「大事な話がある。俺たちも終わりにしよう。」
一通のLINEで突然、夫の優斗から離婚を告げられた。
私は驚きのあまり、何が何だかわからなかった。
「丁年を迎えて、これがいい区切りになると思う。お互いに第2の人生を楽しもうじゃないか。」
「待ってよ。もしかして離婚するって言ってるの?」
「そうだよ。俺たちは別々の道を歩むべきだ。」
ふざけないで。どうしてそんなことを言うの?
私はこれまでずっとあなたと一緒に歩んできたのに。
でも、夫は冷たい言葉を続けた。
「医者の嫁として甘い汁は十分吸っただろう。これからは俺に頼らずに自分の力で生きてくれないか?」
「私はあなたに頼ってなんかないわ。2人で助け合ってここまでやってきたのよ。」
「俺の稼ぎで優雅に暮らしてたくせによくもそんなことが言えるな。」
確かに彼のおかげでいい暮らしをさせてもらった。
でも私は家事をやり、家庭を支えてきたはずだ。
なのに、なぜそんなことを言うの?
「別にお前じゃなくても良かったんだよ。こっちは金があるんだ。家政婦でも何でも雇えば、お前なんて必要じゃなかった。」
その言葉に、私は言葉を失った。
40年もの間、一緒に支え合ってきたのに。
彼にとって私は、ただの便利な存在でしかなかったのか。
「だったら、もっと前に離婚するって言えばよかったでしょ。どうしてこんなタイミングなのよ?」
「色々と世間体ってもんがあるだろう。お前は病院の連中とも仲良くやってたし、それで離婚したってなると俺の体面が悪くなる可能性があったんだよ。だからずっと我慢してきたんだ。」
つまり、彼は私への愛情なんてとうに失せていて、ただ世間の目を気にして一緒にいただけ。
そして、定年を迎えた今になって、ようやく離婚できると踏んだのだ。
「離婚してくれよ。もちろん財産分与にはきちんと応じるからよ。」
「まだ私は離婚に応じるとは言ってないわ。」
「やめてくれよ。ばばあに執着されるのは迷惑なんだよ。財産分与でその家はお前にくれてやるよ。」
彼は自分が優しいと思っているのか。
私に家を渡せば十分だと考えているのか。
本当なら何一つもらう資格はないとさえ言い放った。
「顔を合わせてちゃんと話をしましょう。」
「嫌だね。お前の顔なんてもう二度と見たくないんだ。俺は離婚が成立するまでホテルで生活する。」
「話し合いすらする気持ちはないの?」
「ないね。離婚するって俺が言ってるんだから。お前はそれに従えよ。俺の命令を聞くところが唯一の長所だろ。」
その日のうちに、彼は家を出て行った。
そして2日後、今度は思いもよらない人物から連絡が来た。
「由美さん、早く離婚に応じてくれませんか?」
「え?あなた誰?どうしてこの連絡先を知ってるの?」
「優斗さんの携帯からあなたの番号を拝借したんですよ。それでLINEをさせてもらいました。」
「あなた、優斗とどういう関係なの?」
「私は優斗さんと長年お付き合いをさせてもらってたんです。そしてこの度、結婚することになりました。」
不倫相手。
私はその言葉を聞いて、頭が真っ白になった。
夫が私に対して冷たくなった理由が、ようやくわかった。
「偉そうに優斗さんの妻面をしていたのに。まさかこんなことになるなんてね。あなたが悔しそうにしてる顔が目に浮かぶわ。」
「私と面識があるの?」
「何度かお家に行かせてもらったことがあるんですよ。その時は優斗さんと同じ病院で働く看護師としてでしたけど。」
その女の名は玲子。
同じ病院で働いていた看護師だと言う。
偶然にも、私は彼女の名前を聞いたことがあった。
「とにかくさっさと優斗さんと別れてもらえますか?これからは私が妻として優斗さんを支えていきますから。」
「どうしてそちらの都合に私が合わせないといけないんですか?私はまだ優斗と別れると決めてません。」
「しつこい人ですね。今まで優斗さんのおかげで生活ができてたんでしょ。だから最後くらい恩返しをしたいとは思わないんですか?」
恩知らずだと言われた。
私は優斗の老後をずっと考えていたのに。
それなのに、この女は私を無能呼ばわりし、目の前から消えろと言った。
10分後、私は夫に電話をかけた。
「あなた、不倫をしてたのね。」
「何?どういうことだ?」
「さっき玲子さんって人から連絡があったわ。さっさと別れてくれって言われた。」
「玲子が、いつ連絡先を…」
彼は不倫を認めた。
いや、認めるどころか、開き直り始めた。
「そりゃ世間体を気にするわよね。うちの看護師と不倫してたなんてバレたら色々と大変でしょうから。」
「私にも不倫のことは隠して離婚しようとしたんだ。」
私はずっと彼に裏切られていた。
40年もの間、彼の妻として尽くしてきたのに。
その間、彼は他の女と関係を持っていた。
「俺の中ではお前は妻ではなかったんだよ。」
その言葉を聞いて、私はようやく決心がついた。
「もういいわ。離婚してあげる。」
「ようやくか。俺の気持ちはとっくに冷めていたんだ。老後は玲子と暮らすから、早く離婚してくれ。」
私は条件を出した。
財産分与に加えて、慰謝料も払ってもらうことにした。
彼は家を私に渡すと言ったが、それだけでは到底足りない。
「私だって妻としてあなたを支えてきたの。その自負はしっかりとあるから。」
「お前なんていらなかったと言ったはずだ。」
「だとしても私があなたを40年支えてきたという事実は変わらないわ。だから財産分与をしてもらう資格はあるはずよ。もちろん慰謝料だって払ってもらうからね。」
彼は怒り狂った。
「こっちは貯めた金で玲子と優雅な生活を送るつもりだったのに。」
「別に送ることは可能でしょ。お前に持っていかれるのが嫌なだけでしょう。」
そして、彼は言った。
「どうせお金も分けるなら、せめてあの家は俺がもらうぞ。もうお前に渡す理由はなくなった。」
しかし、私は一歩も引かなかった。
「何を言ってるの?そんなのダメよ。あの家はもう私のものなんだから。」
「はあ?どういうことだ?」
「財産分与の前に、あの家の名義も登記も私に変更したはずよ。だからあの家にあなたが住む資格はないの。」
彼は顔色を変えた。
「お前、知ってたんだな。こうなることを見越して、わざと先に名義変更させたな。」
私は笑った。
「もちろんよ。あなたと老後をどうするか考えていたの。この広い家じゃなくて、自然豊かな土地でゆっくりと過ごすのもいいかなと思って、不動産屋さんに売却の相談をしていたのよ。」
彼はあの家に価値がないことを知らなかった。
売却しても解体費用がかかるため、手元にはほとんど残らないと聞いて、さらに激怒した。
「俺を騙すようなことをしやがって。」
「あら、長い間私を裏切ってた人の意見だとは思えないわね。その怒りを自分に向けることはできないのかしら?」
こうして、私は財産分与と慰謝料を受け取ることになった。
彼は玲子と暮らすと言い残して、去っていった。
3日後、私は玲子のもとを訪れた。
彼女は私からお金や家を奪ったと聞いて、不機嫌そうだった。
「あんたのせいでこっちの生活レベルがぐんと下がったんだから。」
彼女は言う。
優斗とタワーマンションに引っ越すはずだったのに、無理になって別のところに住むことになったと。
新婚旅行で海外に行く予定もなくなり、結婚の夢はどこかへ消えてしまったらしい。
「でも、優斗さんはあなたがいてくれたらそれだけで十分だって言ってた。」
「私はそこまで純粋じゃないわよ。30も上の男と結婚なんて、お金がなかったらしないわ。」
玲子は金目当てだったのか。
私はあえて彼女に言った。
「ちなみに、このまま優斗と結婚しない可能性もあるの?」
「そんなわけないでしょ。長い間待ってたんだから。今更結婚しないなんて選択肢はないわ。」
「その気持ちが変わらないといいけどね。」
そして私は、玲子にも慰謝料を請求すると告げた。
「あなたのせいで離婚したんだから、当然支払ってもらうわよ。」
「待ってよ。私にそんなお金を払えるわけが…」
「看護師として働いてるんだから、別に大丈夫でしょ。どうしても無理だっていうなら、優斗にまとめて支払ってもらえばいいわ。」
玲子は愕然とした表情を浮かべた。
私はもう一度言った。
「ようやくあなたと別れて幸せになれると思ったのに、そんなにお金が欲しいのなら自分で稼いだ方がいいわよ。あの人は自分の稼ぎに頼る人間を『寄生』呼ばわりするからね。あなたも同じようなことを言われるかもしれないわよ。」
2週間後、今度は優斗が怒鳴り込んで来た。
「お前、こんなことをしてくれたな。」
「何のことかしら?」
「美佐のことを知ってるだろうが!」
美佐。
それは優斗のもう一人の不倫相手だった。
病院関係者が私に連絡をくれ、優斗には玲子以外にも関係を持っている女がいると教えてくれたのだ。
「私はただ自分の権利を行使しただけよ。きちんと制裁をしたかったってだけ。」
「金は俺からもらってるから、もう十分だろうが。」
「お金じゃないわ。あなたから受け取ったものは、あなたが私にしてきたことへの対価よ。」
優斗は美佐と玲子の両方を失った。
玲子は優斗の不倫が発覚し、彼を見捨てて出て行った。
そして、優斗は病院も辞めざるを得なくなった。
病院内で不倫の噂が広まり、医者としての信用を失ってしまったのだ。
その後、優斗は再就職を試みたが、どこも相手にしてくれなかった。
無収入となり、愛する玲子にも捨てられ、今はみじめな生活を送っているらしい。
玲子は優斗と再婚するつもりで病院を辞めていたが、再び別の病院で看護師として働き始めた。
しかし、その後も彼女の転落は続いた。
婚活パーティーで知り合った金持ち風の男と再婚を考えていたが、実はその男は詐欺師だった。
口座を共有しようと彼女から金を振り込ませ、そのまま姿を消してしまったのだ。
玲子は泣けなしの貯金まで失ってしまった。
私は二人で住んでいた家を解体し、土地を売りに出した。
手元に残ったお金はそこまで多くなかったが、優斗の住む場所を奪うという目的は達成できた。
そして今、私は田舎に引っ越し、新しい生活を始めている。
慰謝料や財産分与のお金があるので、経済的な心配はない。
家の近くの小さな畑を借りて、農作物を作ることに夢中になっているのだ。
近所の人たちもいい人ばかりで、一人の寂しさを感じることはない。
もし離婚しなかったら、今のような穏やかな暮らしはなかったかもしれない。
そう思うと、私にとってこの離婚は、悪くない選択だったのかもしれない。



