仕事をしているの。」
「そうか。頑張ってくれよ。お前には期待しているから。俺もなんとか定年までは頑張ろうと思っているよ。」
「私もできるだけ支えるからね。」
「俺がいなくなってからは、お前とかけると力を合わせて会社を支えていくんだぞ。」
「そうね。そうしたいと思っているんだけどね。」
「なんだ、喧嘩でもしたのか。」
「ちょっと仕事のやり方でもめてしまってね。」
「何をもめることがあるんだ?」
「私が頻繁に部署を変わるのが気に入らないみたいなの。結果を残していないからだって、決めつけられちゃって。」
「それは大きな間違いだよ。私がそうするように言っていたんだからな。」
「まあ、そのうち分かってくれると思っているわ。」
「それならいいんだが。もしお前たちの関係が悪くなるようなことがあれば、あのことを伝えてしまっても構わないからな。」
「いや、ちゃんと手順を踏んで報告をするから。」
「そうか。」
「お父さんはそんなことを気にしなくていいのよ。それよりも自分の将来のことをしっかり考えて。社長を退任した後は、何をするかとか計画はあるの?」
「そうだな。母さんと海外旅行にでも行こうかとは話しているんだ。新婚旅行でハワイに行ったきり、一度も行っていないからな。しかも、その時はまだ金がなくて、満足に楽しめたものではなかったと思う。」
「素敵ね。今からどこに行くか、話し合っておかないとね。」
「うん。そうしないとな。でもまずは健康に気をつけて、残りの任期を全うできるように頑張るよ。」
「そうね。頑張ってね。」
三か月後。
「仁田さん、ちょっと話があるんだけど、いいかしら?」
「あれ?坂本さんから連絡なんて珍しいですね。営業部から移動されてからは、一度も連絡なんてなかったのに。」
「そうね。どうかしたんですか?」
「ちょっと信じられない話を聞いたから、連絡したのよ。」
「信じられない話?」
「あなたが、私の夫とかけると交際しているって話よ。」
「ああ、そのことですか。」
「あなたがそう言ったのは事実よね。あなたから話を聞いたって、後輩から聞いたから。」
「なんで言っちゃうんでしょうね。」
「どういうつもりでこんなことを言っているのか分からないけど、社内の風紀を乱すようなことを言うのはやめてほしいわ。これから我が社は大事な転換期を迎えるのよ。そんな時に変なことで揉め事を起こしたくないの。だから、デマを拡散するようなことはやめてちょうだい。一応、就業規則にも風紀を乱すなとは書いてあるから、もしこれが上の人の耳に入ったら、処分もあり得るわよ。」
「ちょっと論点がずれていますね。」
「何が?」
「私がデマを言っていると思っているんですか?」
「それはそうでしょ。」
「やっぱり気づいていなかったんですね。私が言っていることは、全て事実ですよ。私とかけるさんは、交際していますから。」
「何を言っているのよ。かけるは私の夫よ。そんなわけないじゃない。」
「もちろん、禁じられた関係だとは分かっていますよ。でも、いずれは私が妻になりますから。」
「かけるがあなたと不倫をしているって、本気で言っているの?」
「もちろんですよ。こんな嘘をつくわけがないでしょう。」
「ありえないわ。」
「だったら、かけるさんに直接聞いてみたらどうですか?」
「そうさせてもらうわ。」
五分後。
「かける、ちょっと話があるんだけど。」
「なんだ?」
「営業部の仁田さんって人、知っている?」
「それがどうかしたのか?」
「その子が、あなたと愛人関係だって言っているのよ。もちろん、これが嘘に決まっているわよね。」
「そんなこと、誰が言っているんだ?」
「仁田さん本人が言っていたのよ。でも、そんなことあるわけないわよね。」
「あいつ、どういうつもりなんだ?」
「え?もしかして、事実だっていうの?」
「お前の耳に入っているってことは、それなりに知られていてもおかしくないと思っていいんだろうな。」
「多分ね。私も仲のいい後輩から聞いただけだから。」
「だとしたら、もう隠しておく必要もないか。香織と俺は、確かに付き合っているよ。」
「嘘でしょ?」
「本当だよ。あいつとは、何かと相性が良くてな。仕事ばかりしていて大変な俺にとって、何よりも大切な存在なんだよ。香織がいるから、俺は仕事を頑張ることができるんだ。」
「私のことを裏切っていたのね。」
「お前みたいな出来損ないと、会社でも家でも一緒にいるのは本当に息が詰まるんだよ。だから、しっかり息抜きをしているっていうだけだ。」
「信じられない。浮気するなんて最低よ。」
「仕事のためだって言っているだろう。」
「そんな言い訳を誰が信じるもんですか。ただただ自分の欲望に負けただけでしょう。」
「お前に偉そうに意見してくるなよ。」
「何を言っているのよ。不倫なんて最低なことをしたから、怒っているんでしょ。そんなの当たり前じゃない。」
「俺に舐めた口を聞くなと言っているんだ。」
「あんたにそんなことを言われる資格はないわよ。私はあなたと幸せな家庭を築こうとしていたのに。」
「無能が俺の嫁なんてありえねえんだよ。俺の嫁にふさわしいのは、仕事ができる人間だけだ。」
「私は私なりに頑張っているって言っているでしょ。」
「お前、次期社長の俺に逆らうなんていい度胸しているな。」
「は?次期社長?何を言っているの?」
「お前にはこのことは言っていなかったな。でも、俺は直接父さんから会社を頼むと言われたんだよ。まあ、しっかり実績を残しているし、息子でもあるし、当然の決断だとは思うが。」
「あんた、何を馬鹿なこと言っているのよ。勘違いもほどほどにしなさいよ。」
「黙れ。信じられないかもしれないが、これが現実なんだよ。会社は俺と愛人のものだ。お前はすぐに首にできるからな。」
「はあ?なんで私が首にならないといけないのよ。」
「俺にとって目障りな人間は首だ。社長なんだから、それくらいはできるんだ。」
「それ、本気で言っているの?立場を利用して、自分の好き勝手にするつもりってこと?」
「そうだよ。それが社長の特権だ。」
「ああ、そう。もういいわ。あんたの気持ちはよく分かったわ。」
「だったら、二度と俺に逆らうな。安心しろよ。離婚まではするつもりはないからな。中年の独身女なんて惨めな思いはさせないでやるよ。父さんには世話になったからな。」
「そう、好きにしたらいいわ。」
二週間後。
「かける君、ちょっと話があるんだ。」
「はい。どうかなさいましたか?」
「由美子から話は聞いたよ。君は由美子を裏切って、不倫をしていたようだね。」
「聞かれたんですね。」
「まあ、私の娘だし、腹立たしい部分はあるよ。ただ、夫婦のことだから、あまり口出しはしないことにしている。」
「あいつとは、ずっと関係が冷え切っていたんです。ですけど、お互いに仕事のパートナーとしてやっていくので、離婚はしないつもりでいます。」
「そういうことも言っていたみたいだな。」
「お父さんには色々とご迷惑をおかけします。ですが、その分は仕事でお返しをしようと思っています。」
「由美子が君の不倫を咎めた時に、首にするぞと脅すような発言があったようだな。」
「すみません。つい感情的になってしまって。もちろん、本気でそんなことをするつもりはないですよ。」
「まあ、それも今だけだろうがな。」
「どういう意味でしょうか?」
「この首という発言に関して、私の方から君に言いたいことがあったんだ。」
「何でしょうか?」
「お前らが首だ。」
「え?もう一度言おうか。首だよ。」
「ちょっと待ってください。私たちが首だなんて、そんなのおかしいですよ。どうしてですか?」
「どうしてだ?私は別に、何か首になるようなことをしたわけではないでしょう。不倫をしていたことは良くないかもしれないですが、別にそれだけで首になるようなことではないはずですし。」
「確かに、不倫は風紀を乱す行為ではあるから、当然許されることではないよ。ただ、それだけで首にはしないな。」
「だったら、どうして!」
「君は仁田に対して、不当に高い評価を与えていたようだな。人事部長という立場を利用してな。」
「君の仕事ぶりを改めて調査して分かったことだよ。彼女の評価が、他の社員よりも明らかに高かった。最終的にはうちの役員が承認をしたことではあるが、その決断をさせたのは君の評価コメントだった。役員はその言葉を信じて承認をしていた。しかし、彼女はまだ営業として一人前とは言い難い。もちろん、将来的に活躍してくれるかもしれないが、まだ彼女はそこまでの結果は残していない。そういう意味では、同期と同じ評価でいいはずだ。なのに、彼女は高い評価を得ていて、賞与も他の社員よりも多くもらっているな。この評価に対して、君の話を聞かせてほしい。」
「人事の社員がまとめた評価シートを見る限り、あの評価は明らかに異常だ。なのに君は評価値を上げて、実際にはありもしない評価コメントを見せていた。それは一体どういうことなんだ?」
「いや、それはですね…」
「君のやったことは、間違いなく職権乱用だよ。そんなことをする人間は、首にするしかない。」
「ちょっと待ってくださいよ。俺は次期社長なんですよ。そんな人間を首にするんですか?」
「君はどうして、そんな風に思っているんだ?」
「だって、俺に対して『これからの会社を頼む』と言ってくれたじゃないですか。」
「そうだな。確かに伝えたよ。じゃあ、それと同じ言葉を他の社員にも伝えてある。私がいなくなってからは、より一層お前たち社員の力が必要になるからな。だから、できる限り直接伝えておこうと思っているんだ。」
「え?つまり、その言葉は我が社の社員なら誰にでも言っている言葉だということですか?」
「でも、俺はあなたの息子ですよ。」
「そんなものは関係ない。私は自分の会社を、信頼できる人間に託すつもりだ。少なくとも、立場を悪用するような人間に会社を任せるようなことはしない。そして、父親として、娘を裏切るような奴のことを息子だとは思わない。もう二度とその顔を私に見せるな。さっさとこの会社から出ていきなさい。」
三十分後。
「仁田さん、ちょっと話があるんだけど。」
「何ですか?恨み言ならやめてくださいよ。」
「そんなことを言うつもりはないわよ。」
「それなら、さっさとかけるさんと離婚してくださいよ。これからはこの会社は、私とかけるさんのものなんだから。」
「そうね。あいつとは離婚するつもりよ。だから、それから先は好きにしたらいいわ。」
「やった!」
「でも、再婚できるかどうかは分からないわね。」
「は?何を言っているの?かけるさんは私と離婚するつもりはないって言っていたわよ。」
「まあ、きっと父さんの目が黒いうちは、体面を保つために婚姻関係を続けるつもりだったみたい。私はそんなのお断りだけどね。」
「嘘よ。かけるさんは私と一緒になるって言ったわ。家庭を裏切るような人間が、嘘をつかないと思ったの?」
「もう少し頭を働かせた方がいいんじゃない?」
「黙りなさい。どっちにしても、あんたは離婚するんでしょ。そうよ。だったら、私と一緒になるに決まっているわ。そうしたら、私は社長夫人よ。」
「それもありえないからね。」
「何がよ。」
「さっき、うちの父が直接かけるに首を宣告したからよ。」
「は?首?」
「そうよ。まあ、良くないことをしたから当然のことだと思うけど、あんた、自分が裏切られたからって、そんな理由で首になんてできるわけないでしょ。」
「これはちゃんとルールに沿った首だからね。じゃあ、かけるさんの社長就任はありえないわけでしょ。そんなこと、あんた認めるの?」
「そんなこと、ちなみに。あんたも首になるから。」
「え?私も?」
「そうよ。あんたがかけるを次期社長だって言いふらしていたんだって。それで、自分が将来の社長夫人だって、営業部ででかい顔をしていたって聞いたわよ。」
「それが何なの?」
「会社の人事にまつわる虚偽の情報を拡散するなんて、絶対にやってはいけないことよ。社長就任ってのは、水面下で色々なところと話し合いをしながら決めていくことなの。そうやって関係を調整しながらやらないといけないのに、あんたが嘘を流したせいで、社内に混乱が生まれてしまった。これが社外に漏れたら、株価とか色々なものに影響を与えてしまっていたわ。そんなのは絶対に許されないことなのよ。だから首なの。虚偽の情報を言いふらした上に、あんたはその立場を利用して、他の社員たちにパワハラのような言動を行っていた。それらを鑑みて、首という決断になったわ。」
「嘘でしょ?」
「これは事実よ。少したったら正式に通達されると思うわ。だから、素直に受け入れて、さっさと会社から出ていって。そして、無職の二人で幸せな家庭を築いていってね。」
一か月後。
「かける、今大丈夫かしら?」
「なんだよ。もう俺たちに話すことなんてないだろ。俺たちは離婚して、慰謝料だって払うことになったんだからな。」
「そうそう。でも、そのことじゃないのよ。家庭のことじゃなくて、会社の人間として伝えたいことがあるの。」
「なんだよ。」
「あんたが人事部長の立場を利用して、仁田さんに不当に高い評価を与えていたことが発覚したじゃない。」
「それが何だよ。いちいち蒸し返すなよ。」
「それで、お父さんが他にもあるんじゃないかって、細かく調べたみたいなのよ。そうしたら、あんた、採用に関しても不正を働いたみたいね。」
「何を言っているんだ?」
「あんたが、とある人材紹介会社から来た候補者を採用して、キックバックを得ていたことは分かっているのよ。」
「何を馬鹿なこと言っているんだ?知らばっくれる気か?」
「なんでそんなことを言っているのか分からないけど、俺が採用を自由に操作なんてできるわけないだろう。最終的に決めるのは社長や役員たちだ。俺がどうこうできるわけがないんだよ。」
「そうね。最終候補の中から採用をするのは、お父さんたちの仕事よ。でも、あんたはその最終候補を絞る立場にあったわよね。うちでは二次面接が、あんたの役割だったはず。」
「それが何だよ。」
「あんたが二次を通過させた多くが、一つの人材紹介会社を通じて応募があった人間だけよ。ひどい時なんて、最終面接に残った全員がその人材紹介会社を通じた候補者だった。そうなったら、あんたが直接決めなくても何の問題もない。自分の好きなように操作をすることができるでしょ。」
「いや、でもそれは…」
「もちろん、その証拠だって、こっちはしっかり持っているから。あんたが手を組んでいた人材紹介会社の担当者に、しっかりと話を聞いてあるからね。」
「あいつ、喋ったのか?」
「そうよ。それで、あんたのやったことは立派な犯罪よ。偽計業務妨害になるわ。」
「え?刑事告訴するのか?」
「当たり前でしょ。あんたのやったことは犯罪だからね。」
「ちょっと待ってくれよ。旦那を刑務所送りにするのか。」
「元旦那よ。もう旦那でも何でもないから。私を裏切っておいて、よくそんなことが言えるわね。」
「いや、でも、そんなことしたら会社にもダメージが来るだろう。もっと内々で処理する形で…」
「そんなことは許されないわ。あんたのやったことは犯罪よ。その罪は絶対に償わないといけないことなの。あんたのせいで、うちの会社に入れなかった人もいる。あんたは私利私欲のために、人の人生を狂わせたのよ。そんなことをした人間は、罰せられるべきよ。」
「もっと穏便な形があるって…」
「そんなこと、私も父も許さないわ。」
「お父さんはもうすぐ定年だろう。最後の最後に、そんな泥を塗るようなことをしなくても。」
「どの口が言っているのよ。あんたがやったことでしょ。」
「俺はお父さんのことを思って言っているんだ。お前みたいなどうしようもない娘しかいなくて、後継ぎもいない状態で、会社まで評判が落ちたらかわいそうだろう。」
「それは私が何とかするわよ。」
「お前みたいなこそ泥のくせに、何ができるんだよ。」
「あんたは私が使えないやつだと思っているみたいね。実際、部署をたらい回しにされているだろう。」
「うちの役員の人たちも、みんな同じようなキャリアを歩んでいるのよ。うちは役員になる前に、いろんな部署に移動して経験を積むのが通例になっているのよ。それで、部署ごとの仕事を理解しておかないと、上に立つ資格はないって、父さんが決めたの。だから、少なくとも私はあんたよりも評価されていたのよ。」
「でも、お前は数字に残るような結果は何も…」
「それだけが評価じゃないのよ。周りの人が働きやすい環境を作ることだって、立派な仕事よ。あんたみたいに不正を働いて評価を上げたりするような人間には分からないことだろうけどね。会社ってのは、チームで動くものなのよ。そして、チームが動きやすくするために、自分が犠牲になってもいいと思える人間こそが、上に立つ資格があるの。お父さんはそうやって会社を大きくしてきたのよ。私はそんなお父さんに憧れて、この会社に入ったの。だから、あんたみたいに私利私欲のために動くような人間が、社長になれるわけがないでしょ。次期社長と思い込んでいたこと自体、おめでたいのよ。」
「じゃあ、お前が次の社長になる可能性もあるのか?」
「どうでしょうね。」
「もし社長になったら、また俺のことを雇ってくれよ。罪も全て償うからさ。だから、雇ってくれ。この年で今更、別の会社から採用されるなんてないんだ。ここしか俺には残っていないんだよ。」
「そんなことするわけないでしょ。私も、あんたと同じ気持ちだから。」
「どういうことだよ。」
「こそ泥の社員なんて、この会社に置いておけないってことよ。」
その後、会社を首になったかけると仁田さんですが、一緒になることはなかったみたいですね。そもそもかけるは結婚は考えていないと言っていましたし、仁田さんも社長になれないかけるはただのおじさんだと思って、見限ったようです。
仁田さんはそれから別の会社で働くようになったようですが、私への慰謝料の支払いがきつくて、夜の仕事をするようになったそうです。それが会社にばれて、そこは即刻首。そして今は、夜の仕事を掛け持ちしながら、お酒で肝臓を痛めつけながらも、なんとか生活をしているとのこと。
かけるは刑事告訴を受けて逮捕されましたが、執行猶予がついたことで刑務所は免れたと聞きました。でも、私への慰謝料だけじゃなく、会社への損害賠償も払わないといけなくなり、今は肉体労働をしながら、ギリギリの状態で体に鞭を打って働いているそうです。
あのまま真面目に仕事をしていれば、もしかしたら本当に社長になれた可能性もあったんですけどね。調子に乗ると、とことんまで落ちてしまうという、いい例です。
一方の私は、取締役に就任し、会社の中枢で仕事をするようになりました。お父さんは先月定年を迎え、今は母さんと海外旅行に行って余生を満喫している真っ最中です。幸せな両親を見ていると、いいなと羨ましく思いつつも、今の私の目標は、会社の社長になった姿を父に見せることです。それまでは、脇目も振らずに仕事を頑張りたいと思います。



