「お姉さん、これからよろしくね」
「かナちゃん、よろしくってどういうこと?」
「あれ?お兄ちゃんから聞いてない?私たち今日からそっちで同居するから」
「え、同居?今日から誰が誰と──」
「うちは子供3人と私と夫、お母さんたちも含めて7人になるよ」
「ちょっと待って。それって蒼太が言ってたの?」
「うん。同居しないかって誘われたけど」
「嘘でしょ?私、何も聞いてないのに」
「どんまい」
「どんまいじゃないわよ」
私は今、出産した翌日でまだ病院にいる。しかも双子を産んだばかり。そこに突然、夫の蒼太が妹のかナを送り込んできて、自分の両親も含めて全員で同居すると言い出したのだ。私は何も知らされていなかった。
後で蒼太に確認すると、彼は平然と言った。
「出産翌日のお前にサプライズ。今日から両親と妹一家と同居。文句あるなら離婚な」
「離婚って何それ?私、何も聞いてないんだけど」
「お前に相談する必要ないだろ」
「なんでそんなこと決めるの?」
「お前って俺がいないとダメだもんな。俺や母さんたちの言うことをずっと聞いてきたわけだし」
確かに私は自分の両親が毎日喧嘩しているのを見て育った。だから子供たちにはそんな思いをさせたくない。いつも部屋の隅で丸まって耳を塞いでいた過去がある。それを理由に、私はずっと蒼太に合わせて生きてきた。
「離婚したくないんだろう?」
「そうだけど。そうじゃなくて──」
「俺の決定が気に食わないなら出ていけばいい。離婚しなくても、俺が考えを変えればいいなら喧嘩しろよ。生まれたばかりの子供に親の喧嘩を見せる気か?お前の嫌いな親になるけど、いいわけ?」
私は言葉を失った。彼は私の弱みを全部知っていて、それで私を縛っている。
「双子抱えて1人で生きていける収入もないだろう。今は育休中とはいえ、お前の稼ぎじゃな」
「そこまで分かっててこんなことしてるんだ」
「当然だろ。お前は離婚できないし、俺の言うことを聞くしかない。これからも文句言わずにすみっこでじっとしてろ。俺たちの世話をしてる間は、鍵の生活費も出してやるよ」
翌日、退院して家に帰ると、かナが私の部屋を奪っていた。
「お姉さんの部屋もらったから」
「もらったって?」
「お兄ちゃんに言ったら、お姉さんの部屋あげるってさ」
「私の部屋を……」
「あと、お姉さんの服、勝手に着てるから。私たち家族なんだし、これから一緒に暮らすんだから当然じゃん」
「いくら家族でも、最低限の尊重くらいあるでしょう」
「あ、嫌なの?じゃあお兄ちゃんに言っちゃおう。離婚かもね」
私はその場では何も言い返せなかった。また我慢すればいいと思った。でも、かナが続けて言った言葉が、私の中で何かを動かした。
「お姉さんはそれでいいんだ」
「いいわけないでしょ。でも、それで収まるならそうするだけよ」
「あきれた。断れよ。部屋を急に取られるんだよ。服を無断で着られてるんだよ。何の相談もなく同居って、断って当然でしょ」
「でも私が我慢すれば丸く収まるし」
「収まってないから。お姉さん、自分の両親が嫌いって言ってたよね。いっつも喧嘩してて嫌いだったんでしょ。だから蒼太とは衝突しないようにしてきたんでしょ?何それ?お姉さんが逆らわなかったら平和だからって、バカじゃないの?」
「そんな言い方──」
「子供が大事なら主張しなよ。今のお姉さんって、表面上を取り繕ってるだけでしょ。私は考えて、考えて──」
「思考放棄してるだけのクソバ女。母親がこれじゃ、双子ちゃんがかわいそうなんですけど」
「そこまで言わなくても──」
「言うよ。だってこのまま行ったらどうなると思う?このままなら双子ちゃんも部屋の隅で丸まって生きるよ。あんたみたいに、お兄ちゃんの顔色を伺って、お母さんたちの顔色を伺って、愛想笑いだけして生きていくんだろうね。おめでとう。根暗女そっくりの娘たちの出来上がり」
私は息が止まる思いだった。彼女の言っていることは、私が一番怖れていること。私の子供たちに、私と同じ思いをさせたくない。ずっとそう思ってきたのに、蒼太に合わせて生きるということは、まさにそれを子供たちに強いることだった。
「だったら私が喧嘩すればいいの?夫婦で怒鳴り合う家庭を作ればいいわけ?」
「いいわけないでしょ。離婚すればいいじゃん」
「簡単に言うけど、私の稼ぎだけじゃ──」
「大変だろうね。苦労するだろうね。でも、だからってクソみたいな環境で娘に我慢させるよりはマシでしょ。それとも、部屋のすみっこで丸まってろって言いたいの?かわいい娘たちにあんたと同じ思いをさせたいわけ?」
「そんなの絶対にだめ」
「なら、やることは決まってるじゃん。あんなゴミみたいな男と結婚続ける意味ある?」
その言葉で、私はようやく決心した。
数日後、私は蒼太に宣言した。
「その家にはもう帰りません」
「はあ?なんだよ、反抗期か?」
「くだらないこと言ってないで、さっさと帰ってこい」
「だから帰りません。子供たちは私が連れて行くので、あとは好きにしてください」
「言うこと聞かないなら離婚だぞ」
「じゃあ、離婚で」
「え、ちょ、お前何言ってんの?」
「だから、離婚です」
「冗談やめろって。俺と離婚してどうするんだよ」
「風花と莉子と3人で生きていけますけど」
「双子の娘をお前1人で?無理に決まってんだろ。自分の給料を見てから言えよ」
「確かにギリギリではあるけど、全くもって無理ではないわよ。シングルマザー向けの制度を使えばいけるわ」
「住むとこは?お前、実家には帰れないだろう」
「まあ、家を出てから一切連絡取ってないからね。向こうはもう娘と思ってないでしょ」
「こんな急に出ていって、行くとこあるのか?」
「あるんで大丈夫です」
「ある?誰のとこだよ。お前とガキ2人を、そんなの受け入れるやつなんて──」
「かナちゃんのとこ」
「はあ?かナ?なんであいつが?」
「私の荷物はかナちゃんが持ってきてくれるから、あなたは触らないでね。離婚届は後日郵送で送りますから。じゃあ、さようなら」
蒼太は呆然としていた。私は振り返らずに家を出た。
その後、蒼太はかナに連絡して怒鳴ったらしい。
「お前、さやかに何言ったんだ?」
「あれ、仕事中じゃないの?」
「そんなの今はどうでもいい。さやかが離婚とか言い出したんだぞ」
「ってことは、色々と聞いたんでしょ?」
「お前の家に曲がりするとか、なんとか」
「お前の家は引き払ったって言ってたよな」
「嘘だけど」
「は?私が本気でお兄ちゃんたちと同居すると思ってたの?何それ、受ける」
「受けねえよ。新築一軒屋に住めるって喜んでたじゃん」
「そりゃ新築一軒屋に住めるのは嬉しいよ。うちは子供3人いるから、今は余裕なくて無理だし」
「だったらなんで?」
「マイナス点がでかすぎるって。お兄ちゃんとお母さんたちと一緒に暮らすとか、マジで無理」
「なんだと?」
「お兄ちゃんは王様気取りのクソわがままバカだし、うちの両親も最悪。お兄ちゃんを無意味に可愛がるだけの老害じゃん」
「お前、実の親に向かって老害って──」
「揃いも揃って脳みそスカスカすぎてビビるわ。大方私たちを同居に誘ったのも、コキ使ってやろう程度の考えだったんでしょ?」
「そんなわけないだろう。かわいい妹家族と一緒に暮らしたいって思っただけで」
「かわいい妹?笑わせないでよ。お兄ちゃんがかわいい妹とか、ギャグ超えてバグでしょ」
「言いがかりはやめろ」
「言いがかりじゃないでしょ。実際この数日だけで、やれ飯作れ、やれ家事しろって、家のことは全部こっちに丸投げだったじゃん」
「それは俺は仕事があったし」
「うちの旦那は仕事しながら手伝ってくれましたけど」
「お前んとこはそうなんだろ。うちじゃあ家事は嫁の仕事なんだよ」
「お兄ちゃんのお嫁さんは入院してて、いなかったよね。私はあんたの嫁じゃありませんが」
「妹だが──」
「それは、その。慣れてるやつがやった方がいいだろう」
「じゃあお母さんは?あの人はずっと専業主婦なんだから、一番慣れてないでしょ」
「お前な、親を働かせようっていうのか」
「親に家事させたくない。自分もしたくない。だから妹夫婦に丸投げって。そりゃお姉さんにも捨てられますわ」
「お前がその、抜かしたんだろ」
「はいはい、そうですね」
「お前が余計なこと言わなきゃ、さやかが俺に反抗なんてするはずないんだ」
「双子ちゃんもいて経済的に苦しいし、お姉さんの性格を考えたら、喧嘩するより我慢するし」
「そうだよ。俺たちはそうやってうまく夫婦としてやってきたんだ」
「夫婦じゃないから。それ、ただの支配じゃん。自分の嫁も大事にできないくせに結婚してんのよ。夫も父親もする気ないなら妊娠させてんじゃねえや」
「なんでお前にそこまで言われないといけないんだ」
「裸の王様がむかついたから、言いたいこと言っただけ。1人でやってなよ、マジで」
蒼太は最後まで自分の非を認めなかった。
「よくよく考えたら、どうせさやかは帰ってくるんだ」
「はい。なんでそうなるわけ?」
「社会制度を利用しようが、経済的な負担は無視できない。そもそも働きながら育児ってなったら、保育園は見つかってんのか?」
「まだだと思うけど」
「新しい家に保育園。それが見つかるのにどれだけ時間がかかる?」
「さあね。数ヶ月はかかるんじゃない?」
「お前はどうか知らないけど、さやかの性格なら数ヶ月も人んちにいられるはずない。罪悪感とか抱いて、自分から出てくだろ」
「で、それが?」
「そうなったら、あいつに行く当てなんてないんだ。どっちにしろ俺んとこに帰ってくるしかねえんだよ」
「はいはい、そうですか」
「さやかに言っとけ。土下座して頼むなら、家に入れてやってもいいってな」
しかし、1週間後、蒼太はかナに泣きついた。
「マジで腹立つな。何なんだよ」
「急にどうしたの?」
「親父とお袋だよ。あいつら、かナたちが出ていった後から急にわがままになりやがったんだ」
「わがままね」
「かナやさやかがいないんだから、家事はあいつらの仕事だろ。俺は家に住ませてやってるし、外で仕事もしてるのに」
「2人が家のことをしないってこと?」
「しないどころか、さっさと飯作れとか言い出すんだよ。ありえないだろ」
「自業自得でしょ」
「どこが?」
「昔からお母さんたちって、そういう人だったよ」
「何言ってんだ。おふくも親父もそんな人たちじゃなかったろ」
「ああ、お兄ちゃんから見たらね。私から見たら、うちの親って基本他責思考だし。自分たちで何かするような人じゃなかったよ」
「どういうことだ?」
「お兄ちゃんって、昔から可愛がられてたよね。お兄ちゃんが小学校の頃って、テストの点で褒められた?100点取ったらケーキ買ってくれたりとか」
「そりゃ褒められたと思うけど」
「私は100点のテストを見せたら、ふーんって言われたよ。お兄ちゃんが子供の頃に書いた家族の絵は、うちの実家に飾ってあったよね。私が書いた絵は?」
「それは見たことないかも」
「そりゃ見たことないでしょ。見せたその日に捨てられたんだから。お兄ちゃんは生まれた時から大事にされてきたんだよ。だから勘違いクソ野郎に育ったんだね」
「なんだと?」
「わがまま放題、好き放題。それで許されてきたから、大人になってもガキのまま」
「仮にそうだとしても、お袋たちがわがままになった意味が分かんないだろう。無関係じゃん」
「いや、関係はあるでしょ。お母さんたちとお兄ちゃんの間にフィルターがあったんだよ。私だったり、さやかさんだったり。お兄ちゃんは私たちより可愛い。私たちが間に入って、面倒を処理してたから。だから気にならなかっただけ」
「いや、でもそれでも俺はかわいい息子だろ」
「比較対象がいないと、かわいいもクソもないでしょ。でかいガキなんてフィルターがなかったら基本うざいよ」
「分かったよ。じゃあさやかに帰ってこいって伝えろ」
「はあ。なんでそうなるの?」
「さやかのやつ、俺からの連絡を無視してんだよ」
「いや、そこじゃないんだけど。言ってることが正しいなら、さやかさんが戻ればいいんだろう?そしたらうちは平和。さやかさんも平和。……そそりの間違いでしょ。てか、さやかさんが帰るわけないし」
「なんでだよ。あいつの性格なら、きっと今も罪悪感で──」
「感じてないと思うよ。今のお姉さんは、守護が子供になってんの。自分じゃなくて、子供のためにどうしたらいいか。それしか考えないわけ」
「守護は何言ってんの?」
「人生の軸が双子ちゃんに変わってるってこと。まあ、お兄ちゃんには分かんないだろうけどね」
「だったらお前が帰ってこい。このままじゃ自分の家なのに、居場所がなくなる」
「その程度でなくなる居場所に価値なんてないでしょ。それも分かんない人を助ける義理はありません」
数日後、私は蒼太に電話をかけた。離婚届を出してくれないからだ。
「蒼太、離婚届を出してくれてないみたいね」
「さやか、ようやく連絡してきたか。なんだ、うちに帰りたくなったのか?」
「いや、違いますけど。離婚届を出してって言ってるの。郵送で送ったでしょ?」
「ああ、そんなのもう捨てた」
「そうですか。じゃあもう1回送りますね」
「諦めろよ。俺は離婚する気はないからな」
「変な話ね。先に離婚って言い出したのはそっちじゃない?」
「あれはまさか本当に離婚するとは思ってなくて」
「離婚する気もないのに言ったらだめよ。はい、離婚して」
「うるさい。お前、このままでいいのか?今はかナの家に置いてもらってるんだろうけど、これから問題は山積みだ。保育園を見つけて、新しい家を見つけて、仕事して、双子の育児を全部1人で負担。できるのか?無理だろ、お前には。素直に俺のところに戻ってこいよ」
「確かに大変だろうけど、風花と莉子に加えて、でかいガキ3人追加よりはマシ」
「でかいガキ3人って、俺とおふくたちのことか」
「かナちゃんに泣きついてたんでしょ?そんな家に戻るくらいなら、1人で頑張った方がいいわ」
「バカ。お前が帰ってくれば丸く収まるんだよ。お袋たちだって、お前が戻れば元に戻るはずだ」
「それで戻ったとして、私はどうなるの?」
「は?そんなの今まで通りだろう。部屋のすみっこで黙ってるだけでいいんだよ」
「私はそれを卒業したの。私がそうやって過ごしてると、風花や莉子のためにもならないって気づいたから」
「何言い出してんだよ。俺たちは今までそうやって来ただろう。お前は黙って俺の言うことを聞いてればいいんだよ」
「かナちゃんが言ってた通りね。あんたみたいな人と過ごしてたら、きっと私だけじゃなくて子供たちも同じようになる。私は母親です。娘たちにあんな思いをさせたくありません」
「この……お前が俺に逆らっていいと思ってるのか?」
「いいに決まってるでしょ。だってあなたがいなくても問題ないんだから」
「1人で生きていけるってか?考えが甘いんだよ。ガキ2人を育てるんだ。そんな簡単に──」
「財産分与と養育費。うちの貯金って、多いとは言えなかったはずよね。あの家も財産分与の対象になるわ。家をマップ立つなんてできないからね。売却した金額を財産分与に当てましょう」
「ちょっと待てよ。俺はそんなこと認めないぞ」
「なら、家の売却金の半額に当たる金銭をしっかりと払ってもらうことになるけど。新築一軒屋で3000万で建てたものね。今の状態で売れば2000万にはなるかしら。半額の1000万、用意できるの?」
「無理だ」
「なら、家を売るしかないわね」
「ふざけんな。俺は離婚しないぞ」
「裁判でも何でもしますよ。こちらはその覚悟を持ってますから」
「裁判って……くそ。なんでこんなことに」
「いつまでも王様気分でいるからよ。いるだけで人から肯定されると思ってた。そんなことあるはずないじゃない。歪んだ価値観を、この機会に直せたらいいわね」
その後、蒼太は私に捨てられ、かナに見捨てられ、両親からも嫌われた。かナに聞いた話だが、蒼太は昔から「長男」というだけで肯定されてきた。だから、自分が何かをして人に愛される、肯定されるという考え方がない。よく言えば自分に自信があると言えるが、それはただの思い上がりだった。彼の価値観は根本から歪んでいたのだ。
結局、蒼太は財産分与のために家を売り、養育費も月々請求され、今は両親と一緒にボロアパートで暮らしているそうだ。両親とは喧嘩が絶えず、責任の押し付け合いをしているらしい。まさに、私の両親と同じように。
一方、私はかナちゃんたちにも力を借りて無事に家を見つけた。今は小さなアパートで、風花と莉子と3人で暮らしている。保育園もかナちゃんの子供が通っているところを紹介してもらい、仕事にも復帰した。社会制度を利用しながら、生活を送っている。確かに大変なことも多く、贅沢な生活とは言えない。でも、そんな日々こそが、母親として幸せな日々なんだと、常々思っている。



